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2012年2月 2日 (木)

「清末見聞録(清国文明記より)」・回子営①

 西長安街に沿って翰林院の西、牌楼の東、道路の南側に、本堂は全くくずれ果ててわずかに功労の壁が半ば落ちた形で昔の面影を残しているのを見ることができる。これがすなわち回教の礼拝寺であって、乾隆帝の時代に創建されたものだ。乾隆帝が即位された初期の頃、ジュンガルを平定し、ついに回部(回教徒の住んでいた地区)の各城を下し、その族長たちは王侯の爵位を与えられ、邸宅も与えられて、そのまま北京に住み着いたものはことごとく長安門の西に住まわされた。官に服し、役に就いたり店を授けられたのだ。北京の街の人々はその地を称して回子営(ホイズイン)という。この礼拝寺付近一帯の地は今も門上にトルコ文字を題している。彼らはすべて最初は回部から来たものの子孫である。
 明治四十年六月十五日、桑原学士とともに礼拝寺に行き、高楼の東から入り右へ折れてまた小門を入ると、かねて約束した矢野、小林両学士はすでに高楼の下でアホンと語っている。アホンとは回教の言葉で、道教の道士や仏教の和尚というようなものである。姓は金という。その祖先はカシュガルから来たとのことで、眉目は一見して蒙古人種とは異なる。またカイホアンというものがいる。その容貌はまるでインド人のようである。
 街路から見える高楼は望児楼という。それは回部の族長某が、その女児が宮中に召されたのを想って、常にこの楼に上がってこれを望んでいたためにそう名付けられたということだ。長安街を隔ててこの楼に対して紫禁城中の一楼がぬきんでて高く立っているのがある。これを見ると、あるいは父はこの楼に、女はかの楼に上がって街を隔ててお互いを思い合ったのではないだろうか。望児楼の南に乾隆帝二十九年仲夏勅建の回人礼拝寺碑記があり、南面には右にトルコ、左に蒙古、北面には右に漢、左に満州の四カ国の文字でこの寺の由来を記してある。 

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