「清末見聞録(清国文明記より)」・長沙紀行・赤壁
大江(揚子江)は南から西へ折れ、また北に流れて東に行きすぐにまた北に流れて一大湾曲をなしている。これを名付けてファーマーベントという。午後二時にこれを過ぎ、日はすでに廬荻の間に没して煙波蒼茫の中、赤壁の下に到る。甲板に立って灯火の明滅する辺りを凝視し続けると、暗中かすかに左岸に一帯の丘陵があるのが見える。その端は江に没している。断崖はおよそ百尺、これが周郎が曹操百万の軍を鏖殺したところである。今江漢の間に赤壁と称するものはおよそ五つある。漢陽、漢川、黄州、嘉魚及び江夏である。黄州は蘇東坡によってその名が著われたけれども、孟徳が周郎に苦しめられたのは嘉魚の西、すなわちここである。時に空はすでに真っ暗で江山の形勢を詳らかにすることは出来ない。崖の上に題せる赤壁の二大文字も望見することが出来ないことが恨めしいが、あくまで想像をたくましくして千年の昔を思えば、舷側に砕ける波濤の音は剣戟相撃ち、矢石が飛び交う響きかと思われ、百万の軍勢が眼前に髣髴するのを覚えた。
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