「清末見聞録(清国文明記より)」・芝居②
○演奏 しぐさよりも歌に重きを置くので声調の美を尊ぶ。特に高音を喜ぶから甲高い金切り声を出してクライマックスを歌う。当然主なる歌い手は少年ではないと無理で、十四、五の少年が割合に重要な役を務めている。役者は天津や上海では二、三女性を見たが、ほとんど男子だけが普通である。顔の隈取りなどは専門家に見せたら、日本の隈取りと比較研究して面白いと思う。役者は自分の歌うところが済むと自分の出番は終わった、という様子で、黒子から湯を貰って飲んだりしているのがおかしい。しぐさは重きを置かれていないので、ずいぶん幼稚なものである。書き割りというようなものなどなく、日本の能楽のようにかたちばかりのものを持ち出して、家とも船とも見立てるようなもので、しぐさもこれに合わせて鞭を持ったのは馬に乗っているところ、鞭を人に渡し足をトントンと踏んだのは下馬を表しているというようなのが多い。一幕はおよそ三、四十分で終わる。一日に七、八幕つまり七八種の脚本を演奏する。一幕終わるとすぐつぎの幕に移り、物語がよく分かっていない人間にはいつ終わったのかいつ始まったのかさっぱり分からない。
○観客 桟敷も平土間も全て椅子に座りテーブルを置いて、茶を飲み西瓜・南瓜の種などを食べながら見物する。椅子があるのは中国の風俗である(当時の日本の演劇は桟敷に直に座って見ていたのだろう)。酷暑の頃など観客は着物を脱ぎ、肌着になっていたり、ひどいのになると上半身裸になっている。劇場のような娯楽の場所に燕尾服に山高帽のフランス式も窮屈すぎるけれど、中国式はあまりに不作法である。役者の歌が佳境に入ると観客は好好(ハオハオ)と叫んでこれを賛美するのは日本の大向こうのかけ声に似ている。婦人は市中の劇場には入らない。
要するに、中国の芝居は日本の能楽と歌舞伎を合わせたようなもので、歌舞伎よりは能楽に似ている。元来、我が国の謡曲は元の戯曲にもとづいているものだと云うことだから、元曲の流れをくんで発達した中国劇が、能楽と似ているのは当然だろう。
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