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2012年7月

2012年7月31日 (火)

中国ウオッチ・恫喝外交

 中国の環球時報が、オーストラリアの新聞記事を取り上げて報じていた。

 日本と中国は周辺諸国(東南アジアなどを指しているようだ)に援助活動を行っている。その援助額は日本の方が圧倒的に巨額であるが、手に入れている見返りは中国の方がずっと多い。

 日本はその国の人々が本当に必要だと思ったものを援助している。中国はその国の政府がほしがるものを援助している。まるで日本は子供のことを理解している親のようで、中国はお菓子とおもちゃをもってときどき尋ねる祖父母のようだ。

 アジアの先進国としての日本は他国に問題解決の方法を教える資格があるように見える。中国は友人としてその国に援助を行い、友達を増やすことに成功している。友人はどんどん増えて影響力も高めているのは事実である。

 ところがここへ来て中国は強硬姿勢に転じた。南沙諸島についてもこれまではフィリピンやベトナムに共同開発を呼びかけながら援助を行ってきたのに今は軍事力にものを言わせて力づくである。

 このような中国の姿勢に対し、アジア各国が日本と共にアメリカに頼ろうと考えるのは当然の成り行きである。アメリカは労せずしてアジアとの関係を改善死ね中国は自分で自分の首を絞めている。

 自分の力を見せつけて自己満足にひたっているが、国の利益を大きく損なっていることに早く気が付くべきである。

 このオーストラリアの記事のような見方をしてくれる人がオーストラリアに、そして世界にいてくれるとたいへん心強い。まことに的を射た見方だと思う。

 ところでこの記事を紹介した環球時報はどのような意図を持っているのだろうか。環球時報は人民日報の分身のような公的新聞でどちらかと言えば反日的傾向が強い。それがこのような記事を載せるのは、文官と軍部との間で意見が違うことの表れかも知れない。現在の恫喝的な行動は軍部がバックにおり、文官はそれはまずいと考えて、他国の新聞を借りて自分の意見を伝えようとしているのかも知れない。

中国ウオッチ・ロプノールに鉄道建設

 ドイツの新聞が、中国ウイグル自治区にある「死の海」と呼ばれるロプノールに中国が鉄道を建設する予定であると報じた。

 これは人を運ぶことよりも貨物を運ぶための鉄道敷設である。ロプノールには5億トンのカリウム塩が埋蔵されている。中国は毎年1000万トンのカリウム塩肥料を必要としており、うち70%を輸入に頼っている。ロプノールからトラック輸送するにはコストがかかりすぎるため、鉄道を敷設しようというのだ。鉄道が敷設されれば年に3000万トンの貨物輸送が可能になる。ロプノール地区には豊富な石炭や銅、金も眠っているとされており、これを機会に開発が進むことになるだろう。

 ところでロプノールは井上靖の「楼蘭」で有名な楼蘭の遺跡が眠っている。大昔、ロプノールは巨大な湖であり、その湖畔にあった楼蘭は緑野であった。それが砂漠化(環境破壊によると言われる)して楼蘭は何度か水を求めて街を移動させたがついに消滅した。

 だからロプノールは「さまよえる湖」の名で知られる。「死の海」などと言うのは聞いたことがない。この巨大な湖が干上がったために水に含まれたいろいろな塩類が豊富に残されている、というわけである。

 ただし、忘れてはならないのは、この一帯を中国が原水爆の実験場にしていたことだ。人跡未踏の地帯であることをいいことにここで実験を繰り返していた。放射能汚染されていることは間違いがないのだが、皆それを承知しているのか。福島原発どころではないぞ。

中国ウオッチ・暴行事件

 中国江蘇省の南通市でのデモの取材中に、朝日新聞の上海支局長が警官に暴行を受けて記者証とカメラを奪われたことはすでに報告した。

 このことは病院で受診したカルテと共に中国のツイッターにも投稿されたので中国人にも広く伝わっている。

 この記者は暴動のあと、居座っていた人たちを排除する際に警官達が暴行を加えている場面を撮影したために、警官に襲われたことが分かっている。

 このツイッターに寄せられたコメント「中国のジャーナリストと間違われたのでしょう。中国ではこのようなことはいつもあることで、取材には勇気が必要です」。

 中国のジャーナリストと間違えたのではなく、間違えたことにされているのであろう。記者証もカメラも取り上げられている。見れば分かるはずだからである。

 抗議に対しての警察の回答は分かっている。「騒動でカメラは失われたのだろう、記者証など取り上げていないし見たこともない。取材には注意して貰いたい」。

 ところでこのツイッターへの投稿は当局によりまもなく削除された。

ちょっと不満

 ニュースを見るのが好きだ。しかしNHKも民放もほとんど同じニュースの繰り返しである。少ないニュースを使い回し、水増しして省力化して時間つぶしをしているように見える。これならアナウンサー(キャスターか)も同じことの繰り返しだから楽だろう。こちらも馬鹿みたいに同じチャンネルのままにしているとちょっとしゃれたコメントまで繰り返されてうんざりする。

 そもそも繰り返しは狂気の種と言われる。無意味な反復は精神を犯すのだ。でもチャンネルを替えてもやっていることは同じ。

 それがオリンピックに入ったらさらにひどくなった。同じシーンがひどいときは二、三分で繰り返し放映される。さすがに朝忙しいサラリーマンでわずかな時間だけしか画面を見ない人にもこの繰り返しはいらつかされるだろう。

 ニュースの時間に伝えられるニュースの数が最近著しく減少しているような気がするが、気のせいだろうか。テレビ局も昔と比較されることなどないと高をくくって手抜きをしているような気がするのは、この繰り返しで犯された私の精神のなせる妄想なのだろうか。

 ところで体操の内村航平選手の頬がこけて見えたのは気のせいか(これはオリンピックが始まったばかりの時から感じていたことだ)。結果は結果として健闘をたたえたい。ご苦労様でした。ゆっくり休んでください。

中国ウオッチ・漁船団の調査結果

 今月12日に海南省三亜市を出発した漁船団(漁船29隻、補給船1隻)が18日間の航海を終え、三亜市に戻った。
 
 この漁船団は三沙諸島海域を巡り、この海域で試験操業を行って漁業資源の調査を行いデータを収集したという。

 調査の結果、潜在的漁獲量は500万トン、持続可能漁獲量は年に200万トンに上ることが判明した。

 この海域で漁業をしているのは中国だけではない。フィリピンやベトナムなども昔からここで漁をしている海域だ。
 しかし中国はこの海域は自分の国の領海と断定している。そうなれば調査の結果どおり、年間200万トンの漁を行うだろう。
 そうして他の国の漁獲量を合わせれば再生可能な漁獲量をはるかにオーバーしてたちまち漁業資源は枯渇してしまうだろう。

 ましてや中国は他の国よりもはるかに目の細かい網で小さな魚も根こそぎ獲ってしまう。漁業資源の再生はさらに困難になることは今までの中国沿海での事実から明らかである。

 さらに言えば中国漁船団の管理が可能かどうかと言うことである。今でも違法に海外の領海に侵入して漁を行うことが頻発している。その管理も出来ないのに漁獲量を管理することなど出来るはずがない。

 またまたさらに言えば、中国の漁業調査というものの信用性だ。中国の調査や統計に恣意性があることは世界中も中国国民自身も認める事実だ。漁業資源の調査量が水増ししていないなどと云うことが信じられる人はいないに違いない。南沙海域のお魚さんの絶滅の危機が迫っている。

「清末見聞録(清国文明記より)」・長沙紀行・開福寺

 開福寺は城北数里の地にあり、五大楚王馬氏の会春園の故址である。我が友水野梅暁師が湖南僧学堂の教習として、しばらく禅杖を停めたところである。門には古開福寺と題し、聯には 紫微棲鳳、碧浪潜龍 と云う。嘉慶十年、方伯韓氏の題したものである。小童に伴われて師の部屋に入れば、芳香馥郁として満庭の菊花が今を盛りと咲いている。お茶を淹れて向かい合わせに座って語り合った。私は初め、師と京都大徳寺で出会い、のち東京の小嵐の山下で再開、次いで燕京(北京)で巡り会った。もとより師は尋常一般の僧侶ではないことは承知している。今ここに師と語り、親しく師の事業を見るに及んで、師はまことに天下の快男児であることを知った。ただ師が碧浪湖中に鳳嘴(ほうし)の勝地を卜して(縁起の良い場所を選んで)建築中の屋宇がまだわずかに基礎だけしか出来ておらず、いまだ天に聳え立つような壮観な建物を見ることができなかったことが残念であった。

2012年7月30日 (月)

映画「ウオーリア&ウルフ」2009年中国・香港・シンガポール・日本合作映画

 監督・ティエン・チュアンチュアン、出演・オダギリジョー、マギーQ。原作は井上靖の「狼災記」。

 舞台は紀元前の秦の始皇帝の時代、のはずだが、一切説明がないまま映画は進行し、フラッシュバックの手法が多用されるので原作を読んでないと何がなにやら訳が分からない。映像はとことん暗い。これはこのダークファンタジーの物語にはマッチしているはずなのだが、ますます物語の展開の意味が読み取りにくくなっている。

 北辺に敵対する部族を制圧するために派遣されている部隊は、冬の到来と共に一時帰国することが許される。春までは北からの侵攻が止まるからだ。その一時帰国の部隊は早めに到来した吹雪で途中の不気味な村に非難を余儀なくされる。部隊を率いていた陸(オダギリジョー)はたまたま徴発した小屋にいた女(マギーQ)を手込めにする。女はこのハラン村の人間は村人以外と交わることは許されていない、と嘆く。そして掟を破った人間は狼になるというのだ。この辺からほとんど暗くて見にくいポルノ映画になる。延々とその女とオダギリジョーとの交情シーンが繰り返される。物語の展開上必要なシーンであることは認めるがいい加減うんざりした頃から初めて物語らしい出来事が立て続けに起こるのだが、そこまで我慢が出来るだろうか。

 ちょっとこだわりすぎてエンターテインメントの枠を外れてしまった映画だが、一部の人には多分高く評価されるに違いない。わかりにくいことが高級と勘違いする裸の王様みたいな人が必ずいるものだ。私は即消去。残念でした。

映画「ファースター 怒りの銃弾」2010年アメリカ映画。

 監督・ジョージ・ティルマン・Jr、出演・ドウェイン・ジョンソン、ビリー・ボブ・ソーントン、オリヴァー・ジャクソン=コーエン。

 ストーリーは単純で、刑期を終えて出所した男(ドウェイン・ジョンソン)が自分を罠にはめて兄を殺した連中に復讐するというものだ。復讐すべき相手の全てが分かっているわけではない状況で、策略も何もなく、一直線に目指す相手に迫っていく。それぞれに相手の人生や家族があるのだが、最初はそんなものお構いなしだった。それが裏切りの真相が明らかになるにつれ、微妙にぶれだしていく。

 復讐や敵討ちの物語はたいてい面白い。恨みを晴らそうとする人間に感情移入するみたいで、相手を倒すと何となく快感を感じる。

 ドウェイン・ジョンソンはもとプロレスラーだった異色の俳優(と云ってもアメリカでは何人か前例があるが)だが、マッチョだけで売るのではなく、結構演技派だ。この映画でもやたらに腕力を振るというアクションシーンは少ない。映画の出だしに刑務所でいろいろな危難に遭いながらしりぞけていった話がファイルと共にほのめかされるが、実際のシーンはない。もしかするとカットされたのか。

 最後に黒幕を倒したあと彼はどうするのだろうと何となく心配になった。すでに顔写真は全国にばらまかれているし生きる目的もなくなってしまった。しかし男は最後まで表情を変えずに愛車で立ち去るのであった。

中国ウオッチ・抗議船

 尖閣諸島の中国領有権を主張する香港の団体「保釣行動委員会」が今週、抗議船で香港から出航し尖閣諸島に向かう、と公言している。これに対し、香港政府は出港禁止命令を出しているが、チャンスがあれば出航を強行するという。

 中国本土ではなく、台湾や香港の団体がこのような実際の行動を起こす。何か中国本土におもねる心が見えるような気がするが考えすぎか。

 日本の大学の先生が尖閣は日本の領土とは言えない、などと唱え、中国で大々的に取り上げられるかと思うと、中国のネットで、「1953年の人民日報の記事で尖閣諸島は琉球諸島に含まれる、と書かれている」と紹介されていたりする。

 中国では「確かに尖閣諸島は琉球諸島に含まれる」と認める人もいるようだ。ただし、「でも琉球はもともと中国領だ」と考えてもいるのだ。沖縄は本来中国領と考えるのは中国では当然のこととされているようだ。尖閣諸島を中国領と認めてしまうと言うことはそこに直結する。まったく勝手に妄想するのはいい加減にして欲しいものだ。

 アルフォンス・ドーデの「最後の授業」と云う有名な小説を読んだことがないだろうか。アルザス・ロレーヌ地方がフランス領からドイツ領に移される日の、フランス語での最後の授業の様子が一人の少年の目から見たかたちで書かれた傑作である(どんな話かネットで調べればあらすじが分かります。実際に読むのが一番良いのですが。短い話です)。あの悲劇を沖縄の人たちに味あわせるのか。日本人として堪えられることではない。

 思えばチベットの人たちはそのような悲劇のもとにいる。今チベットの子供は中国語の授業しか受けることが出来ない。彼らは今に自分の国の言葉を失うだろう。そして朝鮮半島で日本は同じことをした。歴史的な必然性は多々あることを承知した上で、日本は間違っていたと思う。

中国ウオッチ・弥縫策

 少し前のささやかなニュースだが、ある意味でいまの中国を象徴するような気がしたので取り上げる。

 河南省の鄭州市都市建設サービスの部署に「暴風雨のあと、電柱が根元から折れて傾いている」との通報があった。通報したのは近くの飲食店の店主であった。翌日の夕刻、修理の作業員数人が現れ、状況を確認した上で「すぐには倒れないだろう」といいながら折れている部分にビニールテープを巻いて立ち去った。

 電柱は折れているが、中の鉄骨がかろうじて支えているため、今のところ倒れていない。しかしぐるぐる巻きしていたビニールテープは日が経つにつれてはがれていき、ほとんどなくなった。

 このことがメディアに知られることになり、批判の声が高まった頃、現場に作業員五人ほどが現れ、折れた電柱を根元から切断して折れた部分を取り除き、すぐ脇に穴を掘ってその短くなった電柱をそのまま埋めて立ち去った。

 その後の調べによると、鄭州市は最初の通報の際に電柱の設置に関係する五社の工事会社全て電話し、修理を依頼したが、五社全てが自分の管轄地区ではない、と答えていたという。さらにメディアの批判を受けて再度この五社に修理したのはどこか尋ねたが、いずれも自分の会社ではない、と答えたそうだ。

 そもそも管轄を把握していない鄭州市の当局というのもお粗末であるし、担当の会社は当然承知しているから修理に作業員が出向いたのであろう。それが皆知らぬ存ぜぬ、と云って平然としている様子が目に浮かぶ。無責任を絵に描いたような話だ。

 その上報じられた修理の様子は、かなりいい加減である。中国では30日でビルを建てるだの3ヶ月で高層ビルを建てるだの信じられないことを自慢げに報道している。また極めて迅速に橋が架かったりしている。いずれもあとで細かい不具合が生じているやに聞き及ぶ。
 つくられてすぐに不具合が生ずるくらいだから長期的に見たら何があるか分からない。その都度の弥縫策の繰り返しでお茶を濁し、本当にどうしようもなくなれば造り直せば良い、と云う発想は、今に大きな事故の頻発を招くのではないだろうか。

 中国の高速鉄道事故も同じようなにおいがする。責任者にとっては「実際に事故が起きるまでは事故は起きない」のであろう。

 そんなことを書いているうちになんだか中国のことばかりとは言えないことに気が付いた。だんだん外へ出かけるのが怖くなってきた。

「清末見聞録(清国文明記より)」・長沙紀行・葉徳輝氏

 小華兄に伴われ、葉(しょう)氏を洪家井(こうかせい)の存養書屋に訪ねた。書屋はもと曾国藩の故宅である。帳上に勲高柱石等の扁額を掲げている。主人は進士の出身で官に仕えて吏部主事であった。のち退官して野にあり、博覧多識、最も古書を愛し、その蔵書は蔵に満ちている。来客を愛し、城府を設けず(人を分け隔てしないこと)、青眼をもって(気心の知れた友人のように)新来の私を迎え、諄々として語って飽かず、私の願いに応えてその珍蔵の書籍、書画及び古銭を見せてくれた。極めて珍しいものばかりで、見ていたらキリがない。中でも『唐経生書(とうけいせいしょ)』、『阿毘達磨大毘婆娑論(あびだるまだいびばしゃろん)』など、または葛長庚の手書『道徳宝章』、宋版の『玉台新詠』などなどいずれも愛書家の垂涎しないものはない。北宋膠泥(こうでい)活字、『韋蘇州集』などは墨の色がさながら漆の如く、まことに天下の逸品である。また『元朝秘史』が六巻あり、内藤湖南氏所蔵の文廷式本は、これにもとづいたものだという。主人はその所著及び所刻各一部を私に贈ってくれた。また各一部を私に託して桂湖村、島田翰両君に寄贈された。なお、碩学の王闓運(おうがいうん)氏はこのとき長沙に不在だった。また王先謙氏は病にあるとして会うことを辞退され、ついに面接できなかったことははなはだ遺憾なことであった。

2012年7月29日 (日)

映画「デビルクエスト」2011年アメリカ映画

 監督・ドミニク・セナ、出演・ニコラス・ケイジ、ロン・パールマン、クレア・フォイ他。

 ニコラス・ケイジはアカデミー賞の対象になるような映画にも出るが、この映画のようなB級映画にもどんどん出演する。当たり外れの幅も広いが、この映画はどうだろうかと思って見てみたら大当たりであった。

 舞台は14世紀中盤、十字軍の騎士としてペルシャと戦ってきたベイメン(ニコラス・ケイジ)とフェルソン(ロン・パールマン)の二人は、神の名のもとに行われる虐殺の様相となった十字軍に嫌気がさして戦線を勝手に離脱する。故里に戻ろうとした村で、一帯にペストが猖獗を極めていることを知る。

 ある城下町で脱走兵としてとらわれの身となったが、ペストにかかって瀕死の枢機卿からある若い女性を森の向こうの修道院に護送することを依頼される。
 その女性(クレア・フォイ)は魔女と見なされているが、正式に修道院へ連れて行って神の裁きを受けさせるのだという。ペストの大流行はこの魔女の仕業であり、修道院へ行って神の裁きを受けさせればペストの流行はなくなると皆信じているのである。

 ベイメンとフェルソン、枢機卿の護衛兵の中から選抜されたエッカート、牧師のデベルザック、道案内役に詐欺師のハガマー、そしてあとから一行に加わる騎士見習いのカイの六人は女を檻に入れた馬車を引いて修道院へ向かう。

 途中の村でエッカートを失い、さらにハガマーをオオカミに襲われて失って一行はばらばらになりそうになりながらかろうじて目指す修道院に到着する。一行がそこに到着して目にしたものは、そして魔女と見なされている若い女は本当に魔女なのか・・・。

 なかなか物語としてよくできているし、背景に描かれている十四世紀の城や村、山や森の様子が実にリアルに描かれていて、ダークな色調とパンフォーカスな映像がとても美しい。上出来な映画である。この時代を扱った西洋映画は大好きだ。それに悪魔や魔女が出てきてもちっとも怖くないから助かる。

 時代はこの映画よりややあとだったと思うが、ショーン・コネリーが主演した「薔薇の名前」を思い出す。そういえば「薔薇の名前」にはロン・パールマンが出ていた。ロン・パールマンと言えば「エイリアン4」でも強烈な印象を残してくれた。

 これは拾いものなのでブルーレイに残しておこう。

映画「デビル」2010年アメリカ映画

 ホラー映画はどちらかと言えば苦手である。体力気力が充実しているときしか見ないことにしている。
 この映画はジャンルとしてはホラー映画なので、音量を抑え気味にして、部屋もあまり真っ暗にしないで見た。見終わってから見なければ良かった、と後悔するかも知れないと心配していたが、幸いに面白かった。さすがに原案がマイケル・シャラマンだけある。

 ホラーだから理屈なんて入らないけれど、それなりに納得する話になっていなければならない。
 前後に人も死ぬけれど、話の中心はたまたま高層ビルのエレベータに乗り合わせた男三人に女二人の合わせて五人が突然閉じ込められて、理不尽にも次々に殺されていくというものだ。

 最初はただのエレベーターの故障かと思われたものが徐々に恐怖につながっていく。エレベーターの明かりが明滅し、消えたわずかの間に一人、また一人と死んでいく。残ったもの同士はお互いに誰も信じることが出来ずにパニックになっていく。

 最後は釈然としないながらもなるほどこういうつながりがあったのか、と云うことで何となく納得させられて終わっている。無意味に血まみれのシーンがあるわけではないし、むやみに怖がらせることもないので、ちょっとホラーの苦手な人でもそれなりに楽しめる。長さも81分と適当だ。

中国ウオッチ・南通のデモ

 王子製紙の排水処理計画に反対する江蘇省南通市の市民のデモは一時一万人を越え、一部が暴徒化して市庁舎になだれ込む騒ぎになったが、南通市側が計画を全面的に中止すると表明したことで収束した。
 
 集まった群衆はほとんど引き揚げたが、一部の興奮した集団が居残り、それに対して武装警官が大量に導入され、抵抗するものを次々に強制排除した。その時の様子を撮影していた朝日新聞の上海支局長が警官に取り囲まれて暴行を受け、カメラと記者証を没収されたという。

 十年くらい前のことで、しかも又聞きだが、南通の工業団地を訪れた際、進出した企業の一番の難問が排水処理の問題なのだと聞いた。南通では各企業が勝手に排水処理設備を設けて排水することが出来ず、工業団地内に何カ所かある共通の大きなピット(何千トンとか何万トンとか)に排水を溜め、それを処理するシステムになっているという。そのピットとの距離、使用の優先権など、難しい交渉が必要で、それが企業の死命を制するくらいだということであった。

 ここで感じたのは同業の会社がおなじピットに排水を溜めているのならその処理も容易だが、極端な異業種だと排水の質が著しく違い、処理が困難だったり問題があったときのその責任の所在も曖昧になりかねないということだった。そしてそのピットの能力は工業団地に誘致される予定の企業全体に対して明らかに不足しているということだった。 

 今回は製紙会社の排水の問題である。製紙会社はどの工場よりも排水量が多い。多分南通市は王子製紙を誘致するにあたり、現状の方式では処理が出来ないことを承知しているので王子製紙側が排水処理の設備を設け、市がその排水を海へ流すという方式をとろうとしたのだろう。
 
 ところが他の企業は排水をそのままピットに流していることから王子製紙も排水をそのまま海に流す、と思われたのではないだろうか。実は南通では金属処理の工場が汚染排水の元凶として住民運動により、操業停止に追い込まれている。金属処理工場は排水量は少ないものの処理の難しいかなり毒性の高い排水を出す。多分ピットで処理しきれなかったものが河川に流れ、遡ってその工場が犯人としてやり玉に挙がったのであろう。

 このように正しく住民が認識すれば今回のような騒動は起きないのだろうが、そもそも中国では日本以上に行政や企業を信用していない。ことここに到っては住民は一切貸す耳を持たないだろうから、王子製紙はしばらくは静観するしか手はないだろう。

 ところで朝日新聞も腹は立つだろうが、あまりエキサイトして騒いでこの問題を反日に結びつけられるようなことのないようにして貰いたいと願う。

国旗を侮辱する

 日本の右翼が大阪の鶴橋でデモ行進を行い、韓国の国旗「太極旗」を冒涜したとして韓国で反発が起きていることがニュースになっていた。

 具体的な侮辱の仕方はいちいち取り上げないが、この日本の右翼の一部の人の行動はまことに恥ずべき行為であると思う。悲しくなる。

 彼らにすれば今までたびたび韓国で日の丸が焼かれたり踏みにじられている映像を見せられているではないか、その仕返しだ、といいたいのであろう。そしてそのことに拍手する人もいるかも知れない。

 だが韓国で日の丸がそのような扱いを受けたときにどのような気持ちがしたのか、その不快な気持ちを知りながら同じことをしたら相手と同じではないのか。

 私は韓国で日の丸が焼かれたり、踏みつけられたとき、確かに日本人は不快だけれど、その行為はそれ以上に韓国そのものをおとしめる行為であると思っている。その行為は日本に対してよりも韓国を辱めていると思う。そしてそれを恥ずかしく思わない、と云う点に於いて韓国がかわいそうだと思っている。

 だから今回の右翼の(たいていほんの一部の舞いあがりの連中だ)の行動は韓国を侮辱したが同時に韓国が行ってきたことと同じことをしたという意味で日本をおとしめる恥ずかしい行為であったと思う。右翼ならリーダーはそれを止めるのが筋ではないのか。

 このような右翼の人も間違いなく日本人である。そのことを認めつつ日本もレベルが落ちたな、と悲しく思う。

 こんなことを忘れさせてくれるためにもオリンピックの出場選手諸君、がんばってください。心から応援いたします。

「清末見聞録(清国文明記より)」・長沙紀行・嶽麓山⑤

 これより峠づたいに頂上に登って神禹碑を見る。山骨が露出し、縦横各丈余の石壁の上に怪しげな古めかしい文字が刻されており、それを石亭が蔽っている。神禹碑はもとは岣嶁峯(こうろうほう)の上にあったという。韓退之(かんたいし)がかつて岣嶁山に上ってこれを探したけれども見つからず、曰く 千捜万索何処有、森々緑樹猨猱(えんどう・猿のこと)悲 と。ただしこの神禹碑は大禹が刻したものだと伝えられているけれども、もちろん後の時代の好事家の偽作である。そして嶽麓山の上にあるのはその最初の模刻である。
 これより下りに就けば、中腹に極高明亭がある。さらに数町ほどのところに道中庸亭がある。この二亭は共に朱子が創建したもので、康煕帝の時にその基礎の趾をもとに再建し、道光帝の時にさらに修理したものである。その下に道郷祠があり、宋の鄒浩(すうこう)を祀っている。山を下り終われば、書院の北は三閭大夫廟である。廟内に屈原の肖像と神位を安置している。庭中に梧桐二株があり、秋風にむせんでいる。

  沅湘流不尽、屈子怨何深、
  日暮秋風起、蕭々楓樹林、
          (戴叔倫)

とは実に私の言わんとしていることを尽くしている。

*戴叔倫の詩
 「三閭の廟」
  阮湘 流れて尽きず、
  屈子  怨み何ぞ深き、
  日暮 秋風 起こる、
  蕭々たり 楓樹林
**屈子は屈原のこと。忠誠を尽くしながら遠ざけられついに汨羅の淵に身を投じた。その怨みを思った詩である。

屈原については確か私の恩師である黒須重彦先生が本を出しておられたはずだが、手に入れる機会もなく今に到っている。でも屈原、と云うと先生を思い出す。先生に中島敦の「山月記」の解釈を徹底的に講義されたことが私の一部分として確かに残っている。

2012年7月28日 (土)

偽物が本物に

 ちょっと興味を引いたニュースだったのだが、取り上げずにいたものに後日談があったので伝える。

 イギリスのメディアが、エジプトの選手団の公式ユニホームやバッグが、ナイキやアディダスのようだが中国製の偽物である、と報じていた。ナイキのロゴのあるバッグなのにファスナーにはアディダスとなっているなど、選手も恥ずかしいから自腹で買い直したいと話していたという。
 これに対しエジプトオリンピック委員会は、エジプトは政治不安で通貨レートが下落し、不景気で正規品は高くて買えない、偽物を承知で購入した、と苦しい状況を語っていた。

 と云うのが最初の情報だった。

 なんとこれを聞いたナイキが、エジプト選手団に正式のユニフォームなどを無償提供する、と申し出たのだ。エジプト選手団は大喜びしているという。

 エジプト本国はいきさつについて調査を行い、「ぱくり商品」購入に不正がなかったこと、無償提供を受けるためのやらせでもなかったことを確認した、と発表したという。念の入ったことである。

 ナイキも期せずして良いコマーシャルになって良かった。でも正式のものもぱくり商品も全部中国製かもしれない。

中国ウオッチ・暴動

 王子製紙が中国の南通市の開発区に建設中の製紙工場の排水処理計画に対し、地元の反対運動が激化、多くの住民が市庁舎に暴徒化して押しかけ、入り口を破って庁舎内で抗議活動を行って書類などを庁舎ビルの窓からばらまいたりした。市当局は最終的に市民側の要求を全面的に呑むことを了承、排水処理工事を全面的に中止すると発表した。

 暴徒側の言い分は排水で中国人を毒殺しようとしている、というものだが、王子製紙側は排水は完全に浄化されて安全なものだと主張している。この工場排水は南通から海まで100Kmのパイプラインで流されるので南通市の上水も下水も汚染されることはないはずなのだが、住民側はまったく信用していないようだ。

 最近中国では住民が集団で押しかけて当局に要求を呑ませることに成功しているケースが続いており、南通では金属処理の工場建設を阻止したばかりなので盛り上がっているようだ。

 こうなると理屈は関係なくなり、どんなに説明しても聞く耳を持たなくなっており、当分の間は王子製紙はあきらめざるを得ないのではないだろうか。いきさつを見ていると、一部反日的なプロパガンダは見られるものの特に日系企業を意図的にターゲットにしたというわけではないように見える。だからここから尖閣と絡めて反日運動がさらに激化すると言うことはないと思うが、しばらくは予断を許さないだろう。

 中国政府も従来ならこのようなときは強権を持って暴徒を蹴散らすのだが、今はこのような盛り上がりが反政府活動につながらないために仕方なく活動を見守り、言い分を認めざるを得ないようだ。だがこんなことが続くと何事も住民活動で言い分がとおるという前例を作ることになってしまいかねない。まして外国企業が企業活動しにくい状況は、地元政府にとっても中国政府にとっても極めて許しがたいことのはずで、時間をおいてほとぼりが冷めてからの当局の締め付けがあるのではないかと懸念される。

 ちなみに南通市は揚子江に面した街で、上海にも南京にも近く、海外企業を誘致して大発展をしている。日系の大手企業もたくさん進出しているところであり、私もいくつか工場を廻ったが、大きな工業団地がいくつもつくられていた。当時は揚子江をフェリーで渡ったが、今は橋が架かって高速も通じてとても便利な街になっている。それらの企業は今後の成り行きをとても心配していることであろう。

五輪公式グッズ

 イギリスのメディアによると、今回のロンドンオリンピックの公式グッズの約90%が外国製で、65%が中国製だそうだ。

 このことはイギリスが公式グッズを自国製にこだわらないという度量の広いところを表していると共に、このようなグッズの生産の三分の二が中国で生産されているという事実を表すものだと言うことが分かる。

 イギリスメディアはオリンピックは国内企業に恩恵をもたらすはずではなかったのか、と批判しているらしいが、イギリスでつくったら多分ずっと高く付いて経費がかかることになったのだろう。

 ところで中国ではこの公式グッズの模造品が大量に出回っているという。もちろん正式のものより安価らしい。多分正式のものをつくるときに、発注されたものの何倍も生産したものが出回っているケースが多いのではないだろうか。「本物」の模造品である。中国はロンドンから遠く離れているから・・・まあ良いか、というところであろうか。

国旗

 ロンドンオリンピックのサッカーの試合で北朝鮮の国旗と韓国の国旗を取り違えた。あってはならない間違いだったとしてイギリスは北朝鮮に対して正式に謝罪した。

 ところで台湾の通信社が報じたのだが、ロンドン市内のリージェント街につい先日まで各国の国旗と共に台湾の国旗が掲げられていたものが突然姿を消したそうだ。台湾側はこれに抗議したが、イギリス政府はこれに関与していないとして抗議を受け付けず、ロンドン五輪組織委員会が当事者であると回答。ところが組織委員会もこのことには関与していない、何も知らないと答えている。リージェント街協会の個別の判断と言うことのようだ。

 駐イギリスの台湾代表はイギリスに対して不快感を表明、それに対しリージェント協会は代わりにチャイニーズタイペイ(台湾が五輪に参加するときの国旗の代用の旗)の旗を掲げることにするという。
 なぜ突然リージェント街がこのような行動を取ったのかは分からない。自発的な行動かも知れないし、中国から密かに申し入れを受けて国旗を片付けたのかも知れない。しかし台湾の人々の心を傷つけることになっただろうことは間違いない。

開会式

 ロンドンオリンピックの開会式を見ようと思っていたら三時過ぎに目覚めてしまった。オリンピックの開会式は毎回工夫されていてなかなか感動的だ。

 入場式の時に今回強く感じたのは女子選手たちの美しさだった。日に焼けた顔に白い歯ときらきらした力強いまなざしが本当に美しいと思う。

 なんと肝心の日本の入場行進の少し前に眠ってしまって見損なった。早く起きすぎた。

「清末見聞録(清国文明記より)」・長沙紀行・嶽麓山④

 書院を参観し、また李北海の碑を見て、山路に入れば、幽谷の中に愛晩亭がある。杜甫の詩の 停車座愛楓林晩、霜葉紅於二月花 によって名付けられたものである。満山の楓樹が時雨れにしみて燃える如く、亭々とした松のみどりと相映えてさながら錦繍のようである。万寿寺に到る。大雄殿、蔵経閣があり、その一層は普通より高く、梵境は幽雅を極め、鐘声は峪に響いて梧葉(ごよう・青桐の葉)は風がないのに散る。その後ろに白鶴泉があり、水は清冽で汲んで飲むべし。これより左に上がれば御書亭があり、道光帝御筆の印心石屋の扁額がある。石屋は宮保(官名か)陶雲汀(とううんてい)が幼時、その父萸江(ゆこう)先生に従って読書したところである。その上に雲麓宮がある。書院の甍、水陸州の煙樹、長沙の千門万戸はことごとく脚底にある。宮の後園には望湘亭があり、湘水、湘山が一望に出来て思わず歓声が洩れるほどだ。私が思うには長沙の景は湘江にあり、麓山に登らなければいまだ長沙を語るに足らない。

2012年7月27日 (金)

中国ウオッチ・中国が道徳を教える

 中国はベトナムやフィリピンと領有権を争っている南シナ海の島や珊瑚礁を統括する三沙市を新たに設けて行政活動を開始している。人口は二千人程度と言われているが、多くが小さな島に軍事施設や資源探査の基地を設けたもので、中には常時水面下にある珊瑚礁に無理矢理建物を設営して基地にしているところもあり(環境破壊の非難などクソ食らえである)、そこに駐留している人間が三沙市の住民である。

 これらの強引なやり方にアメリカ側から憂慮や反発の意見がなされた。アメリカ国務省のヌーランド国務省報道官もアメリカの正式な意見として「中国側のこのような行動は遺憾なことだ」と表明した。
 これに対して、中国国際問題研究所の副所長は「アメリカ側は道徳に外れている。ヒラリー長官のもと、アメリカ側の不当な介入が南海の周辺諸国に謝ったシグナル(!)を与えている」と非難した。

 中国は東洋的道徳の先生の国である。その中国の言う道徳というのは中国は何をやっても正義で、それを非難するのは道徳的に間違っている、と云うことらしい。うーむ、ずいぶん自分勝手のような気がするんだが道徳ってそういうものだったっけ?

信じられない

 昨日の晩から日本サッカー男子が優勝候補のスペインを破ったニュースが繰り返し報道されている。私も文句なしにうれしい。だが信じられないというのはそのことではない。

 韓国でもそのニュースは衝撃をもって報じられているようだ。その日、韓国チームはメキシコと戦い、0-0で引き分けであった。そのメキシコとは正式の予選の前の練習試合で日本が勝利しているだけに韓国としては日本の勝利にいささか敗北感に似た気持ちがあるようだ。

 しかし韓国の一部メディアが「このような気持ちが韓国の反日感情を一層助長させることになる」とコメントを発している、と云う記事を見て、信じられない気持ちになった。この一部メディアは誰に迎合してこのようなときに反日感情などを持ち出すのだろうか。まったく犯罪的ではないかと思うが、私は異常反応に過剰反応しすぎか?

映画「ガリバー旅行記」2010年アメリカ映画

 監督・ロブ・レターマン、出演・ジャック・ブラック、ジェイソン・シーゲル、エミリー・ブラント。
 スウィフトの「ガリバー旅行記」の原作を現代風にアレンジしたストーリー。これを見たのは、はっきり言って時間の無駄だった。もともと私はジャック・ブラックみたいな俳優の仕草をおもしろがることが出来ない。その上脚本があまりにもお粗末でこんな作品に金をかけること自体が物語り以上にばかばかしいと感じてしまった。

 これを見て面白いと思う人がいるのだろうか。信じられない。あまりに趣味が違いすぎる。私がおかしいのだろうか。
即、録画を消去した。

そっちのせいだ

 中国放送が伝えていた北朝鮮外務省報道官の言葉。

「朝鮮戦争の『停戦協定』から59年が経ったが、法律的にはこの状態が解消されていない。その原因はアメリカ側が故意に停戦状態を長期化させているからで、アメリカ側は平和協定を頑なに拒否し、交戦状態を継続させている。これは北朝鮮を敵視する政策をとっていることの表れで、アメリカは北朝鮮に軍事的脅威を与え続け、最終的に我が国が核兵器を所持する状態まで追い込んだ」

「アメリカは口先だけでなく、いかなる条件もつけずに、行動によって『停戦協定』から平和協定に改めるべきだ」

 詰まるところ北朝鮮は平和を願う国家であり、アメリカと平和協定を結びたい、それなのに仕方なく核兵器までつくってしまった、とおっしゃっているらしい。彼らはいまだに朝鮮戦争は南側の侵略が発端と言い張りたいのだろう。ちょっと依って立つグランドが違いすぎないだろうか。彼らの言葉はレトリックが多すぎて私には理解が出来ない。北朝鮮や中国や韓国の言い分を聞いていると私は本当に頭が悪いと実感させられる。

珍しく謝る

 韓国の競泳の選手がロンドンオリンピックを前に中国の選手に暴言を吐いたという報道が中国全土に流れ、中国人の怒りを誘った。
 それに対して韓国のメディアが、その韓国の選手は韓国の記者とは会っているものの報道のような中国選手や中国の記者との接触がなかったことを明らかにした。そして韓国の報道記者もそのような言説を一切聞いていないとして、中国の報道は事実無根と反論した。

 中国側も確認したところ、ネタ元がある通信社の翻訳記事を誇張したものであることが分かったとして、この件は中国側の間違いであると認め謝罪したそうだ。

 中国が(韓国もだけれど)謝るということもあるのだ。日本に対してだけは考えにくいけれどね、残念だけど。謝るのはいつも日本だけ。

カルピスの牛乳割り

 以前何気なく書いたので見逃した人もいるかも知れない。

娘のドン姫とその友達には好評だったのに意を強くしてあらためてめて書く。

 カルピスを水ではなくて牛乳で割り、氷を浮かべて飲む。ただこれだけ。すでに当たり前の飲み方かも知れないが私にとって誰からも聞いたことはない飲み方だ。

 割合はお好み次第。フルーツカルピスよりも普通のカルピスの方が良いと思う。好き嫌いは人によるからこんなもの、と云う人もいるかも知れないが結構いける。

 やったことがなければお試しあれ。

あこがれの北海道

 前にも書いたが、昔北海道に仕事で通ったことがある。一度行くと一週間から二週間滞在して道内の主要都市の代理店を訪ねて廻った。約十年間、延べにすると五十数回行った。実績が伴うようになるまでは経費を惜しんで宿泊しないで夜行で移動したりした。もともと大学も北海道の単科大学で過ごすのが夢だった(親に反対されて、実際は東北の駅弁大学で四年間を楽しんだ)ので、仕事はハードだったがそれなりに食べ物や風景を楽しんだ。

 それから30年近くが経って、昨年久しぶりに兄貴分の人と二人で十日間ほど北海道を楽しんだ。仕事で廻っていたときは人のいないところはほとんど行っていない。人がいないところでは仕事もないから。洞爺湖界隈、ニセコ、積丹、留萌、雄冬、稚内、利尻島、紋別、小樽などを自分の車で走り回った。初めて行ったところが多い。北海道を堪能したが、でも一部しか見ていない。リターンマッチを考えた。

 昨晩ずっと旅行計画を検討し、費用の試算を行った。今年は名古屋から苫小牧への太平洋フェリーでいくかたちで考えてみた。日本海フェリーだと敦賀から苫小牧まで20時間あまりで行くが、なんと太平洋フェリーだ40時間もかかる。確かにフェリー代は安いのだが、それでも往復だとかなりの出費だ。二週間くらいは道内を歩きたいので、民宿の安いところを泊まり歩いても全てを合わせると20万は覚悟しないといけない。

 収入があるときには時間がない。時間があるときにはお金がない。人生はままならないものだ。この北海道旅行は不可能ではないが、そうすると他のものをかなり犠牲にしなければならない。出来れば八月の終わりから出かけたいと思っていたが夢に終わりそうだ。

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「清末見聞録(清国文明記より)」・長沙紀行・嶽麓山③

 先ず関口君を訪ね、その案内で学堂のほとんどを参観することが出来た。現在学堂の堂宇は多くは改築したもので、書院の旧観は礼堂、文昌閣、御書楼、六君子堂、崇堂祠及び濂渓祠(れんけいし)に残っている。礼堂には康煕御筆の学達性天及び乾隆御筆の道南正脈の扁額、朱子書の忠孝廉節の四大字がある。関口君の語ることにはこの四大字のうちの節の一字については一つの伝説があるのだそうだ。節の字はかつて火事で焼失したので字の名人によってこれを補おうとした。彼は斎戒沐浴して礼堂に座して筆を執り、下書きを何十回もしたのにうまくかけない。その時乞食が一人堂前に跪いてこれを見ていた。そして何をそんなに苦しんでいるのか、と云う。私が書いたようにしてみなさいといわれ、その通りにしたところ、たちまち納得する字を書くことが出来た。その字は筆力雄渾、朱子の旧の字と変わらない。驚いてその乞食を見るとすでにその姿は見えなくなっていた。そこで朱子の神霊であったのだろうと言い伝えられることになった。その書を持ってこれを補った。今残っているのもその乞食の書いたものであるのだという。
 崇道祠は朱、張両夫子を祀る。中に朱子が張南軒に答えた詩が刻されている。山中にもと岳麓寺及び道林寺の二つがある。岳麓寺は晋の太始元年に建てられたもので、唐の開元十八年、李邕(りゆう)の文と書の麗山寺碑がある。寺は明の時代になって万寿寺と名を改められた。今なお山上にあるけれども、李北海の碑は書院の西南隅にある。道林寺は明の正徳年間呉世忠寺を壊して書院の修理をして以来そのあとは明らかではない。乾隆時代に三閭大夫が祠を建てて土をあばいて古磚(こせん・古い煉瓦)を見つけている。その後土地の人間が祠の前の阡陌(せんぱく・田圃の中の道)から石砌(せっかい・石畳)数層を掘り出した。あるいはこれが道林寺のあとではないかという。寺の中には欧陽詢書の碑があったと云われるが今は滅びて存在しない。

2012年7月26日 (木)

映画「ハンナ」アメリカ・イギリス・ドイツ合作映画

 監督・ジョー・ライト、出演・シアーシャ・ローナン、エリック・バナ、ケイト・ブランシェット。

 フィンランドの極北の森林の中で父親(エリック・バナ)と二人だけで暮らしている16歳のハンナ(シアーシャ・ローナン)は小さいときから闘争の技を父親に仕込まれていた。
 その父親は元CIAで、ある事件をきっかけにCIAから脱走して身を隠していた。父親と娘が母親の敵として狙うのはCIAのマリッサ(ケイト・ブランシェット)である。
 CIAをおびき寄せるためにあえて信号で存在を知らせる二人。二人の山小屋をCIAのヘリコプターが急襲するがエリックは脱出し、ハンナはとらわれの身となる。そしてわざとCIAに連れ込まれたハンナはマリッサに会いたい、と頼む。そこへ現れた女性にマリッサしか知らない質問を浴びせてその女性の答えでマリッサであることを確認した瞬間ハンナの爆発的な闘争が開始される。
 CIAのアジトから脱出してみればそこはなんと北アフリカ・モロッコのマラケシュであった。キャンピングカーで旅する家族にかくまわれて辛くもCIAから逃れたハンナが向かう先は、父親との約束の地、ベルリン。
 父親のほうも苦難の末ベルリンに向かうが、そこでハンナが倒したと思ったマリッサがまだ生きていたことを知る。父親はマリッサを倒すためにCIAに護られているマリッサに迫っていく。

 果たして父親とハンナは出会えるのか。父親が身を隠したきっかけとなった事件、ハンナの母親が死ぬことになった事件とは何だったのが、なぜそこまでしてマリッサを倒さなければならないのかが最後に明らかにされる。

 非常に面白い映画なのだが、ハンナの闘いにもっと狡猾さが欲しい。あんなに正面からばかり向かっていったらCIAの暗殺者にいつか殺されてしまう。父親ももう少しちゃんと教えてやれよと思う。物理的な闘争能力だけでは勝てないのに。

 ところで父親役のエリック・バナの菱形の顔を見てどこかで見た顔だと思ったら、2003年版の「ハルク」の主役だったのを思い出した。
 それとマリッサ役のケイト・ブランシェットはこういう冷たい女をやらせると絶品だ。特に神経質に電動歯ブラシで歯を磨き、歯茎から血を流しながらすさまじい顔をするシーンはとても怖い。あんな顔、女優なのに良くやる、と云うか女優だからやるのか。

 映画としては面白かったけれど、もっと面白く興奮するような作品に出来たような気がする。

映画「ツーリスト」2010年アメリカ映画

 監督・フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク(なんと長い名前!)、出演・ジョニー・デップ、アンジェリーナ・ジョリー。

 謎の美女・エリーズ(アンジェリーナ・ジョリー)をイギリスの情報部や警察、フランスの警察やイタリアの警察がマークしている。彼女に密かに渡された手紙から、彼女がある男とコンタクトをすることが明らかとなる。実は彼女をマークしているのもその男ピアース(顔が整形されていて正体が不明の男)が目的なのだ。
 その男の顔は今ではエリーズにも分からない。手紙の指示ではある列車に乗って自分の外観と似た男をダミーにしてイタリアに来るようにと言うことであった。エリーズはその指示に従い、目をつけたのが、アメリカ人の数学教師・フランク(ジョニー・デップ)であった。

 彼女に強引に誘われてベネチアの高級ホテルに連れ込まれるのだが、もちろんフランクはソファーで寝ることに。その頃情報が漏れて、裏社会のボスがフランクをピアースであると思い込んでベネチアに乗り込んできていた。イギリス情報部は調査の上でフランクがアメリカの数学教師であることを知りながらその状況を利用してピアースをおびき出そうとする。その間にも刻々とピアースからエリーズに手紙が届き、事態は二転三転するのだが・・・。

 結末は最初からこうなるだろうと思っていたとおりだった(こう書くだけで想像が付いてしまったのなら申し訳ない。でも何も言ってませんよ)。危機一髪の連続で、なかなか楽しめたが、その危機感がもう少しリアルだと良かった。もっと残虐なかたちでとばっちりの犠牲者があったりするとかなりドラマがしまったかも知れない。ドラマだからね。

 でもアンジェリーナ・ジョリーの顔って美人と言えば美人だけれどちょっと普通じゃない。あんな顔で迫られたら引いてしまいそうだ。だけどあの唇は色っぽい。ジョン・ボイドの娘なのだけど、ジョン・ボイドと言えば真夜中のカウボーイをつい思い出してしまう。関係ないけど。

中国ウオッチ・シリア

 国連のシリア制裁決議にロシアと中国が拒否権を発動し、国連が身動きできないのはご存じの通り。連日シリア政府軍が民間人を100人単位で殺害している、との報道が続いている。シリアには石油はもちろん、さしたる資源がないため、アメリカをはじめ、NATO軍も動くつもりは全くない。戦費をかけても見返りが期待できないからだ。
 そのシリアが化学兵器の保有を初めて認め、その使用を辞さないと表明したことから周辺諸国に緊張が走っている。特にトルコは化学兵器対策の防護ラインを展開することにしたと伝えられている。

 そのシリアからほとんどの外国企業は撤退したのだが、なんと中国企業が数社残って活動を続けている、と中国新聞が報じていた。報道によれば内乱前には中国人はシリア国内に5000人が在住していたという。現在は100人程度に減少しているものの活動は継続しているそうだ。

 中国はリビアなど北アフリカ諸国にも数万人が滞在していた。投下資本は数兆円と言われ、このシリアにも多分かなりの資本投下を行ってきたのだろう。アメリカは独裁者と癒着してそれらの国を支援してきたが、民主化の動きでアメリカは身動きがとれなくなった。独裁者側に着くことは自国の国民や世論の手前出来なかったのだ。

 もともとそんな斟酌のない中国はその隙間にどんどん食い込んでいった。一時的には中国は投資した金が回収できずに損失となっているが、そのパイプはしっかりと生きている。今後徹底してそのつながりを再構築して回収を図るだろう。なりふり構わないその姿勢は他の国には理解しにくいが、中国は理解など求めていない。アフリカや中近東(特にイラン)への中国の影響力は急激に増大している。

伝染する

 韓国のメディアが何社もオリンピックのイギリスの予想を取り上げていた(自分で言わないところがどうもね)。
 取り上げられていたのは「日本は金メダルを15個獲得するのを目標としているようだが、それはかなり難しく、良いところ5個くらいだろう。日本はこれまで柔道、体操、レスリング、水泳などで多くの金メダルを獲得してきたが、最近は得意な種目ほど低調である。特に柔道の低調は深刻だ。今のところ確実なのは吉田沙保里、内村航平、北島康介くらいだ」というロンドンオリンピックについての予想記事であった。どうもヨーロッパやアメリカから見た日本の成績予想はおおむね似たようなもののようだ。そして韓国は日本の成績が悪いことを期待しているようだ。

 むかし、韓国選手や台湾の選手がオリンピックでメダルを取ったり、健闘したりするとわがことのようにうれしかった。西洋人、特にアメリカやソ連(当時はロシアではなかった)、ドイツの白人選手ばかりがメダルをさらっていった。だからアジアの選手が良い成績を上げることは素直に喜びであったものだ。

 それがいつの間に日本の成績予想が低いことをうれしげに報道するこの韓国のような態度が伝染したのか、わたしも韓国の選手ががんばってもちっともうれしくなくなってしまった。ライバル意識からの態度なら闘いが終わったときには握手が出来るが、このようなねたみからとしか思えない姿勢はお互いに何も良いことはないのに残念だ。

 それにつけても日本の選手には実力通りの悔いのない戦いを期待したい。日本選手はプレッシャーに負けて、本番に弱いところがあったが、最近の特に女子選手はプレッシャーを撥ねのけて時に実力以上の力を出したりするのでまことに頼もしい。日本人がいろいろと自信喪失に陥っている今、彼らの活躍は必ず励みになると思う。

しゃべる

 娘のドン姫がやってきたので、昨夜は二人でウオッカライムを飲みながら、先日の旅の写真を見たりして、いつものように私がほとんどしゃべっていた。
 北海道やシルクロードに行く夢を語ると、シルクロードには一緒に行きたいという。仕事をそんなに休めるはずはないが、そのタイミングで仕事を替えることをちらりと考えたのかも知れない。
 普段ひとりでいるので話し相手が居ない。あまり独り言を言う方ではないので、ドン姫にはうるさかったかも知れない。でも以前から見れば我慢して人の話を聞いて適当に受け答えもしてくれるようになった。

 大人になったなあ。

 本日の名古屋は最高気温36℃の予想。

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「清末見聞録(清国文明記より)」・長沙紀行・嶽麓山②

 江から三里のところに自卑亭がある。書院はその西にあり、地勢はやや高く、後ろに嶽麓山を背負い、前に湘江を隔てて長沙に対する。この地は特に僻地と言うほどではないが、遠く塵寰(じんかん・塵の世、つまり人間世界)を離れて、教育上には最好適地である。書院は宋の開宝中、潭州(たんしゅう)守朱洞(しゅどう)がこれを創建し、四方の学者を集めた。後に朱子がこの書院に滞在し、手ずから忠孝廉節の四大字を堂に書した。時に張南軒は湘江を隔てて長沙の城南書院にいて、相共に学を講じ、一字天下を風靡した。書院はその後しばしば修理再建され、光緒二十八年以後は湖南高等学堂と改称し、学生三百名が就学している。理学士の関口壮吉氏及び東京高等師範出身の園田愛之助氏らが招聘されて教鞭を執っている。

2012年7月25日 (水)

ポール・ミドラー著「だまされて。」(東洋経済新報社)

 サチコ・スミス訳、副題「涙のメイド・イン・チャイナ」。

 中国の製造業の実態を描いたアメリカ人コンサルタントの実話。著者は広州に在住してアメリカの輸入業者と中国の製造会社との仲介を行ってきた。アメリカの業者がコストダウンをもくろんで中国に委託生産の契約にやってくる。もちろん交渉だからとことん厳しい条件を提示するのだが、アメリカ流の強引な駆け引きの中で期待以上の成果を上げて契約が成立し、委託生産が開始する。

 ここから中国業者のしたたかさの本領が発揮される。あらゆる手立てを尽くして利益を生み出していく。気が付くと主導権は中国側の業者に握られて蟻地獄のような世界が待っている。

 その手練手管とからくりを実際に体験したからこそ書ける実話である。まっとうな商売があるべき姿だなどと思っていると書かれていることごとくに怒りを禁じ得ないが、あまりにもそのしたたかな面の皮の厚さに何となく笑えてきてしまう。それと同時に当事者でなくて本当に良かったと感じてしまう。

 昔仕事で中国での生産のための調査に何度か上海周辺をかけずり回った。分かったことは何も分からない、ということだった。かなり無責任な報告で済んだので幸せなことであったが、そのまま中国で仕事をすることになったらと思うと悪夢のような思いがする。

 しかし中国のそのしたたかさが中国の衰退の原因でもあることが、見えてくる。このような商売の仕方は中国でしか通用しないし、ある程度痛い目を見たらみなそこから離れていく。

 現に中国南部、広州から大挙して外国企業が離れつつあるのだ。

 訳がちょっとぎくしゃくしているのか、そもそも原文のせいなのか分からないが、少し読みにくいところがある。だが内容は具体的でとても面白い。中国人、というものを知る上でもとても参考になる。同時にアメリカ人も。

中国ウオッチ・反対

 中国のネットのアンケートで2020年のオリンピックに東京がエントリーしていることについて問うたところ、賛成が22.2%、反対が77.7%だったという。理由は日本がオリンピックで景気復興するのが腹立たしいから、と言うのが多いようだ。

 日本でやれば時差も少ないし見に行くのも楽ではないか。そうして中国も日本も景気を良くして欧米と対抗しよう、となぜ言わないのか。その方がお互いにとってずっと良いと思うのだが。中国でオリンピックをやることに日本人はそこまで反対はしなかった(ちょっとはした)。

 それに日本でやれば日本の審判はとても公平だ。中国で開催した時みたいなあんな露骨なことは絶対しないし、逆に日本にやや不利な判定までしかねないのが日本人のまじめなところだ(と信じたい)。

中国ウオッチ・偽札造り

 中国ではあの世で困らないために先祖のために模擬紙幣を燃やして供養する習慣がある。古くからの習慣であり、かなり本物に近くても当局は普通それに文句をつけたりしない。
 
 ところがその模造紙幣を作っている印刷工場でなんとこの世でも通用するような偽の紙幣を印刷しているという通報が入った。当局は事実を調査し、監視を続けた結果、通報が間違いないと判断、現場に踏み込んだ。そこには偽札をつくるための機械と共に額面8000万元(約9億9800万円)の偽札の現物が見つかり押収された。

 相場によるとこのくらいの精度だと100元札が3~4元で取引されているだろうという。

 中国では偽札は自己責任である。つかまされた人が損をする。偽札が当たり前に流通しているせいか、中国人の偽札に対する感度はかなり高い。人民元はアメリカのドルと同じで政府が好きなだけ刷りまくっている。多少の偽札などではびくともしないのだ。あまり偽札が横行すれば札を新しいものに変えれば良いだけだ(証拠はないので私の妄想かも知れないが)。

中国ウオッチ・腕が抜けない

 落語みたいな話だけれど、中国で実際に報道された話です。

 安徽省安慶市のレストランで、女性の腕がトイレから抜けなくなるという事件が発生した。女性はトイレに落ちた携帯電話を取ろうと便器の中に手を差し込んだが腕が中まで入って抜けなくなってしまったという。通報を受けたレスキュー隊員により、30分後に救出された。

 まさか便器の中で携帯をつかんだままだったなどと言うことはないだろうが。人間夢中になると思わぬことになる。まして中国人だから(などと書くと少し危険か)。

映画「RED/レッド」2010年アメリカ映画

 監督・ロベルト・シュベンケ、出演・ブルース・ウィリス、モーガン・フリーマン、ジョン・マルコヴィッチ、ヘレン・ミラン。
 主演はもちろんブルース・ウィリスだが、共演のジョン・マルコヴィッチの怪演が最高で笑わせてくれる。

 フランク(ブルース・ウィリス)は元CIAのエージェントだったが、今は引退して独身の年金生活を送っている。楽しみはその年金係の女性・サラと電話で会話することだけだ。
 ようやく彼女とのデートの約束を取り付けた彼をある日何者かが襲う。なんなくかたづけたものの、正体を隠していたのになぜ襲われたのか思い当たる。サラとの電話の会話が盗聴され、発覚したのだ。サラの身が危ない、と直感した彼は半ば誘拐するようにして彼女を救うのだが彼女には状況が理解できない。襲ったのはCIAであると思われ、彼はかつての仲間の元へ協力を要請に赴く。
 種々の情報から自分と同様に襲われている者がいること、それが昔自分が関わった事件と関係があることが明らかになってくる。

 その事件のファイルを見るにはCIAに潜入するしかない。そのための手立てを得るためになんとロシアの大使館に命がけで乗り込む。あとは結末に向かって怒濤の展開。
 荒唐無稽だが、痛快。こんな映画も気分がすかっとして良いものだ。

中国ウオッチ・中国をどう思う?

 最近の報道で、日本人で中国に対して「印象が悪い(はっきり言えば嫌い)」と感じている人が84.3%に上ることが報道されたことに対して、中国のブログで、なぜ日本人に中国の印象が悪いのかについて意見が載っていた。

「1960年頃から今世紀初頭まで日本は経済大国としての実力があった。日本人は世界に対して優越感を抱いていたが、中国が世界経済で第二位を奪い、それまでの優越感が消えて、嫉妬とねたみ、恨み、さらに恐怖まで感じるようになった。これが日本人に中国脅威論が生まれるもとになった」としている。
続けて
「日本人のGDPはまだ中国人の10倍あり、世界的なブランドも多い。まだ中国は日本を本当に追い抜いたとも言い切れない。それなのに日本はアメリカと軍事行動を繰り返し、釣魚島問題(尖閣諸島問題)で行動を起こしたりして中国を牽制しようとしている。だが日本が『中国に威嚇された』と主張するのはナンセンスだ」
そして
「中国に対する日本人のイメージは極右勢力によってつくられたもので、日本の世論は一部のメディアにコントロールされており、石原慎太郎などの政治家や既得権益集団によって世論は操作されている。右翼に迎合するメディアが中国に対する歪曲報道やプロパガンダを行い、嫌中感情を生み出している」
だから
「日本人が中国を嫌うのは、政治家とメディアの歪曲のせいだ」という。

 長々と取り上げたのは、これが中国で一般的に「思い込まされている日本の状況」というものだと云うことがよく分かる主張だからだ。中国では日本について極めて偏った報道しか伝えられていない。今まで伝えられたことと矛盾するような日本のいい話はシャットダウンされてしまうこともある。だから日本も中国のように情報操作されていると思っているのだろう。いや中国以上だと思わされているようだ。

 いやあ参考になる意見であった。言っていることは全て裏返せば中国の話なのだと云うことがよく分かる。
 これだけ相手にだけ原因があるという主張を臆面もなく行って何も感じないというのならほとんど病気だ。
 ところで日本人をミスリードしている極右勢力とは誰のことだ。私もそのひとりなのか。それなら田嶋陽子を除く日本人は皆極右勢力か。演技で演じている彼女の考え方が中国から見れば中庸と言うことなのだろうか。そんなのただの道化だ。
 念のため言っておくと私は今の中国が好きか嫌いかと問われれば嫌いだ。だが中国の歴史を含めてのもっと広い意味での中国の文化は困ったことに大好きだ。

「清末見聞録(清国文明記より)」・長沙紀行・嶽麓山①

 嶽麓山(がくろくさん)は衡岳(こうがく)七十二峰の一つ、その北麓をなすので嶽麓と名付けられている。嶽麓書院のあるところである。小舟で湘江を渡り、水陸州を越えてまた一水を渡れば江に臨んで石坊がある。嶽麓書院の四字を題している。昔宋の真宗がかつて宸筆・嶽麓書院の額を賜ったことがある。あるいはこれではないだろうか。傍らに河南忠義墓碑がある。題して捍禦(かんぎょ)長沙南城忠骨大墓と云う。咸豊二年、長髪賊(太平天国の乱)が、長沙を攻めたとき、穴を黄道門下に穿って城中に入ろうとして城が破壊された。城兵は決死で闘い、死屍数百を以てその穴を埋め、ついに守りを全うすることが出来た。長沙が今日もあるのはまったくこの決死の人たちの力によってである。この墓はすなわちこれら忠死の士を祀るところである。由来、嶽麓は霊境としてみだりに一木として折ることが許されず、また埋葬することも禁じられている。曾国藩のような殊勲の士もついにここに葬られることがなかった。このようにこの忠死の士を葬るのは長く遺勲を後世に伝えるものではあるが、おもうに諸士は忠であるとは云え、わずかに一地方の長沙を全うしただけである。曾公に至っては長髪賊を滅ぼして天下を全うした大功臣である。それなのにこれに薄く彼に厚いことはかくの如しである。湖南人の清朝に対する思想はこれらの点にも窺うことが出来る。

2012年7月24日 (火)

工場暴動の黒幕

 つい先日(18日)、インドのスズキの工場で暴動が発生し、インド人の幹部一人が死亡し、邦人ら100人が負傷した事件を御記憶であろう。
 事件後、労組員100人が殺人や暴行の罪で逮捕され、取り調べを受けている。その取り調べにより過激組織「インド共産党毛沢東主義派」が黒幕である疑いが強まり、現在インド当局は全力で労組幹部と過激組織との関係を調べると共に、いまだ逃走している労組員の行方を追っていることがインドの各新聞で報道された。

 この毛沢東主義派はイスラム原理主義者と同様、極端な教条主義者の集団で、古くはカンボジアのポル・ポト派に代表されるように大虐殺(少なくとも150万人が殺害された)を正義のためと称して行ってきた。 確か現在ネパールが毛沢東主義者に席巻されて居るはずだ。インドでも毛沢東主義派は西ベンガルを基点に活動を展開し、時にテロも辞さない強硬な活動を行っている。建前はカースト制度の打破であり、これも正義の旗印の活動であるが、その活動資金や裏幕に何が潜んでいるのかは明らかではない(想像できないことはない。彼らの活動で、ある国や企業がダメージを受けることを歓びとする誰かであることだけは間違いない)。

 今回スズキがターゲットにされた裏には複雑な要因が考えられる(対抗会社がそそのかしていないとも言えないし)。海外企業を誘致して中国のような経済発展を目指すインドにとってこのような事件は極めて遺憾なことであろう。勿論スズキにとっても日本にとっても遺憾なことである。

中国ウオッチ・あれから一年

 昨日の23日が、40人の死者を出した温州の高速鉄道事故からちょうど一年と云う日だった。
 市民達が時折訪れて高架下に花を手向ける姿が見られたそうだ。

 しかし地元メディアもあの事故について特に取り上げることもなく(意識的に)忘れ去られようとしているようだ。

 あのとき、中国のメディアは事態を隠蔽しようとする鉄道局を追及し、責任者を糾弾していた。そのあとどういうことがあったのか。鉄道局の責任者達は表から姿を消したが、実は重要なポストから外れたわけではなく、それなりの待遇で居残っているという。そして当局を糾弾したメディアのトップは今になって次々に更迭され、舞台から姿を消している。 だから各メディアはこの事故について大きく取り上げることはない。身の危険を承知でなければ言及できないのだ。

 歴史を忘れるな、と我々を糾弾しているのは誰だったのか。

 中国は昨年とは様変わりに粛正の気配が満ち始めている。中国人も敏感にそれを感じているだろう。そのようなときには政府の意を汲んだお調子者の言説だけが横行し始める。哀しいことだ。

ソフトボール世界大会

 女子ソフトボールの世界大会はアメリカが七連覇中であったが、日本がそのアメリカを破り、42年ぶりに優勝したというニュースが入った。上野投手が午前と午後の二試合連投しての勝利だったという。 
 オリンピックから種目として外されても気落ちすることなくがんばった。心から彼女たちの健闘をたたえたい。良くやった。

再侵略の野望

 北朝鮮の労働新聞の記事が紹介されていた。

 アメリカは日本の自衛隊という武力をアジア太平洋支配戦略実現の突撃隊、朝鮮侵略戦争の代理人として使おうとしている。アメリカは第二の朝鮮戦争を起こそうとする挑発的な策動に日本軍国主義勢力を巻き込み、朝鮮への侵略野望を成し遂げようと妄想している。
 またこれに日本の保守層はアメリカの力を背景に、朝鮮に対する再侵入野望を実現し、海外侵略の扉を開こうとしている。現在の日本は尋常ではない軍事的動きを見せており、「平和国家」を自認しながら打ち出した平和原則はすでに台無しになっている。
 さらに北朝鮮の核武装脅威論による韓国傀儡政権との軍事情報包括保護協定や集団的自衛権行使など日本政府が軍事大国化を推進しており、再侵略への策動は危険水域を越えている。

 「妄想している」のはどちらか明らかだが、何があったところで日本は朝鮮侵略は絶対しない。侵略しても何も得るところがないのは明らかで、前回の戦争で朝鮮を併合したことを反省すると共にこんな小うるさい国と出来れば関わりたくないと心から思う。日本人は心底うんざりしている。

 北朝鮮は自分の国が侵略に値する何かがある国だといまだに思っているのだろうか。すでに中国に資源を押さえられ、優良な港も押さえられてほとんど中国の植民地と化したことを少しは自覚したらどうだろうか。そしてこのようなプロパガンダは中国に使嗾されて行っている(と確信しているがどうか)ことを明らかにしてみたらどうだ(するはずないか)。

養老孟司&竹村公太郎対談「本質を見抜く力」(PHP新書)

 竹村氏は土木工学の専門家で、建設省でダム建設に関わってきた。2002年に退官している。ダムの必要性についての意見は聞くに値する。
 現代の問題を観念的な観点からではなく、具体的な「もの」から見直して論じている。エネルギーから二十世紀を見直し、アメリカ文明を論じ、二十一世紀の問題点を浮かび上がらせる。まことに二十世紀は石油の時代であった。
 そして環境問題、特に温暖化についての世界の不公平な状況を鋭く追求する。正義の味方の顔をしながら実はエゴイズムのぶつかり合いであることが明らかにされる。
 少子化についての二人の意見に私も同意する。少子化は見えない神の意志かも知れないとさえ思っている。それを何とかしようという努力よりも、それが進行したあとの事態を想定した対策を今から始めておくべきではないかという。
 そして水の問題である。世界の文明のデットエンドは水の枯渇によるものであったという視点からこれからのアメリカや中国の危機について警告する。両大国とも石油危機どころではないほど水の危機が迫っている。特に中国はすでに危機ラインを越えている上にその限られた水の汚染が止まらない。狂気とも思われる異常な数のダム建設はその焦りからかも知れない。しかし同じヒマラヤを水源とした河を持つ東南アジア諸国はその中国の川下に当たる。危機は中国以上だろう。
 食糧問題、特に日本の農業問題についての項だけ、農業経済学者の神門義久氏が加わって論じる。現在までの日本の農政がいかに農家を食い物にしてきたのか、しかも農業をほとんどせずに土地だけを抱えている農家や農地だけを継いだ跡継ぎ達が日本の宝である貴重な農地をいかにスポイルしているか、そして農協は農家を護るどころか商社として農家から利益を収奪することだけに狂奔してきたかが語られる。農家の数は激減しているのに農協の規模はまったく縮小していないことに恐ろしさを感じる。

 最後に現代文明の問題点について忌憚のない意見を交換する。それは観念的なことではなく、ごく身近なことでの違和感からも垣間見えているものなのだが、普段気が付いていない人が多い。

 政治は観念的なものである。だが観念的なものだけに終始してはそれは空論で世の中は廻っていかない。余りにも観念的な集団だった民主党の、具体的な数字を旗印にしたマニフェストにうっかり乗せられた今の日本の惨状を思う。具体的な数字は実は絵に描いた餅だった。
 だから具体的なことを掲げて具体的に行動して結果を出している第三局と云われる人たちに期待が向くのは当然だろう。

「清末見聞録(清国文明記より)」・長沙紀行・天心閣

 小華兄に伴われ、先ず天心閣に上る。閣は湘城東南隅の城壁上にあり、長沙の全景を足もとに望み、西は湘江を隔てて嶽麓に向かい合う。まさにこれ、
  山翠万重当檻出、水光千里抱城来、
の好景である。
閣上に扁額があり、題して楚天一覧という。句は味気ないけれどもけだし実景である。閣中の対聯に曰く
  四面雲山都到眼、万家煙火最関心、
と。(ここで都は全て、の意味)
方伯(周の時代の諸侯)がもし真にこれを心とすれば、天下が何で治まらないなどと憂えることがあろうか。

2012年7月23日 (月)

責任者は誰だ

 原発の安全調査を震災の直前に行い、その中で東北地方では大型の地震と津波が一定の周期で起きていることが報告されていた事実が明らかになった。それに対して、そのような報告では繰り返し危機的な地震が起こっていると誤解されるからその記述を削除するように指示がだされ、最終報告から削られた。

 一定の周期で大型の地震と津波が起こっていたことは科学的に確認された事実である。それを無かったことにせよ、と指示したのは誰なのか。このような非科学的な人間は責任ある立場に立つ資格がない。その姓名を明らかにしてその責任を問うべきである。

 まさかと思うが、いまだにその人間は現在の原発の安全対策に関わる立場にのうのうと居残っているようなことは無いと思いたいが(多分間違いなく重要な立場に今もいるであろう)。

 これが今の日本の実態だ。鳩山由紀夫はそこら中にいる。 

 細野大臣はこれを教訓に・・・などと空しい言葉を語っている。責任がなければ教訓など存在しない。この人の美辞麗句にもうんざりだ。

旅心

一人で暮らして何日も、誰とも口をきかなくても寂しくなんか無い。

 そして寂しいから旅に出る。

 初めて見る景色、初めて出会う人が輝いて見える。生きている実感をささやかに思い出す。

 夜中に峠を越える。真っ暗な道を車で走りながら本当にひとりぼっちだ、とうれしくなったりする。もちろん強がりだ。車を停めてスイッチを切れば、アヤメも分かたぬ闇と静寂が迫る。静寂の音がする。上下左右もまったく見えない。まっすぐ立っているかどうかも分からない。息が止まるような気がしてどきどきする。
 
  そんなときに生きている、自分は今ここに居る、と云うことを確認する。

 胸元に暖かい息を受け、髪の香りを嗅ぎながら眠る夢を振り捨てて馬鹿男は旅を思う。

目標は北海道とシルクロード

 昨年兄貴分の人とフェリーで渡り、10日間ほど北海道を走り回った。堪能したとも言えるが、不完全燃焼だったとも言える。出来ればもうちょっと居たかった。その気持ちがふつふつとしてきたので八月の終わりから九月の前半くらいに再度行こうかどうか思案中である。

 もっと本気で昨年から考えているのはシルクロード旅行である。出来れば今年行きたいところだったが、体調は低調、父親の法事などもあり、あきらめた。シルクロードは子供達と一度敦煌周辺を主体に行ったことがある。行きたくて行った旅行だったのですばらしかったが、実は体調は最低だった。帯状疱疹を発症してよれよれなところもあったが、夢が叶った一週間だった。

 だから万全で行きたい。体重や体長について自分で条件を決めている。それを年内に達成すれば来春に行きたい。それを叶えるためにはもう一度復活しなければならない。がんばるぞ。ちょっと元気が出てきた。

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これは敦煌の鳴沙山というところで本当に自分で撮った写真です。

生レバー風こんにゃく

 スーパーで生レバー風こんにゃくを発見した。二種類売っていたのでやや高い方を購入。と云っても二百数十円というところ。早速ただいまビールと共に試食した。

 食感は本物にそっくり。魚醤とごま油を混ぜたものと白ごまが付属しているのでそれにつけて食べた。単純に香りのあるごま油(香りのないごま油もあるけど論外)と塩だけにつけて食べたらもう少し点数は高いかも知れない。

 本物の血の香りがないのは致し方ない。値段も合わせればまた購入しても良い食べ物として認定した。

池上彰著「知らないと恥をかく世界の大問題3」(角川SSC新書)

 まことに簡にして要、知らないで世相を論じると恥ずかしい事実をたくさん知ることが出来た。2012年がどういう年か、承知しているつもりだが、この本によって世界のバランスがいかに危うい中に置かれているか改めて教えられた。世界は日々大激変しているとも言えるが、今年の後半はその大激変の始まりの時かも知れない。
 よくよくニュースに注意して、その意味を考えて日々を楽しもう。

暑いのは苦手

 快適な気温の時期というのはまことに短い。特に暑いのは苦手だ。

 テレビがだんだんオリンピックモードになってきた。日本の選手の活躍は期待しているけれど、昔のように熱く応援するほどの気にならない。東京オリンピックの年・昭和39年は熱く応援した(古いなあ。当時中学二年生)。日本中が熱狂したと云っていい。メダルもたくさん取った。
 今回のロンドンは時差もあるから多分結果だけを見聞きするだけに終わりそうだ。これは私だけの変化なのだろうか。心の波立ちが少なくなった上に収まってしまうのも早くなった気がする。

 なんだか熱狂することよりも自然のわずかな変化や花の姿に心がしみじみと動かされる。身体が若いときのように軽快に動かなくなると共に激しいことに堪えられなくなったのだろうか。

 これから肩痛の治療(再診)に出かける。また半日仕事か。ちょっとテンションが下がっている。

映画「GAMER」2009年アメリカ映画

 監督・マーク・ネヴェルダイン、ブライアン・テイラー、出演・ジェラルド・バトラー、マイケル・C・ホール。
 近未来、「ソサエティ」というサイバー空間を生み出したケン・キャッスル(マイケル・C・ホール)は一夜にしてビル・ゲイツ以上の巨富を得た。人々はそのサイバー空間での疑似体験に淫するようになる。暴力や異常セックスも何らとがめられることなく体験できるのだ。
 
 さらに彼は「スレイヤー」というシステムを開発する。実際の人間をプレイヤーが操作して戦闘を行わせるのだ。人々は余りにもその戦闘がリアルであることに驚愕、大絶賛を博する。その戦闘を実際に行うのは死刑囚であり、30回クリアすると仮釈放が認められることになっている。人々はその戦闘が実際に行われていることにうすうす気が付いているが現実から目を背け、サイバー空間の上のこととごまかしている。

 「スレイヤー」のシステムには秘密があった。人の脳細胞を有機コンピューターに変質させてコントロールできるようにしたシステムだったのだ。「スレイヤー」の戦闘を勝ち抜き、もうすぐ30回をクリアしようというケーブル(ジェラルド・バトラー)はこのシステムに敵対する組織の助けで、自分を操るプレイヤーとコンタクト、意外な方法で管理された戦闘空間から脱出することに成功する。

 ケーブルは「スレイヤー」や「ソサエティ」のシステムを破壊して自分の妻子を取り戻そうとケン・キャッスルの要塞のような家へ向かうのだが、キャッスルには圧倒的な力があった・・・。

 サイバーパンクのサイケデリックな映像が激しく点滅する光とともに繰り返され、極めて短いシーンがたたみ込むように展開する。これはポケモンどころではない。

 アメリカ人の、欲望を解放したサイバー空間というものの想像力のお粗末さにちょっと軽蔑を感じてしまったが、これは物語だからこれが本当にアメリカ人の感性だと決めつけてはいけないとは思う(でもこんなものなのだろう)。

 ケーブル達の戦闘シーンがすさまじいほどリアル。人間の身体がばらばらになったり、砲弾で首から上が瞬時に四散するなどえげつないシーンが連続する。余り気持ちのいいものではない。しかもその戦闘には意味、というものが与えられていない。恐ろしいことだ。

「清末見聞録(清国文明記より)」・長沙紀行・ 洞庭を過ぐ

 舟は洞庭湖を過ぎていく。洞庭は禹貢(うこう・書経の篇の一つ、中国を九つの州に分け、それぞれの地理や産物が記されている)に云う九江である。沅、漸、撫、辰、漵(じょ)、酉、澧(れい)、資、湘の九水、これが全て洞庭湖に注ぐことからこの名がある。また五渚(ごしょ)と云う。沅、澧、資、湘の四水が南から入り、荊江が北から合流して洞庭湖で湖となっていることから名付けられている。また、三湖とも云う。洞庭湖の南に青草湖(せいそうこ)があり、周囲二百六十里、冬から春には水が落ちて草が生える。洞庭の西には赤沙湖がある。周囲百七十里、水が涸れればただ赤い砂が砂漠のように広がった景色となる。夏と秋の頃に氾濫すれば洞庭、青草、赤沙の三つの湖が合わさって一つとなる。故に三湖と云い、あるいは重湖とも云う。また、別に巴邱湖、雲夢(うんぼう)等の名もあり、広袤(こうぼう・広さのこと)七百里、まことに乾坤を浮かべて狭いと感じさせない。
 すでに舟はようやく湘江に入った。霊均(人名・屈原の字)が沙を懐いた(べきら)の辺り、孤雁が鳴きながら雲に入る。午後二時湘陰を過ぎれば、水の色は碧落(あおぞら)のようになり、両岸の煙樹茅屋、ぼんやり見ていると祖国の景色のようだ。十月三十一日午後六時半、長沙に到着し、直ちに轎(きょう・駕籠の一種)を飛ばして小西門を入り、宮村小華君を訪ねた。

2012年7月22日 (日)

NHK時代劇ドラマ「慶次郎縁側日記2」第十話

 ついに第二シリーズ最後の「祝言」 常蔵が死んで、おぶんは吹っ切れたように明るく振る舞うようになった。皐月は辰吉とおぶんに祝言を挙げさせてあげたいのだが、晃之助にはまだわだかまりが残っている。悩む晃之助と皐月に相談された慶次郎はおまえ達の問題だ、と冷たく突き放す。晃之助は慶次郎に「父上は常蔵にどのような引導の渡し方をしたか存じませんが、私には常蔵が死んだからと云ってその恨みを忘れることなど出来ません」と迫る。
 晃之介は仕事が終わっても毎日そのまま家に帰る気にならず、町をさまよう。その中でまむしの吉次に心の内を鋭く見抜かれ、自らの姿に気が付く。そして皐月に自らの素直な気持ちを吐露することで癒やされるのであった。
 そんなさなか、おぶんが自ら根岸の慶次郎のところを訪ねるという。居並ぶ慶次郎、左七、晃之助、皐月、おしづ達を前に、おぶんは「辰吉さんと祝言を挙げることを許してください」と頭を下げる。そして子供の時から自分と父親とのことでいつでも謝り続けてきたこと、自分が幸せになってはいけないと思ってきたこと、それが皐月に、あなたのおかげで自分は幸せになったと云われ、自分も幸せになっていい、と励まされたことなどを訥々と語る。
 今は晃之助も祝言を挙げることを快諾、そしてまもなく辰吉とおぶんの祝言がささやかに行われる。
 
 祝言のあと、花ごろもに寄った慶次郎は、お登世に「長いことご苦労様でした」と一人娘の三千代の死以来の心の葛藤の苦労をねぎらわれ、思わずお登世の胸で涙を流す。人が生きる中で堪えてきたものが涙と共に洗い流される静かな癒やしのひとときであった。
 いいエンディングでありました。
改めて主要登場人物の配役
 慶次郎・高橋英樹、晃之助・比留間由哲、三千代・岡本綾、皐月・安達祐実、左七・石橋蓮司、お登世・かたせ梨乃、吉次・奥田瑛二、辰吉・遠藤憲一、おしづ・梅沢昌代、常蔵・若松武史、おぶん・邑野みあ。

NHK時代劇ドラマ「慶次郎縁側日記2」第九話

 「花の下にて」 おぶんは辰吉と暮らし始める。歳が二回り以上違う二人だが、今はお互いがかけがえのない存在となっていた。
 常蔵(この男により、慶次郎の一人娘であり、晃之介の許嫁の三千代は自害することになった)の娘であることをいつも引け目に生きてきたおぶんにとって今の幸せに戸惑いがあり、不安でもあった。そのおぶんに対し、皐月は自分が幸せになりたいと思う心を恥じてはならない、と励ます。しかし慶次郎も晃之助もおぶんを見ると三千代を思い出してしまい、おぶんの幸せを祝福することが出来ない。さらに晃之助は難しい事件を抱えて対処に苦しんでいた。
 その常蔵は藤沢の蚕小屋で病床にあった。
 慶次郎は自分の迷いを断ち切るために辰吉を連れて常蔵を訪ねる決心をする。再び常蔵を前にして慶次郎の憎悪は燃え上がる。その慶次郎に対して常蔵はありったけの憎まれ口をきき、あざ笑う。「旦那の殺してやる、てえ言葉をまた聞かしてくれ。それを聞くと生きてやる、ていう気になるから」。思わず胸ぐらをつかむ慶次郎に対し、常蔵は慶次郎の手を取り、自分の首にかけさせて目を瞑る。慶次郎が手に力を入れようとしたその時・・・。


 救いようのない悪人もまた生きている。その悪人の因果で人の関わりが生ずることもある。そのことが強烈に伝わってきた。

NHK時代劇ドラマ「慶次郎縁側日記2」第八話

「昔の女」 手先の辰吉には昔面倒を見ていた女おもん(島崎和歌子)がいた。その後おたか・国分佐智子という女と出会い、おもんとは別れておたかと夫婦になった。二人は仲むつまじく暮らしていたが、とうの昔に縁の切れていたはずのおたかの前夫がおたかにつきまとう。おたかの幸せが許せないのだ。ついにおたかは前夫の手にかかり殺されてしまう。半狂乱になった辰吉はその男を追い続け、殺そうとするのだが、それを止めたのが慶次郎であった。20年前の話である。
 その辰吉のもとにおもんが出入りするようになる。辰吉にとっては迷惑なのだが、おもんは異常に嫉妬深い今の亭主・千助から逃れるために辰吉を頼るしかないのだ。それにおもんは昔も今も変わらず辰吉を思い続けていた。辰吉を慕うおぶんはおもんの出入りを悲しく思うが、どうすることも出来ない。
 そんなさなかにおもんが住み込みで働いている家の主人が殺害される事件が起こる。しかも現場から立ち去るおもんと辰吉を見た目撃者まで現れるのだが、辰吉はおもんと共に行方をくらまし、真相が分からない。
 晃之助達の必死の探索で辰吉はおもんを連れて鎌倉の駆け込み寺(東慶寺)へ向かっていることが判明する。その辰吉を下手人として北町奉行所が追った。晃之助は南町である。もし手先の辰吉が下手人として捕縛されるとその責任が問われることになる。慶次郎は自分が辰吉を追う、と言い張り、旅立つ。おぶんも無理矢理その慶次郎に同行する。
 おもんの歩みは遅く、辰吉がせかしてもなかなかはかが行かない。そうこうしているうちに北町の一行に追いつかれてしまう。あわやのところで一行をやり過ごして一息つく辰吉とおもんなのだがそこに千助が刃物を持って襲いかかってくる・・・。
 事件はどう解決するのか。そして殺人事件の真犯人は・・・。

 島崎和歌子の意外な名演技に、女の哀しさと恐ろしさが迫ってくる。

NHK時代劇ドラマ「慶次郎縁側日記2」第七話

「当たりくじ」 左七が楽しみにしている富くじの当たりを確かめに慶次郎は頼まれて谷中の寺に行く。寺で富み突きが行われているのだ。当たりくじが読み上げられるその中で浪人風の男が突然倒れる。慶次郎は慌てて助け起こすが、悲鳴と共にその男にすがったのは慶次郎もよく知る花ごろもの女中・お秋だった。慶次郎はお秋と共にその浪人・小野崎源三郎・佐野史郎を長屋に担ぎ込んだ。
 源三郎は不始末で藩を追われた浪人である。富くじだけが生きがいで、内職による稼ぎを食べるものも食べずに富くじに当てていた。慶次郎が呼んだ医者の見立てではかなり衰弱しており、このままの生活では余命も限られる状態だという。そんな源三郎にお秋は入れ込んで花ごろもの食材をくすねてまで源三郎の元へ通う。花ごろもの女将、お登世は仕事に身の入らないお秋を叱責し、なぜあんな何の取り柄もない浪人に入れ込むのか、と問い詰める。
 貧しく、病で明日をも知れぬ身でありながら富くじの当たりの読み上げの前の一瞬の興奮に、生きている実感をスパークさせている源三郎だが、その源三郎と一緒に居ることに心からの幸福感を覚えるお秋の不思議な関係を慶次郎は陰ながら見守っている。
 やがて慶次郎のもとに源三郎と覚しき侍を探すような依頼が持ち込まれる。藩を追われた源三郎の嫌疑が全て晴れたので帰参が叶うのだという。慶次郎はそれを源三郎に伝えるのだが、源三郎は今の方が幸せであるから、とそれを拒否する。慶次郎は源三郎は見つからない、と依頼人の老人(なんとあの大木実・久しぶり)に回答する。
 その歳最後の富くじ突きを源三郎はお秋と慶次郎に抱えられるようにして見に行く。至福の時が過ぎ、やがて源三郎は息を引き取る。源三郎の遺髪を老人に渡し、お秋は花ごろもに帰って行く。
 花ごろもはお秋が抜けていたために客あしらいなどにほころびが出始めていたが、お登世はお秋をはじめとした使用人達がいてこその花ごろもであることを改めて実感し、それを皆に云うことでお秋を温かく迎える。そして人の幸せの意味をお秋に教えられた思いがする。それは自分と慶次郎の間に吹き始めたすきま風を埋める新しい思いでもあった。

 しまった。最後までストーリーを書いてしまった。止めようがなかった。

伊東恭彦著「さもしい人間」(新潮新書)

 副題は「正義を探す哲学」。著者は現代政治哲学教授。

 ずいぶん前から世の中に「さもしい」人々を見るようになったと思っていた。さもしい人はいつの世にもいる。しかしさもしい、と人に思われるほど人間として恥ずかしいことはないという美意識があった。だから以前のさもしい人は、自分がさもしい、などと自覚していない人で、自覚したらそんなことはしなかった。

 今はさもしいことを恥じるという美意識を失いつつある時代だろうか。

 そんな風に感じていたところにこの本に出会ったのでさもしいという意識の基準点が変わりつつあるのか、それはなぜでどうなっていくのかと云うことが書いているのではないかと期待したのだ。

 読み進むうちに著者の「さもしい」という言葉の認識と私のものが少し違うことに気が付いた。このずれは現状認識についても、とても似ているようで実はずいぶん違うものとなる。つまり世界の見え方がいささか違うのだ。

 この本を読んで共感を覚え、著者の提案に賛同する人は多いだろう。それだけ説得力もあると思う。だが私は著者のような考え方では世の中は変わらないと思う。ちょっときついことを云えば畳の上の水練、机上の空論にしか見えない。民主党のマニフェストみたいなものである。これでは私は具体的にどうすればいいかが分からない。

 世の中の問題点を指摘し、正義について論じ、こうであるべきであると繰り返し述べられているが、政治家でもないし大会社の経営者でもない私たちはこうであるべきだと云う意見に共感はしてもそれを変革する力は無い。

 政治哲学を囓ったことがないので批判する資格はないが、社会科学的手法で世界を把握して論じる学問というのはそもそも空論ではないのか、と今更ながらに感じさせられた。

「清末見聞録(清国文明記より)」・長沙紀行・ 君山

 君山(くんざん)は湘山または洞庭山と云う。昔舜が南巡して蒼梧の野に到って死んだ時、娥皇女英(がこうじょえい)はそのあとを追おうとしたがそこまで行く前にここで死んだ。君山はすなわちその神を祀るところで、「山海教(せんがいきょう)」に洞庭之山、帝之二女居之とあるのはこの君山のことである。湘君在時(湘君いますとき)夫を懐(おも)う涙は竹に洒(そそ)ぎ染(し)みて斑となる。これを湘妃竹(しょうひちく)と称し、その竹は今も湘江の辺りに生えているという。その神話はすでに「楚辞」にも見ることができる。「史記」にもまた、秦始皇二十八年、始皇帝が南游し、江に船を浮かべて湘山に到ったときに大風に遭った。そこで「湘君は何の神だ」と質問した。博士が答えて云うことには「尭の娘で舜の妃である」と。始皇帝は怒ってその山を赭(赤い色のことだが、草木を切ってはげ山にすることも云う、この場合ははげ山にした)にした。この山はまた一名酒香山という。伝えられるところによれば山に仙酒があり、その故に名付けられたという。漢の武帝がかつて使いを出してこれを求めたが、東方朔がこれを盗み飲んだという。今も春時には山中に往々酒の香りがするという。君山は始皇帝が木を伐り尽くさせたと云うけれど、今もなお樹木が鬱蒼として、翠黛(すいたい・緑色の黛で美人の形容、から発して、緑が深く茂った山に、もやがかかっている様子)が美しい。湖上から君山を望見したものはこのような神話の生ずるのも偶然ではないのを知るであろう。

2012年7月21日 (土)

中国ウオッチ・アンケート続報

 尖閣問題についての環球時報のアンケートの続報。
 アンケートは10日間に1万人の回答を受けるかたちで実施された。尖閣問題については78%が日本が優勢な状況であると解答したという。そして日本側の本気度(尖閣を死守する意志のことか)については61.4%が本気だと思うと答えている。
 その上で、中国側は今の「外交的抗議」を越えた実質的な行動を起こすべきか、と云う質問に対しては93.2%がそうすべきだと答え、軍事的に解決すべきか、と云う質問には70.9%がそうすべきと答えたという。
 この1万人が、尖閣問題に積極的に発言したい人を選んでものなのか、無作為抽出なのかは分からない。しかし新聞はこれを中国全体の国民の意向として煽る可能性が大きい。

 中国側がオリンピックのさなかにどさくさ紛れの行動を起こしたりしないことを願うが、何となくかなりの確率で強硬手段に出るような気がしてならない。

中国ウオッチ・軍事行動支持

 昨日の読売新聞に、台湾と中国の新聞のアンケート結果が報道されていた。
 中国は環球時報、台湾は中国時報が共同で行ったアンケートで、「尖閣問題について軍事行使を含む各種手段を含む主権保持の行動を支持しますか」という質問に「支持する」と答えた中国人は90.8%、台湾人は41.2%であった。ちなみに「支持しない」と答えた人は中国で5.2%、台湾で31.6%であった。

 そもそもこのアンケート調査がどのようなかたちで行われたのかはなはだ疑問だが、台湾はともかく中国では90%以上の人間が尖閣諸島に対して強硬手段を行うことが正しいことだと信じていることになる。環球時報はそれを書き立てるであろうし、それが世論となって中国政府の尻を強く押すことになることは間違いない。

 かなり危険水域に近づいているというか、すでにその線を越えたともいえる。この世論に押されて中国は尖閣諸島への強行突破、強行上陸を画策していることが予想される。このようなとき国際世論はもちろん日本支持をすると信じたいが、既成事実の強さは国際世論よりも強いことは歴史が証明している。中国が強硬手段を講じないためにも対応強化が急務だと感じたが、今の民主党政権にその感性があるだろうか。

 日本が戦争に突き進んだとき、政府に開戦を踏み切らせたのは世論の強い支持であった。

NHK時代劇ドラマ「慶次郎縁側日記2」4~6話

第四話「佐七の笛」
酒屋(酒の卸問屋で大店の山口屋)の寮に寮番という名目で隠居生活をしている慶次郎は飯炊きの佐七と暮らしている。佐七は偏屈で口数の少ない初老の男である。第一シリーズでは慶次郎と佐七がお互いの考え方や生活パターンの違いからことごとく対立していた。しかし佐七は一人娘の三千代を失った慶次郎の深い悲しみを誰よりも理解していた。そして佐七の偏屈さの中に毅然とした生き方の筋を見た慶次郎はいつしか言い争いを楽しむようになっていた。今の二人は長年連れ添った老夫婦のようにお互いがかけがえのない存在になっていた。
 その佐七が月々の生活費を山口屋から受け取って帰る道すがら、ならず者に襲われて金を奪われそうになる。それを助けてくれたのがなんと少年の頃苦労を共にした親友の半次・高橋長英であった。半次は挫折して行方知らずとなり、数十年ぶりの出会いであった。
 これを縁に佐七の頼みも有り、慶次郎は半次を山口屋に雇うよう依頼する。快く引き受けて貰い、佐七と半次の交友が再び始まった。昔、佐七は笛作りの職人を目指し、半次は一流の笛吹きを目指していた。最初に佐七がつくった笛を半次は大事に持ち歩いていた。長年の間に傷んだその笛を佐七は懸命に修繕する。そのために慶次郎の食事もおろそかになるが、苦笑いしてそれを見守る。ところが山口屋で酒の不正な横流しが行われているという情報が入る。疑われる半次に対して佐七がどういう行動を取ったのか、そして慶次郎は・・・。
 左七と慶次郎の絆の深さに心がうたれる。

第五話「親心」
 慶次郎のあとを継いでいる晃之介とその嫁である皐月の家庭を切り盛りしているのはおしづ・梅沢昌代という女中である。おしづは夫と乳飲み子を病で失い、そのまま皐月の乳母として皐月の実家で雇われた女で、皐月が生まれてからほとんど母親同様に育て、しつけてきた。だから皐月にとっては、おしづは女中というより身内である。そのことは出入りしているお手先の連中も他の身内ももちろん良く承知している。
 皐月は娘が生まれてから余りに多忙となっているおしづを見かねて若い娘を雇い、「これからはゆっくり休んで欲しい、どこへでも行っていいよ」と声をかける。これはおしづにとって大きく傷つく言葉だったのだが皐月はそれに気が付かない。
 そのおしづにはただ一人の身寄りとして妹のお稻・秋本奈緒美がいる。そのお稻は亭主に先立たれて、残された娘を連れて腕利きの大工と再婚していた。その大工には浜吉という男の子がいるが、ことある毎に連れ子の娘をいじめるし、お稻にはことごとく反抗する。そして近頃は万引きを繰り返すようになって困り果てていた。ついにその浜吉の心をつなぎ止めようとお稻までその万引きの手助けをするに到り、ついに自身番に捕まる事態となる。
 浜吉は慶次郎が預かり、左七と人の道を説くのだがまったく聞く耳を持たない。だがその心の内を二人は何となく察することが出来るようになってくる。娘は皐月が預かっている。
 ある日浜吉は寮から脱走、再び万引きをしようとするのだがその場を手持ちぶさたで町中をぶらついていたおしづが見つけて自分が万引きした、と云って罪をかぶる。そこへ駆けつけるお稻、慶次郎達が見たものは、そして浜吉は・・・。

第六話「再開」
 まむしの吉次には自分を裏切って逃げた女房・石田えりがいる。残忍酷薄な面と、情にもろい面を併せ持つ吉次が、自分を裏切った女房に様々な仕打ちをするのだが、この女房もしたたかでその仕打ちを逆手にとって・・・と云う話。奥田瑛二と石田えりの対決みたいな物語だが、この回だけ一度見ていたので途中でうつらうつらしてしまい、じっくり見なかった。
 吉次の二面性というのは、実は人間誰でもそうなのだろうと思う。それが極端なのが吉次で、人は自分自身のいやな面を見たような気がして反って人は反発するのかも知れない。それを見抜いているのは慶次郎だけであり、それが吉次が慶次郎を慕っている理由でもある。もちろん慕っているそぶりなど吉次は見せないが。吉次はとても魅力的なキャラクターである。

「清末見聞録(清国文明記より)」・長沙紀行・岳陽楼

 翌早朝煙霧の中、岳陽楼の下を通り過ぎた。楼は岳州府の西門楼で、楼の曲欄は洞庭湖の際に臨み建ち、その嘱望は皓々蕩々としてさえぎるものがない。唐の張説がかつて巴陵の守であったとき常に才人と相携えて楼上に登って詩を賦して以来その名は天下に知られている。宋の范仲淹(はんちゅうえん)の「岳陽楼記」についてはこれを知らない人などいないであろう。今、波の向こうに見える岳陽城の上に立って、乾坤(天地、昼と夜)日夜浮かぶ大観を展望することがかなわないことを恨めしく思い、愛吟の詩を誦して楼に対面する。すでに霧は晴れた。はるかに西南を望めば、煙波渺茫として天と水の境目も定かでなく、扁山(へんざん)は近くに浮かぶように見え、君山は遠くで眠るかのように見える。

*有名な(大好きな)杜甫の詩(著者はこの詩を意識している)
  

 「岳陽楼に登る」

 
   昔聞く 洞庭の水
   今上る 岳陽楼
   呉楚 東南に坼(さ)け
   乾坤 日夜浮かぶ
   親朋(しんぽう) 一字無く
   老病(ろうへい) 孤舟有り
   戎馬 関山の北
   軒に憑(よ)って 涕洒(ていし)流る 

(訳)
かねてから洞庭湖の大観を耳にして、機会があればと思っていたが、
今やっと願いが叶って岳陽楼に上る
古の呉と楚の国はこの洞庭湖によって東と南に分けられ、
天地のあらゆる事象は日夜この湖に影を映している
(我が身を顧みれば)親類や友人からの手紙も途絶えて
老いた病身を託すのはただこの舟だけである
故郷(長安)の北の辺りでは戦乱がやまず、
(あれこれを思って)楼上の手すりに寄りかかれば止めどなく涙が流れてくるばかりである

2012年7月20日 (金)

ストライキ

 ロンドンの入国審査官などが作る労働組合は、政府が進める人員削減などに抗議するため、オリンピック開幕前日の26日にストライキを行う予定を明らかにした。実施されればヒースロー空港などでは激しい混雑が予想される。

 ストライキとしては最も相手(イギリス政府)に与える打撃が大きいタイミングであることは間違いない。

 だがオリンピックを楽しみにイギリスへ降り立った多くの人々が、そのストライキに対して抱くであろう苛立ちが、熱い揺らめきのように立ち上る姿が見えるような気がする。

葉室麟著「千鳥舞う」(徳間書店)

 博多の女絵師・春香(春香は絵師としての名、本名は里緒)は江戸から来た妻子持ちの狩野派の絵師・杉岡外記と不義密通のかどにより、外記は江戸へ追放の上破門、春香も師の春崖から破門されていた。

 その事件から三年後、師の春崖の紹介で博多の豪商、亀屋籐兵衛の絵の依頼を受ける。博多八景を屏風絵にして欲しいというのだ。これは事実上、破門が許されたことでもあり、久しぶりに絵が描けることでもある。そして彼女にはこのとき希望があった。外記は江戸へ追放されるとき、江戸の妻女と別れて三年修行し直したあとに春香を迎えに来る、と約束してくれていたのだ。

 この物語は博多八景とその前後の情景の二景を加えて合計十景が言葉で描かれている。もちろん第一景は最初の外記と春香の出会いと別れである。二人が絵を描くことで心を通わせていく姿が、描かれた千鳥の絵の表現の中に切なく表されている。

 こうして博多八景の地を訪ね、そこで関わった人たちとの交流や聞かされた物語から絵が描かれていくと同時に物語も進展していく。

 最後の情景は戻る人と送られていく人との交錯の中に人の歓びと希望を見いだしていくことで絵が完成する。

 物語を読み進むうちに不覚にも涙が出てしまうことが何回かあった。歳のせいで涙もろくなっているのかも知れないが、感情が励起されるのは心地よい。特に「香椎暮雪」は涙なしに読むことは出来ない。

「清末見聞録(清国文明記より)」・長沙紀行・赤壁

 大江(揚子江)は南から西へ折れ、また北に流れて東に行きすぐにまた北に流れて一大湾曲をなしている。これを名付けてファーマーベントという。午後二時にこれを過ぎ、日はすでに廬荻の間に没して煙波蒼茫の中、赤壁の下に到る。甲板に立って灯火の明滅する辺りを凝視し続けると、暗中かすかに左岸に一帯の丘陵があるのが見える。その端は江に没している。断崖はおよそ百尺、これが周郎が曹操百万の軍を鏖殺したところである。今江漢の間に赤壁と称するものはおよそ五つある。漢陽、漢川、黄州、嘉魚及び江夏である。黄州は蘇東坡によってその名が著われたけれども、孟徳が周郎に苦しめられたのは嘉魚の西、すなわちここである。時に空はすでに真っ暗で江山の形勢を詳らかにすることは出来ない。崖の上に題せる赤壁の二大文字も望見することが出来ないことが恨めしいが、あくまで想像をたくましくして千年の昔を思えば、舷側に砕ける波濤の音は剣戟相撃ち、矢石が飛び交う響きかと思われ、百万の軍勢が眼前に髣髴するのを覚えた。

2012年7月19日 (木)

NHK時代劇ドラマ「慶次郎縁側日記2」1~3話

 仏の慶次郎と呼ばれた奉行所同心の森口慶次郎・高橋英樹が隠居して一年、あとを継いだ養子の晃之助・比留間由哲も一人前となり、その嫁の皐月・安達祐実も初産が近い頃、と云うところから第二シリーズが始まる。北原亞以子の同名の原作は今も続いている人気シリーズである。

 前回のシリーズはほとんど見たのだが、この第二シリーズは事情があってみることが出来なかった。衛星放送で再放送していたので収録していた。本日じっくりと第三話まで楽しんだ。

 登場人物には余りあざとい人物がおらず、心の優しい人ばかりなのだが、物語にはそれぞれの人が抱える深い傷が重くのしかかっている。
 慶次郎には一人娘の三千代・岡本綾がいた。五年前、その三千代と晃之助の祝言が近いある日、三千代は卑劣な男・常蔵の毒牙にかかり、その身を汚され、それを苦に自決してしまう。慶次郎は常蔵を追い詰め、切り捨てようとするのだが、晃之介とその手先の辰吉・遠藤憲一、そして常蔵の娘に止められる。

 第一話「雪の夜のあと」ではその後消息を絶っていた常蔵が再び現れる。常蔵は不思議な男で、女が勝手に寄ってきてしまうのだ。それを食い物にして厭きたら捨てる、と云う繰り返しなのだが、それを知らされても新しい女はその話を信じようとしない。今も二人の女が常蔵につきまとっている。常蔵とその娘おぶんの面倒を見ていたのは辰吉であった。それを不快に思う慶次郎は辰吉に「裏切り者」とつぶやく。五年前と同様再び常蔵をめぐって二人の女と娘のおぶんによる修羅場が展開、再び女が一人死ぬ。慶次郎は・・・。

 第二話・「正直者」 皐月が無事女の子を出産する。その前後から晃之介が異常な潔癖ぶりを示す。常蔵の始末に関しての精神的なわだかまりか、と慶次郎は考えるのだが、皐月は他に何か訳があると思うという。その頃晃之助は賭場の使い走りをしている直太・浅利陽介を常につけ回し気にしていることに慶次郎は気づく。その直太は慶次郎のことも知っているようなのだが慶次郎には思い当たることがない。晃之介から直太の以前の素性と慶次郎との関わりを聞かされて愕然とする。自分のかけた優しい言葉がかえって若者を傷つけたかも知れないと知らされたのだ。その直太が賭場のならず者達に亡き者にされようとする。旗本屋敷での賭場開帳の事実を知る直太の口封じをしようとしたのだ。直太の様子をうかがっていた慶次郎と晃之介によって直太は救い出される。晃之介は諄々と直太を諭す。その言葉は合わせて慶次郎に聞かせる言葉であるし、同時に晃之助自身への言葉でもあった。そのあと晃之助の潔癖さは治まる。

第三話「逢魔が時」 慶次郎は、普段は酒屋の寮(慶次郎に恩義を感じている酒屋が隠居所として提供している)に飯炊きの佐七・石橋蓮司と暮らしているが、ときどき上野・不忍池の池之端の料亭・花ごろもを訪ねる。女将のお登世・かたせ梨乃と深い仲なのだ。だが何となくお互いを思いやりすぎてその仲もしっくりしなくなっている。そんなとき逢魔が時に不思議な女・お俊(しゅん)・古手川祐子が料亭の客として現れる。その頃あちこちのお店で高額の品物が万引きされるという事件が続く。その女が現れるのは決まって逢魔が時であると云い、そのなりは大店の女将のものであることだけが分かっている。漏れ聞く話からお登世はその女こそお俊であることに気が付く。そしてお登世は全て承知した上で自分の料亭に席を設け、慶次郎の寮の主・酒屋の山口屋の主人と慶次郎、お俊、そして佐七を招いて料亭の力の限りの料理でもてなす。佐七は同席せず、調理場で同じ料理を食べ、自分の気持ちをお登世に伝える。お登世はお俊に揺らされた自分の心を取り戻す。そして再びお登世とお俊が対峙することになるのだが・・・。

 どの話も人の気持ちの深さがしみじみと感じられてとても良い。手先の辰吉役の遠藤憲一、飯炊きの佐七役の石橋蓮司、取り上げなかったが同じく手先のまむしの吉次役の奥田瑛二がすばらしいのだ。またナレーションが皐月役の安達祐実でこれがまたかわいくてとても良い。こんなにいい娘と思わなかった。第二シリーズは全部で十話あるのでまだまだ楽しめるぞ。

中国ウオッチ・借地権

 尖閣諸島は個人の所有だが、その借地権は日本国にある。毎年国は所有者に地代を支払う代わりに島の土地を管理する権利を維持しているので、島への上陸は日本国が禁止する権利も保有しているというわけである。

 中国の国土は全て国家が保有しており、個人保有の土地は存在しない。企業や個人は、国から土地を借りる権利を購入し、見かけ上その土地を所有している。確か最大五十年くらいの権利まで認められているはずだ。だから国の都合で突然土地が収用される事態も起こる。立ち退きも強制的だ。

 このたび反日団体の会長が中国政府に尖閣諸島の借地権の購入を申請した。尖閣諸島をリゾート地として開発し、中国人をどんどん観光で呼び寄せたいそうだ。中国政府は尖閣諸島は中国領土として主張しているのであるからその土地を借りることは可能であり、それに基づいて開発を名目に上陸しようというのである。

 このような確信犯的輩が次々に出てくるだろう。中国政府はまだこの会長に回答していないそうだ。

中国ウオッチ・中国漁船が他国領海で魚を獲る理由

 中国のネットでこの表題の質問に対して寄せられた回答。
「人が多すぎるから魚が足らない」
「中国領海内では取り尽くしたので魚が獲れない」
「中国近海は汚染がひどく、魚も小さくておいしくないから獲りにいく」
などというものが寄せられた。

 唖然とする話ではないか。昨日ロシアで中国漁船が拿捕された件に関連して、中国漁船にはそもそも領海というものについての正しい認識が無いのではないか、と冗談を書いたのだが、なんと中国人自身が領海というものについての認識がないことが明らかにされている。

 中でも傑作なのは「他国に拿捕させることで中国人に怒りを呼び覚まし、中国人の愛国心をあおっているのだ」というのがあったが、待てよ、これは真実かも知れないと背筋が寒くなった。

 ところでロシアに拿捕された二隻の漁船について、当局関係者が「韓国や日本との操業トラブルは数多くあったが、ロシアとのトラブルは珍しい。これはそれだけ中国の沿海の汚染や過剰操業による国内漁場の資源量の減少が深刻であることを表している」と述べたそうである。
 
 そのまま聞くとなるほどその通りなのだが、ネットのコメントを知った上で聞いていると「だから領海侵犯するのには理由があるから仕方が無いのだ」と聞こえる。さすがに「造反有理」の国である。

中国ウオッチ・緑化のはずがたきつけに

 安徽省合肥市ではダムの周辺環境整備事業として、ベトナム産の百日紅(さるすべり)の大木を植樹する計画を立てた。予定では250本を移植することになっており、第一陣として昨年11月に98本を輸入し、植樹した。ところがこの7月には全て枯死、現地住民が枯れた枝などをたきつけ用に持ち帰っているという。

 この百日紅はベトナムの原生林から採取されたもので、長距離輸送によるダメージと気象条件の違いはもちろん、植樹後の手入れの不手際が大きく、全てが枯死したものとみられる。

 緑化のつもりが何のことはない、森林破壊をしているようなものである。百日紅の大木はどれほどの年数をかけてそこまで大きくなったのだろう。異郷の地での死は無念であったろう。

 しかし98本全てが枯死するというのはなんとずさんな管理であったことか。一度で全てが枯死したなどと云うことはあり得ないから次々に枯れていくのを放置していたのだろうか。百日紅は日本でも普通に見られる樹であり、そんなに簡単に枯死するとも思えない。

 観念だけの緑化、それを商売にしている団体(江蘇八達園林公司・「一夜にして緑化」がキャッチフレーズの会社だそうだ)に委嘱してそのままやりっ放しの自治体という図式はなにやら今までにも見てきたように思える。今回の事業では百日紅一本48万元(約600万円)が支払われている。98本ではなんと約5億8800万円である。計画の残りの152本はどうするのだろう。日本だったら予算を立てたのだからと引き続き強行するだろうが、中国ではどうするのだろう。

中国ウオッチ・言論統制の始まり?

 香港メディアが報じたところによると上海などで各新聞社の社長や幹部、編集長などがあいついて更迭されているという。これについては中国メディアの一部にもそのことを伝えているものがある。

 更迭されているのは中国の現状批判となるような記事を掲載していたり、民主化の意見を述べる学者のインタビュー記事を載せたところなどであり、観測では今年の共産党幹部の大幅入れ替えに向けて言論統制を強化しようとする動きの一環ではないかと云う。

 中国は独裁国家であることを改めて中国人に思い出させる事態になりつつある。身の危険を感じて現状批判はなりを潜めることになり、唯一のはけ口として尖閣や南シナ海などの問題などばかりが盛り上がることになるであろう。

 だが経済停滞が起これば現状批判の不満のエネルギーは潜在化したかたちで高まることになる。いつまでも右肩上がりが続く経済などはあり得ない。

「清末見聞録(清国文明記より)」・長沙紀行・筏師

 船から筏を見た。筏の広さは十余間、長さは一町におよび、上には家屋を数軒載せ、犬を飼い、蔬菜を植えている。まったく陸峰翁が「入蜀記」中に書いてある通りである。この木材は三帮五郷(さんほうごごう)の事業である。三帮は江西、安徽、山西を云い、五郷は黔陽(きんよう)、沅陵、芷江(しこう)、徳山、及び貴州天杭(てんこう)を云う。この三帮五郷の材木商は秋冬に山林に斧を入れ、春夏の頃増水と共に木材を河中に下ろし、筏にして流れに随って下る。昔は常時筏が江に浮かんでいたが、汽船の往来が盛んになり、衝突などの事故が起こらないように毎月三、六、九の日に限って筏を下らせるという規定を設けたのだという。今は時期が遅く、多くの筏はすでに河を下ってしまい、残り少ないようである。ただ波にまかせて居ながらにして江上の風月をもてあそぶという筏師の人生もまた快適なものかも知れない。

2012年7月18日 (水)

中国ウオッチ・ロシアでも密漁

 今月15日と16日に相次いで中国漁船がロシアの警備艇に拿捕された。日本海のロシアの排他的経済水域で違法操業をしていたためである。16日に拿捕された漁船は警備艇の停戦命令を無視して逃走を図り、三時間の逃走の際に警告射撃を受けてついに拿捕された。その際に中国漁船員が船から転落して行方不明という情報が流れたが、全員無事であることが確認された。拿捕の際に抵抗したようだがロシア兵に取り押さえられたという。

 どうも中国漁船は領海というものがあることを認識していないようだ。中国政府は漁業者に改めて領海についてレクチャーする必要があるのだが、東シナ海、南シナ海、尖閣諸島で領海無視の行動を強行しているために領海を正しく認識させるのは都合が悪いと思っているようだ。中国にとっては領海も国境も相手と関係なしに自分で決めるものだと思っているらしい。
 

釣果

 本日の釣果は木っ端グレ十枚、小鯛二枚。いつもよりサイズが小さい。お魚さんもこの暑さに食欲が落ちているようで、こませをすると寄っては来るのだが、えさを食べのに熱心さが見られない。
 炎暑の中の釣りは汗が噴き出すように出る。熱中症になってはいけないので水は十分用意していたが、日に焼けるのがかなわないので九時過ぎに切り上げた。

 帰りの車中で眠気を催したのでパーキングで一眠りした。ちょうどその間に事故渋滞だったらしいが、走り出したらほとんど解消していた。

 帰ったらまず小出刃を研ぐ。魚が小ぶりだから切れない包丁ではぐちゃぐちゃになってしまう。はらわたを全て処理したら二重三重にビニールで括って臭くないようにする。流しとまな板と包丁を洗剤で良く洗う。魚は濃い塩水で二度ほど洗ったらざるに盛り、ラップして冷蔵庫にしまう。クーラーをざっと洗ったら風呂に入る。風呂でさらに丁寧にクーラーを湯洗いして乾かす。着ていったものを洗濯しながら風呂で自分も洗う。気持ちいい。

 今湯上がりで冷たいものを一杯飲んだところ。
これからちょっと用事を済ませたら、魚を塩焼きにしながら酒盛りを開始する。お魚さん、おいしく食べてあげるから成仏してくださいね。

 

釣り

 本日はこれから三重まで釣りに行く。本日も木っ端グレ狙い。延べ竿で狙うつもりなので、台風の余波の風が心配だ。風が余り強ければアタリがとれないので釣りにならない。でも潮風と夏の強い陽光を浴びるだけでもいい。帰ったら報告します。わくわく。

葉室麟著「冬姫」(集英社)

 冬姫は織田信長の娘。織田信長にはたくさんの子供がいるが、冬姫はその中ではかわいがられた方であった。冬姫は母を知らずに育っている。形見に水晶の数珠が残されており、いつも冬姫はその数珠を首にかけている。後に母親が意外な人だったことが分かる。

 人は妄執にとらわれるとその人自身を失ってしまう。あたかもその人本来の人となりと、妄執にとらわれた人の二人が存在するようなことが起こる。これは激動の時代に生きた冬姫が、父・信長の理想を胸に、蒲生氏郷に嫁ぎ、その妄執の人に目の敵にされ、幾多の苦難に遭いながら夫氏郷や、もずと又造という忠実な付き人に護られて自分の生き方を貫いたその生涯の物語である。

 最後に出逢う妄執の人は茶々・淀君である。淀君により、自分の夫を失い、さらに激しい迫害に遭うが、その時冬姫を危難から救うのは織田信長に関わった女性達であった。淀君の妄執は秀吉を侵し、秀吉の朝鮮出兵や数々の奇矯な行動につながっていく。やがてその豊臣の時代も終焉し、蒲生家もついに徳川の時代に入って滅びるが、冬姫はそれを全て見届けたあと、七十六歳の生涯を閉じたという。

 容貌も心も美しい人、真摯に人と向き合う人、理想の女性が描かれている。

「清末見聞録(清国文明記より)」・長沙紀行・江に浮かぶ

 漢口に達した翌朝、先ず領事館に行って一抱えもある郵便や新聞を受け取り、また正金銀行に行って学生費を受けとっので乏しかった懐もようやく重くなった。たまたま日清汽船会社の沅江丸がその夜長沙に向けて出帆するというので、まだ漢陽、武昌を見ていないけれどもまず瀟湘に遊ぼう、と思い立ち、郵便新聞を携えて船に乗った。衡州府在留の宣教師のアメリカ人と同室となった。彼は、私が二ヶ月ぶりに親しい人たちの手紙に接して心からうれしい気持ちでいる様子を見て、私を祝福してくれた。
 夜は暗く、両岸はただ灯火が星のようにちらちら輝くのを見るのみである。ベッドに横になり、翌朝早くに目覚めれば、船は江を遡り、まさに大金山麓を過ぎるところである。この地の東には金口がある。都統の衙門の甍が江に臨んで見えている。秋はすでに深まり、ようやく減水期に入っているけれども水量はまだ豊富で、両岸の低地は所々水没していて、濁流は滔々と天を呑むようである。ああ誰が東海の島から来た私が川を数百里も遡っているなどと思うだろうか。雄絶、杜絶、まさに大江の名に背かないというべきか。

2012年7月17日 (火)

平等

 粋がって若いときは収入を全て飲んだり遊んだりして使い切っていた。親が見かねて仕送りをするようにいい、わずかずつ毎月渡すようにした。それで生活には何の違いも無い。その金で結婚することが出来た。

 そのあと入院するような病人を抱えることになり、かなり苦しかったが、入院していないときに必死でそれに備えたので人に頼ることなく何とか切り抜けた。

 あるときまとまって金が必要なことがあり、全く蓄えがない生活に今更気が付いて愕然とした。それから少しずつ毎月貯えるようにした。子供達の教育費などでびっくりするほど金はかかったものの人とのつきあいにみっともないことをすることもなく生活できたのは時代も良かったし、会社の健全な経営のおかげもあったと感謝している。

 病人を抱えておらずに、しかももっと最初から貯えていたら、と思わないこともないが、それでも60歳で勇退して人には優雅だと言われるほど好きなような暮らしが出来ているのは、ささやかな月々の貯金の積み重ねのおかげなのである。

バカな酒の飲み方もしたし、つきあいもそれなりに(積極的に)してきた。それでも当分は金銭的には人の世話になる必要は無い。

 普通に会社に勤め、定年まで大過なく過ごした人が定年後に生活に困ると云うことが信じられない。
 だが人の家庭はそれぞれずいぶん違う。毎日の食費が信じられないほど高い家庭がある。生活が苦しい、と云うとき、家庭によってずいぶん意味合いが違うようだ。一日の食費が数千円かかっている家庭と、二千円程度で収めている家庭では生活費が月々数万円違うだろう。

 常に新車を買い継ぎ、ディーラーの云うまま分不相応の車を転がしている人がいる。

 世の中はかなりつらい状況になりつつあることは連日のテレビや新聞を見ていれば分かることだ。それなのに職を失ったとたんに路頭に迷うなどと云うのが信じられない。それに備えていれば少なくとも半年くらいは持ちこたえられるはずだ。その間に覚悟も出来るし職も探せる。

 折角の収入を全て使いきって暮らした末に世の中に不平を漏らし、補助に頼ろうとする人がいる。つましく暮らして自力で凌ぐ人がいる。でも食べていけない人がいれば食べさせていかなければならない。これが世の中というもので、平等というものである。

 このように平等というものは不平等なものなのであって、仕方が無いのである。そしてそれをじっと堪えてカバーしている人がいる間は世の中は何とかなっていく。その人達に感謝しなければならない。こころからありがとう。

 貧しい人全てが弱者などではない。そして貧しいことは権利でもない。

中国ウオッチ・丹羽大使の処遇

 丹羽駐中国大使が日本に召喚されたことについて中国側も注目している。丹羽大使の、尖閣諸島を東京都が購入することに関しての発言は明らかに日本国政府の立場とは違うことを述べていたのであるから日本国民のみならず、中国人も当然今回の召喚で譴責または注意を受け、その上で更迭されるとみていた。大使の召還というのは本来相手の国に対する強い態度の表明であり、大使に対しても強い処分が行われるのが国際的な常識だからだ。

 ところがなんと中国大使としての丹羽氏の意見を聞くだけと言うことでそのまま大使は留任し、再び中国へ赴任するという。

 この事態を中国国民はどう受け取ったか。中国寄りの発言をした丹羽大使が注意すら受けないと言うことは、日本政府は丹羽大使と同様の立場に立つものであり、さらにその丹羽大使の中国についての見解を聞くというのは、日本側は中国政府の主張を受け入れる用意がある、と言うことである、と理解したのだ。

 流れから行けばそう受け取られても仕方が無い、と云うことが日本政府には分からないようだ。中国側は尖閣に対する今までの攻勢が正しかったと自信を深めたようで、ネット上でも鬼の首を取ったような騒ぎである。これからかさにかかって中国は強硬手段に出ることが予想される。

 ところで、中国のネット上で、日本の外務省情報局前局長・孫崎亨氏の発言が取り上げられて話題になっている。ネット上の情報で、直接孫崎氏の発言を見ていないが、中国内で流布されているのは「尖閣諸島の問題で軍事衝突があった場合、日本は国際的に孤立するだろう」というものである。

 これは中国の血の気の多い連中には大いに気勢が上がる材料になっているようだ。早く軍事的行動を起こして占領してしまえ、と云う論調が盛り上がっている。だって軍事行動を起こしても負ける心配は無い上に、中国が非難されて孤立するのではなくて、日本が孤立すると日本の元外務相の局長がいうのだからこんな心強いことはないのだ。

 何なのだろうこのおかしな人々の言動は。中国に気配りしているように見えて、実は中国にエスカレートを促すようなことになっている。しかもそれを問題視している気配は微塵もない。外務省と民主党というのはここまで亡国の集団だとはまさか思わなかった。このような態度は日本のみならず中国に対しても犯罪的だと思うがどうだろうか。

伴野朗著「長安殺人賦」(集英社文庫)

 物語は玄宗皇帝、楊貴妃の時代、李白と阿倍仲麻呂が長安で起きた日本人留学生の殺人事件に遭遇してその背後にある巨大な陰謀に迫る、というものである。李白と阿倍仲麻呂に交友があったことは有名であり、文中に取り上げられているエピソードのいくつかは史実である。

 酒仙と言われた李白のようすが繰り返し描写されていて、ついこちらも一杯飲みたくなる。李白の詩もいくつか取り上げられているが、背景が書き込まれた上での詩なのでとても分かりやすい。

 「しょうりゅう」と云うダイイングメッセージが最初の手がかりである。同時に宮廷内の権力争いが絡んでくる。このような人物達が暗躍して唐朝は弱体化し、このあとついに安史の乱が起こるがそれはこの物語が終わったあとのことである。

 ミステリーの謎を追ううちにこの時代の中国の歴史を勉強できてたいへん結構な本である。

二日酔い

 久しぶり(?)に二日酔いである。昨日はK井さんとT屋さんの二人の兄貴分の先輩と名古屋駅前でバカ飲みした。

 K井さんが年金が出る年齢にほぼ達したと言うことで、ようやくリタイアした記念の飲み会である。わざわざ大阪からの来名である。K井さんの要望でお酒は主に冷酒。昔話などで大いに盛り上がり、痛飲した。

 三時半になる前から延々と飲み続けて無事K井先輩を駅まで送り届けてから記憶を喪失、気が付いたら携帯が鳴っている。先輩から無事着いた、との連絡であった。クーラーをかけたまま下着姿で床に寝ていた。私も気が付いたら無事で家に帰っていたのだ。のどが渇いていたのでビールを飲んで寝た。

 と云うわけで本日は頭がぼんやりして文章にならない。多分昼過ぎには復活するであろう。もう歳なのだ。いい加減にしなければならない。それにしても冷酒はあとで突然酔いが回るから気をつけよう。でもうまかったし楽しかった。今度はこちらから大阪へご挨拶に行こう。

「清末見聞録(清国文明記より)」・長安紀行・漢口に入る

 十月二十八日七時三十六分開車。確山に到る。中州の大平原はここに到って初めて山に迫り、西方に山岳が重畳としているのを望む。新安、明港を過ぎれば道はようやく峡間に入り、丘陵が起伏する。信陽、柳林を経て湖北省に入る。ここから孝感県までの間は、あるいは渓流に沿い、あるいは山間を過ぎていく。稚松青々、丘上に林をなし、楚竹芊々(せんせん・青々していること)茅屋を繞(めぐ)る。北中国の寂寞に厭きた私はぼんやりと祖国にいるような気持ちになっていた。もし児童が灰黒色の水牛の背に乗って水辺にいる姿を見たりすることがなければ、異国の地にいること気がつかなかったかも知れない。孝感より南はすなわち沢国である。幾多の湖沼を窓辺に見送り、午後五時四十分、漢口に到着して松廼屋に宿泊する。ここに長安紀行を終え、筆を楚江に洗うこととする。

これで長安紀行篇が終わりました。続いて明日から長沙紀行です。

2012年7月16日 (月)

「ひるおび」にがっかり

 昼の時間のテレビではNHKのニュースのあとに「ひるおび」を見ることが多い。恵氏の感覚は比較的に色に染まらず素直なニュースのとらえ方で好感を持っている。ところが本日の大津市の中学生の自殺についてのコメントは余りにも支離滅裂でがっかりした。

 これはコメンテーターの一人である「尾木ママ」のコメントが原因だ。「犯罪」と「いじめ」の区別が全く付いていない上に今回の自殺があたかも教育問題のような言い方に終始していたことにある。「いじめた側にも人権がある」というあれである。この事件は犯罪であり、犯罪者である三人の加害者を先ず断罪すること、しかる後にそれを隠蔽しようとした学校や警察を糾弾するのが手順だろう。「尾木ママ」には「いじめ」と犯罪の区別はもちろん、加害者と被害者との区別もきちんと付いていないようであった。この区別の無い感覚から行くと、いつもの、誰も悪くない、実は社会が悪いのだと云うインチキに逃げ込むことになる。

 だから恵氏の最後の言葉は「奥が深い問題なんですねー」であった。世の中はそんなにややこしくない。悪いことは悪い、そして悪いことをしたら罰せられる、と云う当たり前のことをきちんと主張すればこのようなバラエティ番組は社会的な存在意味がある。「奥が深い」という感慨の言葉で終わっては何事も解決しないし無力感しか残らない。その害悪はかなり危険だ。

中国ウオッチ・ミス・重慶

 重慶市でミス・インターナショナルの地方大会が行われて、ミス一人、準ミス二人が選出された。

 四川地区は昔から美人の多いところで知られており、選出された三人は中国全土で注目の的となった。ところがこの三人の姿がマスコミで報じられたところ、かなりきつい評価が浴びせられた。

 「余りにも不細工だ」「重慶市民として恥ずかしい」「男性が女装みたいだ」と云うひどいのもあり、「選出された三人にはバックにえらいさんがいたに違いない」というのがもっぱらの噂らしい。

 一般の人々と、選定に当たった役員の感性の違いがあったのであろうとは思うが、選ばれた三人も散々でこれでは反ってつらいだろう。それともそれほどひどいのだろうか。それもちょっとかわいそうだ。

韓国ドラマ「強力犯 ソウル江南警察署」

 全十六話の途中まで見たまま旅に出ていたが昨日残りを全て見た。個別の事件を横糸にして、主人公のパク・セヒョク刑事(ソン・イルグク)の娘の死の真相の追求が縦糸として全編に関わってくる。

 5年前、警察に射殺された犯人の車の暴走により、目の前で幼い娘を失ったパク刑事は、この事件の背景に納得できないものがあり、その真相を知ることを目的に刑事になった男だ。この事件をきっかけに妻とも別れ、今は独り者である。正義感にあふれる気のいい男だが血の気も多いので良く暴走する。彼に関わり、ついには彼を慕うようになる三流のネット新聞のチョ・ミンジュ(ソン・ジヒョ、とってもかわいい。顔は似ていないが、雰囲気として若い頃の岸本加世子似似ていると思った)、そして同じ強行班の魅力ある面々は、ドラマを追うごとにこちらとなじんでくる。

 ここに班長であり、課長として赴任してくるのがチョン・イルド(イ・ジョンヒョク)、なんとパク刑事の娘が死んだときの、犯人を射殺した張本人であり、実は警察庁長官の息子(正嫡ではなく飲み屋の女との間に生まれた子供。親子であることは対外的には秘匿されている)でもある。

 さらにパク刑事の元妻(財閥の娘・一時娘の死の責任をパク刑事の責任と考えて別れたが、真相が分かるにつれよりを戻したいと考える。最後に重要な役割を演ずる)が、関わってくる。

 最初はストーリーの展開が冗長に感じられたが、そのテンポになれてくると案外軽快に話が進んでいることが分かる。詳しく話しすぎるとドラマの興味が半減するので控えるが、ラストはこうなるだろうと思うような終わり方でたまっていたものが開放される快感がある。

 パク刑事がやたらにため息をつく。ため息と言うより大きく息を吐く、という感じだ。この俳優のスタイルか。最後の方で意識的に他の共演者がそろって真似をしていたのは笑えた。
 少なくとも時間の無駄になったという思いがないので出来は悪くないドラマだと思う。再放送があったら時間のある人は楽しめるはずだ。

中国ウオッチ・意図

 昨日の「たかじんのそこまっで言って委員会」で尖閣諸島の地権者の代理人である弟さんが出演し、面白いことを言っていた。中国の共産党政権の崩壊の可能性があると思う、と云うのだ。

 今回のASEAN(東南アジア諸国連合)会議ででフィリピンやベトナムが南沙諸島や西沙諸島での中国の強権的行動を非難する決議を提案したが、議長国のカンボジアが中国に配慮して賛同しなかったために紛糾、フィリピンの代表が業を煮やして帰国してしまった為に決議は成立しなかった。

 この状況をロシアやヨーロッパのマスコミも取り上げ、中国の覇権的行動をいろいろ分析している。中国が国内の不満を解消するためにあえて軍事的行動へ踏み込もうとしている、と見ている論調が多い。それだけ中国の行動は世界にとって異様であると見られている。

 中国のGDPの伸びは現在8%を切っている。ユーロの経済危機は予想以上に中国にダメージを与えているようだ。8%近くもあれば上等ではないか、と思いがちだが、中国の現在のシステムは極めてロスの大きなものであり、8%以上の(10%以上との見方もある)経済成長を続けなければ下り坂に入っているという見るのが一般的だ。
 インフレの危険を冒して金融緩和をどんどん行っているが、中国経済の再浮上はなかなか効果を上げていないようだ。

 ここでインフレが進行でもすると不満は一気に高まる危険がある。インフレ率は半期で3%程度であったから何とか収まっている。
 だが世界もそして中国人自身も中国政府の統計数字自体を信用していない。昨年は6%程度の物価上昇率だったが、中国人の実感は20%以上だろう。そうでなければ賃金が最低15%以上上昇しているのだがら、
不満がたまるはずがないのだ。

 先日尖閣への上陸を強行しようとして阻止された台湾のボートがあった。かなりエキサイトしてアピールしていたが、なんと最後に掲げた旗は中国の国旗であった。情報によると中国(政府筋かどうかは不明)から高額のお金を貰っての行動だったようだ。

 油断をすると突然中国漁民が隙を突いて上陸するような事態となりかねない。ことによると突然軍隊を上陸させる行動に出ることも考えられる。漁民なら排除できるが、軍隊では排除は不可能だ。どうも中国はそこまでやりかねない国内状況であり、軍隊の勢力の増長が進んでいると懸念される。本当に何があるか分からない。

「清末見聞録(清国文明記より)」・長安紀行・桑原君と別れる

 十月二十七日桑原君と袂を分かつ。桑原君は胡馬と同じように北風に依り、私は鴻雁と共に南に飛ぶ。異国への旅の中でさらに旅人となり、遠く崤函を度り、幾多の艱難を共にし、今まさに遠く別れようとする。ここで別れれば三年、互いに会うことがかなわないことを思えば繾捲(けんけん・いつまでも思い続けること)の情が無いと云うわけにはいかない。北上は十二時十五分、鄭州を発す。南下はこれに先立ち、十二時八分開車。新鄭を過ぎる。鄭の武公が都としたところで、陘(けい)、大塊(だいかい・塊は本当はうまへん)、遂平(すいへい)、西平の諸県を経て、午後六時、駐馬店に到り、長安桟に宿泊する。旅館の灯の影がほの暗く、独り往路を思う。

2012年7月15日 (日)

ごめんなさい

 テレビの番組で、福島原発事故に関連した政府や東京電力の事故発生当時の対応について論じていた。そこに呼ばれていた事故調査に関わっていたというゲストが大事なことを言っていた。
「あのときにはこうするべきだった、と云うことが明らかなことがある。例えば米軍から実測の放射能の値が報告されていたのにそれが避難のために生かされなかった。誰がそれをきちんと生かさなかったか調べれば分かることであるが、誰も責任を取ろうとしない。一事が万事でごめんなさい、私が間違っていました、と云う人が誰もいない、と云うのが調査をしていて感じたことだ。そして誰も責任を取らずにいることが地元住民、ひいては日本国民が政府の言うことに不信感を持つことにつながっているのに誰もそのことに気がついていない。」

 誰も責任を取らない、と云うこの日本の慣例は先の戦争の場合もそうだった。A級戦犯が断罪されて責任を取ったことになっているが、断罪された方も日本国民も彼らが責任を取ったなどと本当に思っているのだろうか。A級戦犯の人たちは、責任は取らされただろうが、私が悪うございました、などとは毛筋ほども思っていなかっただろう。
 だからいつまで経っても中国や韓国(ついでに北朝鮮も)は、日本はあの戦争を反省していない、と突っ込みをいれてくるのだ。口先で謝罪を言っても本当にごめんなさいをしていない、と云われてしまうのだ。まだ日本はあの戦争の総括をしていない、と云われるとそうかも知れないと思う。なぜなら日本国民全てがあの戦争の被害者として免罪されたままになっているからだ。例えばインパール作戦の時にあの無謀で無意味な作戦を指揮した参謀や大将達は断罪されていない。日本人自身が日本の軍部を裁かない限り、戦争は完了しないだろう。ついでにいえばノモンハン事件の教訓や断罪をしなかったこと、中国での軍部のなし崩しの暴走を断罪していない。繰り返すが、日本人は、日本をあの戦争へ突き進めたその責任者を自らまだ裁いてはいないのだ。

 あれほどのことが見過ごされて許されたのだ、たかが原発の事故くらいで責任など取る必要があるだろうか、ということだ。この国の無責任体質は根が深い。

 ちなみにノモンハン事件、ガダルカナルの悲劇、マレー事件、ビルマ戦線全てに関連してその責任を負うべき辻政信は戦後何の責任も負わず、姿をくらましている。まさに日本の無責任官僚の象徴であり、輝ける神様だ。

ごめんなさい

 テレビの番組で、福島原発事故に関連した政府や東京電力の事故発生当時の対応について論じていた。そこに呼ばれていた事故調査に関わっていたというゲストが大事なことを言っていた。
「あのときにはこうするべきだった、と云うことが明らかなことがある。例えば米軍から実測の放射能の値が報告されていたのにそれが避難のために生かされなかった。誰がそれをきちんと生かさなかったか調べれば分かることであるが、誰も責任を取ろうとしない。一事が万事でごめんなさい、私が間違っていました、と云う人が誰もいない、と云うのが調査をしていて感じたことだ。そして誰も責任を取らずにいることが地元住民、ひいては日本国民が政府の言うことに不信感を持つことにつながっているのに誰もそのことに気がついていない。」

 誰も責任を取らない、と云うこの日本の慣例は先の戦争の場合もそうだった。A級戦犯が断罪されて責任を取ったことになっているが、断罪された方も日本国民も彼らが責任を取ったなどと本当に思っているのだろうか。A級戦犯の人たちは、責任は取らされただろうが、私が悪うございました、などとは毛筋ほども思っていなかっただろう。
 だからいつまで経っても中国や韓国(ついでに北朝鮮も)は、日本はあの戦争を反省していない、と突っ込みをいれてくるのだ。口先で謝罪を言っても本当にごめんなさいをしていない、と云われてしまうのだ。まだ日本はあの戦争の総括をしていない、と云われるとそうかも知れないと思う。なぜなら日本国民全てがあの戦争の被害者として免罪されたままになっているからだ。例えばインパール作戦の時にあの無謀で無意味な作戦を指揮した参謀や大将達は断罪されていない。日本人自身が日本の軍部を裁かない限り、戦争は完了しないだろう。ついでにいえばノモンハン事件の教訓や断罪をしなかったこと、中国での軍部のなし崩しの暴走を断罪していない。繰り返すが、日本人は、日本をあの戦争へ突き進めたその責任者を自らまだ裁いてはいないのだ。

 あれほどのことが見過ごされて許されたのだ、たかが原発の事故くらいで責任など取る必要があるだろうか、ということだ。この国の無責任体質は根が深い。

 ちなみにノモンハン事件、ガダルカナルの悲劇、マレー事件、ビルマ戦線全てに関連してその責任を負うべき辻政信は戦後何の責任も負わず、姿をくらましている。まさに日本の無責任官僚の象徴であり、輝ける神様だ。

気になるコマーシャル

 この頃パチンコ屋のコマーシャルが多くなった気がする。パチンコのコマーシャルには規制があったが、それが緩められたかららしい。
 パチンコ屋の駐車場を見るといつも車がたくさん停まっている。繁盛して結構なことである。この業界も設備投資がたいへんで、チェーン店化が進んでいるらしい。小さな駅前の独立系のパチンコ屋はすでに淘汰されてしまったようだ。大きな資本を持っている会社が経営しているから高額のコマーシャルも可能なのだろう。
 パチンコは私営だが特別に許されているギャンブルである。ギャンブルはギャンブルなりにもう少し控えめにしたらいいのではないか。
 別にコマーシャルされるからついパチンコに出かけてしまう、と云うわけではないからかまわないのだけれど、気になる。

ジャック・ケッチャム著「ロード・キル」(扶桑社ミステリー)

 翻訳・有沢善樹。ちょっと古い本です(1996年出版)。
 スティーヴン・キング絶賛と帯にある。アメリカミステリー得意の(今では日本もだが)サイコキラーものである。

 知性も美貌も資産もある女性が幸せな結婚をした、と思ったら相手は結婚後突然暴力亭主に変貌する。何度かの傷害を受けた後ついに離婚にいたり、ようやく彼女は新しい恋人も出来て悪夢から立ち直りつつある。亭主も警察から彼女の近くに立ち寄らないことを強く警告されている。ところがその亭主は怒りが収まらず、再び彼女の周辺に出没し、傍若無人に振る舞いだし、彼女は再び身の危険を感じて・・・と云うのが話の立ち上がりの部分である。このような小説はいろいろある。ここで彼女は逃げようとするが、亭主の執拗な追跡の果てに・・・とか、彼女が新しい恋人と亭主に立ち向かって・・・と云うのがおきまりだろう。

 この物語はその定番中の定番で、恋人と二人で亭主を誘い出し、殺害をもくろむのである。亭主の強烈な反撃に遭い危ういことになるものの何とか二人は亭主の殺害に成功する。ここからがこの本の本題である。この殺人の一部始終を目撃していた男がいたのだ。この男が物語の主人公であり、サイコキラーである。いや、この男は妄想の中で人を殺すことを夢見ていたが、実際には人を殺したことなど無い。だがこの殺人現場を目撃したことで彼の妄想に火が付いてしまう。

 自分たちの犯した罪におびえる二人のもとを訪れた彼は、二人を脅して自分の車に乗せ、ドライブに出発する。彼に云わせれば、二人を自分の犯罪の目撃者にするための同行なのだ。彼は自分のメモ帳に様々な人間の罪を書き連ねており、有罪と自分が断罪した人間を突然何のためらいもなく次々に殺害していく。

 警察の包囲網は迫り、連れ回されている二人もチャンスを捕らえてついには反撃に出るのだが・・・。

 この奇妙な殺人者の造形にリアリティがあるところがこの小説の真骨頂で、スティーブン・キングもそれを評価したのだろう。この犯人の感性は移りそうなので気をつけた方がいい。凄惨な殺人描写がドライに語られているのに後味が意外と悪くない。

「清末見聞録(清国文明記より)」・長安紀行・滎陽

 鄭州は汜水から百十里、この日に必ず鄭州に着こうと思い、十月二十六日、半夜に起床、午前三時に出発した。雲間から洩れる月明かりを頼りに二、三の村を通り過ぎて三十里ほどで史村集に到る頃に空が明けてきた。烙餅(鉄板の上で焼いた餅)を朝食の代わりに食べて、さらに十里ほど行くと午前八時に滎陽に到着し、西関を入る。町の両側には外国雑貨の店が軒を並べ、市場の賑わいはまれに見るものがある。
 漢・楚が天下を争っていたとき、漢王はこの地にあって楚軍の重囲を受けたが、紀信が身を以て漢王に代わり、漢王はわずかにその身を逃れることが出来た。今滎陽の東関内路の北に紀信廟があるという。桑原君も私も共に注意を怠らなかったつもりだがついに見落とした。これより須水(しゅすい)、三官廟の諸鎮を過ぎ、五時四十分鄭州に到着、停車場の前の普利享店に宿泊した。
 九月三日に北京を出発してからすでに五十四日、汽車に乗ったところは別として皇帝およそ二千五百里、あるいは川を渡り山を登り、また険しい坂を越え、その間には馬車が泥濘に転覆し、あるいは夜、風雨を冒して危ないところを通ったりしたけれども、桑原君が一時病に苦しんだほかは一行三人ともに大事なく、一路平安に鄭州に到着することが出来た。三人互いに見合って喜び合った。

2012年7月14日 (土)

「清末見聞録(清国文明記より)」・長安紀行・虎牢関②

 行宮の下に官店がある。そこに光緒十七年に立てられた碑があり、それによるとこの地は古の成皐(せいこう)、虎牢の地で、今は鞏県に属し、老健という。雨雪の夜など行者がその頂にいたって投宿の場所がないことに困り、銀四百両を投じてこの官店を設けたという。ここからは下り坂となる。山中の所々に卞洛鉄道に使用する石を切り出し、多くの人を使役して一輪車で石を運んでいる。およそひとり一回に二つの石塊を運び、一日に二往復、その工銭は一塊につきおよそ百文、都合四百文を得るのである。ちなみに彼らは一日百文あれば生活できると云うことである。
 汜水(しすい)が左右の山々を隔てている処を二里余り行くと景色が急に開けてやや平坦な場所に出た。その口を扼して関の故址がある。道の左側に碑があり、雍正九年に立てられたもので、題して虎牢関と云う。あるいは成皐関と云い、また古崤関(ここうかん)と称するものである。かつて袁紹、曹操達が義を山東に唱え、兵を起こして董卓を討ったとき、董卓は義子の呂布に虎牢関を守らせた。呂布は大いに劉備、関羽、張飛の三傑と戦い、英名が一時天下に鳴り響いたのはすなわちこの地である。今、関の左に三義廟があり、中央に漢の昭烈皇帝(劉備)、右に勅封関聖帝君(関羽)、左に勅封剛毅大帝(張飛)の神位を設けている。また左右に趙周王関四将軍を配祀する。また道の南に虎牢関記の碑がある。ここから汜水を渡り、東関外同義老店に宿泊する。時刻は午後五時。汜水は古の虢国鄭(かくこくてい)の制邑(地名)である。汜水より鞏に到る六十里の間は一帯の高原で丘陵が相連なり、壁立峭抜、その険しさはほとんど崤函(こうかん)に劣らない。鄭の荘公曰く、制は巌邑なりと、実にその言の通りである。

2012年7月13日 (金)

第一帰宅

 我が家は名古屋方面だが、とりあえず母の普段暮らしている弟の家に帰宅した。今晩そのまま名古屋へ帰ろうとも思ったが、帰りの渋滞が予想以上にひどかったのでいささかくたびれた。ちょっと弟と一杯飲みたい気もするので明日の早朝帰ることにする(それが第二帰宅だ)。

 川口から首都高へは断続的に渋滞でのろのろ、所々停まったまま動かない。湾岸道路が事故か自然渋滞か知らないが上り方向がほとんど動いていないので、そのあおりで東関東道の分岐まで全てのろのろ、川口から葛西まで二時間以上かかってしまった。こりゃ疲れるわ。毎日このような苦労をしているトラックの運転手の人たちはまことにご苦労さんである。

 母もくたびれただろうが、話が出来ないのでよく分からない。

 こうやって親子で遠出できるのもあと何回だろう。子供の時は親と別に暮らすなんて全く想像できなかったが、いつの間にかあと何回会えるだろうか、なんてことになってしまった。

 まあ自分だってもうゴールが見えてきたような気がするし。

養老孟司著「あなたの脳にはクセがある」(中公文庫)

 副題「『都市主義』の限界」。

 自然と人工、田舎と都市、脳と身体、を同じ枠組みの対立概念として捕らえることで、様々な問題を養老孟司流に解釈する。解釈したから解答が必ずしも得られるわけではないが、問題点のポイントが思わぬ処にありそうなことに気がつく。

 現代がリアリティを失っているように見えるのもこのような見方からすれば当然のことであって、テレビのコメンテーターのように何事も十数秒で分かりやすく切って捨てるように解釈してのけるようなことは、リアリティとは正反対の行為であろう。

 バーチャルリアリティはリアルでは決して無い。現実はもっと複雑怪奇で多面的だ。

 世界の解釈を脳に全てゆだねてしまった現代人が、愛を喪失してしまったように見えるのは当然なのかも知れない。

 檜原綾香だったと思うが『(ひとは)抱き合えば一瞬でわかり合えるのになぜ言葉で伝えようとするの』と云う意味の歌がある(歌詞はもっとシンプルだが)。

 抱き合う、と云うことは身体と身体のコミュニケーションだ。これを言葉という記号に変換しようとすると伝えられるものが伝わらなくなる、というのは養老先生流に云えば当然なのだ。

 今、都市化はどんどん進み、田舎は過疎化して都市人口は今に80%とか90%になるだろう。いやもうなっているのかも知れない。あの中国ですら都市人口が50%を越えてしまった。その中で、唯一間違いの無い『自然』である子供(by養老孟司先生)がどのように都市に適応させられていくのか、リアルを知らずに育つ子供というのが今は当たり前になっている、と云うことに今更気がついて何となく恐ろしい思いがする。

湯治終了

 本日で湯宿温泉での湯治を終了する。これから最後の朝風呂だ。いつも朝は鳥の鳴き声が聞こえて心地よい。

 部屋が狭いことを除いておおむね悪くない宿であった。狭いのも母と一緒だったからで、独りならもっと快適だったかも知れない(母上済みません)。

 母も最初は風呂に一緒に行かなければならなかったのが、今はひとりでどんどん行くようになった。三階建てなのにエレベーターがあるので階段の上り下りがないのがいい。

 これからの湯宿は年寄り、それも足の弱い年寄りが多いからエレベーターは必需品かも知れない。

 風呂で他の客に話を聞くと、この宿はリピーターが多くてしかも連泊が多いようだ。それならやっていける。

 いろいろな温泉宿に行くが、倒産して朽ち果てたホテルや旅館を見ることが多い。そういうのが残っているとその温泉街全体が何かみすぼらしく見えてしまう。そういうのを見ると日本は不景気なのだと今更思う。

 ただそれは日本が運良く隆盛を極めた時期をもてた時代があったと云うことで、その時代との比較から今を見ているのだが、あんな時代は二度と無いだろうことは日本中の人が気がつき始めている。

 温泉街もそれを見越して豪華さよりもアットホームを目指す方が生き残れるような気がする。年寄りは小金はあるから気に入れば湯治に出かける人は多いはずだ。別に極楽が見たいわけではない。

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「清末見聞録(清国文明記より)」・長安紀行・虎牢関①

 十月二十五日午前六時に鞏を出発した。馬はやせ馬で、鞏を出てまもなく馬車が泥濘にはまり車軸が折れてしまった。急使を飛ばして衙門に馬車の換えを依頼した。一時間ほど待っていると馬車が来た。東関外は洛口に浜して帆船がたくさん川岸に停泊している。賑やかな関を出てすぐに急峻な坂道となり、貨物を載せた大きな車が十余輛皆上がることが出来ずに立ち往生している。しばらく待っているうちにようやくその車が動き、こちらも一頭馬を添えて坂を越えようとしたがこちらの馬車も前へ進まない。手を尽くしてようやく九時半頃になって坂を登ることができた。ここから一帯は高原になっていて道はうってかわって平坦である。十余里ほど行ったところでまた坂道になった。これを登り切ると峠には数軒の飲食店がある。鳳翅城嶺(ほうしじょうれい)と云う。嶺上に行宮がある。庚子の変のときに皇帝が西安に蒙塵されて、のち還幸の際に設けられたものである。行宮はこれより以西、長安に到るまで駅站各処にあるけれども、この地のものが最も風致(おもむき、おもしろみ)に富んでいる。崇山の山脈、東に延びてその南を包み、北は大河を足下に望んで、屏風のような太行山に対し、河南の高原が眼前に一幅の絵のようで、西は洛水が東へ流れ、はるかに洛陽を指している。千里一望、気宇闊大な気分を覚える。

2012年7月12日 (木)

責任

 大津市の教育委員会が批判されている。委員長が会見の度に言うことが変わっているのでは批判されて当然だ。
 中学生の自殺の責任を問うような論調もあるが、それは違うだろうと思う。これはこの事件の加害者の少年の問題であって教育委員会を責めても仕方がない。だが被害者の親からの告発を受けてから、その知り得た事実を隠し、嘘をつき、責任逃れをしようとしたことが問題なのだ。マスコミにはその区別が付いていないのでしばしばとんちんかんな追求をすることになる。起きた事件は犯罪であり、犯罪として裁けば良い。ただその事実を知りながらいわば見て見ぬふりをした、と云うことが教育委員会というものの役割を果たしていないことであり、責任が問われなければならないのだ。
 マスコミはともすれば学校や教育委員会がしっかりしていればこのような事件が起こらずに済んだような言い方をするが、残念ながらそんなことはない。このような事件はしっかりした学校でもそのような犯罪に走る生徒がいる限り今後も発生するだろう。それを隠蔽することなく、それが重大事件になる前に手を打つことこそが教育者の役割だけれど、過剰に対処したときの加害者の親やマスコミのバッシングこそがそのような行動を遅らせる(手遅れにする)原因ともいえるのではないか。常にことが起きてからしか正しい対策の答えは提示されない。

田舎暮らし

 昔、田舎暮らしにあこがれたことがあった。そういう人向けの雑誌が月刊や季刊で出ていて、田舎生活を楽しんでいる人のレポートや、物件の紹介が載っていた。海と山が共に近いところにあこがれた。釣りにすぐ行けるし食べ物も豊かな気がする。屋久島の物件が400坪ほどの土地と中古の住宅で600万円で売りに出ているのを見て真剣に購入を考えたりした。

 今はその熱は冷めてしまった。田舎は結構近所とのつきあいが難しいところであることを知ったからである。通勤がないから不便であっても差し支えはないが、自分のペースで生きることが出来なければ魅力は半減する。そして物件の安いところは間違いなく過疎地だ。寂しいところだろう。所詮は田舎はときどき訪問するところ、と云うことでいいのかも知れない。全て自分に都合良く、と云うわけにはいかないのは当たり前だ。

 海辺の一軒家で夕日を眺めながらぼんやりする、なんてあこがれるけれどね。(でも津波は怖いし台風も怖いとすぐ軟弱な心はひるむ)

矢月秀作著「もぐら 讐」(中公文庫)

 前作「もぐら」の続編。すさまじい闘いを生き延びたもぐらこと影野竜二は今下関北刑務所に服役中である。

 物語は最初もぐらと無関係に進んでいく。警部補の惨殺事件を皮切りに突如その姿を現す謎の教団レアース。その標的の一つが下関北刑務所であると判明したときにはすでに刑務所への襲撃は始まっていた。

 もぐらの活躍は今回は少ない。教団が謎めいて見えていた間はそれなりに面白かったが、その背景が見えだしたとたんストーリーが薄っぺらになってしまい、興味が半減した。ハードアクションを楽しむだけなら面白いかも知れない。

雨の湯宿

 本日は雨。
  北関東のこの湯宿に来て四日目、毎日あしたは雨、と天気予報で云われながら晴天が続いていた。おかげであちこち出かけることが出来たが、本日はやっとごろごろする一日になりそうである。

 時間がありすぎると案外本が読めなかったりする。そういうときにはぼんやりするのがいい。とりとめのないことを考えているのも楽しいものだ。

 老母はパソコンに焼きもちを焼く。いつも自分に関心を向けていて欲しいようだ。しかし発語障害では会話にならない。こちらが一方的にしゃべっているだけになる。それでもうれしいのだろうが、こちらは結構疲れる。友達とメールのやりとりをしたり、更新のネタを考えたり、撮ってきた写真を整理したりしていると恨みがましい眼でじっと見つめられたりする。うっとうしい。

 老母もいつか一緒に出かけることが出来なくなるだろう。その時にあのときにあそこへ行った、楽しかった、とこのような旅が思い出になってくれればありがたい。普段面倒を見てくれている弟夫婦に対してこちらはいいとこ取りをしているようで気が引けるが、旅に出ている間は向こうも息抜きが出来る。役割分担だと思っている。

丸沼

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丸沼は沼田と日光を結ぶ国道120号線の一番高いところ、金精峠の手前にある。普通に走ると藪の中からちらちらとしか見えないが、脇道に入ると、湖畔をほぼ半周するように細い道が走っている。行き止まりが環湖荘というホテルである。大きな駐車場があり、遊歩道があって湖畔を散策できる。釣りをする人も多い。

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おばさん、と云うよりおばあさんたちが賑やかに木立の中の遊歩道の散策から帰ってきた。

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対岸中央に釣り人がいるのだが分かるだろうか。ルアーの釣りのようだ。水はこのような色でもっと神秘的。ここは湧き水の湖だという。

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これが環湖荘。標高千四百三十メートルの木標が立っている。ここで昼食を食べて帰途についた。

「清末見聞録(清国文明記より)」・長安紀行・宋王陵②

 太祖陵の東に二陵ある。太宗陵の北には六、七陵ある。隴圃の間に、華表や石像が点々と散在している。馬に騎して道もない田圃の間を走り回るのは困難で、しかも日も傾き始めた。そのほかの陵は見残して鞏(きょう・地名)に向かう。北に十余里ほど向かい、枯川(こせん)を渡って二つの小さな村を過ぎ、芝田鎮を東北七、八里の彼方に望みながら、旧大道に出て、さらに東に三、四里行くと路の北側に真宗陵を見る。その形式は太宗陵と全く同じく、石人石馬は一つもかけるものがない。太祖から哲宗に到るまでの八代の帝王の諸陵はみなこの地にある。故に八陵という。私はその三つを見て五つを見残したが、宗王の陵は全て同一形式によるものである。
 真宗陵の前に立てば宋の諸陵を点々と指摘することが出来る。この地は一帯が高原になっていて、南は崇山に対し、北は洛水を控え、東南西の三面は全て山で囲まれている形勢雄絶の場所なのである。
 ここからさらに東に十里余り行き、南山口村を経て五里舗に到って初めて本道と合流した。鞏県の南関に到れば客店はすでにどこも満室であった。桑原君は一時間以上前にこの地に到着していて東関にいて、使いを出して私を迎えてくれた。時に午後六時、偃師から鞏まで六十里、迂回して宋陵に詣でたからこの日の行程はおよそ九十里であった。

2012年7月11日 (水)

吹き割の滝

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沼田から日光方向に走ると吹き割の滝、というのがある。老神温泉のすぐ近くである。

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この吹き割りの滝というのは今まで見た滝とはおもむきが違って迫力があった。高低差を誇る滝ではなく、広がりと水量で見せる滝だ。

しかし滝は近いとはいえそれなりに坂や階段を上り下りしなければならない。足もとのおぼつかない老母がそれでも行く、と云うので連れて行ったのだが、坂の途中でギブアップ。仕方がないのでそこで待っていてもらってひとりで写真を撮りに行った。しばらくして戻ってみると地べたに座り込んでいる。立たせようとしても立ち上がれない。歩いてすぐの処に売店があってそこには座る椅子もある。なぜわざわざ地べたに座るのだろう。立ち上がらせるにはこちらも痛い左腕を使って抱き上げる必要がある。激痛が走る。脂汗が流れた。駐車場へ戻るまでの道もほとんどしがみついてくる。これでは車椅子でもないとどうしようもない。車に戻ったときには汗みずくになっていた。親孝行もなかなかつらいものだ。

ああ疲れた。このあと丸沼を見に行く。

矢木沢ダム

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矢木沢ダムは関東一のアーチ式のダムだ。ロックフィル式のダムは大きさがいまいちわかりにくいが、このアーチ式のダムはコンクリートの塊なので迫力がある。

120710_73土合駅。登りだか下りのホームが地下70mだか80mだかにあるので有名な駅。ここで登山靴に履き替えている人がいた。

120710_85矢木沢ダムのダム湖。美しい。

120710_100ダムをのぞき込んで撮った。

谷川岳

120710_43谷川岳。頂上は雲の中。


谷川岳を見に行った。湯宿温泉から一時間余り、と近い。ロープウエイに乗り、そこからさらにリフトで展望台に上がる。そこからだと二、三時間で谷川岳に登れるようだ。(登っていないので本当かどうか知らない)

右手正面には笠ヶ岳などの三山がくっきりと見える。

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120710_37リフトで登るとき、足下に見えたニッコウキスゲ。

120710_52ここからは一の倉沢は見えない。雪渓の一つをアップで。

このあと矢木沢ダムを見に行った。

「清末見聞録(清国文明記より)」・長安紀行・宋王陵①

 十一時に小芝田を出発して、東南の崇山に向かって進む。はるかに西南を望めばはるかに霞む木々の間に陵墓が点々と散在するのが見える。八陵という。十余里ほど行き古登村に到る。村の東郭を出れば直ちに陵の前に石人石馬が列をなして並んでいるのが見える。特に確認することもなく宋王陵であることが分かる。第一、第二の闕門を入り北に向かえば左右に華表があり八角の石柱に龍鳳が刻されている。高さおよそ三丈、径はおよそ四尺余りある。次に十歩の処に石象が一対あり、御者がその傍らに立っている。ここから九歩ごとに鳳凰、麒麟が各一対、乗馬が二対、御者二名がその左右両側に立っている。また虎と羊各二対、石人が七対ある。次に大獅子一対及び武将一対がある。次に、第三闕門があって文臣一対が立っている。ここから三十余歩、中央に大きな石碑が横になっている。またさらに六十歩で石人一対があって陵に到る。陵は方台式で、高さおよそ五丈、底部は方およそ十五丈、頂部は方およそ一丈ある。陵の四牆(しょう)は方およそ三百五十歩、今なおはっきりと残っていて見応えがある。四隅に小丘がある。また四面各中央に闕門があり、門前にはそれぞれ大獅子一対がうずくまっている。東南隅に明、清の御祭祀文碑が二十余りある。あるものは立っているがあるものは倒れている。これを読んで初めてそれが太宗の陵であることが分かった。太宗の陵から東南一里には太祖陵がある。その形式は太宗陵と同一である。ただ神道の石象の中に、左側は二頭の馬の側の御者がなく、石人が二つしか残っていない。右側は象の側の人と馬がなく、石人はわずかに一つしか残っていない。しかも闕門を欠いている。ここも太宗陵と同じく、明、清の御祭祀文碑を見て太祖陵であることを確認した。

発語障害

老母と湯治に来ている。老母はもうすぐ87歳。

一昨年から発語障害になった。言葉がうまくしゃべれないのだ。こちらの云っていることは理解できるし、テレビもそれなりに理解しているので耳が聞こえないわけではない。

専門医に脳の精密検査を二回して貰ったが年齢相応の若干の萎縮があるが、言葉がしゃべれなくなるような直接的な器質障害は見当たらないという。精神的なものだと思うという診断だ。

どちらかと言えば良くしゃべるし、好奇心も旺盛で、旅に出たら見ず知らずの人ともすぐ打ち解ける性格だったし、本も結構読んでいた。それが歩くのも不自由になり、本もほとんど読まなくなってしまった。ただ温泉に誘えば機嫌良く着いてくる。

全ての動作が通常の人の三倍以上の時間がかかる。こちらの気持ちにゆとりがないとつい冷たい言い方をしてしまうが、今回の旅ではさいわい仲良くやっている。昨日は谷川岳と矢木沢ダムを見に行った。谷川岳のロープウエイにも喜んで乗っていた。

120710_66_3下をのぞき込んでご機嫌な母。昔から高いところが大好きなのだ。

2012年7月10日 (火)

湯宿温泉について

湯宿温泉は開湯1200年と云うからかなり古い温泉である。源泉は62℃、かなり熱いので水を加えて温度調整をしている。完全な掛け流し。硫酸塩泉。温泉内を朝、散策した。

120710_16四つある共同浴場の一つ窪湯。

120710_8庚申塚とお地蔵さん。

120710_4鉢植えの紫陽花。白い。

120710_19薄暗がりの向こうに階段があり、山に登れる。途中まで登ったがまだまだ上があるようだし、朝露で脚が濡れたので途中で引き返した。

仁木英之著「夕陽(せきよう)の梨-五代英雄伝-」(Gakken)

 唐末期、黄巣の乱に加わる中で実力を貯え、奴僕の身からついに後梁を建国した朱全忠(物語では朱温)の若き日を描いた物語。

 後漢のあとの五胡十六国の時代とこの五代十国の時代は同時にたくさんの国が覇権を求めて入り乱れていた時代で残酷非道な話も多いが、その中で志を貫いたものが結局は生き残ることを教えてくれるとても魅力的な時代でもある。中国の太閤秀吉みたいなものである。

 主人公の朱温の火の玉のような精神の有り様は多くの人の心を引きつけ、またその人たちの薫陶を受けて朱温自身もレベルアップしていく。朱温の視点が徐々に高いものになっていくのが読んでいて楽しい。

 朱温が子供の頃、父の死を機に一家は奴僕の生活に追い込まれ、凄惨な日々を送る。朱温はそんなものにへこたれないが、その朱温の支えであり、朱温をかばってきた姉の汀の無残な最期は、その時代に生きた多くの庶民の姿でもある。

 黄巣の乱は唐が最後の力を振り絞って収めるが、そのあとには唐には地方の群雄の勃興を押さえる力は残っていなかった。朱温が見据える未来は今こそはたされようとする、と云うところで物語は終わっている。

 このあとが五代十国と云われる時代だ。国が興り、滅び、の繰り返しが続き、再び中国を統一したのは趙匡胤(ちょうきょういん)により建国された宋であった。

 最もわかりにくく知られていない時代を分かりやすく描いて改めてこの時代への興味を湧かせてくれる。この人の本は皆分かりやすくで面白い。

湯宿温泉

 湯宿温泉という処に湯治に来ている。ここは猿ヶ京や法師温泉、水上温泉に近い小さな温泉だ。温泉好きな人や湯治の人が来るようだ。そんな小さな温泉なのに共同浴場が四つもある。宿に泊まると共同浴場の鍵を渡してくれて自分で鍵を開けてはいるようになっている。泊まり客は買い物籠のような脱衣籠と木の札を持たされる。これが宿泊客の証明書のようなものだ。
 
 留まっている宿の料金は安い。その代わり料理はささやかで部屋はちょっと狭い。風呂だけは立派で総檜造りで浴室も広い。しかも客がそこそこ入っている。皆丁寧に挨拶するし静かだ。

 モバイルルーターはつながらない。あきらめていた。ところが朝試してみたらフリーの無線のラインがつながるではないか。と云うわけで早速更新したというわけである。

「清末見聞録(清国文明記より)」・長安紀行・偃師③

 大道に沿って東二四里余り、路の北側に魏の王弼(おうひつ)の墓がある。碑が二つあり、一つは元統二年に立てられたもので、題して偃師伯王輔嗣之墓と云い、一つは弘治十七年に立てられたもので、題して魏偃師伯王輔嗣之墓と云う。冢は道を隔てて一町ほどのところにあり、前には白楊六株、上には柏数株があった。
 十里ほどで路の北に萇弘(ちょうこう)の墓碑がある。周萇大夫神道と云う。乾隆五十一年に立てられたものだ。題周大夫萇弘墓詩を刻してある。墓は路から三里のところにあると云う。今ちょうど卞洛(べんらく)鉄道の線路工事中である。線路はここから北邙(ほくぼう)の下を過ぎて洛陽の北関に達するはずである。(この旅のあと、この卞洛鉄道は開通した。この工事のため、北邙山の古墳を発掘して数々の珍器を得たという)九時半に孫家湾にいたり、東南に向かって洛河を渡り、小芝田(しょうしでん)村に入り、天順徳煤廠に入って休憩した。茶を喫し、馬に秣をやる。下流五里に芝田鎮があり、大道は孫家湾から芝田珍へ通じている。そして、桑原君の渡る黒石関はここから下流十五里の処にある。

2012年7月 9日 (月)

湯治へ行く

 本日これから老母を連れて湯治に行く。帰ってくるのは金曜日の予定。四泊連泊の予定だ。それほど山の中ではないのでネットはつながると思うのだがどうだろうか。肩や腰が痛いのが少しでも改善すればありがたいのだが。今回は余り動き回らず、本を読んでごろごろしながらひたすら風呂に入るという本来の湯治を心がけるつもりである。

061103_050ちょっと走れば近くにこんな処や、

061103_048こんなところがあります。

中国ウオッチ・レアアース

 中国政府は国家資金を投入してレアアースの購入と貯蔵を勧めていることを認めた。今まで購入して出荷のコントロールをしていることについては暗に認めていたが、貯蔵を積極的に行っていることを認めたのは初めてである。
 理由は資源と環境の保護であると云う。

 日本、アメリカ、EUはこの中国の一方的な措置に対してWTOに提訴しているが中国側が話し合いに応じるつもりがないことから紛争処理小委員会の設置を要請した。

 中国側の資源と環境の保護が理由であるとの主張は認めることは出来る。しかしそもそもそれを無視してダンピングを行い、世界のレアアース産業を全て経済的に成り立たないように追い込んで中国が独占的に支配してきた結果が現在の状況である。いろいろな産業に不可欠な物質であるレアアースを独占しておいて今更環境保護を言い立てるのは虫が良すぎる。再度中国以外の国でレアアースの生産が可能になるあと三年くらいの間は中国は供給責任を負うべきだろう。これでは世界中から反発を招くだけで中国自身にとって利益にならないと思うのだが、なりふり構わず自国の利益を優先するいつもの態度が変わる兆しは見られない。

 飢饉の時に米を買い占めていた米問屋が、米の資源確保を理由に言い立てて蔵に米をためているようなものだ。

「清末見聞録(清国文明記より)」・長安紀行・偃師②

 十月二十四日七時に偃師を出発した。桑原君が馬車に乗り、私が馬に乗るのは昨日と同じである。東関を出ればいくばくもなく馬車は北道に入る。大道は泥濘がはなはだしいためである。北道を行けばここから三十五里の黒石関に到って洛河を渡ることになる。大道を行けば二十五里で孫家湾に到って洛河を渡る。そして宋の諸陵は孫家湾を渡り、さらに東南十余里の地にあるので、もし黒石関に行くことになるとこれを見ることができない。ここに置いて桑原君はやむを得ず山陵を弔うことをあきらめて、私ひとりだけ騎馬で迂回して宋陵に行くことに決めた。
 北道の路の左に唐の顔真卿墓道の碑がある。万暦三十三年に立てられたもので、桑原君はひとりでこれを見に行った。墓は北道を行くこと一里半のところにあり、路の北田圃の中にある。石碑が二つあり、一つは乾隆五十五年に立てられたもの、題して唐贈大師諡文忠顔魯公之墓と云い、もう一つには唐大師顔魯公真卿墓碑記を刻してあったという。

2012年7月 8日 (日)

雲南

前の文章の補足で雲南の景色を三つほど。

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仁木英之著「鋼の魂」(新潮社)

 僕僕先生シリーズ最新刊の第六巻が出たので早速読んだ。

 僕僕先生は、見た目は美少女、実は年齢千歳をはるかに越える仙人である。怠け者で何の取り得もないような主人公・王弁を伴い中国全土を旅する。時代は唐の時代。今回は中国の西の果て、当時はまだ唐の版図ではなかった雲南が舞台である。

 旅を続けるうちに同行する者がどんどん増えてきた。元暗殺者の劉欣、薄い皮だけの妖(あやかし)・薄妃、苗人の少女・蒼芽香(そうがこう)、見かけは駄馬だが実は神馬の吉良、何にでも変身できる不思議な生き物・第狸奴(だいりど)などである。それぞれ今までの物語で出逢い、いつの間にかともに旅をすることになった。

 今回は西に吐蕃国(とばんこく・チベット)、東に大国・唐、そして南に南詔国に挟まれた程海という湖のそばの小さな地方が舞台である。

 程海という湖には不思議なものが沈んでいるという。宝物だともいい、鋼の人だとも云う。王弁達の一行はここで先ず、湖の底に沈んでいた常娥と出逢う。常娥は元は神様だったが、しくじって月にとらわれていた。罪を悔い、夫であった羿(げい・弓の名人で昔十個あった太陽のうち九つを射落として一つにしたことで有名)を探して地上に向かい、この湖の霊力に惹かれて湖底に沈んでいた。

 これはバラバラだった程海の人々が、外敵に立ち向かうために力を合わせるという物語である。最初はどうなるのかと思うが、他の物語と同様、僕僕に尻を押され、仲間に助けられて一番力のなさそうな王弁がいつの間にか重要な役割を引き受けて全てが解決に向かう。その繰り返しの中で仲間の絆は深まり、王弁も知らず知らず成長していくのだ。

 びっくりするような話なのに淡々と物語は進む。でも結構内容は深い。次は吐蕃国へ向かう気配だ。楽しみである。

 何のことか分からないが気になる人は是非このシリーズを読むことをおすすめしたい。読み出したらやめられなくなること請け合いである。登場人物が私のように大好きになるはずだ。

葉室麟著「刀伊入寇」(実業之日本社)

 副題は藤原隆家の闘い。隆家は藤原氏が隆盛を極めた藤原道隆の四男で、藤原道長の甥にあたる。枕草子を書いた清少納言が仕えた中宮定子の弟である。道長の娘・中宮彰子に仕えた紫式部ももちろん物語の中盤に登場し、清少納言と火花を散らす。

 11世紀初め、女真族が高麗を侵し、その勢いで日本侵略を企てて対馬を侵略、太宰府に上陸した。その数は千人を超えていた。それを食い止め、追い返したのが藤原隆家である。

 この物語は平安時代を描いているので貴族どうしの権謀術数の様が描かれているとともに当時の闇の世界が語られる。呪詛がまだ力を持っていた時代である。そのような時代に生まれた隆家は、この外難に立ち向かうべく運命づけられていたかのように生きて闘った。まだ武士は貴族に隷属するだけで集団としての力を持っていなかった時代である。そして隆家がいなかったらその当時の日本がどうなったのか、かなり危うかったのであるが、隆家の功績はほとんど歴史として語られることがない。

 刀伊とは女真族のこと、入寇とは外国からの侵略のことである。

 この事実がなぜ歴史に太文字で記されていないのか。当時の貴族達がこの外難を正しく認識していなかったこと、そして隆家が道長に嫌われていたために功績が評価されなかったためである。
 この隆家をめぐって様々な人物が関わり、妖異な事件や権力争いが語られるが、隆家にとって全ては空しい。自分の存在意味を最後に刀伊入寇の事件で初めて実感した隆家にとって功績の評価などどうでも良かったのだ。

 葉室麟の小説としてはやや毛色が変わっているが、人間の生きている意味を真摯に追い求めた人物を描いていると云うことでは同じである。読後感も良かったし、全く知識のなかった時代について興味を持つことが出来た。

「清末見聞録(清国文明記より)」・長安紀行・偃師①

 五里舗に着くと道の南に唐の許遠の墓がある。四尺くらいの小碑があり、題して唐睢陽太守許遠墓と云う。五時に偃師の西関、史家老店に到着した。行程七十里。桑原君の乗っていた馬車はさらに二時間ほど遅れて着いた。馬車は全く違う路を来たので桑原君は白馬寺以来私の見た諸古蹟を見ていないという。その代わりに偃師の西七、八里の処に斉の田横の墓を見たとのことである。斉の田横は東海の孤島に遁れ、のち詔によって旅程に上り洛陽の東、尸郷(しきょう)に到って自刎して死んだ。彼の墓のあるところは古の尸郷の地である。私はかつて山東を旅したときに田横島を通って彼の気節(きこつ)を多とした。今その墓に詣でてこれを弔おうとしたがついにこれを果たすことが出来なかった。商の湯王の墓もまた偃師の西にあり、路すがらこれを尋ねようとしたけれど桑原君も私も共に見つけることが出来なかった。 
 偃師は帝嚳(こく)の都を置いたところ、古の毫邑(はくゆう)である。また西毫(せいはく)と云う。殷の都として三毫の一つである。盤庚(ばんこう)が耿(こう)からこの地に移って、のちに号を改めて殷と云った。周の武王は孟津を渡って殷の紂王を朝歌に伐ち、師(軍隊)を回して戎(じゅう・兵隊)をここに休ませた。そこでここの名を改めて偃師(偃は休むこと)という。その由来はかくの如くで、その古蹟に富むこともまたかくの如し。偃師は洛陽以東、河南全省において最も興味のあるところの一つである。

*田横・・・戦国末期、斉の宰相だったがのちに独立して斉王となる。漢の高祖に仕えるのを嫌い、自殺した。

2012年7月 7日 (土)

葉室麟著「秋月記」(角川文庫)

 葉室麟は五十歳を過ぎて世に出た。直木賞を受賞した「蜩の記」を読んで葉室麟に出逢って以来、本屋の店頭で彼の本が眼に入れば購入して読んでいる。そして読んだ本ことごとくがすばらしい。

 この「秋月記」は以前読んだ「銀漢の賦」と物語の設定や流れが似ている。だからといって二番煎じなどでは決してない。登場人物達の個性やそこで起きる事件、その波紋の広がり方などが全く異なる。
 
 世の中には高潔の人というのが存在する。そして高潔の人でありたいと思う人が必ずいる。損得や人の評価よりも大事なものがあることを固く信じて、その美意識で一生を貫いた人の物語は胸を打たないはずがない。

 この物語では福岡藩の支藩である秋月藩の家老を務めたほどの主人公・間(あいだ)余楽斎(間小四郎)が、上意により処断を受け、ついには玄界島に島流しとなるところから始まる。

 小四郎の幼い頃からのエピソードが綴られたあと、彼が志を同じくした友とともに、藩を専横していたとされる家老の宮崎織部を告発し、その一味を藩から排除するいきさつが語られる。ことが収まったあと、これが実は秋月藩を福岡藩の意のままにするための策謀であったらしいことにうすうす気づかされることになる。誰が本当の敵で、誰が正しかったのか分からないまま、藩は福岡藩から派遣された人物の指示通りに動かざるを得なくなる。成り行きから小四郎達は取りたてられて藩の重職に出世していく。胸にはいつか秋月藩を自らの手に取り戻して経営するのだ、と云うおもいがたぎっているのだが・・・。

 武士というものがどういう存在であったのか、いやどういう存在であろうとするのが武士であるのか、と云うことを語って葉室麟はある意味で藤沢周平と並んだか、もしかすると越えたかと思う。

 生き方が貫ければ不遇など何ほどのこともない、と云う強い精神を美しいと心から思う。

いじめ?

 昨年10月の大津市の中学生の飛び降り自殺についていじめが原因かどうかいろいろ議論があるようである。

 継続的にいじめを行い、キャッシュカードの暗証番号まで聞き出し、日常的に金銭を奪っていたという。挙げ句の果てに自殺の練習を再三強要された上に自殺したのだと云うことが多くの証言から明らかになった。この生徒は担任にもたびたび電話などで事態を訴えて相談していたとの報道もある。

 市の教育委員会は、「いじめの実態を承知しながら見て見ぬふりをしていたなどということは絶対にあり得ない」とおっしゃっていた。責任を認めないためにはそうとしか云いようがないのだろう。
 これからマスコミは学校と教師、そして教育委員会のバッシングをエスカレートさせるだろう。

 問題点が二つある。

 一つは明らかにこれは通常の概念のいじめなどとは全く違う明らかな犯罪行為であることだ。未成年で、しかも学校が関連するとたちまちマスコミは「いじめ」問題として取り扱い、教育問題にしてしまう。だが少なくとも今回の事件は通常の犯罪として警察が取り扱うべき問題で、このような事件を犯した少年(いじめた側の少年)のような子供は学校や担任には手に余る問題だ。それに対する何の権限も実力もないだろう。この子供の親も学校や教育委員会に圧力(云えば脅しだろう)をかけているようで普通ではない。
 

 二つ目はマスコミの問題である。マスコミはこのような事件の時にはこのように反応する、と云うパターンにとらわれている。するとふざけあい程度のいじめと、このような犯罪との区別が付かないことになり(味噌も糞も一緒という奴だ)、犯罪を犯している少年は恐喝ではなくていじめと思い込むことで罪の意識を軽くしてしまう。本人にしたら実際に手を下して殺していないのになぜこんなに騒がれるのだろう、などと考えているかも知れない。当然自宅には脅しや嫌がらせの電話は殺到しているものと思う。

 ところで犯罪は個別の問題である。いじめは社会問題である。マスコミは社会問題として大所高所から批判をすることを好む。そのために少年犯罪を犯したものは犯罪に見合う制裁を受けることなく、それこそ社会のひずみの被害者の如き取り扱いを受けたりする。まともな精神の人には受け入れがたい事後処理がなされ、被害者とその家族は泣き寝入りせざるを得ないことが多い。これが社会不安を引き起こすエネルギーとしてたまっているような気がする。その現れが加害者や学校に対する匿名の正義の味方の嫌がらせや脅しである。

 まずこの件については警察に一任して犯罪行為を明らかにして加害者を断罪するべきである。警察もマスコミにおもねることなく、するべきことをするべきで、マスコミもねじれたおかしな口出しは控えるべきであろうと考える。そうすることが加害者の社会に対するゆがんだ観念を是正することにつながり、社会一般に対しても良い貢献をすることにつながるのではないか。

袋田の滝

120706_8袋田の滝。

袋田の滝は駐車場が有料。それも公営の駐車場がないようで、てんでんばらばら、運が悪いととんでもなく歩かないといけないような遠いところへ停める羽目になる。無理に突っ込んで行き、いけるところまで行く方がいい。滝へはトンネルを抜けていく。結構長い、しかもゆっくりのぼり勾配だがひんやりした風が通り抜けているので汗はかかない。

駐車場からトンネルまでの道のあちこちにあじさいが咲いていた。

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トンネルの終点の第一観瀑台から見えるのが最初の写真の景色だ。思わずおおっと息を呑む。絶景だ。

そこからエレベーターに乗ると第二観瀑台に行く。全景が見える。

120706_24第二観瀑台の展望台から見た景色。実際は凄く大きいが全景を撮ると収まってしまう。

120706_26アップしてみました。

120706_31_2吊り橋から第一観瀑台(左手)と滝を撮る。ここで見えている滝は全体のほんの一部の下の部分。

さすがに日本三大名瀑と云われるだけのことはある。すばらしい景色でした。たくさん写真を撮りました。みたことの無い人は是非ご覧になることをおすすめします。

「清末見聞録(清国文明記より)」・長安紀行・首陽山

 金墉城趾の東を義井舗(ぎせいほ)という。ここで桑原君を待とうとしたのだが、馬車は泥濘を避けてこの舗は通らないと聞いてさらに行く。新寨鎮を過ぎていくばくもなく路の北に小碑がある。古賢人伯夷叔斉墓道という。乾隆十五年に立てられたもの。墓は碑の西北、二千八百七十歩、首陽山にある。はるかに山巓に廟が見えるのがそれであろう。首陽山は伯夷叔斉が周の粟を食うを恥じて、蕨を採りしところである。しかしながら首陽山については諸家異説がある。『説文』には遼西にあると云い、馬融は河東の蒲坂崋山(ほはんかざん)の北、河曲の中にあると云い、曹大家は隴西にありと云い、戴延之の『西征記』には雒陽(らくよう)東北の首陽山に夷斉祠ありと云う。すなわち私の今見ている偃師県(えんしけん)の北西にあるものである。諸説いずれが正しいか分からないが、歴代の祀典にはいずれも河東蒲坂を正しいとして、馬融の説に従っている。それならば私が見ているこの首陽山は果たしてどうか。

2012年7月 6日 (金)

久しぶり

 今朝もバイキング式の朝食。食事しながら人々を眺めていると面白い。人間関係が見えたりする。
 思えばこのブログの一番最初、生まれて初めてのブログの文章が、十和田湖のホテルのバイキングの様子を書いたものだった。多くの人が肘をついて食事しているのが気になったのだ。
 今朝も全く同じ。多くの人が肘をテーブルに着けて食事をしている。
テーブルが高いとも思えない。肘をテーブルに着けたら箸を使いにくいのではないだろうか。見た目も余り良くないが、よく見るときちんと茶碗を持ち、正しい姿勢で食べている人の方が少ない。これでは若い人はもちろん、子供達の行儀が悪くなるのも当たり前だ。
 美意識、と云う観念が日本人から失われていくのを感じる。

 今日は袋田の滝を見物してからまっすぐ東へ向かい、海に出たら海岸沿いに南下して銚子まで行く。九十九里方面は私の生まれ育ったところ、その町に私と昔暮らしていた人とその母親が二人暮らししているのでそれを尋ねる。
 久しぶりである。その母親(変な言い方で申し訳ない・私の子供達からみればおばあちゃん)も来年90歳、最近は昼間も寝たり起きたりだというので気になっていた。様子を見ておきたい。病院に入るようなことになる前に、と云う思いもある。いろいろ用事もあるので今晩は更新が出来るかどうか分からない。

地震

 昨晩午前二時過ぎに自信があった。トンッと床が弾むような感じがして目覚めたらすぐグラグラッと揺れがきた。震度2か3か。
 今朝調べたら、震源地は福島県沖で最大震度3、ここ大子町は震度2と云うことだった。そのあとその近辺で小さな地震が続けてあったようだがそれは気がつかなかった。
 地震はまだ収まっていないのだと云うことを改めて実感した。3日のの東京湾(千葉県南部)、地下100Km震度4というのもかなり不気味な前兆のような気がするのは私だけではないだろう。

 悪いことが起こることを予言するのは一種の呪いだ(by内田樹先生)。予言した人はそれが起こる方が一目置かれることになる。無意識に予言したことが起こることを望んでしまうのだ。

 私は望んでいるわけではないけれど予感してしまう。これも口に出せば呪いか。大勢の人が同じように不安を感じているだろう。そのことを語ればそれも呪いだろうか。するとその総和はかなりのエネルギーとなって地震に働きかけることになってしまうのだろうか。

 呪いはそもそも人の心に働くもので、自然現象には関与しない(ことになっている)から大丈夫だと思うけれど。

「清末見聞録(清国文明記より)」・長安紀行・白馬寺

 十月二十三日午前八時半、洛陽を出発。桑原君は馬車に乗り、私は騎乗した。空は晴れたけれど道はまだぬかるんでいるので小道を迂回して大道を行く。洛河の北岸に沿って東行すること二十里、石碑があり、路北に横たわっている。題して管鮑分金処と云う。碑は乾隆十年に立てられた。いわゆる管仲が鮑叔と金を分けて自分が多くとったところで、地名はこれにちなんで分金溝という。また十里行き白馬寺に着いた。後漢の明帝が夢に大人を見て、目が醒めてから使いを発して教えを西方に求めたとき、白馬が経典を載せて洛陽にやってきた。明帝は洛西の雍門外に寺を建てて白馬寺と名付けた。すなわち、中国における最初の伽藍であり、永平八年のことである。
 門には白馬寺と題してある。嘉靖三十五年冬、司礼監太監黄錦の重建である。門を入れば左右に二碑あり、左碑は大宋重修西京白馬寺碑でいくつかに折れて倒れている。右碑は元の示順四年に立てられたもので、洛京白馬寺祖庭記である。中仏殿、大仏殿、大雄殿、雷音伝を過ぎて最後に毘廬閣(びるかく)がある。結構はすこぶる壮麗である。寺中の所々に明や清の重修碑文がある。寺の南を白馬寺村といい、その東数町に塔の狄仁傑(てきじんけつ)の墓がある。冢は高さ数尺に過ぎず前に二碑が並んで立っている。ひとつは宋の徽宗大観元年に范致堂(はんちどう)の立てたもの、題して有唐忠臣狄梁公墓と云う。碑陰には仏像数体が彫られている。もう一つは元の天順元年に立てられたもので唐宰相狄梁公墓道詩を刻してある。
 また、東数町に白馬寺の斉雲塔がある。十三級で高さおよそ二百尺、塔前には李中孚(りちゅうふ)撰、大金重修洛陽東白馬寺塔がある。また明の嘉靖三年、修白馬寺塔記がある。一基の碑があり、極めて古いものだが文字が摩滅して読むことが出来ない。
 白馬寺の東二里、魏の明帝が築いた金墉城(きんようじょう)の遺址がある。東西二面の土壁は今もなお残っていてその高さは最も高いところでおよそ二丈、多くは半ば崩れ、鋤かれて畑になってしまっているけれどなお歴然とそれと分かる。断続して南北に連なること四、五里、そうして東西二壁の間は七、八里離れている。大道がその間を通っていて古城の中央路の北に新謙金墉鎮記の碑があり、明嘉靖年間立てられたものである。鎮は今跡形もなく滅びてただその東門だけが残っているのみである。

2012年7月 5日 (木)

周りが見えない

 今晩のホテルはバイキング式。しかもビールなどの飲み物が飲み放題。宿泊代も結構安いので混んでいる。着いたのが遅かったせいか、駐車場も満杯で、少し離れた第二駐車場に置くことになった。

 夕食の時のことである。
 私はひとりなので、二人用の小さな席に座った。周りを見ると年配の人が多い。またおばさんの三、四人連れというのも多い。
 すぐ右となりの四人がけの処に老夫婦が向かい合わせではなく、隣り合わせに座っている。なぜ隣り合わせなのか、すぐ分かった。ご主人が目が不自由なのだ。向かい側では手が届かない。夫人がバイキングで取ってきたものを一つ一つ説明してご主人の前に並べている。割り箸も夫人が割って渡す。「御飯ですよ」、「おつゆですよ」、「茶碗蒸しですよ」、「エビフライですよ」。
 ご主人が茶碗蒸しを匙ですくってフウフウ吹いてからおっかなびっくり食べている。そうか、見えないから熱いものは特に慎重になるのだなあ。

 私のテーブルとその老夫婦のテーブルとのあいだは狭い。男ではとても通れない。女の細身の人でもどちらかのテーブルにおしりが乗るようにしないと通れない。私の後側に飲み物のカウンターがあるのだ。遅かったからそんな席しか無かった。その飲み物目がけてくると、この狭いところを通りたくなるのだろう。ただほんのちょっと回り込めば、通り道はもちろんある。

 この狭いところを中年の女性がたびたび通って飲み物を運んでいた。面倒見のいい人らしく、いつも仲間のグラスと二つ持っている。
 通り抜ける度にその目の不自由な老人の肩が押されている。何が起きているのか老人には理解できないようできょろきょろしている。夫人は食べ物を取りにいっていて席にいないから訳を聞くことも出来ない。
 同時にいつも私の席にそのおばさんの浴衣のおしりが乗っかって通り過ぎていく(多部未華子や剛力彩芽ならうれしいがおばさんでは・・・)。

 柱を二本立てて金網を張り、金網の向こう側にえさを置き、こちら側に鶏を置くと、鶏は必死で金網のあいだから首を出してえさをとろうとする。えさはもうちょっとで届きそうだが、決して届かないところに置いてある。鶏はいつまでもがんばり続けるという。
 実は柱の横には何もない。柱を回り込めば簡単にえさをとることができるのだ。猿なら瞬時にそれに気がついて回り込む、犬でも猫でも時間の問題でそれに気がつく。

 人間にも鶏頭(にわとりあたま)がいることがよく分かった。

浅間山から日光

120705_21鬼押し出し。


白樺湖から八ッ場ダム近くの吾妻渓谷を経由し、山越えで浅間山から日光へ向かった。軽井沢から浅間山方向へ走り、鬼押し出しを見物。昔は岩をよじ登ったりしたが、今は遊歩道が整備されている。

120705_30雲がかかっているのが鬼押し出しの原料を供給した浅間山。

120705_36浅間山の右手の噴火口。

軽井沢から山越えして日光へ行く。途中金精峠を越える。このきつい坂を軽乗用車三台とダンプカーがふさいでいて時速30Kmで走る。いらつく。

061103_041金精峠、日光側から。今回は車を停める余裕がなかったので数年前に撮ったもの。

061103_035竜頭の滝。この水が中禅寺湖へ注ぐ。

061103_009華厳滝。

今晩は大子(だいご)温泉(茨城県北部、袋田の滝が近い)に予約を入れた。日光から思ったより遠い。五時に着くと連絡したがとても間に合いそうもない。あせるときほどのろのろ走る車が前にいる。

気を落ち着けて遅れるのを覚悟で安全運転。どうにか六時前に到着した。ここはバイキング式。今ビールを三杯飲んで食事を食べて部屋に戻ったところ。控えめに食べた。

心配したネットはちゃんとつながった。

白樺湖にて

Dsc_0010


 白樺湖晩景。ほんとうはもっと暗い。

夕食後風呂に入ったあと、冷酒が廻ったところへ缶ビールを飲んだせいかそのまま爆睡。

 さすがに山の上の湖、朝はひんやりする。本日は曇天。

 昨日よりもネットがつながりにくい。天気のせいか。

120704_55正面が霧ヶ峰の山頂。ここから皆歩いて登っている。

120704_54_2遊歩道脇。樹はほとんどない。

120704_51正面にうっすらと見えるのは富士山?

120704_29北アルプスの山々も見える。

120704_32雲が綺麗。

電波が弱くてアクセスが遅い。ものすごく時間がかかる。昔みたいだ。

さあ朝風呂にでも行くか。

「清末見聞録(清国文明記より)」・長安紀行・福先寺

 明ければ二十二日、長途の旅の疲労を休めるため、洛陽で一日ゆっくりした。この日初めて晴れて空は拭ったような快晴。午後一時、東郭を出て前回見残した福先寺に詣でる。福先寺は俗に唐寺と称し、洛陽の東北七里、唐寺門村にあり、先に孟津を渡り、北邙を越えて洛に入ったときに経由したところである。寺中には唐則天武后御製、武三思書の碑文があるはずであるが、今は何もない。ただ一基の経字塔がある。文字は半ば摩滅して何時のものなのか判別しがたい。堂宇は光緒二十三年の重建である。

2012年7月 4日 (水)

白樺湖夕景

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ホテルの部屋からの湖畔の夕景。

先ほどの記事の途中で風呂に行き、缶ビールを飲みながら書き込んでいる途中で眠ってしまった。食事の時間になったので慌てて適当にまとめてしまった。

Dsc_0001

夕食の一部。このほかにそばが出た。冷酒を頼んだら、諏訪の地酒、真澄だった。養殖鮎の味噌田楽はちょいと味が濃かったが、酒にはまあまあか。すき焼き風の鍋はもう少し野菜が欲しいところ。肉はうまかった。御飯を食べ過ぎた。

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対岸のホテルも夕食か。

白樺湖

120704_1白樺湖。東南側湖の端っこから。

 ただいま白樺湖畔の小さなホテルに到着。目の前に白樺湖が見える。ぽつりぽつりと他のお客も到着したようだ。

 ここはなんと山の中なのにe-モバイルがつながる。

 いろいろかたづけているうちに出発が遅れ、朝九時過ぎになった。恵那まで高速に乗り、あとは地道で走る。19号線はトラックが多く、なかなかスピードを出せない。でもそのおかげで危うく取り締まりを免れることが出来た。危機一髪であった。

 いったん和田峠から白樺湖へ行き、車山高原からビーナスラインを途中まで戻って写真を知った。予想外の晴天で景色がよく見えた。

120704_18湖畔道路の道ばたに咲いていた花。

120704_20_6湖畔。

120704_34車山高原から白樺湖を望む。


ニッポンノホマレ

 コマーシャルソングだと思うのだが、何のCMだか知らない。

  サワーホマレー
    ニッポンノホマレー
   アアニーッポンニー
     ホマレーアーリ(レだったっけ?)ー

と云う歌だ。聞いたことのある人も多いだろう。

 この歌を聞くと何か尻の周りがむずむずして居心地が悪い。
応援歌のつもりなのだろう。でも澤穂希選手の気持ちになると(もちろん私は澤穂希ではないが、ときどきは何にでもなって考えてみたりする。なんだか山本夏彦みたいだが)こんな歌を歌われてはいたたまれないような気がする。
 もちろん本物の澤穂希選手はこの歌を聞くと元気になるし励まされているかも知れない。聞かれたら必ずそう答えるだろうと思う。
 でも私がなったつもりの澤穂希はこの歌が苦手だ。

 ワールドカップで優勝したばかりの頃にこの歌が流れたのならまた違う気持ちかも知れない。
 ワールドカップでは強豪を相手にあれよあれよという間に優勝した。日本チームもあれで実力を上げたし、さらにその後の厳しい練習でレベルアップもしているだろう。だが前回敗れた強豪達も雪辱を期して全力でぶつかってくる。
 戦列を離れ、ようやく回復して復帰した澤穂希選手は闘争心満杯だろうが、そこに不安も感じていないはずがない、と私は思うのだ。
 今は静かに応援したいときにあの歌は如何かと思うのである。

 これからしばらく旅に出る。旅先では山の中の温泉にも行くのでネットがつながらないこともあるだろう。本も読むつもりだし、ものも考える。その時にはぼちぼち書きためておくので、更新がなくてもときどき覗いてください。つながり次第更新します。
 留守はドン姫が守ってくれるというので心強い。娘よ!土産を楽しみにしてくれ。

 では行って参ります。

「清末見聞録(清国文明記より)」・長安紀行・再入洛陽

 十月二十一日、空はまた曇っている。午前六時半、新安を出発して澗水を渡り、行くこと五里、路の南に秦の甘羅の墓がある。碑の高さ三尺、題して秦甘上卿墓と云うここから坂道を上りきれば八陡(はちとう)村である。さらに行くこと三十里磁澗鎮に入って休憩する。鎮を出ていくらも経たないうちに雨が激しくなった。馬を急がせて谷水鎮に入り、雨を避けてまた鎮を出れば、東門外三、四里のところに朱買臣の墓がある。石碑に題して漢丞相長史朱買臣神道と云う。雨がさらに激しくなる。十里舗に入り、草を焼いて衣の濡れたのを乾かし、暖をとり、再び疾駆して午後四時、洛陽に着き、東関北、高陞店(こうしょうてん)に入る。

2012年7月 3日 (火)

中国ウオッチ・ケンカ二題

 高度一万メートルの飛行機の中で女性乗客五人がつかみ合いのケンカをした、と新華網が伝えた。
 
 昆明発武漢経由瀋陽行きの航空機の機内で、前の席の女性がリクライニングシートを大きく後ろに倒したことに後ろの席の女性が腹を立て、抗議をしたところ無視、そこで後ろの席の女性は前の座席を蹴飛ばしたという。これに怒った前の席の女性が後ろの席の女性を平手打ちした。それをみていた後ろの席の女性の母親や叔母、同級生などがこのケンカに参戦し、つかむ殴るの大ゲンカとなった。乗務員の必死の説得も聞かず、経由地で関係した五人の女性は強制的に降ろされる事態となった。
五人は警察にきつくしかられ、罰金を払わされたという。

 北京市西城区にあるコンビニエンスストアで客と店員が殴り合う事件が発生した。

 きっかけは、支払いを済ませた客がキャンペーン(サンドイッチを買うと果汁飲料をプレゼントするというもの)に気がつき、おまけを要求したところ、支払い前でないと出来ない、と店員に断られたことから始まった。それなら品物を返品して改めて買い直すから返品する、と客が言い出し、これも店員が拒否したことから客は興奮、訴える、と息巻きながら店員の名札をもぎ取って店を出て行った。これを複数の店員が追いかけて乱闘となったのだという。

 このコンビニエンスストアは日系のコンビニだが、今のところ日本批判につながるようなようすはないという(当たり前だ)。

 二つの事件から感じるのは中国人の自己主張の強さだ。絶対に譲らない、と云うそのかたくなさはちょっと手に負えない気がする。

 妥協が成り立ちにくい人たちのいる国とつきあうのは難しい。
 話し合えば分かる・・・などと安直に云う人がいるが、話し合えば分かることの方が珍しいのがどうも世の中みたいだ。

中国ウオッチ・不振の原因

 女子バレーボールのワールドグランプリの中国チームは、最終戦のアメリカとの戦いもストレートで完敗し、成績は一勝四敗と不振に終わった。
 監督によると原因はこの三週間のあいだ、選手たちは一切肉を食べていないせいで力が出なかったからだという。

 中国では見た目を良くするなどのために違法添加物が豚肉などに当たり前のように使用されている。これを食べるとドーピングで陽性が出てしまい失格になる可能性がある。ロンドンオリンピックに向けてそのリスクを避けるために肉を食べずにいたのだ。

 他の国の選手はどうしていたのだろう。自分の国から持ち込んだのか。
中国チームは、食品は日本から輸入したものを食べるか、いっそオリンピックまで日本で合宿すればいい。中国よりはずっと安全だろう。

 中国も今は選手だけの問題だが、今に子供たちも食べてはならないものだらけになるのではないか。

葉室麟著「柚子は九年で」(西日本新聞社)

 人には「情」のスイッチがあると思う。
映画を見て、音楽を聴いて、物語を読んで、そのスイッチが入ったときに心が励起して人は感動するのだろう。もちろん人によりスイッチの位置が違う。また、スイッチを入れるのは人であり、映画や音楽や物語ではない。

 この本は葉室麟の初めての随筆集だそうだ。
 あまり技巧を凝らさず、素直に淡々と思うこと感じたことを書き綴っている。その中にいくつかこちらのスイッチを入れる部分があった。
 
 葉室麟とはほとんど同世代である。彼が地方で大学生活を送り、その後の生活も地方で送ったことの意味が同じように地方の大学で過ごしたこちらには分かるような気がする。これは東京で大学生活を送った人間には分からないことではないだろうか。地方からの視点で世の中を見る、と云う能力は、弱者、敗者を自らに置いて考えることが出来る能力である。弱者や敗者にも意味がある、と本当に知る著者に共感を感じる。

拍手がない

 韓国で2日、議員選挙後の国会が開かれ、李明博大統領が演説した。
ところが演説中に一度も議員たちは拍手をしなかった。韓国国会では初めてのことである、と韓国メディアが報じていた。

 韓国の大統領は権限が大きいようだが、多くが引退後に不遇である。
「怨」の国と云われる国民性の故だろうか。逮捕されたり自殺に追い込まれたり、とそれぞれに理由はあるのだろうが、元国家元首に対する仕打ちではない。

 今回の報道が李明博の末路の兆しでなければ良いが。

 今政府高官の不正が大々的に報道されている。韓国はウオン安とアメリカなどと結んだFTAなどにより、貿易が急進し、自動車や電気製品が世界中に売れて経済的に豊かになった。これは李明博大統領の功績も大きいと云えるだろう。しかし今韓国経済もやや頭打ちになってきたらしい。国内的には貧富の差を怨む多くの民衆がいる。

 国が豊かになっても国民全員が豊かになるわけではない。ないものはあるものをうらやみ、ないことを怨む。

 これが大統領に向けられるのでは大統領もたいへんだ。それなのに皆自分だけはそんなことにはならないと信じて望んで手を挙げ火の粉をかぶっているように見える。

恵みの雨

 北朝鮮は観測史上空前の旱魃に見舞われていたが、29~30にかけて全土で大雨が降り、一息ついたと中国の新聞が伝えた。
 一部地域では暴風となったが、農耕地の深刻な渇水の被害はこれで回避され、恵みの雨になった。
 日本ばかりでなく、北朝鮮の気候も極端な異常気象に見舞われているようだ。これで北朝鮮のSOSは収まるだろうか。

 ひどい旱魃で食料援助を求めている、などというニュースを聞くと、つい甚大な被害があれば金王朝にダメージとなって何か新しい展開があるのではないか、などと考えていたが、必死で生きている人たちのことを思えば、心ないことであった。

 ところで北朝鮮では金王朝の神格化が進められているようだが、金正恩のあの原稿の棒読みスタイルの演説でカリスマが得られるのだろうか。覇気がなく、投げやりにしか見えないのはこちらの先入観のなせることなのか。

「清末見聞録(清国文明記より)」・長安紀行・函関明月

 長安の城上で仲秋の名月を見たいと願っていたが、その夜は雲に蔽われていてついに望みは叶わなかった。新安に到着した日、空は初めて晴れ、夜に入って十四日の月が皎々としている。月明かりの中、漢の函谷関に上る。秋霖が初めて晴れたので、まさに雨に洗われて明珠はいよいよ光を増し、露を帯びて桂花(けいか・金木犀)はさらに香りを強く発す。前には澗水を隔てて陡山(とうざん)に対し、後には新安城楼が高く山上に屹立するのを見、仰げば清光碧落に満ち、俯せば珠玉渓谷に満つ。四顧寂寥、ただ淙々と颯々との声を聞くのみ。吟情泉と湧き波と動きて、ために浩歌を発し、逍遙数刻帰ることを忘る。
(リズムがいいのであえて終わりの部分はそのままとしました)

2012年7月 2日 (月)

中国ウオッチ・ヒステリー?

 山東省臨沂市で、電動自転車に乗った四歳の女の子と母親に、乗用車が正面からぶつかるという事故があった。女の子は瀕死の重傷であり、通報で救急車が現場に向かった。

 乗用車の運転をしていたのは女性だったのだが、それからその女性が首をかしげるすさまじい行動をとった。

 その女性は着ていた衣服を脱ぎ去ると駆けつけた救急車の前に横たわり、救急車の通行を阻止したのだ。救急隊員はやむなくそこに救急車を置いて、女の子を抱きかかえて救急車に収容し、出発しようとした。

 ところがなんとこの女は救急車のドアを開け、瀕死の女の子を引きずり下ろそうとしたのだ。女はそのあと駆けつけた警察に逮捕拘留されたという。

 この女は学校の教師(!)で、被害を受けた女の子の母親とも顔見知りだった。当日は母親を連れて車を運転しており、電動自転車には正面からぶつかっていったようだ。しかもその直後自分の母親の首を絞めようとしたという。事故を起こしたのは母親のせいだとでも思ったのだろうか。

 理解不能のこの女の行動には憶測が飛び交っているが、普段は人づき合いのいい普通の女性だという。

 女の子が無事だといいがその後の情報はない。この女の行動について納得のいく解釈を思いつく人はコメントを乞う。

 理解できるとしたらあなたも少しちょっと・・・ですぞ。

朝昼兼用

 先ほど定期検診を終えて帰宅。朝昼兼用の食事をとって一息ついた。
 おかげで血糖値、血圧、尿酸値、コレステロール全て正常値の範囲であった。あんな粗食で、しかも(この数日だけだけど)酒も控えて悪い結果になるはずがない、と思っていてもちゃんと結果を聞くまでは不安であった。良かった。さあこれでしばらく酒が自由に飲める。

 小沢一郎が、この午後には50人を引き連れて離党することを発表するらしい。輿石幹事長との今日の会談は断ったという。それはそうだろう。何か合意の手がかりがあれば会談する意味があるが、互いに相手をねじ伏せて自分の意見を認めさせよう、と云うのでは合意など最初からあり得ない。

 ところで醜いのは山田元農水大臣だ。小沢グループの重鎮なのに民主党に残って参議院の結果を見てから身の振り方を決める、と云っている。もちろん今回の法案には先頭で反対票を投じた人間だ。
 この人が農水大臣の時の評判は際立っている。というのは農水省側の人々や農業者の多くの人にはすばらしい、と云われ、それ以外の立場で大臣室を尋ねた人は酷評する。自分の意に染まない人や自分に利のないと見た人に対しては横柄、傲慢な態度であったようだ。

 TPP反対の旗頭でものを語るときの姿に不快感を感じたのは私だけではないだろう(回りからの質問に対する非論理的な反論はむちゃくちゃだった)。このような人たちが日本の農業をスポイルしてきた、と云うのを絵に描いたような人物なのだ。

 また、鳩山由紀夫とその取り巻きも反対票を投じながら平然と党への残留を嘯いている。

 このように信義にもとる人間はそもそも組織を構成する一員になる資格がない。自分が正義であると云う信念があるのであれば組織を離れてから反対票を投ずるべきであった。当たり前だろう。

 今12:30、小沢一郎がまとめて離党届を提出したという速報があった。

葉室麟著「オランダ宿の娘」(早川書房)

 オランダ宿とは、江戸にあって、四年に一度オランダの使節が江戸城の将軍や大名に拝謁する際の定宿であり、長崎屋という。

 物語はその長崎屋の二人の娘の姉るんを中心に描かれているが、視点はるんに限られているわけではない。そこで出逢った人々の出会いと関わり、そしてやがて起きる奇怪な事件が、のちに有名なシーボルト事件へとつながっていく。

シーボルト事件の連座により、多くの有為な人が不幸な末路を辿る。その事件の裏にある真相が前半のいろいろな事件との関わりの中で明らかになる。

 出だしに江戸の大火の話が語られる。話で聞いていたよりも実際の江戸の大火の被害は大きなものであったようだ。物語に大火も大きく関係している。

 るんの妹の美鶴は不思議な能力を持っている。人に見えないものが見えるのだ。これは超能力と云うことではなく、人一倍感応性が高い、と云うべきか。

 人生は有為転変、その中で愛と信念があれば人はついに過酷な運命を生き抜くことが出来る、と葉室麟は語っている。

 この数日、本を読む集中力が途切れなくなった。精神のスタミナが若いときに戻ったようだ。酒を控えているからだろうか。その代わりほとんど出歩かないので運動不足で体重もリバウンドしてしまった。

 本日は内科の定期検診日。体重が増えたことで一言あるだろうが、血糖値や血圧は問題ないだろう。この粗食で問題があったら何を食べたらいいか分からない。

 水曜日頃から少し動き回る予定である。ブログの更新が少なくなりますが、勉めて発信を心がけるつもりなのでよろしくお願いします。

 特に来週は山の中や温泉に行くのでネットがつながらないこともあり得ます。当然ニュースも収集しにくくなりますので了解ください。

 さあ、もう少ししたら病院へ出かけよう。今朝は絶食、水だけ。どうせ半日ほとんど待ち時間だ。またゆっくり本が読める。

「清末見聞録(清国文明記より)」・長安紀行・殽山苦雨②

 もとの三頭の馬もこれに力を得て、行くこと数里にして十里舗に到る。すでに日はとっぷりと暮れてしまった。ここに留まろうとしたが空室がないという。さらに進む。また驢に騎乗する人に出会ったので無理矢理これも馬車につないだ。都合五匹に車を引かせて、五里ほどで廟宮に到る。客桟は三つあるという。ところがその三つとも一杯だといい、皆その庭にはすでに馬がたくさんつながれている。驢に乗っていた人はこの地の人だといい馬車から驢を引き離そうとするのを強いて引き留め、さらに先に行くといくばくもなく十余輛の荷車が泥の中で立ち往生していて通れない。待つこと一時間、何とか脱出したようで通り過ぎることが出来た。当日は十一日の月、暗雲を透かして微光があり、わずかに道がたどれる。馬が一頭よろけて倒れてしまった。御者と馬と驢を貸してくれている二人とが力を合わせてようやくこれを引き起こして、また進んだ。ようやく峡石に着いたのは夜十時を過ぎている。前回私たちが泊まった唯一の客桟で、すでに寝ていたのをたたき起こして聞けば空室はないと云って門を開かない。これを強引に開けさせて車を乗り入れた。磁鐘鎮で兵勇を一人先発させ、宿舎の用意をしておくよう命じていたので無理をしてここまで来たのである。それなのになんたることか、あの兵勇は何処に消えたかここには来ていないという。どうせ空室がないのであれば十里舗か廟宮に無理矢理宿泊したのであるが、今更仕方の無いことである。そこで宿の主人を土間に移らせ、その居室の坑(カン)の上に二人枕を並べて寝た。狭くて粗末な部屋だが、生き返る思いである。峡石から観音堂に到る二十五里は、殽山の中で最も路が険悪なところなので、翌日十八日は初めから馬を二頭増やして馬車を引かせた。途上十数輛の荷車を放置している者がある。昨夜行きくれたので途上で夜明かしをしたのであろう。泥濘は昨日と同じだが、雨は少し小やみになったのと観音堂よりも東は下り坂が多くなったのとさらに馬が五頭になったことで幸い無事に夕方には澠池(めんち)に到着することが出来た。
*同行した桑原博士の「考史游記」によれば「峡石の宿は・・・不潔筆舌に絶し・・・、この日の行路尤も艱み、この日の客舎尤も陋なり。」と書かれている。よほどつらかったようだ。

2012年7月 1日 (日)

中国ウオッチ・地震

 30日、新疆ウイグル自治区でマグニチュード6.6の地震があったとのニュースが入っていたが、けが人10人(多くは観光客)との情報だけであった。中国の地震はマグニチュード6以下でもかなりの被害で騒ぐ。続報があるはずだと思っていた。

 先ほどやっと入った続報によれば、一地区だけで2万2千人が被災、20人が重傷、家屋1650棟が倒壊したという。余震も続いているようである。
 他の地区の情報が加われば被害はもっと大きいものと推定される。

 新疆ウイグル自治区では大雨が断続的に降っており、今後さらに大雨が予想されているため、救援に向かった部隊の活動が困難になることが懸念されている。

また東京電力

 東京電力の株主総会で、大株主である東京都を代表して猪瀬副知事が質問に立ったときのことだ。
 猪瀬副知事が「東京都の猪瀬です」と名乗って質問を始めようとした。それに対して東京電力の会長が質問を遮って「番号は?」と問い返した。猪瀬副知事はそれを無視して質問を続けようとしたところ、再度会長から「番号は?」と問いかけられた。猪瀬副知事はそこで初めて投げかけるように番号を答えた。この場面を見た人は多いだろう。

 ルールとして名前と番号を名乗るようになっているのであろうから会長の問いかけは当然である、と考える人もいるだろう。
 しかしなぜ番号と名前が必要なのか。場面から見て質問の資格があるかどうかの確認を一覧表で行うためのようである。
 それなら東京都副知事・猪瀬直樹を今更確認する必要があると思う人間はいないであろう。そんなことは東京電力の会長も承知の上であることは明らかだ。それでも番号を繰り返し尋ねた態度の中に東京電力の会長という人物のみにくさを感じたのは私だけだろうか。

 あのみっともなさを自覚していないとすれば驚くべきことである。

東京電力

 東京電力の株主総会で社員の給料が普通の会社の平均より高いことが非難されていた。ボーナスも今年の夏は出ないし冬も出すなと云う。

 山本夏彦だったら云うだろう。人は焼きもちに大義名分が付くと何でも云う、と。

 自分が東京電力の人間だとしても、なるほど給料が減るのもボーナスが出ないことも当然である、と本当に思える人だけがそのようなことを云う資格がある。
 だがそのような人はそういうことを云わない。

葉室麟著『橘花抄」(新潮社)

 矜恃という言葉が好きだ。そして自恃と云う言葉も好きだ。

 人に胸を張れるほど矜恃も自恃も貫いてきたなどとは云わない。でもあるべき自分を見失わないよう意識してきたことだけは自信がある。そして現実の自分とのギャップを恥じながら生きてきた。

 だからこの本にあるような、葉室麟の語る物語の登場人物が矜恃を貫いている姿を見ると感動に胸が震える。矜恃を貫くことは時に人の理解を得られず、今流に云えば損な生き方を生きることになる。

 この物語は黒田藩のお家騒動の余波で父親を自死で失い、藩の重鎮である立花重根(しげもと)のもとに引き取られた卯乃が運命に翻弄されながらも重根とその弟、峯均(みねひら)とその家族に護られて毅然として生きていく姿を描いたものである。卯乃は視力を失うという苦難にも耐える。さらに過酷な運命が重根と峯均にものしかかる。

 最後に彼らを支えたのは卯乃であった。長い長い歳月を耐え抜いたあと、卯乃に幸せは訪れるのだろうか(もちろん訪れます)。

 葉室麟の本は読み始めるとやめられなくなってしまう。おかげで今朝は眠い。でももちろん読後感の満足の中にある。

「清末見聞録(清国文明記より)」・長安紀行・殽山苦雨①

 潼関から陝州に至る百八十里は軽舟に乗って黄河を下れば一日で到着するという。出来ればこれに乗りたいところだが、その料金がとんでもなく高いので舟で行くのはあきらめて再び車馬を雇う。桑原君は潼関に着いた日の夕刻から具合が悪くなり、閿郷(ぶんきょう)に着いた日の夕刻には最もつらそうだった。発熱三十九度四分に上る。雨は蕭々と降り函関を過ぎる。そうして殽山の雨が最もつらかった。
 十月十七日陝州を出発し、二十五里ほど先の磁鐘鎮を過ぎる頃から大雨となり、泥濘に車輪は半ば埋まり、深さは轂(こく・車輪の軸を受ける丸い部分)に達する。馬の苦労は尋常でない。数時間を費やして更に二十余里行き、張茅村(ちょうぼうむら)を過ぎる頃から、三頭とも疲労困憊して、打てど叩けど留まって動かない。御者ももうどうにもなすすべがない。雨はますます激しく降り、日は暮れ始めた。しかも泊まるつもりの駅はなお十数里先の遠くにある。かくして我々はこのまま殽山の山の中腹で風雨にさらされたまま一夜を明かさなければならないか、という苦境に陥った。我々は毛布にくるまり、二人で抱き合って暖まろうとしたけれど寒さは骨にしみ通る。私は何とかこれをしのげるだろう。しかし桑原君は病がまだ癒えていない。もし再び高熱を発すればどうしようと憂慮していると、たまたま騎馬で行き過ぎようとする者がある。これこそ天祐であるとその馬を引き寄せた。騎乗の人は、この馬は病気でとうてい馬車につなぐことは無理だといい、また急いで峡石に帰らなければならないからといって断ろうとする。それを無理矢理馬車につなぐ。

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