「清末見聞録(清国文明記より)」・北京近郊の名勝・万里の長城⑤
名にし負う大行の山(大行山脈)、河内(河南省の黄河の北側)から起こり、直ちに北を指し、燕(河北省北部の古名)趙(北京の西方一帯。昔の趙の国のあったあたりをいうがかなり範囲が広い)の間を走り、常山を包み、環って京都(都・つまり北京のこと)の北に到り、引いて東し、廬龍(廬陵・山の名前)碣石(これも山の名前)に連なり、直ちに海に入る。延袤(えんぼう・長さ)一里余里、燕山河北の恃みて以て固(かため・つまり守り)となすところである。(大行山脈が東の海から北を廻り、西方までぐるりと北京を囲み、その存在がそのまま防衛線をなしていることを述べている。)しかしこの大行山中におよそ八陘(はちけい・八つの山の切れ目)がある。そのうち河北にあるものは四、井陘(せいけい)、飛狐、蒲陰(ほいん)、軍都である。この軍都がすなわち居庸である。そうして八達嶺はその居庸路の絶頂分水界をなすところにある。今私は八達嶺の烽火台の上に立てば、一帯の大山脈が東西に連なり、重畳起伏がさながら波頭のようである。遙かに蒙古路を望むと、平砂(砂漠)遠く連なり、雲際さらに一山脈の走るのを見る。
白雲の棚引くかぎり見さぐれば
たもと吹きまくもごりあの風
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