「清末見聞録(清国文明記より)」・北京近郊の名勝・円明園
円明園は西山への道のりの半分くらい、海淀(ハイテン)駅の向こうにあり、元清朝の離宮で、結構壮麗、輪奐(りんかん・建築物の大きくて立派なこと)の美を極めたが、かの英仏同盟軍が北京を陥れたとき、進んでこの園中に入り、諸種の珍宝什器を奪い、ついに一切の建築を焼き、金殿玉楼を一朝にして烏有に帰せしめた。私は矢野、小林両君と馬を駆ってこの地に遊び、この荒廃した遺跡を弔おうとしたが、一兵士が門前でがんばっていて園内に入ることを許さず、致し方ないのでその傍らの、昔は園中の一部かと思われる小さな丘があったのでその丘に馬で登り、その丘の上から遙かに展望すると、園中の光景が眼下にはっきりと見える。右手には煉瓦の破片が累々としたなかに崩れた壁の一部が立ち残っていて、ものの哀れをとどめている。昔は鶴が舞ったであろう園中のあちこちはいたずらに雑草が生い茂るばかりで、左手には麦が青々としているのが見えた。我々は麦秋歌を口ずさみ、はるかに弔意を寄せて去った。
コメント