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2012年7月29日 (日)

「清末見聞録(清国文明記より)」・長沙紀行・嶽麓山⑤

 これより峠づたいに頂上に登って神禹碑を見る。山骨が露出し、縦横各丈余の石壁の上に怪しげな古めかしい文字が刻されており、それを石亭が蔽っている。神禹碑はもとは岣嶁峯(こうろうほう)の上にあったという。韓退之(かんたいし)がかつて岣嶁山に上ってこれを探したけれども見つからず、曰く 千捜万索何処有、森々緑樹猨猱(えんどう・猿のこと)悲 と。ただしこの神禹碑は大禹が刻したものだと伝えられているけれども、もちろん後の時代の好事家の偽作である。そして嶽麓山の上にあるのはその最初の模刻である。
 これより下りに就けば、中腹に極高明亭がある。さらに数町ほどのところに道中庸亭がある。この二亭は共に朱子が創建したもので、康煕帝の時にその基礎の趾をもとに再建し、道光帝の時にさらに修理したものである。その下に道郷祠があり、宋の鄒浩(すうこう)を祀っている。山を下り終われば、書院の北は三閭大夫廟である。廟内に屈原の肖像と神位を安置している。庭中に梧桐二株があり、秋風にむせんでいる。

  沅湘流不尽、屈子怨何深、
  日暮秋風起、蕭々楓樹林、
          (戴叔倫)

とは実に私の言わんとしていることを尽くしている。

*戴叔倫の詩
 「三閭の廟」
  阮湘 流れて尽きず、
  屈子  怨み何ぞ深き、
  日暮 秋風 起こる、
  蕭々たり 楓樹林
**屈子は屈原のこと。忠誠を尽くしながら遠ざけられついに汨羅の淵に身を投じた。その怨みを思った詩である。

屈原については確か私の恩師である黒須重彦先生が本を出しておられたはずだが、手に入れる機会もなく今に到っている。でも屈原、と云うと先生を思い出す。先生に中島敦の「山月記」の解釈を徹底的に講義されたことが私の一部分として確かに残っている。

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