「清末見聞録(清国文明記より)」・北京近郊の名勝・万寿山③
これより西邀月門(せいようげつもん)を入り廻廊伝いに湖光を望み、右に仮山を仰ぎながら行く。廻廊はすべて丹碧を用いて花鳥風月を描いてある。所々に留佳亭、奇瀾亭等がある。右肩の山には多く牡丹を植えてある。花の時の眺めはいかばかりであろう。行き行きて排雲門に至ると、湖に臨んで牌楼がある。結構は通常よりさらに金碧燦然たるものである。その左右には奇石を列ねてある。門を入るとすなわち排雲殿で、殿前には龍鳳が並んでいる。左右の廂房を雲錦殿といい玉華殿という。排雲殿の後堂は皇上の便殿で、左右には紫霄(ししょう)、芳輝の二殿がある。これより左に廻り階段を九十だんほど登ると仏香閣の下に達する。さらにくの字型に階段を百余段上って初めて仏香閣に達する。
閣上に立って見れば脚下に昆明湖の波光を眺め、右には西山の清嵐を望み、左には遙かに帝都を指し、田野が遠く開けて瑞気が一堂に集まっている。いわゆる「山色湖光共一楼」とはこれである。閣の左方には谷を隔てて一大石碑がある。題して万寿山昆明湖という。聞けばこの湖は杭州の西湖を模して作られ、ここに舟を浮かべて北人に水を習わせたこと(南船北馬といい、北人つまり北方民族は水に慣れていない)、かの漢の武帝が昆明池に舟舶操縦の方法を学ばせた如しである。故に湖名もまたその後を継いで昆明という。そうして万寿山はすなわちこの湖を開鑿した土を累積して作ったものだという。閣の後方にまた一段高く牌楼があって衆香界という、築造した煉瓦に仏像一万体を刻んであるが故に俗に万仏楼と称する。
仏香閣から下って排雲閣に到り、再び廻廊伝いに西に行き、秋水・清遥両亭を経て、西瑞奇瀾堂の傍らに浮かんだ石船に乗って昼食を採る。湖を隔てて西山に対し、風光佳絶なところで携えてきた弁当を開くと、その味は普段と違い、一行三十余名、その楽しさは言葉にできないほどだった。そうしてきた道をたどって湖畔伝いに帰路についた。一行中の数名はさらに文昌閣に謁し、はるかに龍王島まで行く。湖畔に銅製の臥牛があり、その姿は真に迫っていて優れた作品と言うべきである。腹部に乾隆帝の御製の文が鋳されている。もし玉帯橋上に立って万寿山を望めば、楼閣は間近に、金碧燦然として、たとえば紫雲の間に衆仏の来迎を仰ぐかのようである。再び仁寿殿を過ぎ、兵士に送られて門を出て外務部宿直所に小憩し、ここで別れて霞公府の寓に帰ったのは午後四時半であった。四方に光被する聖恩により、外臣(ここでは自分のこと)が一日の清遊を楽しむことができたのは、深く感佩(かんぱい・深く記憶にとどめること)に堪えざるところである。
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