「清末見聞録(清国文明記より)」・長沙紀行・岳陽楼
翌早朝煙霧の中、岳陽楼の下を通り過ぎた。楼は岳州府の西門楼で、楼の曲欄は洞庭湖の際に臨み建ち、その嘱望は皓々蕩々としてさえぎるものがない。唐の張説がかつて巴陵の守であったとき常に才人と相携えて楼上に登って詩を賦して以来その名は天下に知られている。宋の范仲淹(はんちゅうえん)の「岳陽楼記」についてはこれを知らない人などいないであろう。今、波の向こうに見える岳陽城の上に立って、乾坤(天地、昼と夜)日夜浮かぶ大観を展望することがかなわないことを恨めしく思い、愛吟の詩を誦して楼に対面する。すでに霧は晴れた。はるかに西南を望めば、煙波渺茫として天と水の境目も定かでなく、扁山(へんざん)は近くに浮かぶように見え、君山は遠くで眠るかのように見える。
*有名な(大好きな)杜甫の詩(著者はこの詩を意識している)
「岳陽楼に登る」
昔聞く 洞庭の水
今上る 岳陽楼
呉楚 東南に坼(さ)け
乾坤 日夜浮かぶ
親朋(しんぽう) 一字無く
老病(ろうへい) 孤舟有り
戎馬 関山の北
軒に憑(よ)って 涕洒(ていし)流る
(訳)
かねてから洞庭湖の大観を耳にして、機会があればと思っていたが、
今やっと願いが叶って岳陽楼に上る
古の呉と楚の国はこの洞庭湖によって東と南に分けられ、
天地のあらゆる事象は日夜この湖に影を映している
(我が身を顧みれば)親類や友人からの手紙も途絶えて
老いた病身を託すのはただこの舟だけである
故郷(長安)の北の辺りでは戦乱がやまず、
(あれこれを思って)楼上の手すりに寄りかかれば止めどなく涙が流れてくるばかりである
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