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2012年2月 6日 (月)

「清末見聞録(清国文明記より)」・法源寺

 唐の太宗が高麗を征したとき、士卒の戦死したものたちを憐れんで、その遺骸を収めてこれを幽州城西十余里の地に葬り、これを名付けて哀忠墓とした。また幽州城内に憫忠寺を建てた。ときに貞観十九年である。憫忠墓はいまその所在を訪ねてもどこか分からない。憫忠寺は今の北京外城茱子(しゅし)の西南、爛麺胡同(ランメンフートン)の西にある。明の正統七年再建されて名を崇福と改め、清の雍正帝九年再度再建されて「法海真源」の勅額を賜り、よって改めて法源寺という。その額は今も寺中大雄殿に掲げてある。
 寺中には楡、槐、松、柏が鬱然と生い茂り、樹下は苔むして塵ひとつない。そのため心身が爽快になるようである。唐のことわざに「憫忠高閣、去天一握」と称した寺中の高閣はその痕跡すらなく、寺中で最も古いものは遼の応暦七年に建てられた石幢(せきとう・石の柱)が一基、大雄殿の後ろにある。そのほかは明の正統・万暦・崇禎年間、および清の雍正・乾隆年間の碑がある。また寺中には唐李北海書を模刻した碑面がひとつあり、見る値打ちがあるものである。

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