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2012年7月25日 (水)

「清末見聞録(清国文明記より)」・長沙紀行・嶽麓山①

 嶽麓山(がくろくさん)は衡岳(こうがく)七十二峰の一つ、その北麓をなすので嶽麓と名付けられている。嶽麓書院のあるところである。小舟で湘江を渡り、水陸州を越えてまた一水を渡れば江に臨んで石坊がある。嶽麓書院の四字を題している。昔宋の真宗がかつて宸筆・嶽麓書院の額を賜ったことがある。あるいはこれではないだろうか。傍らに河南忠義墓碑がある。題して捍禦(かんぎょ)長沙南城忠骨大墓と云う。咸豊二年、長髪賊(太平天国の乱)が、長沙を攻めたとき、穴を黄道門下に穿って城中に入ろうとして城が破壊された。城兵は決死で闘い、死屍数百を以てその穴を埋め、ついに守りを全うすることが出来た。長沙が今日もあるのはまったくこの決死の人たちの力によってである。この墓はすなわちこれら忠死の士を祀るところである。由来、嶽麓は霊境としてみだりに一木として折ることが許されず、また埋葬することも禁じられている。曾国藩のような殊勲の士もついにここに葬られることがなかった。このようにこの忠死の士を葬るのは長く遺勲を後世に伝えるものではあるが、おもうに諸士は忠であるとは云え、わずかに一地方の長沙を全うしただけである。曾公に至っては長髪賊を滅ぼして天下を全うした大功臣である。それなのにこれに薄く彼に厚いことはかくの如しである。湖南人の清朝に対する思想はこれらの点にも窺うことが出来る。

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