「清末見聞録(清国文明記より)」・北京近郊の名勝・西山の二日⑤
「景帝陵」 臥仏寺を出て東に行くこと十余里、玉泉山の北、金山口に明・景帝陵がある。陵前には碑亭があって表には大明恭仁康定景皇帝之陵と記してあり、碑陰には乾隆御製の明の景帝陵に題す詩と刻してある。陵は広さ約三百歩、赤壁を以て廻らし、内には円形の小墳がある。ただそれだけである。そうして墳の周囲はことごとく鋤かれて田となっている。傍らに小屋があって墓守が住んでいる。昌平州に明十三陵があるが、実は十二陵であって、この景帝陵を合わせて十三陵となるわけである。
「玉泉山」 景帝陵から南行して玉泉山に到る。康煕十九年この山を開き、名付けて澄心といい、後改めて静明園という。門を入ると、廓然大公殿がある。これより左に折れ林の間を過ぎて湖畔に出る。龍王廟があってその廟前に乾隆御筆の玉泉跔突(くとつ)の碑がある。跔突とは踴出(ようしゅつ・したから飛び出るという意味だがここでは泉が湧き出すことをいっている)という意味である。その傍らに二碑あり、左には天下第一泉と題し右には玉泉山天下第一泉記を刻してある。ともに乾隆帝の御筆である。その下から玉泉滾々として湧出し、清冷掬すべく、実に天下第一泉の名に背かぬと思われる。この泉の下流はすなわちかの万寿山の昆明湖に入り、今日に到って十刹海(シチャハイ)となり太液池に注ぎ通運河となり、通州を経て白河に入る。これから左に行き、高塔の下で昼食を喫し、さらに西に下りて園中に設けられた東嶽廟に拝謁する。中に乾隆御製の二大碑があるけれど、文字が摩滅して読むことができない。これよりまた山によじ登り北方の最高峰に上がると絶頂に玉峰塔がある。数十里の外、京城からはるかに白塔の屹立しているのを望見するのは、すなわちこの玉峰塔である。塔下に立てば万寿山昆明湖はただ脚下にある。はるかに京城を望み、また顧みて碧雲寺、香山、演武庁等を見る。景勝第一の名に恥じない。
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