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2012年1月31日 (火)

「清末見聞録(清国文明記より)」・欽天監

 崇文門から城壁に上って東にゆき、角楼から北に折れて数百メートル行くと、城壁の上にさらに一掃の高台があるのが見える。これが観象台であり、欽天監はその台の下にある。
 欽天監は天文を考え歴算を司り天下に暦を発布する重要な官庁であることは誰でも知っている。暦はもしも計算を間違えると作物の種まき時期などのタイミングを失するなどその影響がきわめて大きい。故に、中国にあっては大昔から特にこれを重要視している。「書経」を見ると、堯は羲和(ぎか)氏を長として天文を観測させた。舜もまたその位につくやまず天文観測の機械を整えさせた。当時その任に当たっていた羲和氏はすなわち今の欽天監正である。暦法はこのようにずいぶん古くから発達して、漢・唐の際には太初歴・大衍歴などが発布された。
 しかし、西洋諸国で科学が盛んになり、数学が発達すると、各種の精巧な観測器ができて、古来伝えられてきた中国の暦学はとうていこれに拮抗することができない。故に暦学に精通した宣教師アダム・シャール(湯若望)等が中国に入ると、康煕帝、乾隆帝の時に抜擢されて欽天監正に任じられた。現在に残る欽天監はその遺跡で、観象台上に安置されている器械は、アダム・シャールたちが作ったものである。
 拳匪の乱(けんぴのらん・義和団の乱)のときにフランスとドイツの兵隊が来てことごとくその器械を奪って去り、台上には何も残っていなかったという。その後フランスは再びこれを送り返してきたが、今は官庁の倉庫に放置されたままである。修繕して昔通りに台上に戻すはずではあるが、台上には、今はただ渾天儀(こんてんぎ)が一個あるだけである。あのドイツのベルリンから遠くないポツダム離宮の園中に、この欽天監にあった幾多の機械が置かれているのを知る人は知っているであろう。
*アヘン戦争をきっかけに西洋列強は中国の文物を破壊し、略奪し、戦利品を持ち去った。どちらが野蛮人か歴史が教えている。その証拠は列強といわれた国々の博物館に今も麗々しく展示されている。

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