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今回の東日本大地震でたくさんの人命と財産が失われたが、不可抗力としての天災であったと受け止めるしか仕方がない面はある。なぜ自分が、そして身内がこんな目に遭うのか納得は決してできないだろうが、誰かを恨むにも恨みようがない。
だが、福島第一原発の破綻についてはいくら想定外の地震と津波であったとしても、その事後処理については問題があったとしか思えない。このことについて民間立ち上げの検証委員会が、多数の関係者に取材し、まとめた報告書が公開された。これをNHKが取り上げて特にアメリカとの関係の中で今回の原発事故の情報がほとんど遮断されていたことが明らかにされていた。
原発事故については起こってはいけないことではあるが、絶対に起こらないことではないことは今までも今回も思い知らされたことである。そうであるならばこのような事故についての情報は世界にとってきわめて貴重なものである。その情報を意図的に遮断したことがどれほど日本の信用を損なったのか、このNHKの番組で思い知らされた。
「なぜアメリカの要請に応えなかったのですか」という国谷キャスターの質問に、この調査をした准教授が、「お互いの不信が原因です」と答えていた。日本側は、アメリカはこの機会に日本のノウハウを聞き出そうとしていると考えたのだろうか。アメリカ側は日本が隠していると受け取った。実は日本側は何も分かっていなかったというのが実情だったのだが何も分かっていない、ということすら知らなかったのだ。
こういうときに一番大事なことは、今自分が何が分かっていて、何が分からないのか、ということを正しく認識することなのだ。ところが国家を挙げて、特に菅直人という、こういう危機管理の時には最悪の思考方法を採る人間がトップにいたことによって「全てが分かっていなくてはならない」という前提で物事が進められてしまったのだ。だから分からないということが許されなくなってしまった。全てが分かっているのであれば情報は新たに必要でなくなってしまう。だから情報は常に「こうであるべき」ものの影でしかなくなってしまう。事実は二の次で、あるべき姿とのわずかな差の範囲での情報しか認められなくなった。こうなると自動的に情報は遮断されてしまう。スピーディの情報にしてもそのようないきさつで誰かが遮断したのだろう。
今回の原発事故の情報遮断は世界中の日本に対する不信を生んだ。信用を失うことの恐ろしさは、それが短期間で済まないことにある。安かろう悪かろうの国だった日本が、明治維新後100年かけて日本製品は故障も少なく、アフターケアも確かで信用できる、という立場を確立したが、このようなことで一朝にして信用は地に落ちた。その損失は原発事故どころではない。これを回復するだけのエネルギーを日本人はまだ持っているだろうか。
ところで今回の検証に関して東京電力は一切の協力を拒否したため、東京電力サイドの取材による検証は全くない。最初にいったとおり、このような事故の状況は日本だけでなく世界の貴重な経験であり、財産である。それを拒否することのなんたるかを東京電力は分かっていない。存在そのものが問われてもいいような態度である。
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