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2012年1月24日 (火)

ストーカー

 ストーカー行為の果てに相手の家族を二人も殺害した事件について、NHKが特集番組で報道していた。問題点がいくつもあげられ、事件を防ぐことが出来た可能性が極めて高いことを明らかにしていた。
 しかし、これはNHKも分かっていて意識的にやっていたことだと思われるが、常に「警察は」という言い方にして、警察全体の問題であるかのよう語っている
 今回の場合にはするべきことをしていなかったことが明らかなのは習志野警察署であり、その担当者である。事件を一般化して語るのにマスコミは慣れすぎてしまい、個別の責任が明らかなのにそれをぼかしてしまう。これではまじめにやっている警察官たちは浮かばれない。
 責任が明らかな担当者を断罪し、それを許した上司たちが処罰を受ける、というあたりまえのことが行われる前に、「警察の責任」という言い方で問題をとらえるとらえ方をしている限り、誰も責任者を特定できず、また同じ事件をくり返し産み出してしまう。
 警察というのは組織で動く。だから組織として問題視される点がないなどとは思わない。しかし個別の問題のある人物の失態を全体の名前で薄めてしまう行為は日本の病理と言えるのではないだろうか。
 政治家が、公務員が、警察が、と云う言い方で社会に警鐘を鳴らした、と自己満足し、正義の味方のポーズを取るマスコミの言動は、結果的に個人は責任を取らずに済んでしまう社会病理を産んでしまった。
 原発事故の問題も、年金の問題も、何事もやるべきことをやらなかった責任者が間違いなく居るのだ。問題は東京電力や年金局という組織ではなく、それを構成している個人なのだ。このあたりまえのことに気がつかない限りどんな問題にも言い訳が通用し、組織に責任を転嫁し、当事者は安眠して何の恥じることもなく生き続けるだろう。
 責任者は責任を取るために役割が与えられているというあたりまえのことが看過されている社会は異常だし、結果として無責任者を蔓延させて社会を損なっていく。こういう状況は下手をするとリンチを正当化する社会を産み出しかねない。とても恐ろしい。

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