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2012年2月28日 (火)

「清末見聞録(清国文明記より)」・北京近郊の名勝・十三陵④

 「十三陵」 これよりまた大街を西へ、城門を出て行くこと五清里、堂々たる大理石造りの牌楼が屹立するのを見る。高さは三丈、幅は十余間、これが十三陵の正門である。これより北へ平らな大道が通じていて、煉瓦及び石を敷いてあるが、過半は取り除かれている。牌楼から馬を走らせること十五分で一門を過ぎる。軒は傾き瓦は落ちて群燕がこれを廻って飛び交っている。また騎行すること五分ほどで高楼がある。なかに大明長陵神功聖徳碑が立ててある。碑文は洪煕元年嗣皇帝の作で、永楽帝の神功聖徳を頌したものである。裏には乾隆帝の哀明陵三十韻を刻してある。この碑楼の左右には数歩外側に大理石の華表がある。我が国では鳥居のことを唐風に華表と書くが、中国の華表はそのつくりが、日本の鳥居とは全く様式が違っている。これより北へおよそ十町ばかりの間、神道を挟んで名にし負う石人石獣がある。順序を追って数えると、第一に獅子、次々に獬豸(かいち・牛に似た神獣)、駱駝、象、麒麟、馬及び武将、文臣、宰相等それぞれ二対ずつある。そのうちで石獣は前の一対は跪き後の一対は立っている。皆大理石の一枚石を掘り抜いたもので、なかんずく巨象のごときは壮大目を驚かすばかりである。陵前に石人石獣を立てることがいつ頃から始まったかは詳らかではない。唐代はもちろん、古くは霍去病(かくきょへい・漢の武帝の時代に匈奴討伐に功のあった将軍。24歳で早世)の墓前にも石人を立てたから、この風はずいぶん昔からのことであろう。しかし、ここに石人石獣を立てた理由は、思うに皇威八紘(四方と四隅。つまり天下のこと)に輝き、文武百官を初めとし、獅子吠える南方の天も、駱駝砂漠に臥する北方の地も、来たり服せざるなき威(服属しないものはなかった)を寓したものではあるまいか。はるかに北方を望めば天寿山の南瓦色鮮やかなのは成祖の長陵である。その右には宣宗の景陵があり、左には仁宗の献陵を初めとして谷を隔てて諸陵が散在し、十二帝陵が一眸の内に集まり、それぞれ指摘することができる。また牌楼を過ぎ坂を下り川を渡る。

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