「清末見聞録(清国文明記より)」・上元節
正月十五日を上元節とも元宵節(ユワンシャオチエー)ともいい、この夜には家ごとに灯籠に灯りをともすことから、灯節(トンチエー)ともいう。この風俗は漢の時代に始まり、この日には太乙神を祭ったことが記録に残っている。唐の時代になって、十四、十六の二夜もまた同じく灯りを点け、後さらに十三、十七の二夜を加えて五夜とし、五穀豊穣の祈りとする。あの「水滸伝」に梁山泊の豪傑たちが、翠雲楼を焼き、ついに大名府を陥れたことが書かれているが、この元宵節の当夜のことである。諺に
正月拾五雪打灯 八月拾五雲遮月
というのは、好事魔多し、ということであろう。元宵には幸いに雪が灯を打つようなことはなかったが、午後から朔風(北風)が強く吹いて砂を巻き上げ、目も開けられないようだったから、当夜は見物を思いとどまって、既望(陰暦の十六日)の夜、北京中で最も賑やかな全門外の大柵欄(ターシラル)に行った。灯籠見物のことを逛灯(クワントン)という。見物の人出が山のようでもあり海のようでもあっていわゆる立錐の余地がないのに、良家の子女は馬車で乗り入れてくるから、さらに雑踏が激しくなる。
さて、灯籠は土地廟や店ごとに吊さないところはないが、中でも呉服店、茶店、菓子舗、時計商などが最も見事で、羅綾(らりょう・薄絹)、玻璃(はり・ガラス)、または羊角(ようかく・羊の皮か?)などを張った灯籠に、「春秋列国三国」や「紅楼夢」などの歴史小説に描かれているような故事、または花鳥山水などを描き、灯籠の下には深紅の房を垂らしたり、あるいは五彩の綢緞(ちょうだん・厚い絹の布きれ?)を結んで垂らしてある。千万の灯籠が一斉に火を点ずれば、光り輝いてまばゆいばかりに目を射る。折から昇る月の光と相照らして、美しさはたとえようもない。
中でも最も美しかったのは大柵欄の呉服店・瑞祆祥(ずいふしょう)であった。その他階上階下の軒端には鼎形、瓢形、壺形、その他種々の格好の良い灯籠を懸け並べてあり、店先はきれいに掃いて台の上には毛氈を敷き、番頭たちが清潔な身なりで椅子に座って控えているところなどはなかなか奥ゆかしいものであった。
今宵はいずこでも、一家団欒、音楽を鳴らし酒宴を開き、元宵に食べる大福のようなお菓子を食べたりして、楽しい一夜を過ごすのである。*北京は冬に北風が吹くというが、この文中にもそれが見える。
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