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2012年3月26日 (月)

ブログの趣旨

 友達が私のブログをさらにその友達に紹介してくれた。パソコンは得意だがブログなど見たことがない人だ。その人から電話がかかってきた。「何でブログなんてやってるの?ブログをやる趣旨は?」と聞かれた。趣旨とはまたすごい質問だ。まあこういう言い方の人なのだ。「趣旨と云うより趣味です」と返事をした。
 そこで改めて何でブログをやっているのか考えた。楽しいからだ。毎日複数の更新を続けるには時間もかけて大変なのに何で楽しいのだろう。
 元々本を読むのが好き、映画が好き、旅が好き、写真が好きだ。だがいつもそれを楽しんだらそれっきりだった。ただ本だけはどんな著者のどんな本を読んだのか手帳に記録してきた。昔は簡単に文章をつけていたときもある(その手帳も毎年更新して現在すでに20冊になった)。何事もそれを楽しんだ後、もう一度反芻してみるとその記憶ははるかに強化される。また反芻する中で自分の頭で意味を考えることができることは経験で分かっていた。

 私にとって、ブログを書くと云うことはその反芻作業に他ならない。ザル頭のザルの目が少し密になる。密になればスカスカ頭に貯まるものが増える。それがうれしくてそして楽しいのだ。それと同時に表現するという楽しみがある。昔からどんな形であれ、表現することは嫌いではなかった。ましてそれが誰かの目にとまることは大いなる喜びだ。

 どんな本を読んだか、どんな映画を見たか、どんな旅をしたか、そしてそれを表現すると云うことはどういうことだろう。実は全て私自身を語ることなのだ。私にはその本はどう見えたのか、私はその映画をどう感じたか、その旅の景色は私にどんな印象をもたらしたか、それを私はたどたどしくブログで語る。読んだ人はそのブログからその本についてどんな本なのだろうと考えるだろう、映画や旅についてもブログを読めば必ず考えるはずだ。そのときブログを読んだ人はその本、その映画、その旅を仲立ちとして私を知るのだ。

 人は自分以外の誰かを知るとき、必ず何かを介在させて知ることになる。人は自らを相手にわざわざ説明することはほとんどない。第三者(それが人であれ、ものであれ、抽象的な概念であれ)をどう見てどう感じ、どう考えるかを伝え合うことを通して相手を知るのだ。それこそがコミュニケーションなのだ。ブログは不特定多数を相手にしていて確かに不確かなコミュニケーションの道具であるが、私にとっては、私とはこういうものについてこう考え、こう感じる人間だという表現をすることのできる貴重な場所なのだ。そしてコメントや「いいね」のリアクションをもらうことはその表現に意味を与えてくれるから無上の喜びなのだ(いつもありがとう)。しかも表現を意識することでザル頭に昔よりものが貯まるようになったという効用もある。

 Nさん、ブログの趣旨とはこういうことです。

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