続・フィルムスキャン・DPE店の自滅
フィルムスキャンを始めたときはまだデジタルカメラはおもちゃみたいなもので、画素数も少なかった。そんな時代にフィルムスキャナーを購入した。なぜフィルムスキャンなどと云う面倒くさいことをやろうとしたのか。
元々写真が好きだったから白黒時代は自分でフィルム現像から焼き付けまでやっていたことがある。ただカラーになると現像液の温度管理が大変でとても自分でやるのは難しかった。電子バット(現像液の温度を自動的にコントロールしてくれる)が欲しかったが高嶺の花だった。
だから写真を撮っても現像と焼き付けは街のDPE屋に頼むしかない。昔の写真屋は手焼きだったから値段は高かったがそれなりのプリントにあげてくれた。ところがDPE屋は値段競争に走り、自動プリント機で大量に処理するようになった。とたんにできあがりの写真がおかしくなった。とにかく利益を出すために現像液はくたびれ果てるまで使う、画像の濃度は平均で設定してあるが微妙に狂っている、ひどいのになるとピントがずれたままで全ての写真が微妙にピントが甘くなっている。 同じネガをもう一度プリント依頼すると全く違う写真みたいに上がってくる。違うDPE屋に出すとまた違ったできあがりだ。こんな経験をいやと云うほどした。カメラも一眼レフでかなり神経をとって撮ったはずなのに馬鹿チョンと同じできあがりにしかならない。三脚で撮ってもピントが甘い、それもオートフォーカスで撮っているのに甘くなる。
仕方がないので専門のラボに依頼するようにした。値段は三倍ぐらいするがまあそれだけの値打ちがあった。ところがそこもだんだんおかしくなってきた。
自分の腕が悪いのは承知しているが、それなりのカメラで撮っている以上それなりに写っていなければおかしい。そこでフィルムスキャナーを購入することにしたのだ。つまりドライ方式の自家現像だ。それをしてみて驚いた。結構ちゃんと撮れているのだ。
このとき、たぶん街のDPE屋はほとんどつぶれるだろうと確信した。自分の仕事をきちんとせずに機械任せにして手抜きをし、値段競争だけしていれば必ず人は離れていく。写真が好きでないのに写真屋をやっていること自体間違っていたのだ。そしてそのDPE屋さん達が今日のデジタル化を促進したのだ。
フィルム時代のデジタル写真、それがフィルムスキャンの写真だっのだ。結構先を行っていたのだ。エヘン。
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