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2012年7月15日 (日)

ごめんなさい

 テレビの番組で、福島原発事故に関連した政府や東京電力の事故発生当時の対応について論じていた。そこに呼ばれていた事故調査に関わっていたというゲストが大事なことを言っていた。
「あのときにはこうするべきだった、と云うことが明らかなことがある。例えば米軍から実測の放射能の値が報告されていたのにそれが避難のために生かされなかった。誰がそれをきちんと生かさなかったか調べれば分かることであるが、誰も責任を取ろうとしない。一事が万事でごめんなさい、私が間違っていました、と云う人が誰もいない、と云うのが調査をしていて感じたことだ。そして誰も責任を取らずにいることが地元住民、ひいては日本国民が政府の言うことに不信感を持つことにつながっているのに誰もそのことに気がついていない。」

 誰も責任を取らない、と云うこの日本の慣例は先の戦争の場合もそうだった。A級戦犯が断罪されて責任を取ったことになっているが、断罪された方も日本国民も彼らが責任を取ったなどと本当に思っているのだろうか。A級戦犯の人たちは、責任は取らされただろうが、私が悪うございました、などとは毛筋ほども思っていなかっただろう。
 だからいつまで経っても中国や韓国(ついでに北朝鮮も)は、日本はあの戦争を反省していない、と突っ込みをいれてくるのだ。口先で謝罪を言っても本当にごめんなさいをしていない、と云われてしまうのだ。まだ日本はあの戦争の総括をしていない、と云われるとそうかも知れないと思う。なぜなら日本国民全てがあの戦争の被害者として免罪されたままになっているからだ。例えばインパール作戦の時にあの無謀で無意味な作戦を指揮した参謀や大将達は断罪されていない。日本人自身が日本の軍部を裁かない限り、戦争は完了しないだろう。ついでにいえばノモンハン事件の教訓や断罪をしなかったこと、中国での軍部のなし崩しの暴走を断罪していない。繰り返すが、日本人は、日本をあの戦争へ突き進めたその責任者を自らまだ裁いてはいないのだ。

 あれほどのことが見過ごされて許されたのだ、たかが原発の事故くらいで責任など取る必要があるだろうか、ということだ。この国の無責任体質は根が深い。

 ちなみにノモンハン事件、ガダルカナルの悲劇、マレー事件、ビルマ戦線全てに関連してその責任を負うべき辻政信は戦後何の責任も負わず、姿をくらましている。まさに日本の無責任官僚の象徴であり、輝ける神様だ。

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