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2012年7月12日 (木)

「清末見聞録(清国文明記より)」・長安紀行・宋王陵②

 太祖陵の東に二陵ある。太宗陵の北には六、七陵ある。隴圃の間に、華表や石像が点々と散在している。馬に騎して道もない田圃の間を走り回るのは困難で、しかも日も傾き始めた。そのほかの陵は見残して鞏(きょう・地名)に向かう。北に十余里ほど向かい、枯川(こせん)を渡って二つの小さな村を過ぎ、芝田鎮を東北七、八里の彼方に望みながら、旧大道に出て、さらに東に三、四里行くと路の北側に真宗陵を見る。その形式は太宗陵と全く同じく、石人石馬は一つもかけるものがない。太祖から哲宗に到るまでの八代の帝王の諸陵はみなこの地にある。故に八陵という。私はその三つを見て五つを見残したが、宗王の陵は全て同一形式によるものである。
 真宗陵の前に立てば宋の諸陵を点々と指摘することが出来る。この地は一帯が高原になっていて、南は崇山に対し、北は洛水を控え、東南西の三面は全て山で囲まれている形勢雄絶の場所なのである。
 ここからさらに東に十里余り行き、南山口村を経て五里舗に到って初めて本道と合流した。鞏県の南関に到れば客店はすでにどこも満室であった。桑原君は一時間以上前にこの地に到着していて東関にいて、使いを出して私を迎えてくれた。時に午後六時、偃師から鞏まで六十里、迂回して宋陵に詣でたからこの日の行程はおよそ九十里であった。

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