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2012年3月19日 (月)

大森曹玄著「禅の発想」(講談社現代新書)

 行為としての禅の方法、禅の意味、その目指すものを丁寧に解説していく中で、仏教そのものの考え方が明かされていく。宇宙と自分が不可分であること、極大と極小が同じものであることだと感じられることが悟りというものかと観念的に分かった。それを心の底から分かることで人は新たな境地にいたる。
 分かる、ということには無限の階層があるが、自分が実は何も分かっていない、ということに気がついた瞬間に分かる、という意味が見える。それが無明からの脱出、新しい知の次元への旅立ちなのだ。そのためには雑念を払い、ひたすら考える必要がある。その方法の一つが禅なのだろう。
 西洋人が東洋にあこがれるのは西洋の二元論的な考えの限界を感じているからだと云われる。この二元論の究極がコンピューターであろう。ゼロと1、有りか無しか、善か悪か、美か醜か、若者か老人か、男か女か、全てをあれかこれかで考えて単純化してしまう考え方は確かに科学を発展させたが、世の中には二元論では語れないものの方がはるかに多い。そのような原理主義的思考に汚染された頭脳をもう一度座禅でもして洗い直すとするか。

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