薬研温泉・薬研荘
27日の宿は下北半島の恐山からさらに北側、山の中の薬研温泉。さらにその奥には奥薬研温泉というのもある。
靑森では三内丸山遺跡を駆け足で見た。それほど急がなくてもいいのだが、今日は北東北も関東も名古屋もほとんど気温が一緒の暑い日で、三内丸山遺跡のさえぎるもののない炎天下は目がくらむような、そして顔が火ぶくれするような強烈な日差しで、ゆっくりしていられなかったのだ。クーラーの効いている車の中が一番楽だ。それでも一時間弱居た。期待以上のすばらしさで、丁寧に見たら半日でも足りないかも知れない。涼しいときにまた来たい。
その代わり恐山はゆっくり見た。一昨年、同じ時期に来たときは約一時間で一回りしたが今回は二時間近くかけた。こちらも炎天下、ただしやや山の中なので気温は少し低い。堪能した。でも日に焼けた。
そしてさらに山越えして薬研温泉へ。着いたのが三時前である。宿のたたずまいを見てがっかりした。古ぼけてみすぼらしい。しかも玄関には「ただいま出かけております。用事のある方は以下の電話番号に電話してください」と札が下げてある。仕方がないから奥薬研温泉を見に行った。そしてヒバの試験林と、薬研温泉と奥薬研温泉の間にある薬研渓谷の遊歩道を三十分ほど散策した。ようやく四時前になったので宿に着くとまだ札が下がっている。車の中で待つことしばし、おばさんが帰ってきた。
見た瞬間にこのおばさんは出来る!と直感した。若い頃は東北美人だっただろう。案内に随って玄関を入ると、外観を欺く(ちょっと言葉の使い方が変だがそんな感じなのだ)中の清潔で手入れの行き届いていることにびっくりした。おばさんは大きな声で話す。部屋に案内する間も、そのあと部屋でお茶を淹れながらも座り込んで滔々と話す。それが結構ユーモラスなのだ。でもそれに対する私の返事をどこまで聞いているのかよく分からない・・・。この宿は全部で八部屋、本日の客は私だけだそうである。
部屋に朝日新聞のコピーが置かれていて、おばさんが紹介されていた。
2012年4月29日の記事。一部抜粋する。
(前略)青森県下北半島にあるむつ市大畑町薬研で温泉旅館「薬研荘」を営む原早苗子(58歳)さんは(中略)人呼んで「薬研温泉のカモシカ女将」山菜キノコ採りの名人にして山歩きの達人だ。「カモシカの通れる場所は通れる」と岩場を進み、「どんな山でも自信あり」と豪語したテレビクルーたちを「殺される」と恐れさせ、山を下りるスピードは通常の数倍。目撃した森林管理署関係者が「てっきり滑落してるんだと思った」と驚くほどだ。(後略)
出来るおばさんなのだ。訛もそれほどきつくないので分かりやすい。愛知県の小牧に住んでいたこともあるそうだ。隣町だ。年齢より若く見えるし、山歩きをしているのにそれほど日に焼けていない。
もちろんこの宿にはクーラーなどはない。そもそも最高気温が30℃を越えることは年に数日しかない。そんな日でも朝晩は20度近くになるので極めて快適な・・・はずだが、なんとこの日の最高気温が32℃。「日が落ちたら涼しくなりますから」という女将の言葉を信じて早速風呂に入る。
女将によればここの湯は「肌の当たりが少しきついので実際の温度より熱く感じるが、入っているとそれほどでもない。ただし上がったあとで汗が噴き出す。それも湯に入らなかった顔や頭から汗が出るので長湯をすると収まるまでたいへんです」とのこと。
汗が噴き出すのは嫌いではない。長湯をしてやろうではないか。
「薬研地区の上水は湧き水を使っているので冷たくて美味しい。汗をかいてのどが渇いたら水道の水を飲んでみてください」。との女将の言葉もあった。長湯のあと扇風機を最強にして、流した汗を水道で補い、ビールで補い、缶チューハイで補っても汗は止まらなかった。
夕食は満足するものであった。あとで写真を掲載するのでそこで個別に説明する。夜になって辺りが真っ暗になる頃、窓から入る風は一気に涼しいものになり、極めて快適な夜になった。
薬研荘の電話番号 0175-34-2779
車でないときは、JR大湊線の下北駅でおりてバスで大畑駅下車。そこからさらに車で15分ほどかかるので予約の際に車で迎えに来てもらうように頼むしかない。念のため、薬研はやげんと読む。
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