「清末見聞録(清国文明記より)」・北京の四時(しじ・四季)
春・・・日本では鶯(うぐいす)の歌に夢が呼び覚まされて心楽しく起き出すときであるが、北京では黄鳥(こうちょう・鶯のこと)などは思いもよらない。ただ騒々しい鵲(かささぎ)の声、雀のさえずりばかりである。春眠不覚暁、処々聞啼鳥(しゅんみんあかつきをおぼえず、しょしょにていちょうをきく)というのどかな趣は江南一帯の様子で、北京にはほとんど見ることは出来ない。しかし、乾燥した北清の空は常に一点の陰翳もなく澄み渡っている。そんな朝、陽がわずかに射し掛けた頃、突然天に音が聞こえる。例えば仙人の棲む洞穴に鳴り渡る風の音のようでもある。これを中国人に尋ねると、これは鳩の足に結びつけてある鳴鑾(メイラン)というもので鳩が飛ぶときに風を受けてなるものだという。花も咲かず鳥も歌わず、目に入るもの全て荒涼としているこの地でこのような仙楽を聞くのは実に愉快である。彼等はこのような方法で自然の不足を補うのだ。
午後になるとたいてい風が強くなり沙漠の砂が濛々として、最もひどいときは空全体が曇って室内が真っ暗になり、昼でも灯りが必要なほどである。いわゆる黄塵万丈というのは決して中国流の誇大表現ではない。 夏・・・晩春から初夏にかけての新緑の光景は、物寂しい北京の空を初めて活気のあるものに変える。城壁の上に立つと周囲が全て緑天地となって西山一帯も青みを帯びて見える。しかし、冬のあいだ氷に閉じ込められていた一切の不浄のものがにわかに蒸発を初めて一斉に悪臭を放つのと、北京はその緯度が仙台より北に当たる位なのに大陸の常として炎暑の酷烈なことは決して愉快なことではない。そのために各邸宅では天棚(テンポン)といって葭簀張りの覆いを作って暑さを避けている。加えて蚤や蚊は仕方がないにしても、蚤よりも嫌な臭虫がいる。蚊よりも強烈な白蛉(パイリン・毒虫のようだが不明)がいる。
秋・・・澄み渡った北清の秋は実にさわやかで心身ともに爽快だ。乍陰乍晴(たちまちくもりたちまちはれる・女心と秋の空、と同じで秋の空を変わりやすいものだという意味)といわれるが、北清では絶えず快晴である。騒人(詩を作る人)墨客(書画を描く人)も中秋に雲を恨む必要がない。気候も暑からず寒からず、時には馬に乗って郊外へ遠乗りをするのも非常に気持ちの良いものだ。春や夏の季節に北京に来た人は北京の悪口を盛んに言うが、もし涼しくさわやかな秋の八月(旧暦だから今の10月初め)に北京に旅遊すれば北京に心酔しない人はいないはずだ。
冬・・・冬の寒いのはどこでも同じだが、北京では春は風の強い日が多いのに冬は風が少ないのが何よりうれしい。気温は零下十四、五度に下がるけれども、家屋の構造は傍観に適しているから驚くほどではない。特に北京城を巡っている護城河(ごじょうが)中に氷滑りをするのはまことに楽しい。ただ降雪は少なくて、いわゆる北京八景の一つ、西山霽雪(せいざんせいせつ・西山に雪が降ってやみ、晴れ上がった様)の美観を見る機会のあまり多くないのは大変もの足らない思いだ。
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