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2012年2月20日 (月)

「清末見聞録(清国文明記より)」・北京近郊の名勝・西山の二日②

 その万安山の東麓に
 「演武庁」がある。演武庁は西山麓の平原であって、西方に観兵台を設け、青磁の甍が碧空に聳えている。南方には丹塗りの馬城が延々と連なり、西北には皇亭があり、また西には雲梯が聳えている。そうして山腹の要所要所に烽火台のようなものが幾十となく散在し、規模がとても大きい。この馬城雲梯、あの烽火台とも何の用であるか分からなかったが、皇亭中にある乾隆帝御製の勅建実勝寺碑記を読んで初めてその訳が分かった。この碑は乾隆十四年夏五月に建てたもので、満・漢・蒙・梵四カ国語を以て刻してある。その大要をいえばこうである。
 乾隆の初、西南の夷、金川(きんせん)を攻めたが、なかなか成功しない。金川の夷は険阻に依って要塞を築いてここに籠もったので、清軍はいかにしてもこれを陥れることができない。そこでいろいろ作戦を立て、持久戦を提案するものもあったが、乾隆帝はそれを退け、西山の麓に要塞を作り、これを攻撃する戦術を研究させた。そして精鋭二千人を選び、大学士忠勇公傳恒を総督として金川を伐たせ、ついにこれを陥れることができた。この研究に使った要塞の側の寺を新しくして実勝寺という名にしたという。
 今、実勝寺は皇亭の西にあるが、ただ門と四壁があるばかりで、堂宇は壊れている。石碑が二基門前にあるが、、同じく乾隆御製の実勝寺碑記で、左には漢梵文、右には満蒙文を以て記してある。右の石碑は倒れて半ばから折れ、左の石碑は残っているものの文字が摩滅している。あの山腹に散在していた烽火台のようなものが金川夷の要塞である。
 今散見する要塞は石で作られた直立した四面、三層の楼で、各層に銃眼を穿ってある。これを攻めるものは近づくことも、これによじ登ることも不可能である。金川の役に、清軍の苦戦したこと推して知るべしである。その後、孟夏の頃には、ここに演武を行いこの要塞をよじ登り、雲梯に上り、あるいは馬を駆け回らせた。歴代の天子は皆閲兵して詩を作った。観兵台中にその詩が掲げてある。当時の精鋭二千人の子孫は健鋭営と称し、今も門頭村から玉泉山の西に到るまで十余里の間に散在しているという。

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