「清末見聞録(清国文明記より)」・北京近郊の名勝・万里の長城②
「南口」 は正しくは居庸南口という。北口とともに居民各千戸、元朝の始めにここの護りのために置かれた。現在は百戸余の住民がいる。南口ホテルといえば堂々としたものを想像するが、実はあの昌平州の宿舎と大して違わない陋屋である。このホテルに行くと表座敷は小さい二間に別れていて、一つは応接間にも食堂にもなる。一つは寝室である。西洋人がしばしば長城見物のためにこの宿に入るので、名もホテルなどといっているし、窓には白のカーテンを掛け、テーブルには白布を懸けたりしてすこぶるハイカラぶっているが、室料は一泊一人につき一弗、食事はまた別であるという。あまりに高いから改めて談判の結果、五人で三弗となったのでようやくここに腰を据えた。やがて一人のボーイが農業得業士某という名刺を持ってきたので会ってみると、先に我々と前後して来た中国人であった。彼は保定府農学堂卒業生で目下天津に奉職しているとのことである。保定で日本人の教育を受けたので、何となく懐かしくて尋ねてきたとのことである。
明ければ十一日、形ばかりの朝食を済まし、昼食として卵三個とパンをポケットに入れ、大行李を残しおいて軽装で出発した。時に午前六時。南口から北は山岳重畳としている中に一道の渓流がある。流れに沿ってさかのぼれば道は次第につま先上がりとなる。時まさに夏深く、頭を圧してそそり立つ両岸の山は全て緑に蔽われ、渓流の両脇の柳樹の、川霧にうち煙っている風情は、河北の平野では実に得がたい景色で、箱根路か足柄越えかという有様である。酈道元(れきどうげん)の「水経注」にここのことを記して、
山岫層深(山の峰峰は深く連なり)、側道偏俠(道は狭い)、暁禽暮獣(朝に猛禽を見、暮れに獣に会う)、寒鳴相和(物寂しい鳴き声が)、羈官游子(旅に出たあの人は官につなぎ止められている)、聆之者(といっているのを聞くと)、莫不傷思者也(痛ましく思わないわけにはいかない)。などといって、いかにも心細き物寂しい景色のようであるが、我らはこの風景を賞しながら馬上で吟詠して大いに楽しんだ。
*漢詩の訳は間違っている可能性大です。無理矢理意味を取ってみました。不勉強が恥ずかしい。
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