「清末見聞録(清国文明記より)」・貢院②
ついでに、過去の話にはなったが、試験の光景をいうのも一興であろう。試験は三月と八月の二回である。第一日の朝から夕方までかかって受験者を各室に収容する。受験生はおのおの考藍(こうらん)という籠に入れて持ってきた筆紙墨や食料品やろうそくなどを整理して静かに待っていると、その夕べ試問が出る。それから昼夜の別なく受験者は一生懸命に答案二編の文章と一編の詩を書かなければならない。その答案は細かい楷書で一画も間違えないように書かなければならない。第三日の朝になって初めて各受験生の答案が集められる。すなわち学生は一昼二夜をこの陋室に過ごし、両便のほかは寸歩も室外に出ず、食事もこの室内でする。机に寄りかかって仮眠するのがせいぜいで、もちろん横臥する余地はない。その疲労はいかばかりであったろう。受験生はこの精神疲労や及落の心配で、往々にしてボーッとなって種々の滑稽なことをしてしまう。あるものはほとんど文章になっていない答案の隅に女子の靴の画を描いたものがいた。もちろんこれらは当然落第である。あるものはせっかく書き上げた答案の上に、ろうそくの蝋が流れかかったのを、居眠りして気がつかなかったため、悔恨からにわかに発狂したとの噂である。
かくの如くして貢院は名利を逐う場所となり、天下の俊才を凡化し、無気力とした。文才のある気の利いた幾多の才子はここから出世したけれど、奇傑はこの卑陋な室内に容れるにはあまりに大きい。これによって人材を登庸しようとしたが、いたずらに官庁の陋習を助長したのみで、国勢は衰退して振るわなくなっていった。しかし、この国も近来この千年来の科挙の陋習を廃止した。世に試験制をただ守るだけでいるものはこれを見習うべきであろう。
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