曾野綾子著「人間の基本」(新潮新書)
最近出た本。帯に「恐るべきは、精神の貧困である」とある。私の精神が貧困かどうかは私が評価できるものではないが(そういうことは他人がどう見ているか確認しないと分からないことで、だからいろいろな人とコミュニケーションする必要があるといえる)、この本を読むかぎり貧困にならないように意識している方かもしれないと思った。
曾野綾子の主張はおおむね共感するものが多いが、どういうわけか私が尊敬する内田樹先生は曾野綾子があまり好きでないようで、ちょっぴり寂しい。
この本で言っている「人間の基本」とは、人の生きていく上で必要な力とは何か、ということを知ること、そして人は善だけではないことを知ることから始まるようだ。今日本人は(こんな言い方でひとくくりにするのは乱暴だしえらそうだしあまり好きではないが)マスコミを通して見聞きするとかなり精神がひ弱になってしまったように見える。
助け合おうと云いながら、がれきの処理に反対する人間がいる。原発は即刻全廃しろ、といいながら電気はちゃんと供給しろという人間がいる。ゴミは捨てるのにゴミの焼却場の建設に反対する人間がいる。そういう人間は必ずいるものだが、どこかで妥協しなければ世の中は成り立たない。そういう子供みたいなことを言う人は一握りの場合が多いのに声が大きいとそれに世間が振り回されてしまう。特にマスコミは黙っている人の声は伝えず(伝えにくいことは分かるが)そのような声高な人間の言葉だけを伝えるから何も決まらず何も物事が先に進まない。
強い人間というのは争いに勝つ人間のことではない。強い人間とはときには自ら損を引き受ける人間のことだと思う。みんなが限られたものを取り合っているときに「俺の分はいいよ」と云う勇気がある人間のことだ。そういう強さがただの動物ではない人間の基本だと思うのだ。
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お説の通り モシ自分の住む所が大災害に遭ったとき自分の領域の瓦礫は一体何処で処理するつもりか.反対されている所に依頼する積もりか.ただ声が大きいだけでエゴが通る世の中が民主主義と云って世界に大きな顔をしているのか.マスコミの本当の声を伝える誠意が殆ど見えないのは、日本は本当の民主主義国家ではない.と云える.マスコミが大衆に迎合している姿が情けない.
投稿: 井上 晢夫 | 2012年4月17日 (火) 11時05分