「清末見聞録(清国文明記より)」・長安紀行・漢口に入る
十月二十八日七時三十六分開車。確山に到る。中州の大平原はここに到って初めて山に迫り、西方に山岳が重畳としているのを望む。新安、明港を過ぎれば道はようやく峡間に入り、丘陵が起伏する。信陽、柳林を経て湖北省に入る。ここから孝感県までの間は、あるいは渓流に沿い、あるいは山間を過ぎていく。稚松青々、丘上に林をなし、楚竹芊々(せんせん・青々していること)茅屋を繞(めぐ)る。北中国の寂寞に厭きた私はぼんやりと祖国にいるような気持ちになっていた。もし児童が灰黒色の水牛の背に乗って水辺にいる姿を見たりすることがなければ、異国の地にいること気がつかなかったかも知れない。孝感より南はすなわち沢国である。幾多の湖沼を窓辺に見送り、午後五時四十分、漢口に到着して松廼屋に宿泊する。ここに長安紀行を終え、筆を楚江に洗うこととする。
これで長安紀行篇が終わりました。続いて明日から長沙紀行です。
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