「清末見聞録(清国文明記より)」・雍和宮②
それはさておき、雍和宮の中にはたくさんの殿堂があり皆仏像を安置している。参詣の人がこれを拝むには一殿ごとに一人ラマ僧が居てその入り口の鍵を持っているから、いちいちそれに若干銭をやらないと入ることが出来ない。僧侶は僧侶でも中国の僧侶はなかなか欲が深いのである。宗の風俗は頭髪を剃り、紅色、黄色または藍色の僧衣を着けている。別に日本の僧と変わりはない。さて我々も殿中に入ろうとしたが、その僧が腰の辺りを探っているから何をするのか見ていると、やがて小銀貨を十セント、二十セント取り混ぜて一円だけ出して一ドル銀と交換しろと云う。先に市中雑観の貨幣のところで述べたとおり、市中では銀一ドルは小銀貨一円とそのほかに銅貨七、八セントを添えないと両替できないから、この僧はその利を得ようというのである。この通り銭が欲しくてそれで出家というのも凄まじい。いや、露骨なだけ可愛らしいかもしれない。
さて、中央の高殿には立像の大仏がある。高さ五丈(15m)ばかり、木彫りで全身黄金色に塗ってある。その相貌は慈悲の面影はなくでやや険悪の相がある。その後堂は荘厳な道場で特に二幅対刺繍無量寿仏の大曼荼羅は精巧無比である。雍和宮中見るべきほどの見ものはただこの曼荼羅のみであろう。朝な夕なに看経するところなので、チベット文の教典をひと包みずつにして山の如くに積んである。その一部を買い受けたいと申し入れてみたが、さすがにそれは出来なかった。このほか在る堂中には天地仏とも和合仏ともいわれる、奇怪醜陋な仏像(歓喜仏のことか。インド・ネパール・ブータン・チベットの仏教芸術によく見られるもので、男新と女神が交合している図が多い。チベット語でヤブユムとも云う。日本にも江戸時代に立川流などがこの仏を祀り、邪教として禁止されている)が祀ってある。さすがに局部は布を以て覆っているけれども、僧が朝夕にこれを礼拝するかと思うと、むしろ滑稽の至りである。これは宗教学上での面白い標本であって、西洋人などは少なくない金額を出してこれを持っていくものがある。
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