「清末見聞録(清国文明記より)」・北京近郊の名勝・万里の長城⑦
年来の宿志を遂げて今は遺憾なしと帰路についた。折から岫(しゅう・山の峰または山の洞穴)からわき上がる雲の様子がただならない気配であるので、ひたすら急ぎに急いだ。時はまさに午後一時。鉄道の苦力たちは路傍の樹の下や石の上に横になって、華胥国(かしょのくに・華胥は想像上の国。黄帝が昼寝の夢の中で遊んだという理想の国)に遊ぶものが多い(昼寝をしているということ)。私はかつて書を読んで樹下石頭に眠る等の句に至ると、常にその風采を想望し超然として塵世を脱する思いがあった。しかし、今現にこの下等労働者たちが樹下石上に眠っているのを見れば、余り詩的なものでもないことを覚った。弾琴峡のあたりからついに雨となり、両山の奇巌峭壁が雲を呑吐し、隠見出没、変幻百態、さらに一層の景趣を添えている。居庸関にいたる頃は旅衣ことごとく濡れ、雨中騎驢関山路(雨の中で関の山道を馬で行く)、私たちは画中の人となった。午後四時南口ホテルに帰着した。
我らはまた南口に一泊し、十三陵を尋ね、湯山(タンシャン)で入浴して北京に帰ったのは十三日であった。その間雨に濡れ、あるいは走る馬からまっさかさきに落ちたりしたことなど種々の面白い話もあるが、いたずらに楽屋落ちの話ばかりになるおそれがある。それに十三陵や湯山は前項に述べたから省略する。なお現在は京張鉄道が全通したから、北京からは簡単に長城に遊びに行けるようになっている。
*これで北京及び北京近郊についての記述は終わる。次からは山東紀行となる。
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