「清末見聞録(清国文明記より)」・山東紀行・泗水
孔子の教えを奉ずることを洙泗(しゅし)の流れを汲むというのは、孔子がこの河及びこの河に注ぐ洙水の間にあって学を講じたためであるから、この河は私にとっては因縁が実に深いものがあり、騎馬のまま徒渉し終わればいくばくもなく南方はるかに曲阜を望む。城上高く黄色の甍が見えるのはたぶん聖廟であろう。その左手に碧色の甍が見えるのはおそらくは顔廟であろう。城北に一帯の檜の森が鬱然としてその廻りを壁で囲んでいるのは紛う方なき至聖林である。私たちはたとえばエルサレムを望見した十字軍の諸士もかくやとばかりに歓天喜地、しきりに鞭を挙げていくばくもなく曲阜城北吉陞店(きっしょうてん)に到着した。時に午後六時、この日の行程百里、使いを衙門に使わして明日往訪のことを告げさせた。
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