「清末見聞録(清国文明記より)」・文廟
北京の城北、崇文門大街を西北へ行くと、街が尽きたところから西に折れて数町(数百メートル)で文廟がある。孔子を祠る(まつる)ところである。門は鎖してある。これを二三回叩くと番人が出てきて開けてくれる。入ってみると左右には数十の石碑がある。これは進士及第者の名を刻んだもので、その最も古いものは元朝のものである。大成門は鎖してある。その左の側門を入ると、大成門内にはあの有名な周の時代の石鼓が門内の左右に並べてある。その数は十個、形はまるで饅頭のようである。柵で囲んであるから、近づいてこの表面に書いてあるものを見ることは出来ないが、鼓面は幾度か拓本を取ったために真っ黒となり、長い時代に剥がれていて刻まれた文章も明瞭ではない。
城内は古い檜などが鬱蒼としていて(古柏鬱然)襟を正したくなる。大成殿は構えが極めて壮麗、黄色の瓦が燦然として目を射る。粛然として古樹の間を進んで行けば、殿前には台と階段がある。東へ回り東の階段を上がって殿に入れば、正面にはただ神位(霊魂を祭るところ)のみを設けてあり、これに至聖先師孔子神位と書かれている。謹んで神位の前に拝礼すれば、聖霊が彷彿として咫尺(しせき・わずかな距離)の間に在るようで、敬虔な心持ちがする。拝礼を終えて退き左右を見ると、右には復聖顔子之位、述聖子思子之位、左には宗聖曾子之位、亜聖孟子之位を配享(はいきょう・祭りの時に主神に添えて他の神様を祭ること。ここでは孔子の弟子や有名な儒教思想家が名を連ねている)してあり、少し後方の右手には閔子(びんし)、冉子(ぜんし)、端木子(たんぼくし)、仲子(ちゅうし)、卜子、有子、左手には冉子(孔子の弟子には冉子が何人か居る)、宰子、冉子、言子、顓孫子(せんそんし)、朱子を配享してある。顔を上げると、廂(ひさし)の間に康煕帝の御筆「万世師表」、雍正帝の御筆「聖集大成」以下、清朝歴代の天子の題した「斯文在茲」「聖神天縦」「徳斉幬載」「化成悠久」「時中立極」「聖協時中」などの扁額が掲げてある。身を屈めて謹んで堂を下がり、東西両側の廂の下に一緒に祀られている賢臣たちに一礼し、また廟の庭に建っている康煕帝、雍正帝、乾隆帝の石碑を読んで引き上げた。
辞去するに当たり、門番に相応の謝礼をするのは当然であろう。つまり門を開けてもらった労力に対する報酬である。しかし、潔癖な日本人の考えから云えば、掌を差しだして銭を要求する彼等を見ると、唾棄したいような気持ちがする(当時の日本人のチップに対する感想だ)。少しは聖賢の教えを聞いて恥を知れと云ってやりたいような気持ちがする。請求されなくても心付けはするものを、と云ってやりたい。
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