「清末見聞録(清国文明記より)」・貨幣②
さて、一セント銅貨または二厘銅五文を百銭といい、一セント銅十文または二厘銅五十文、、実は四十九文を一吊銭(いっちょうせん)という。そうして、一セント銅八文二厘銅三文は十銭銀貨、すなわち一毛に相当する。日本でも十円以上は補助貨幣だけで支払いを受けることを拒否することが出来るが、北京では小銭で支払うことが出来るのはせいぜい三、四十銭までである。汽車に乗るとき、一ドル五十銭の切符を買うには一ドルと五十銭の小銀貨では受け取ってもらえない。必ず二ドルを払って五十銭の釣り銭を受け取らなければならない。日常には穴銭が主として用いられる。穴銭と銀貨銅貨との組み合わせはいっそう面倒でわかりにくい。これで市中に両替店が軒を並べている理由がよく分かるだろう。中国における有力な銀行家はこの面倒さを利用して巨利を上げており、官吏もこの面倒さのために少なからざる利益を上げているのだ。一般人民はこの古くからの慣習をあらためた方が良いことを知らず、財界の有力者、官界の人々、これらの連中がこの面倒を持って私腹を肥やしているから貨幣制度の統一など喜ばない。いつまで経っても本位貨幣を制定したところでとうてい改革は出来るはずがない。もしも新しい貨幣を鋳造してとういつをこころみたならば、ただ市場に新しい貨幣がひとつ増えるだけで複雑さをいっそう助長することになるだろう。
要するに、中国の貨幣は一定の本位がなく、全て制定された価格の如何に関わらず、その実質の価値によって取引されるから、貨幣というよりむしろ物品と言っていい。強いていえば穴銭が標準であるけれども、穴銭にも形状の大小品質の良否、いろいろある。
以上は北京でのことで、各地方でもだいたい同様であるが、ひとたび市内を出ると十銭銀貨はもう通用しない。ちょっとした僻地などへ行くと一セント銅も通用しない。ただ穴銭が使えるだけである。それで旅行者は旅費として馬蹄銀を用意して、そのたびに穴銭に替えなければならない。しかも、百銭または一吊銭の計算も各地によって異なり、北京では穴銭四十九文を一吊とするが、天津では五百文を一吊とする。また南方では九百八十文を一吊とする。それはまだ良い。各省では各省の銅元局で鋳造した銅貨がある。北洋の銅貨は河南に入るともはや一セントとして扱われず、穴銭も山東のは河南に入ると八掛けにしてわずかに通用する。その不都合で不便なことはその地に行ったものでなければとうてい想像も出来ないだろう。
« 映画「男はつらいよ 寅次郎紙風船」 | トップページ | 深町秋生著「デッドクルージング」(宝島社文庫) »
コメント