高崎宗司著「反日感情」(講談社現代新書)
これほど読むのに苦しんだ本は近年なかった。投げ出さないために大変な精神力を必要とした。この本だけ読んでいたわけではないが、新書なのに読了に3週間もかけてしまった。
冒頭、朝日新聞と韓国の東亜日報が共同で日韓関係についての世論調査を行った。「日本が好きですか」の問いに対し韓国民の答えは「好き」23%、「嫌い」39%、「どちらでもない」34%だった。ところが6年後の1990年に行った同じ調査では「好き」5%、「嫌い」66%、「どちらでもない」24%であったという。
著者はその調査時点での日本の大臣などの失言問題があることを理由として説明するが、普通に受け取れば韓国が「反日教育」に力を入れた効果が現れたと思うのが普通だろう。戦争が終わって徐々に反日意識が沈静化しただろうに、急に「好き」がなくなって、ほとんどが「嫌い」になるのは、日本の問題と見るより韓国側に何かがあったと思うほうが無理のない考えではないのか。日本は取り立ててその6年で韓国に悪意のある行動を取っているとは思えない。しかし著者はそれを認識できない日本人にこそ問題があると繰り返しいう。ここからずっと著者の言説に違和感が感じられてついに最後まで折り合いがつかなかった。
この本は日本側の問題点を詳細に、そして次々に揚げていく。言っていることが分からないわけではないし、どんな見方をしようがどう判断しようがそれはその人の考え方である。それを否定するものでは全くない。
ただ、私が思うに人に自分の主張を伝えるときは、自分の立ち位置をなるべく正しく認識した上でなければ意見の違う人にその主張は伝わらない。たとえば普通の日本人と普通の韓国人では立ち位置が明らかに違う。日本人の、一番韓国寄りの人と一番遠い人があったとしても、その人は日本人に変わりはない。しかし韓国のその向こう側まで行ってしまって、なおかつ自分は日本と韓国の中間にいる、と信じてものを語る人をどう理解しよう。というよりこの人と意見交換することが私には困難だ。
著者の列記する事実はそれぞれ正しい。しかしそれをどう解釈するのか、自分の意見の正当性を裏付けるためにどんな情報を選び、どれを削除したのか、それは自分の立ち位置に正しい認識がないと、全て正しいのに人に伝わらなくなるのではないか。特に私のような人間には。
しかし、同様の思考をする人にとってはすばらしい本かもしれない。
そういう人とはつきあいたくないし、この本は、私には二度と見たくない本だけれど。
数日前に韓国の済州島に行った。観光地だから愛想が良いのは当然だが、平和公園を始め、日本軍の爪痕が無数に残る島で、その時代を語るガイドたちに反日は全く感じなかった(私は鈍感だし、たまたまそういう懐の深い人ばかりに会ったのかもしれないが)。それで初めて韓国をもっと理解しよう、という気になった。
韓国側に立って、反日感情の理由をとくとくと説明して韓国の思いを伝えようとしたこの本は、日本人を韓国嫌いに導くおそれがある。
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日本人でありながら日本をこき下ろす。
訳の解らない人が居るものだ。
山田昭次氏その他色々ですが。
日韓条約がないがしろにされている。あの無償借款を韓国は評価しているとは思えません。
韓国人は貰うのが当然と思っているのだろうが、旧植民地にあれだけの支援をした国が他に有るのでしょうか。
日韓関係はこのままで良いのでしょう。中国もそうですが正式に国交を始めた国に対して反日教育はするということは尋常な対日感情を持っていないと判断せざるを得ません。
日本が朝鮮を植民地にしたことを反省することは無いと考えます。
日本は19世紀後半植民地にされないよう対処しました。
朝鮮はそれが出来なかった。朝鮮人自身の問題だと思います。
それから教科書について他国からどうこう言われる筋合いは有りません。
歴史認識を共有することなど必要ありません。
日本の歴史は日本人の為に有ればよいのです。
投稿: 亀山治夫 | 2012年7月31日 (火) 19時32分