「清末見聞録(清国文明記より)」・北京近郊の名勝・西山の二日⑥
「蘇州街」 玉泉山を下り万寿山の南麓を迂回し、運河に沿って柳塘を行き、二十余里にして万寿寺に到る。その付近一帯は房屋すべて江南風に作り、名付けて蘇州街という。乾隆帝の時代、皇太后が江南の風景を喜ぶので、ここに蘇州街を設けて鸞輿(らんよ・天子の乗り物)でしばしばこの地に幸したと「嘯亭雑録(しょうていざつろく)」に見える。
*模擬店なのだが、お店でお金を出して買い物をするのを楽しんだという記録がある。皇太后は庶民の出身だったのだろうか。
「五塔寺」 ここから河に沿って東へ行くこと一里あまりで五塔寺に到る。寺中に金剛宝座があるので、俗に五塔寺というが、正しくは正覚寺というべきである。この金剛宝座は明・憲宗成化九年十一月の建立で、永楽年間天竺の僧・師板的達(シピテイタ)が携えてきた宝座に準じて作られたものである。すべて大理石を用い、上に朱泥を塗ってある。これを碧雲寺のそれに比較すると、形証の雄と規模の大きさははるかに及ばないけれど、結構の美と彫刻の巧みさはこちらが優れている。宝座の前に乾隆二十六年御製重修正覚寺碑が二つあり、右は満漢文で、左は蒙梵文である。しかし石碑は倒れている。これから流れに沿って東に行き、西直門を入り、日がようやく西山に傾く頃、帰寓した。
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