中国ウオッチ・60年で最低
黄浦江。上海。河の汚さ、空の様子。これでも上海は希に見る快晴。
西安郊外、黄河の大支流、渭河。20年前はこのように満々と水が流れていたが、一昨年行ったら河床がほとんど見えていた。二回とも同じ季節の秋。
中国気象局の記者会見での発言によれば、2011年の中国全国の平均降水量は1951年からの60年間で最も少なくて、556.8mmしかなかった。日本と同様、というより世界的な兆候だが、局地的な異常気象が多発しているという。
中国は国土が広い割に耕地面積が少ない。その耕地のうち、華北地方の降水量がこのところ継続的に減少していることが気になる。それでなくとも農村から都市部への人口流出が起きているのに、旱魃で農産物の収量が落ちれば、さらに農村の減少、そして崩壊が進むだろう。
古来中国を治めるものは水を治めなければならなかった。昔は河を治水することが最も重要な仕事だったが、今は水そのものを確保管理することが最重要な時代だと思う。今のように、なけなしの水を汚染し放題にしている状況を改善することがまず真っ先に取り組むべき事ではないだろうか。
ところで大気汚染も深刻だ。昨年秋以降、大都市では外出を控えなければならないようなスモッグが数時間、時には数日街を覆い尽くすような事が頻発した。
為政者は水だけではなく大気も納めなければならないようだ。
考えてみると東京オリンピック前後、昭和30年代から40年代の前半は日本の大気は汚れ、工業地帯の空はスモッグに蔽われ、都市部の河川はヘドロだらけだった。中国は北京オリンピックに向けて急成長を続けた。その勢いがまだ続いているけれど、すでに日本の轍を踏んでいる。ただ反面教師としての日本の公害の歴史を知ることが出来る。日本が試行錯誤した改善への道を、中国は最短距離でたどることも可能なのだ。
少しくらい経済発展にブレーキがかかってもやるべき事があることが分かるかなあ。
日本だってもうけにならないことはやらない、という人間ばっかりだけれども何とか昔よりマシになった。なぜなら結局そのときには儲からなくでも後で大きなつけを払うよりやるべき事をやるようにした方が得だと気がついたからだ。
中国人はいつ気がつくのだろう。見ていると大きなつけを払う段階になっても気がつかないような絶望的な気配がする。
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