« 桐生川 | トップページ | 足利学校① »

2012年2月11日 (土)

「清末見聞録(清国文明記より)」・北京近郊の名勝・西堂

 円明園からの帰途、海淀から道を転じて柳塘(柳の立ち並ぶ堤)の下を過ぎ、道々馬子の節の面白い歌など聴きながら、万寿寺と称する大伽藍を見物して、西堂にいたる。
 西堂は元来北京城内の西部にある天主堂で、ここはエスイット教宣教師に賜った墓地であるが、また西堂と称している。団匪の乱(義和団の乱)に多くの教徒が殺されて墓地も会堂もことごとく破壊されたけれども、その後清朝から相当の賠償金が送られて、再び会堂を新築して墓地を修理し、元のすがたに復した。
 会堂は全くの西洋風で、煉瓦の壁に多くの石碑を挿入している。その後ろに一帯の墓地があって、マテオ・リッチ、アダム・シャールなど有名な宣教師の墓が立ち並んでいる。かれらはみな神明の光によって福音をまだ見ぬ同胞に分かち与えようと、故国を遠く数千里も離れた異域に来たのである。孤影煢々(けいけい)何をもってか客心を慰めむ(ひとりぼっちで故郷を遙か離れ、異郷にいる寂しさをどうやって慰めよう)。語るに友なく、誰とともに憂いを分かち合うのか。しかも道のために満腔の熱誠を尽くし、すべての困難をも顧みず、ついに骨を他郷に埋めるに到っても何ほどのことも意にかいさなかったのである。その信仰の確固たることは誠に感服の至りである。彼らのうち二、三は康煕帝、乾隆帝の時代に非常な信任を受け、あるいは欽天監正となり、天文、暦数などの学問に貢献することが少なくなかったが、布教の上にはついに顕著なる効果を奏しなかった。その壮志は大いに悲しむべきものがある。
 墓は煉瓦で長方形に築き、上部を蒲鉾形に塗り、その前に大理石の碑文を立て、その石碑には右に漢文、左にラテン文を用いて銘を刻んである。碑面を撫してこれを読み、当時のことを偲んで佇んでいると、この日はちょうど日曜日で、洋々たる奏楽につれて合唱する賛美歌が、会堂から漏れて風のまにまに聞こえてきた。

« 桐生川 | トップページ | 足利学校① »

旅行・地域」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「清末見聞録(清国文明記より)」・北京近郊の名勝・西堂:

« 桐生川 | トップページ | 足利学校① »

2024年4月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        

カテゴリー

  • アニメ・コミック
  • ウェブログ・ココログ関連
  • グルメ・クッキング
  • スポーツ
  • ニュース
  • パソコン・インターネット
  • 住まい・インテリア
  • 心と体
  • 携帯・デジカメ
  • 文化・芸術
  • 旅行・地域
  • 日記・コラム・つぶやき
  • 映画・テレビ
  • 書籍・雑誌
  • 経済・政治・国際
  • 芸能・アイドル
  • 趣味
  • 音楽
無料ブログはココログ
フォト

ウェブページ