「清末見聞録(清国文明記より)」・北京近郊の名勝・白雲観②
さて白雲観の正面には一大牌楼があり、乾隆帝の御筆で洞天勝地と題している。第二の門を入ると中央に空濠があってこれに石橋を架している。この橋の下に東西に各一人の道士が瞑目合唱して座っている。その様子は乞食僧のようである。しかし、参詣人はこれを神仙であるといって賽銭を献じている。善男善女の喜捨を得ようとしてこの僧らはかくのごとく終日瞑目合唱静座していなければならない。瞑目はしているけれども己の前に投げられた賽銭の多寡は、さぞかしあの僧の心眼に映じていることであろう。それともすでに新戦術の修行が積もって霞を食べて生きていけるのかもしれない。
次々に霊官殿、律堂がある。律堂には太上老君すなわち老子を祀る。道士が朝夕興を念ずるところである。最後に玉清宮があり、玉皇を祀る。香の煙で室内は真っ暗となっている。宮前には邱処機の事実碑が建ててある。そうして、宮殿の四壁には紗灯を懸け、これには邱祖の一代記が書いてある。中でも律堂の後壁に一字一灯で、万古長春の四大灯籠がもっとも人目につく。
観の後に春花園がある。石を積んで山にして山上に亭を設け、すべて中国風のコテコテした庭園である。その西方の鉄道線路に沿って跑馬場(パオマチャン)がある。跑馬とは馬を走らせることで、我が国の競馬に似ているけれども、ここではただ各自やや太った馬に跨がって玉鞭(ぎょくべん)を挙げ、あるいは軽車を駕して疾駆させるだけで、互いに轡を並べて先を争うようなことはしない。ほとんど無意味なものである。その上蹴立てる砂埃が雲のようで、目も口も開けていられない。それにみんな桟敷をかけるなどして見物している。私たちは塵埃の甚だしいのに辟易してついに神仙に合わず、かえって大学堂教習高橋、森岡の両君にであい、うち連れて帰った。
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