「清末見聞録(清国文明記より)」・長沙紀行・ 洞庭を過ぐ
舟は洞庭湖を過ぎていく。洞庭は禹貢(うこう・書経の篇の一つ、中国を九つの州に分け、それぞれの地理や産物が記されている)に云う九江である。沅、漸、撫、辰、漵(じょ)、酉、澧(れい)、資、湘の九水、これが全て洞庭湖に注ぐことからこの名がある。また五渚(ごしょ)と云う。沅、澧、資、湘の四水が南から入り、荊江が北から合流して洞庭湖で湖となっていることから名付けられている。また、三湖とも云う。洞庭湖の南に青草湖(せいそうこ)があり、周囲二百六十里、冬から春には水が落ちて草が生える。洞庭の西には赤沙湖がある。周囲百七十里、水が涸れればただ赤い砂が砂漠のように広がった景色となる。夏と秋の頃に氾濫すれば洞庭、青草、赤沙の三つの湖が合わさって一つとなる。故に三湖と云い、あるいは重湖とも云う。また、別に巴邱湖、雲夢(うんぼう)等の名もあり、広袤(こうぼう・広さのこと)七百里、まことに乾坤を浮かべて狭いと感じさせない。
すでに舟はようやく湘江に入った。霊均(人名・屈原の字)が沙を懐いた(べきら)の辺り、孤雁が鳴きながら雲に入る。午後二時湘陰を過ぎれば、水の色は碧落(あおぞら)のようになり、両岸の煙樹茅屋、ぼんやり見ていると祖国の景色のようだ。十月三十一日午後六時半、長沙に到着し、直ちに轎(きょう・駕籠の一種)を飛ばして小西門を入り、宮村小華君を訪ねた。
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