北村稔著「中国は社会主義で幸せになったのか」(PHP新書)③
1953年当時の共産党内部報告文書が周鯨文により引用されている。この報告は内務部副部長の王一夫が洪沢湖(江蘇省と安徽省にまたがる湖)付近の農民の生活を視察したものである。
「村に入ると木が一本もない。・・・かまどは屋外にあるが炊事した様子もない。食べているのは滓のような食べ物で、我々が見たこともないような代物である。想像を絶する貧窮である」
周鯨文は続けて、「1953年はその上に大水害に襲われた。・・・毛沢東は『一人の餓死者も出してはならぬ』と厳命したが、内務部に集まる報告ではどの被災区も大量の餓死者が出ていたのである。・・・しかもこのとき中国は大量にセイロンやソ連に食料を輸出して、ゴムや機械を買い付けていた。そして毛沢東はジス(ソ連製の高級自動車)に乗り、スリーファイブ(外国煙草)をふかしていたのである。・・・現在の農民は古代の農奴より惨めである。・・・農民に依存して天下を取った共産党は、天下を取ると同時に農民を忘れた。しかも我々の政権は恥知らずにも労農同盟を基礎とする、と宣伝しているのである」と伝えている。
それでもこのときはまだ餓死者は一部の地方にとどまっていた。この後毛沢東の主導のもとに「大躍進政策」(1958年から)が開始される(詳しいことを知りたい人は毛沢東について書かれた本なら必ず言及しているので読んでみてください)。このイデオロギーのみで現実を無視した政策により、農村は壊滅的な打撃を受け、餓死者は少なくとも2000万人、一説には4000~5000万人とも云われる。この未曾有の失敗により、毛沢東は国家主席を辞任し、劉少奇が主席となる。
劉少奇と鄧小平はこの後国家を立て直すためにそれまでの極端な政策の軌道修正を行い、中国は急激に回復するのだが、これに対して巻き返しのために毛沢東が行ったのが「文化大革命」(1966年から)である。
では知識人達の運命はどうだったのか・・・次項で述べる。
「中国農民調査」という本がある。賃桂棣、春桃という夫婦作家が、三年間農村で取材して2004年に出版した本で、出版して二ヶ月で発禁処分を受けている。この本は調査、と題されているが調査報告書ではない。若き毛沢東が1920年代から1930年代に行った「農村調査」を踏まえて名付けられたものである。毛沢東はこの調査によって「大公無私」「大衆路線」「実事求是」の思想を生み出した。個人の利益より公共の利益を優先し、農民の言葉に耳を傾け大衆とともに歩み、事実に基づいてことの是非を判断する、というのがこの毛沢東思想である。それから70年後の農村の実態と農村政策の改革の歩みを描き、現在の問題点を浮き彫りにしたルポルタージュである。前半は最近農村で起きた凶悪事件を詳述し、その事件の背景と当局の処理経過について述べ、農村の実態が「解放前」と何ら変わっていないことを明らかにしている。
何故この本が発禁になったのか中国政府は明らかにしていないが、政府にとって都合が悪いからであることは明白である。
何故中国では毎年数万件とも云われる地方での争議が起こるのか、この本を読むと分かる。まだ飛ばし読みしかしていないが参考になる。
日本でも翻訳されて出版されている。出版は文藝春秋、訳は納村公子、椙田雅美氏である。
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