「清末見聞録(清国文明記より)」・北京近郊の名勝・万里の長城④
皆、異口同音に叫んで
「アア万里の長城だ!」 といいながら、にわかに勢い込んで鞭を挙げさらに行くこと十里にして、初めて八達嶺(はったつれい・パアタリン)に達した。時に午前十時である。城門高く北門鎖鑰(さやく・錠前と鍵--転じて出入りに重要な地点)と題してある。馬を乗り捨てて城によじ登る。高さは約二丈、城壁上で幅は約二間ある。城壁は下半部は幅一尺長さ二尺ほどの石を畳み、上半部は煉瓦を以て築いてある。その他女牆(ニュイチャン)の構造など全て北京城の構造と同じである。この堂々とした城壁は、蜿蜒として千里の外に連なり、要所要所には烽火台を設けて敵の襲来を警戒し、一旦緩急があれば昼は煙を挙げ、夜は火を挙げて警を報じ、次々に相伝えてこの要塞を厳守する。いわゆる一夫関に当たれば万夫も通りがたき所(李白の詩・蜀道難の一節 一夫当関、万夫莫開 にちなむ。箱根越えの歌もこれによる)真にこれ北門の鎖鑰である。
城上に箕居(ききょ・箕は両足を投げ出して座ること)してかつ飲みかつ食う。いつの間にか小林君がいない、どこへ行ったのだろうと尋ねていると、応と呼ぶ声が風のまにまに聞こえる。仰げばはるか西方の峰上に聳えている烽火台に立ち、帽子を打ち振って我らを呼んでいる。そこで早速我々も城壁上を登っていくと、所々に穴がある。この穴は城の内部から城上への通路である。あるいは急峻で靴が滑ってほとんど攀じがたいところもある。ようやくたどり着いて同じ烽火台の上に立つと、唐詩にいわゆる
「欲窮千里目、更上一層楼」
で、この台上からは天下の形勢が一目の下に見える。
*千里の目を窮めんと欲し、更に上る一層の楼。唐の詩人王之渙の「鸛鵲楼(かんじゃくろう・鸛鵲はコウノトリ。鸛鵲楼は山西省永済県にあった楼の名。黄河を見下ろすところにあり、眺望絶佳であったという)に登る」という有名な詩の一節。鸛鵲楼は三層の高楼だったが、この詩は何階で詠まれたのか。当たり前に読めば二階で詠んだと思うが、普通なら最上階にいてその絶景を詠むはずなので、架空のもう一階を想定しているという解釈もある。
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