「清末見聞録(清国文明記より)」・回子営②
そもそも回教はモハメットの創始した教えである。彼は教典と剣とを左右に執り、教典を受けないのであれば剣を受けよ、と称して漸次その勢力を張り、西はアフリカ北部から東は中央アジアを経てついに中国にまで及んだ。現今中国では仏教、道教、ラマ教に次いでその信者も少なくない。北京だけでも礼拝寺は二十三カ所あるという。
彼らは耶蘇教(キリスト教)と同じく上帝(ここではエホバの神か)を尊奉し、七日をもって一週とし、金曜日をもって礼拝日とする。彼らはこの礼拝日はもちろん、毎日五回ずつ礼拝を勤める。その教えは清真を尊ぶので、礼拝寺には必ず数多くの浴室があって、毎回の礼拝に先立って必ず沐浴する。さて浴室では水桶を高くつるし、一度身体を洗った水は流したままにして、決して一度手足を洗った水を再び用いることはしない。我が日本人を魚人種とし、中国人を豚人種とすれば、彼らは羊人種である。彼らは豚は不潔であるとして、ただこれを食べないというだけではなく、豚という名を口にすることすら忌む。アホンの下に四師傅(ししふ)というものがあって、屠殺のことを司り、すべて牛、羊、鶏、鴨などは、この四師傅が手ずからさばいて清めたものでなければ、これを販売したり食べたりしないとのことである。北京では羊肉舗は多くは回教徒である。なお北京中でいちばん大きな礼拝寺は外城西部の牛街にある。
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