「清末見聞録(清国文明記より)」・北京近郊の名勝・万里の長城③
南口から十五里、山勢ようやく迫るところ、
「居庸関」 がある。左は壁立した峰の上から直ちに懸崖を下って川をまたぎ、右は屏風のような峭壁を上りはるかに高峰を越えて、城壁が築いてある。天嶮に加えるにこの驚くべき人工を以てしてある。真に絶険というべきである。関門を入ると関中には住民役百戸、街路の中央に楼門がある。その下は隧道となって車馬を通している。楼門上には昔は寺があり、泰安と称されていたが、今は礎ばかりが残っている。隧道の内部は大理石で築き、これに四天王、千体仏及び漢、梵、西蔵(チベット)、女真、ウイグル、別矢八里(バシュバリク)等の六国語で経文を刻してある(マルコポーロ紀行・ユール註による)。元代の彫刻であるという。これはすこぶる学術上の参考になるというので、その後、寺本婉雅(えんが)君の周旋でその拓本を得た人が数名ある。これより八里にして小城があり、さらに七里にして山勢急迫、危巌が中央に屹立して路はほとんど窮まるかと疑われるところに弾琴峡がある。水勢岩に砕けてその音が琴を鼓するがごとしとしてこの名がある。京張鉄道工事はようやく進行して、今やこの奇巌の中腹を穿っている。この巌を廻ると蜿蜒たる蛟龍の片鱗が、はるかに天際に現れた。
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