「清末見聞録(清国文明記より)」・山東紀行・曲阜聖廟①
曲阜は古の少皡(しょうこう)氏の村で、周公がここに封ぜられて魯の国はここを都とした。聖廟がある。私は東の海の向こうの日本に生まれ、地を隔てること数千里、時代を隔てること三千年以上、私淑して渇仰すること長い年月が経ったが、今日この日、幸いにして聖廟に謁し、聖林まですぐのところまで来ることができて歓喜の極みである。馬を衙門(がもん・役所)で借りて轡を並べて城北延恩門を入り、城壁に沿って西に行き、また南に向かってまず衙門に行って知県の劉氏に面会した。劉氏曰く、毎月朔望(陰暦の一日と十五日)には必ず衍聖公(えんせいこう)がまず聖廟に謁して後、知県もまた謁すと。衍聖公とは孔子の末裔である。歴代の天子は皆孔子を尊崇しないものはなく、現朝(清朝)は孔子の裔を封じて衍聖公とした。さらに爵を進めて衍聖王としたのはその後のことである。今日は九月十八日で、旧暦の八朔である。何の幸いか聖廟に謁して、さらに衍聖公参拝の儀をも見ることができるのである。知県は部下を我々の案内役につけてくれた。
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