「清末見聞録(清国文明記より)」・東西廟
北京城中では東西廟の二つが最も有名で、その開廟の時は参詣の善男善女が入り交じって非常な賑わいである。隆福寺は東城にあるから東廟といい、護国寺は西城にあるから西廟という。毎月七、八の日は護国寺、九、十の日は隆福寺の開廟と決まっている。開廟といってもこの東西廟はちょうど東京の縁日のようで、信心から参詣するよりも、むしろ当日廟の付近に種々の露天が出るのを冷やかし方々見に行くのである。
廟の構内はずいぶん広いが、隙間なしに骨董品、玉器、家具、文房具、玩具等割合にいい品物が多く、廟の付近の路上には家具類を売っている。もちろん縁日の商人根性はいずこも同じことと見えて、たいへんな掛け値をいうけれど、玉器を売る店では一個を何百何千円というのも少なくない。往々小切れなどを降り動かして客を呼びながら売っているのなどは、我が国で見受ける露天の競り売りさながらである。
北京の婦女は平素は滅多に道路を往来するようなことはない。ただこの開廟の時だけは、三々五々参詣するのを見受ける。白粉(おしろい)を壁のように塗り立て、眉尻から顎あたりにかけて臙脂を真紅に塗り、まるでリンゴのようにしている。遠見ではなかなかきれいであるが、さて近づいてみると首筋が真っ黒に汚れているのは一種の奇観である。特に満州夫人は両把児頭(リャンパルトウ)といい、ちょうど梭(ここではおさ、とルビが振ってあるが読みは「さ」で織物の横糸を通す「ひ」の意味である)のようなものを頭上に戴き、大きな花かんざしを挿して両手を振って調子をとりながら大道を闊歩する。実に堂々たる風采である。そうしてその花かんざしも二十歳くらいの若い婦人のものはあまり目につかないが、四、五十歳の老婦人(当時は四、五十歳は老婦人だったのだ)のはまるで掌のように大きいのには驚かされる。
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