「清末見聞録(清国文明記より)」・北京近郊の名勝・西山の二日①
西山の名勝を探ろうと矢野、小林、宮内の三学士と北京の寓を出たのは三月十六日の午前九時だった。平則門を出て左に月壇を見てやがて八里荘に到着する。ここに一座の高塔があり広寧門外の天寧寺塔とその高さを争うもの、俗に八里塔というが、正しくは
「永安万寿塔」 という名である。天寧寺塔は隋・文帝の創建で、その建築彫刻等北京郊外でもっとも見るべきものの一つであるが、この万寿塔は明の神宗が李太后のために建てたものである。伝えられるところによると、李太后は仏道を深く信仰していたが、ある日忽然として瑞蓮が宮中に生じた。太后は大いに喜びいよいよ三宝に帰依し、よって功徳のためにここに慈寿寺を建立し、またこの塔を作ったという。街を隔てて影壁(インピ)は元のままだが、寺は全く荒廃し、ただこの塔のみが残っている。塔は十三重で、南に永安万寿塔と題し、そのほかの三面にも題字があるけれども、高いところでよく見えない。塔の後ろに石碑が二つある。右には仏像、左には魚藍観音が彫られている。ともに李太后の筆である。碑陰には一つには瑞蓮賦、一つには関帝像が彫られている。
「八大処」 八里荘から西北に向かい、順親王・簡親王の墓前を過ぎ、二十余里ほどいってから右へ折れ、嘉嬉寺に到って仏及び四天王の像を拝し、さらに西へ行くこと一里、目的の八大処に到着した。この地は平坡山、覚山、廬師山の三山が並び立ち、その間所々に松柏の鬱蒼としているのが望める。そうして松柏の鬱然としているところには必ず殿堂の甍がある。その数すべてで八つ、よって八大処というのである。曰く、秘魔崖、龍王堂、三山菴、大悲寺、宝珠洞、林官寺、長安寺、香界寺がこれである。平坡山はまた翠微山ともいう。その最も高いところにあるのを宝珠洞といい、最も低いところにあるのを長安寺という。その他あるいは高くあるいは低くあるいは左にあるいは右にそれぞれを確認することができた。長安寺に入って茶飯を喫し、しばらく山僧と歓談した。この寺は明・弘治十七年の創建、康煕十年修復されている。寺前に重修の碑記がある。時すでに未の刻を過ぎたので、八大処を全部見ることができずに東に向けて出発、山門を廻り、行くこと数里、所々に山を切って石を採っているのを見る。また数里を行くと礼親王の墳があり、その北に門頭村がある。この地は西山の門戸に当たるので門頭と名付けられたという。村の後ろに聳えているのを万安山という。
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