会議
議事録について私見を述べたが、ついでに会議について考えた。
会議とはある目的を達成するために複数の人たち(たいてい意見が違うし、同じなら会議をする意味がない)が集まって、何らかの合意を形成(内田樹先生の受け売り)して方針を決めるものだと考える。
ところが、会議を、自分の意見を主張する場としか考えない人というのがいる。たいていそういう人は声も大きいし、よく考えてもいるのでその場を取り仕切ってしまい、それ以外の意見を切って捨てて、その意見が会議の結論になってしまう。それでは会議を行う意味がない。時間と労力の無駄だ。仕切るのが最も高位者なら、最初から結論は決まっているので通達でかまわないことになる。会議という名のセレモニーだ。
そういう自己主張の強い人が複数いる場合がある(この方が多い)。互いが自分が正しいと言い張り譲らないから、結局結論は出ない。何も決まらなければそもそも会議を開いた意味もない。
繰り返すが、会議は合意を形成(これは妥協では決してない)することを目指すものだ。会議という名の無意味な行為が多いような気がする。
どこかの国の会議(国会というらしい)というのもそんなもののようだ。
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- お役所の無限ループ(2024.09.17)
- 大事なことで(2024.09.17)
- トランプ支持者じゃないか?(2024.09.16)
- 魚を食べる(2024.09.16)
- 微熱(2024.09.16)
コメント