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2012年1月 8日 (日)

仲正昌樹著「なぜ『話』は通じないのか」(晶文社)

Photo_2 人間はなかなか悟れない。

 副題・コミュニケーション不自由論。金沢大学法学部教授の著者は多方面にわたって言論活動を展開している。この本の多くの部分が、著者が講演したときになされる一部の質問についての怒りと、一方的な非難に対する感情的とも言える反論である。
 どんな質問に怒るのか。講演の内容とは無関係な質問、あるいは講演の論旨と明らかに異なる前提の質問である。これは質問する人間が話をそもそも聞いていないことによると考える。聞く能力がない場合と、そもそも最初からその人間に強い思い込みがあり、その思い込みからしか相手の話が聞こえていない場合とがある。
 自分が不勉強であったり能力が低くて内容が理解できないのに、相手の説明が不十分だと決めつけて低レベルの質問をする人間(今の学生に多いらしい。中学生でも知っているようなことを、自分が知らないことを恥ともせず、説明が足らない、というらしい。確かにテレビでも、聞いたことがない、教わっていない、と得々と云う人間を良く見る)にも腹が立つが、これは相手が馬鹿だと思えば何とか我慢が出来る。
 著者が怒っているのは質問の場で一方的に自分の意見を述べる輩である。講演者と無関係に自分が聴衆に意見を述べたいが為だけに質問の形を取る。これには後援者も聴衆もうんざりだろう。だがこのような質問者は自分しか見えていない。(本人にとってのみ)すばらしい言説にうっとりしていて回りの迷惑になど気がつかない。だがこれも馬鹿の一種だと何とか我慢しよう。
 著者が断じて許せないとしているのは相手の話の断片をとらえ、その言葉のみから公的な非難を浴びせる確信犯である。フェミニズムを論ずるときにフェミニストとアンチフェミニストをたとえとして取り上げたとたん、一部のみを取り上げておまえは男根主義者だ、とわめき立てる輩である。文言は全体として成り立っている。断片だけで相手を非難していたらコミュニケーションは成立しない。言葉狩りの不毛なゆえんである。
 まことに同感なのであるが、著者の怒りが強すぎて感情的になっており、やや白ける。相手が興奮しすぎているとこちらが醒める、の類である。
 確かにコミュニケーションの困難な人間が多い。相手の話を先ず受け止めて内容を咀嚼してからこちらの意見を言うのが会話であるのに、自分のセンサーに引っかかった言葉のみしか受け付けないような人間とはおつきあいしかねる。そういう人間は感度の異常に高い負のセンサーを持っていて、自分で勝手に傷ついて人を恨んだりするのでうっかり冗談や皮肉も言えない。
 まあしかし著者も認めているとおり、不特定多数を相手に論を張る人間であればそのような輩からの火の粉も覚悟しなければならない。とはいえどうもほとんど精神科の患者もしっぽを巻くような妄想者がしばしば正義の味方の姿をしているのは確かだ。
 こんなことを書いていると友達を失ってしまうかもしれない。でもそんな人は友達にしていないつもりなので大丈夫だろう。
 上に書いたようなことをおもしろがれる人と著者のファンは(同じか)この本を読んでもいいが、それ以外の人はよく考えてからにしてください。

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