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2012年9月

2012年9月30日 (日)

死因に疑問

 薄煕来の妻が、英国人実業家を毒殺されたとして執行猶予付きの死刑判決を受けたが、中国の最高人民検察院(中国の最高検察庁)所属の法医学者が、この実業家の死因に疑問を持っていることが報じられた。

 この法医学者によると、この実業家は青酸化合物により毒殺されたことになっているが、公判記録には青酸化合物に特有の症状が全く記載されていなかったという。このような不確かな証拠では科学的根拠に乏しいとこの法医学者は疑問を述べたようだ。

 そもそもこのような事件は、結論が先に決められた上に状況が作られているのだから、専門家からこのような疑問が出るのは当たり前だろう。しかし普通はそのような疑問は握りつぶされるはずなのにマスコミに取り上げられるというのはどういうことだろうか。もちろんこの記事は即時に削除されている。この法医学者の身が心配だ。中国にはときにこのような硬骨漢がいる。

 まだ薄煕来の影響力が生きていることだろうか。薄煕来は共産党の党籍を剥奪されてしまったので、政治生命は失われた、とされているが、復権が絶対ない、とは云えないと私は見ている。

野田首相に新たな勲章

 中国大手メディアが歴代の日本の首相についてアンケートを採った。
反中と見なされた首相として名前を挙げられたのは、あの小泉首相が33.3%であったのに対して、なんと野田首相がぶっちぎりの47.3%でトップであった。中国が「右傾化」の象徴として非難している安倍首相はわずか4.6%。野田首相に新たな勲章が加わった。余程いやな奴と思われているみたいだ。その気持ちはわかるけれど。

 ちなみに親中と見なされている首相は田中角栄が30.8%で一位、二位が鳩山由紀夫7.9%、三位村山富市4.9%であった。
 田中角栄は別格として、二位も三位もそれは中国にとっていい首相であったことだろう。その分、日本にとってはいない方が良かった首相ということでもあるけれど。

 先日中国にこの好感を持たれている某鳩山由紀夫も招待されていた。不用意な発言でもしないかとはらはらしていたが、何事もなかった。多分リップサービスでピーチクパーチクしゃべったにちがいないけれど、中国側も馬鹿にして本気で取り上げなかっただけかも知れない。不幸中の幸いである。

右傾化

 アメリカの新聞が、日本が右傾化している、と次々に報じているという。そういう印象が持たれているというのは、中国や韓国のプロパガンダが奏功していると云うことかも知れない。

 自民党はもともと結党以来の綱領が「憲法改正」であり、現状の日本の状況よりは「右傾化」を目指していることは今更云うまでもない。しかし問題は、本来リベラルを標榜している民主党が政権にあるときに、日本が右傾化している、と見られている、と云うことだろう。これは民主党が民主党でなくなったという事実を表している。アメリカメディアは二大政党が共に右傾化し、日本にリベラルな政党が存在しなくなった、と報じている。

 自民党がそのような見方から「右派」だとするならば(私からみて、自民党が「右派」などととても思えないが)、今までそれがなぜ大きく取りざたされなかったのか。それは日本国民が「右傾化」を望まなかったからに他ならない。そもそも日本の右派、つまり右翼の恐ろしさはマスコミが一番身に染みて知っていることだ。暴力団と癒着し、暴力で言論を支配しようとする。国民はよく分かっている。

 今中国と韓国が日本に対して行っていることは何だ。あれこそ日本の右翼と同じやり方ではないか。左のさらに左はぐるっと回ってついに右に行き着いてしまうのか。それなら座標軸を少しずらして日本も、左を標榜する民主党ではなく、少し右寄りにすること、それこそがリベラルではないか。こうなると何だかわけが分からなくなる。

 全て国家は自国の利益を最優先に考え、行動する。日本にリベラルを求めるアメリカの心性というのは、自国を最優先に考えず、相手の言いなりになる日本を期待している、と云うことに他ならないのではないか。そうして人の良い国として振る舞ってきた日本に対しての仕打ちが、今回の韓国と中国の日本バッシングである。今まで通りの日本でいてくれ、と云われても、好い加減にしてくれ、と云うのが普通の感覚の日本国民の気持ちだろう。「右傾化」を促しているのは何のことはない、中国であり、韓国であり、アメリカなのだ。

 此処で押さえておかないといけない事実は、アメリカは、日本が韓国や中国と、アメリカ以上に親密になることには絶対反対であり、そうなりそうになったら必ずそれを離反させるような工作を行うつもりでいる国だと云うことだ。

 中国とアメリカが突然国交を開くことを表明した時、田中角栄が機敏に対応して、アメリカを出し抜いてアメリカより先に日中国交を回復し、出し抜かれたキッシンジャーは激怒したという。その後日本は中国に巨額の援助を行い、日中関係はきわめて良好に進展した。アメリカがその後何をしたか。
 ロッキード事件を演出し、田中角栄を政治的に葬ることで報復したのだ。中国はそれがわかっているから、失脚後の田中角栄に対して恩義を忘れなかった。

 かつて安倍首相が首相になってまっさきに訪問したのはアメリカではなく、中国であった。日本にとって小泉首相時代に損なわれた中国との関係修復が最優先だと判断しての行動は中国には好感を持たれた。その証拠に安倍首相は靖国参拝に対して中国が強硬に言質を求めてもそれに対して曖昧にしたままなのに、安倍首相時代の中国との関係は最も良好だった。これはアメリカにとって極めて不快なことだったようだ。

 安倍首相はアメリカ訪問の際に病気が悪化、晩餐会の席上に食べたものを嘔吐して倒れる、と云う失態を演じた。これからしばらくして病気を理由に、彼は首相の職を突然辞した。

 これは私の妄想だが、まさかアメリカも毒を盛るような極端なことはしなかっただろうが、安倍首相に個人的なことも含めて徹底的なストレスを与えていた気配がある。病気は確かにあったのだろうが、それを深刻な状態にまで追い込んだのはアメリカの意図的なやり方だったように思っている。そしてその後から中国との関係は(経済は別にして)一気に冷え込んでしまった。そしてアメリカとの関係を損なってでも(それは鳩山氏のおかげで予想以上に成功してしまったが)最も中国と融和したいように見えた(これはアメリカにとって最悪のシナリオである)民主党が、ついにその関係を破綻させてしまった(アメリカにとっては思惑通り)。

 今回阿部氏があえて自民党総裁に選ばれ、このまま行けば首相に再びなることを承知で立ち上がったことは、当然彼に中国に対してもアメリカに対してもいささかの目算があるであろうと確信する。そうでなければ前回の轍を踏むだけなのを一番わかっているのは本人だろう。

 アメリカの新聞が中国に迎合して「右傾化」などと報じるのは安倍首相誕生を見越してのアメリカの意図的な反応なのだろう。がんばれ、安倍さん、石破さん。

 

心配無用

 中国は、旧ソ連製の空母「ワリャーグ」を購入し、大規模な改修を行って中国初の空母「遼寧」として就航させた。この遼寧をモデルとして次の空母の製造を始めているとの情報もある(中国は公式には認めていない)。これにより中国の海軍力が飛躍的に強化された、と中国は自負している。

 これに対してロシアの専門家が、「遼寧」は時代遅れの空母であり、日本は心配無用であると述べた。そもそも中国は「ワリャーグ」を購入する際に、使用目的を「海上カジノとして使用する」と説明していたという。「ワリャーグ」はもともと設計に不備のある欠陥船であるという。

 アメリカの専門家の情報では、ワリャーグが中国に引き渡された時には海上カジノに使うという建前にあわせて、エンジンが搭載されていなかった。本来のエンジンは少なくとも蒸気タービン、最新式ならガスタービンエンジンを積まないとまともに走らない船なのだが、中国にはそのエンジンがない。そこで通常船舶用ディーゼルエンジンを積んだ。そのためにスピードが出ないので、攻撃されると極めて弱い。そしてスピードが出ないと艦載機の離発着の揚力が不足する。艦載機の能力もまだ不十分なために離発着が極めて危険を伴うものになるとみられ、事実いまのところ艦載機の離発着訓練は全く行われていない。映像で見てもヘリしか搭載されておらず、艦載機の姿はなかった。

 その図体の大きさで中国国民に対して戦意高揚に大きく寄与しているものの、周辺国に対してはいたずらに脅威を与え、中国に対する警戒感から軍備の増強を促す働きしかしない。

 ロシアもアメリカも「遼寧」程度の空母については、ただの張り子の虎であるから日本は当面心配はいらない、と伝えている。

「上海游記」・城内(中)

 それから少し先へ行くと、盲目の老乞食が坐っていた。--一体乞食というものは、ロマンティックなものである。ロマンティシズムとはなんぞやとは、議論の干ない問題だが、少なくともその一特色は、中世紀とか幽霊とか、アフリカとか夢とか女の理窟とか、何時も不可知な何物かに憧れる所が身上らしい。してみれば乞食が会社員より、ロマンティックなのは当然である。処が支那の乞食となると、一通りや二通りの不可知じゃない。雨の降る往来に寝ころんでいたり、新聞紙の反古しか着ていなかったり、石榴のように肉の腐った膝頭をべろべろ舐めていたり、--要するに少々恐縮する程、ロマンティックに出来上がっている。支那の小説を読んで見ると、いかなる道楽か神仙が、乞食に化けている話が多い。あれは支那の乞食から、自然に発達したロマンティシズムである。日本の乞食では支那のように、超自然な不潔さを備えていないから、ああ云う話は生まれて来ない。まずせいぜい将軍家の駕籠へ、種子島を打ちかけるとか、山中の茶の湯を御馳走しに、柳里恭を招待するとか、その位の所が関の山である。--あまり横道へ反れすぎだが、この盲目の老乞食も、赤脚仙人か鉄枴仙人が、化けてでもいそうな格好だった。殊に前の敷石を見ると、悲惨な彼の一生が、綺麗に白墨で書き立ててある。字も私に比べるとどうやら多少うまいらしい。私はこんな乞食の代書は、誰がするのだろうと考えた。
 その先の露路へさしかかると、今度は骨董屋が沢山あった。此処はどの店を覗いて見ても、銅の香炉だの、埴輪の馬だの、七宝の鉢だの、龍頭瓶だの、玉の文鎮だの、青貝の戸棚だの、大理石の硯屏(けんびょう)だの、剥製の記事だの、恐るべき仇英だのが、雑然とあたりを塞いだ中に、水煙管を咥えた支那服の主人が、気楽そうに客を待ち受けている。次手にちょいとひやかして見たが、五割方は掛け値であるとしても、値段は格別安そうじゃない。これは日本へ帰った後、香取秀真(ほづま)氏にひやかされた事だが、骨董を買うには支那へ行くより、東京日本橋仲通を徘徊した方が好さそうである。
 骨董屋の間を通り抜けたら、大きな廟のある所へ出た。これが画端書(えはがき)でもお馴染みの、名高い城内の城隍廟(じょうこうびょう)である。廟の中には参詣人が、入れ交わり立ち交わり叩頭に来る。勿論線香を献じたり、紙銭を焚いたりするものも、想像以上に大勢ある。その煙に燻るせいか、梁間の額や柱上の聯は悉く妙に油ぎっている。殊によると煤けていないものは、天井から幾つも吊り下げた、金銀二色の紙銭だの、らせん状の線香だのばかりかも知れない。これだけでも既に私には、さっきの乞食と同じように、昔読んだ支那の小説を想起させるのに十分である。まして左右に居流れた、判官らしい像になると、--或いは正面に端座した城隍らしい像になると、殆ど聊斎志異だとか、新斉諧だとかと云う書物の挿画を見るのと変わりはない。私は大いに敬服しながら、四十起氏の迷惑などはそっち除けに、何時までも其処を離れなかった。

2012年9月29日 (土)

争議

 中国山西省太原市にある工場で労働争議が発生した。この工場ではこの数年の間に自殺者が何件か発生しており、劣悪な労働環境が原因だと云われていた。世間の注目が集まる中、工場側も待遇改善に動き出していた所だという。

 当初数人の労働者とと警備員との間で些細なことでいざこざが発生、日頃わだかまりがあったことから労働者側が大勢これに加勢し、一気に工場への抗議行動に発展した。最終的に2000人が参加し、40人が病院に運ばれた。

 この工場は台湾の会社の子会社だと云うことだが、この工場の抱えていた問題が原因と云うよりも、中国の労働者の殆どが抱えている不満、
不公平感が原因のような気がする。

 欲望が肥大化していくと、自分だけが損をしているような焦燥感にかられる。自分を相対化させることが出来ない無数の群衆が、色々な形で見聞きする豊かな人々のようすに不満のエネルギーをため込んでいる。

 今回の反日暴動が突発的なものなどではなく、火種さえあればいつでも炎上する状態であることの、象徴的な事件だと思う。今後とも同様な争議は続発するだろう。報道がないので知らないだけで、既に続発しているのかも知れない。

注文

 共同通信の記事によれば、ニューヨークで玄葉外務大臣と会談したクリントン国務長官が、尖閣問題について日本に注文をつけたそうだ。

 「注意深く、慎重かつ効果的に」行動することを要請したそうだ。

 思うに玄葉外務大臣は、当然のようにアメリカに対して尖閣問題についての協力を要請したのであろう。

 「注意深く、慎重に」というのは、今回の尖閣国有化についての日本政府の相手を見ない拙速な行動について苦言を呈したのであろう。
 日本は不手際であったことを自覚し、自力で出来る事を自分でよく考えて効果的な行動をするように、そして困ったからアメリカに頼む、と云う安易なことにはアメリカは乗れませんよ、と云ったのだ。

 玄葉君はそれが理解できただろうか。多分出来なかっただろう。出来ているぐらいなら国有化の閣議決定について的確な注文をつけて野田首相をいさめたはずだ。

 同盟国であるアメリカの国務長官にすら日本に協力を快諾させる事も出来ない外務大臣が、今敵意をむき出しにしている国との交渉など出来る道理はない。情けないことだ。ただでお願いして物事がかなうと思う甘いお坊ちゃんには外交は無理だ。お土産も思いつかないか、思いついてもつまらないものだったのかもしれない。

 ところで藤村官房長官が、左側(画面で見ると向かって右側)を向いて、ときに一瞬だけ鼻でせせら笑っているように見える。以前から気になっている。癖なのだろうが非常に不愉快だ。そんな風に感じているのは私だけだろうか。それを感じませんか。最近注意しているようだが。

映画「ブリッツ」2011年イギリス製作

 監督エリオット・レスター、出演ジェイソン・ステイサム、パディ・コンシダイン、アイダン・レイン。

 この頃イギリス映画を続けてみている。特にイギリス映画を選んでいるわけではない。イギリス映画は無意味に長いハリウッドものと違って、100分以下でぴりっと締まっているものが多い。短めの映画を選ぶとイギリス映画に当たる事が多いと云う事のようだ。

 サウスロンドン警察の刑事ブラント(ジェイソン・ステイサム)は暴力的で容赦のない捜査を行うため、警察の幹部たちからは鼻つまみだった。ダーティハリーよりやる事はえげつない。

 其処へ新たに上司としてナッシュ警部(パディ・コンシダイン)が赴任してくる。ホモだという噂がささやかれ、警察内部では人気がない。ブラントは早速ナッシュの家へ乗り込み嫌がらせをしようとするが、ナッシュが見かけによらず意外に硬骨漢であり、自分と波長が合うことを知る。

 女性の巡査が夜間の警邏中に射殺される。そうこうしているうちに再び警官が白昼公然と射殺される。

 ブラントは自分が使っている情報屋から、怪しいと思われる男の情報を入手、ナッシュと共にその男バリー・ワイス(アイダン・ギレン)のもとへ行き、強引な家捜しをするが何も見つからない。しかし疑いが濃厚であると直感する。

 証拠が見つからないのでとりあえず引き上げるが、すぐに張り込みをかける予定であった。ところがワイスはすぐ自宅から逃亡する。その様子をあの情報屋が見ていた。

 ワイスはもちろん犯人であり、映画を見ている人にはその襲撃の様子が明らかにされる。ワイスは三人目を襲撃する。ナッシュの前任者で、ブラントをかばってきたロバーツである。この襲撃は新聞社に予告通知される。その時にワイスが名乗ったのが「ブリッツ」という名前だった。

 情報屋はワイスを尾行して、犯人である証拠をつかむ。新聞社にそれをネタに情報料を請求し、まんまとせしめる事に成功するのだが逆にワイスにそれを察知され、惨殺されてしまう。

 ワイスと襲撃された警官たちとの関係が判明し、次に想定される被害者が推理されてブラントたちは急行するのだが・・・。

 紆余曲折を経てワイスは逮捕される。ところが証拠は全て持ち去られており、状況証拠のみしか残っていない。限られた拘留期間ではワイスの犯行を証明できない。そしてワイスは英雄のように釈放される。
 次に襲われるのが誰かは、今となってはわかっていた。ブラントとナッシュは罠を仕掛ける。まんまと罠にはまったワイスは「罠だとわかっていた」とうそぶく。そしてブラントとナッシュが何をしたか。

 ラストは痛快であるが、全てはブラント自身が蒔いた種である事も判明し、ブラントの心境は複雑だろう。

 テンポが良く、見ている方もだんだんテンションが上がって一気にそれが解放される。例によって画面はイギリス式のやや暗めの色調。これ、嫌いではない。

落書き

 韓国のモニュメントに落書きしたり、文字の書かれた杭が差し込まれたりする事件が続いている。慰安婦像や、記念館への事件は日本人が犯人だったとして告発された。犯人と目されている当人は日本に帰っていて召喚には応じていないという。馬鹿だし、恥ずかしい男だ。

 最近は石碑などに「明治維新」と書かれていたり、日章旗が描かれたりする事件が続発した。所がなんと「明治維新」という文字は漢字ではなく、ハングルで書かれていたそうだ。反韓をこんな形で行う日本人にハングルの知識があるとは珍しい、と思っていた(たぶん日本人のはずがないと思っていた)ら、案の定見つかった犯人は38歳の韓国人の男であった。

 中には男女の性器を表す絵もあったと云うから語るに落ちる。
明治維新というのはインターネットで知ったと云う事だ。もちろん韓国人が全部こんな男みたいだなどと思わないが、韓国も恥ずかしい事だろう。

 中国だったら犯人を見つけても闇から闇に葬って、あくまで日本人が犯人だと言い張る可能性があるから、まだ正直に事実を発表するだけ韓国には救いがあると云える。

「上海游記」・城内(上)

 上海の城内を一見したのは、俳人四十起氏の案内だった。
 薄暗いあめもよいの午後である。二人を乗せた馬車は一散に、賑やか
な通りを走っていった。朱泥のような丸焼きの鶏が、べた一面に下がっ
た店がある。種々雑多の吊洋燈(つりランプ)が、不気味な程並んだ店
がある。精巧な銀器が鮮やかに光った。裕福そうな銀楼もあれば、太白
の遺風の招牌が古びた、貧乏らしい酒桟(チュザン)もある。--そん
な支那の店構えを面白がって見ている内に、馬車は広い往来へ出ると、
急に速力を緩めながら、その向こうに見える横丁へ入った。何でも四十
起氏の話によると、以前はこの広い往来に、城壁が聳えていたのだそう
である。
 馬車を下りた我々は、すぐに又細い横町へ曲がった。これは横町と云
うよりも、露地と云った方が適当かも知れない。その狭い路の両側には、
麻雀の道具を売る店だの、紫檀の道具を売る店だのが、ぎっしり軒を並
べている。その又せせこましい軒先には、無暗に招牌がぶら下がってい
るから、空の色を見るのも困難である。其処へ人通りが非常に多い。う
っかり店先に並べ立てた安物の印材でも覗いていると、忽ち誰かにぶつ
かってしまう。しかもその目まぐるしい通行人は、大抵支那の平民であ
る。私は四十起氏の跡につきながら、滅多に側目も振らない程、恐る恐
る敷石を踏んで行った。
 その露地を向こうへ突き当たると、噂に聞き及んだ湖心亭が見えた。
湖心亭と云えば立派らしいが、実はいまにも壊れ兼ねない、荒廃を極め
た茶館である。その上亭外の池を見ても、まっ蒼な水どろが浮かんでい
るから、水の色などは殆ど見えない。池のまわりには石を畳んだ、これ
も怪しげな欄干がある。我々が丁度其処へ来た時、浅葱木綿の服を着た、
辨子(ベンツ)の長い支那人が一人、--ちょいとこの間に書き添える
が、菊池寛の説によると、私は度々小説の中に、後架とか何とか云うよ
うな、下等な言葉を使うそうである。そうしてこれは句作なぞするから、
自然と蕪村の馬の糞や芭蕉の馬の尿の感化を受けてしまったのだそうで
ある。私は勿論菊池の説に、耳を傾けない心算じゃない。しかし支那の
紀行となると、場所そのものが下等なのだから、時々は礼節も破らなけ
れば、溌剌たる描写は不可能である。もし嘘だと思ったら、試みに誰で
も書いて見るが好い。--そこで又元へ立ち戻ると、その一人の支那人
は、悠々と池へ小便をしていた。陳樹藩が反旗を翻そうが、白話詩の流
行が下火になろうが、日英続盟が持ち上がろうが、そんな事は全然この
男には、問題にならないのに相違ない。少なくともこの男の態度や顔に
は、そうとしか思われない長閑さがあった。曇天にそば立った支那風の
亭と、病的な緑色を拡げた池と、その池へ斜めに注がれた、隆々たる一
条の小便と、--これは憂鬱愛すべき風景画たるばかりじゃない、同時
に又わが老大国の、辛辣恐るべき象徴である。私はこの支那人の姿に、
しみじみと少時(しばらく)眺め入った。が、生憎四十起氏には、これ
も感慨に価する程、珍しい景色じゃなかったと見える。
「ご覧なさい。この敷石に流れているのも、こいつはみんな小便ですぜ。
 四十起氏は苦笑を洩らした儘、さっさと池の縁を曲がって行った。そ
ういえば成る程空気の中にも、重苦しい尿臭が漂っている。この尿臭を
感ずるが早いか、魔術は忽ちに破れてしまった。湖心亭は畢(つい)に
湖心亭であり、小便は畢に小便である、綿とは靴を爪立てながら、匆々
四十起氏の跡を追った。出たらめな詠嘆なぞに耽るものじゃない。

2012年9月28日 (金)

中国共産党大会

 正式には中国共産党全国代表大会。ほぼ五年に一度開かれる。事実上中国の最高指導機関である。開催日は決められておらず、10月乃至11月に行われる。今年が開催の年にあたり、10月半ば過ぎに開催されると当初見られていたが、このたび正式に11月8日に開催される事が決まった。最高の権威を持つ中央委員会の委員は9名であったが、今回は7名に減員される、と云われている。胡錦濤派と習近平派(江沢民派)とがほぼ拮抗した勢力に収まるとみられてきたが、人数が減る事、そして胡錦濤が今回尖閣問題で大きく権威を失墜する事態になっている事から、当初予想された委員が予想通り選ばれるかどうか予断を許さない。

 開催日が少し先に延びたのは、胡錦濤が巻き返しをぎりぎりまで図るためであろうと思われる。どちらにしても権力争いは今までになく熾烈のようで、この状況では日本に対して弱腰を見せる事は、相手から突っ込まれる事につながるから、当面は期待できないだろう。

 経済的には日本も中国もつらい状況が続くが、これは世界も同様であり、日本は国内消費の回復に力を注ぐ時かも知れない。まず老人が抱えている、しまい込まれた資産を市中にはき出させる方策を考える事が必要だ。セーフティネットを確保した上で老人への片寄った優遇を引き剥がして行かざるを得ないだろう。私もこれから老人に含まれるようになるわけだが、今があまりにも若い人と年寄りが不公平である事は皆感じている事だ。仕方がないだろう。

 中国との間の経済活動が場合によって半減すると覚悟して、それでも何とか凌ぐ経済を今から準備する必要があるだろう。ばらまきの民主党には絶対出来ない、命がけの政治が始まる。それでも中国の為政者よりはまだましであろう。あちらの深刻さはそれどころではないはずだ。

映画「レバノン」2009年イスラエル・フランス・ドイツ合作

 映画は最初から最後まで殆どが戦車の中でのシーンか、戦車の銃眼から覗いて見える、極めて限られた外部のシーンだけである。観客はタイトルバックとラストのシーンのときだけ外部の世界を見る。

 レバノンについては名前とその場所を知っているだけで、殆ど何も知らない。この映画を機会にウィキペディアの記事を読み、その歴史などを知った。

 レバノンは第二次世界大戦の最中にシリアと共に、フランスから独立した。その後1970年代から内戦が繰り返され、それに周辺国が介入することで常に不安定である。特に南側に接しているイスラエルの介入は国を揺るがす事態を生み、一部にイスラエルの入植者が入るなどして国境があってないような状態である。

 この映画は、何度かのイスラエルのレバノン内戦への介入のうち、1982年のレバノン戦争が舞台である。イスラエルからレバノンに乗り入れてきた戦車には搭乗員が四名。戦争映画には違いないのだが、この映画の中ではそれぞれが自分の考えを主張し合って収拾がつかないようすが描かれている。自分たちが指示通りに動いているものの今どこにいるのかがはっきりしない。そして、一応リーダーは決まっているのだが、統率力も無く、誰が敵なのかもよく分からない。銃眼からかろうじて見えている世界には凄惨な死体がごろごろ見える。市街戦では標的として撃つように指示された敵は子供を含めた人質を盾にしている。

 射撃を逡巡しているうちに人質ごと敵は爆破され、銃眼からは生き残った母親が死んだ娘を前に狂乱している姿が覗いている。その直後戦車は襲撃され、前部が大きく破損する。しかしかろうじて走行は可能であり、銃眼もいびつでひび割れた状態ながら視界は確保されている。

 さらにシリア兵やそのほかのアラブゲリラなどが入り乱れ、状況はさらに混沌としていく。無線からの情報によれば戦車を含む部隊は思った以上にシリア軍の中に深く入りすぎてしまっているようであった。無線は自分の才覚で至急撤退するように指示してくる。しかしどちらにどのように向かったら良いのか皆目わからない。しかも戦車のエンジンはなかなか始動しない。必死でもがいているうちにようやくエンジンが掛かり、戦車は闇雲に走り出す。ひたすら走りに走り、そして・・・。

 全編にキャタピラーの音と砲塔の動くきしみ音がかぶさり、閉鎖空間での乗員の恐怖をあおり立てている。ヒロイズムとは全く無縁の不条理な世界を描きつづけ、ついに戦車が停止し、砲塔から身を乗り出した乗員が外界を眺めるシーンで映画は突然終了する。

唐家璇

 同じようなことを繰り返し述べているので、またか、と思う人もいるかも知れないが、あえて繰り返したい。

 唐家璇(とうかせん)元中国外相が日本から訪問している日中友好の代表たちとの晩餐会で「今回の反日デモがこのような事態になったのは、野田首相が、胡錦濤主席の尖閣国有化を止めて欲しいという懇願に対してそれを無視し、あろうことか直後に国有化を決定して公表したことが原因である。このために胡錦濤は面目がつぶれてしまった。中国国民はそのことを怒っている」とスピーチした。

 中国の指導者の交代を前に権力を維持したい胡錦濤と、その胡錦濤を排除してしまいたい習近平(実際は江沢民などの上海閥)との権力闘争が熾烈を極めているまさにその時に胡錦濤は面目を失い、反胡錦濤派に一気に実権を奪われることになったようだ。もしかすると胡錦濤の片腕と云われた李克強の委員残留、首相就任まで危ういのではないか、と云う噂が流れている。

 唐家璇はすでに長老で、実権はないが一目置かれる存在である。どちらの勢力にも属していないから、本音を云う事が出来る。そして私が見るところ、昔から日本に対して理解があるまともな人物である。その唐家璇がこのようなスピーチをする、と云うことは、真実に近いことを述べていると考えられる。

 そうだとすれば、今後中国は野田政権と交渉して何らかの改善をする可能性は殆ど無い、と云うことが予想される。経済的な面では少しは改善するだろうが、多分トップどおしの会談は日本の総選挙が終わって新しい政権が誕生してからになるだろう。その面からも今回のことの責任を自覚して、野田首相は潔く衆議院を解散するべきだろう。それが日中両国のためでもある。 

暴動の予兆

 先日の中国での大々的な反日デモが、中国政府のやらせだったという情報がいろいろ取りざたされている。

「北京の日本大使館前では投げる卵はひとり二個までという紙を持って公安が卵を配っていた」。

「投げるためのペットボトルも用意されていたものだった」。

「デモ隊が持つ横断幕は綺麗に印刷されたもので、用語も統一されていた」。

 中国政府は、日本政府に対してこのような反日デモをもって怒りを表そうとしたという。同時に中国国内の不満のガス抜きにも利用して、一石二鳥を狙ったつもりなのだそうだ。

 ところが意に反してコントロールが効かない事態が発生してしまい、暴動事件にまで発展してしまった。これには反胡錦濤派が裏で動いたなどという陰謀説もある。習近平のやらせだというのだ。

 まあこういう事件が起きると、必ず陰謀説を唱える人間というのはいるもので、情報通を自称してマスコミ受けを狙っていると見た方がいいだろう。

 暴動が自然発生だったと私が思う理由をひとつ紹介する。

 今月の5日、甘粛省蘭州市でトラックの横転事故があった。トラックにはブドウが満載されていたが、近隣の住民が事故を聞きつけて集まり、積み荷のブドウを次々に掠奪していった。積み荷はあっという間になくなり、運転手は「破産だ」と肩を落としていたという。

 このような掠奪事件は珍しい話ではないという。このような心性、このような民度では、デモから暴動へ、そして暴動から掠奪へは歯止め無しの一気呵成である。

 この事件を紹介した中国の記事では、このような事件は中国だけではなく、イギリスでもあったとしてそのような例を紹介していた。そしてこのような掠奪事件は過ちであることは間違いないが、中国人の道徳の問題とだけとらえるならばそれも過ちである、と結んでいた。

 中国人の道徳の問題なのである。日本では掠奪の機会があったとしても掠奪は起きない。阪神淡路大震災でも、東日本大震災でも掠奪は起きなかった。貧しくて飢餓が迫っているという事態ならいざ知らず、中国はもう、飢餓の状態にはない。「造反有理」とか「愛国無罪」などと犯罪行為を正当化する論理を放置しているようでは、中国は無法国家だと見なされる。

 中国に進出している企業が、潮が引くように撤退するのが見えるようである。

 デモをやらせで行う、そしてそれに乗せられる、さらにそれに乗じて破壊行動を行い、掠奪を行う、この責任がなぜ日本にある、などと強弁を振るうのか。

 古来、国の崩壊は外部からの力で起きることはない。必ず自らが原因で崩壊する。もしかするとベルリンの壁崩壊からソビエト崩壊までの歴史的崩壊に続く、大きな歴史の曲がり角をわれわれは目撃することになるのかも知れない。思えばベルリンの壁崩壊と天安門事件は同じ1989年であった。本来あるべきだったものが、遅れて、ついにやってくるのではないだろうか。

 中国に駐在している日本人は順次日本に帰国する手はずを整えるべきではないかと私は思う。すでに中国の金持ちたちはどんどん海外へ逃げ出しているのだ。ベルリンの壁崩壊のときのような静かなもので収まるとはとても思えない。とてつもなく大きな激震が迫っている気がする。

「上海游記」・病院

 私はその翌日から床に就いた。そうしてその又翌日から、里見さんの病院に入院した。病名は何でも乾性の肋膜炎とか云う事だった。仮にも肋膜炎になった以上、折角企てた支那旅行も、ひとまず見合わせなければならないかも知れない。そう思うと大いに心細がった。私は早速大阪の社へ、入院したという電報を打った。すると社の薄田氏から、「ユックリリョウヨウセヨ」と云う返電があった。しかし一月なり二月なり、病院に入ったぎりだったら、社でも困るのには違いない。私は薄田氏の返電にほっと一先ず安心しながら、しかも紀行の筆を執るべき私の義務を考えると、愈心細がらずにはいられなかった。
 しかし幸い上海には、社の村田君や友住君の外にも、ジョオンズや西村貞吉のような、学生時代の友人があった。そうしてこれらの友人知己は、忙しい体にも関わらず、始終私を見舞ってくれた。しかも作家とか何とか云う、多少の虚名を負っていたおかげに、ときどき未知の御客からも、花だの果物だのを頂戴した。現に一度なぞはビスケットの缶が、聊か処分に苦しむ位、ずらりと枕頭に並んだりした。(この窮境を救ってくれたのは、やはりわが敬愛する友人知己諸君である。諸君は病人の私から見ると、何れも不思議な程健啖だった。)いや、そういうお見舞い物を辱く(かたじけなく)したばかりじゃない。始めは未知の御客だった中にも、何時か互いに遠慮のない友だちづき合いをする諸君が、二人も三人も出来るようになった。俳人四十起(よそき)君もその一人である。石黒政吉君もその一人である。上海東方通信社の波多博君もその一人である。
 それでも七度五分ほどの熱が、容易にとれないとなって見ると、不安は依然として不安だった。どうかすると真っ昼間でも、じっと横になってはいられない程、急に死ぬ事が怖くなりなぞした。私はこういう神経作用に、祟られたくない一心から、昼は満鉄の井川氏やジョオンズが親切に貸してくれた、二十冊あまりの横文字の本を手当たり次第読破した。ラ・モットの短編を読んだのも、ティッチェンズの詩を読んだのも、ジャイルズの議論を読んだのも悉くこの間の事である。夜は、--これは里見さんには内証だったが、万一の不眠を気づかう余り、毎晩欠かさずカルチモンを呑んだ。それでさえ夜明け前に、目がさめてしまうのには辟易した。確か王次回の疑雨集の中に、「薬餌無徴怪夢頻(やくじちょうなくかいむしきりなり)とか云う句がある。これは詩人が病気なのじゃない。細君の重病を歎いた詩だが、当時の私を詠じたとしても、この句は文字通り通説だった。「薬餌無徴怪夢頻」私はなんど床の上に、この句を口にしたかわからない。
 その内に春は遠慮なしに、ずんずん深くなって行った。西村が龍華(ロンホア)の桃の話をする。蒙古風が太陽もみえない程、黄塵を空へ運んでくる。誰かがマンゴオをお見舞いにくれる。もう蘇州や杭州を見るには、持って来いの気候になったらしい。私は隔日に里見さんに、ドイヨジカルの注射をして貰いながら、このベッドに寝なくなるのは、何時の事だろうと思い思いした。

 附記 入院中の事を書いていれば、まだいくらでも書けるかも知れない。が、格別に上海なるものに大関係もなさそうだから、これだけにして置こうと思う。唯書き加えて置きたいのは、里見さんが新傾向の俳人だった事である。次手(ついで)に近什を一つ挙げると、

  炭をつぎつつ胎動のあるを語る。


2012年9月27日 (木)

映画「リトリート・アイランド」2011年・イギリス映画

 イギリスのドラマを立て続けに見た後に又イギリス映画を見た。

 イギリス風のやや暗鬱な画面に、海原を行くモーターボートが映る。都会の喧騒を逃れて、孤島で休暇を過ごそうという夫婦が、管理人に島へ送られていくのだ。島はかなりの大きさである。立派な別荘風な建物があり、自家発電で電気も使える。管理人は本土に暮らしているので、ボートが島を離れると全く二人だけになってしまうが、管理人とは無線でいつでも連絡できるようになっている。

 夫婦はせっかく二人きりになったのに心がすれ違っているようすである。妻は些細なことでことごとく夫に突っかかり、夫はひたすらそれをなだめつつけるが、それがなぜなのか説明はない。妻はひたすら何かワープロで書いている。その中に言葉に出来ないものがなにか書かれているようなのだが。

 そうして数日がたった頃、発電機が突然動かなくなる。そしてなんと無線も通じなくなってしまうのだ。手こぎボートはあるにはあるが、季節的に気温も低く、本土へ行くことは不可能である。絶望的な状況の中で、二人は別荘へ向かう一人の男の姿を発見する。その男は頭に怪我をしており、二人の目の前で気を失ってしまう。男を別荘へ連れ込んで介抱すると共に、男が乗ってきたであろう船を探しに行くのだが、不思議なことに何も見つからない。

 男はしばらくして気が付くと信じられないことを始める。家を全て内側から密閉しているのだ。そしてその理由を説明する。世界に致死性の伝染病が蔓延しており、人類は危機に陥っているのと云うのだ。二人にはとても信じることは出来ないのだが無線はつながらず、確認するすべがない。軍人だというその男は徐々に二人の生活を支配し始める。夫婦は抵抗を試みるが、男は格闘技の訓練を受けているのか、圧倒的に強力で歯が立たない。しかも銃を持っているのだ。

 夜、男の目を盗んで夫が家の外へ出て港で見つけたものは・・・。

 ここでついに夫婦は男への反撃を開始する。そしてなんとか男を斃したかに思えたのだが。

 いかにも男はうさんくさい。しかし、もし男の云う事が本当だったら・・・、と夫婦が葛藤しているうちに、事態がどんどん進展していき、ますます男の云うことは信じがたくなっていき・・・、最後に恐ろしいどんでん返しが待っている。

 余り後味のいい映画ではないが、何となくつじつまは合っている。あまり金もかけずに、殆ど三人だけのシーンばかりなのだが、飽きさせない。ネタがばれてしまうともう一度見たいという映画ではないが出来は良いと思う。

害国

 東京で開催している東レ・パンパシフィック・オープンテニスに、中国の李娜選手に対し、中国では「裏切り者」と非難する声が高まっている。

 中国では、国内で開催されているスポーツ大会では悉く日本の選手の参加を拒否している。理由は「身の安全の確保が確保できないから」と云う体のいいものだが、このように、騒ぎ立てている馬鹿者に迎合して責任逃れをしているに過ぎない。

 スポーツに政治を持ち込まない、と云うのは世界が必死で守ろうとしているささやかなルールだが、中国ではそんなことは全くおよびもつかないことのようである。

 さすがに中国のメディアの一部に、「何が裏切りで、何が愛国かについて理解せず、理性を失ってののしる人がいるのは、我が国の公民教育の欠陥を示している」と云う記事が載った。

 「愛国を売り物にする者の言動はときに国に障害をもたらす。彼らの行動は『害国』だ」と主張しているのだが、その『害国』を扇動しているのがその国自身であり、公民教育を意図的に行ってこなかったのだとすると、そんな国はどうなってしまうのだろうか。

 いつもの深慮遠謀のもとに動く中国が、今回ばかりはやけくその行き当たりばったりの行動をしているように見える。それほど野田首相たちの行ったことは、中国の怒りを誘ったように見える。だから世界中は中国が理不尽な行動をしていることは承知していても、なんで日本はこんなへたくそなことをやったのだ、と首をかしげるばかりで、日本に対する同情が全く集まってこない。要するにあの中国に対して、日本は馬鹿ではないか、としか見ておらず、自分で蒔いた種は自分で始末してみたら、と傍観者を決め込んでいるようだ。

 世界は中国人が『害国』の国であることは百も承知しているので、上手につきあおうとしてきた。それがわかっていないのは中国自身と日本の現政権と田嶋陽子(タレントとしてそのようなキャラクターを演じているのだろうが、余りに迫真的なので挙げさせて貰った)だけのようだ。

アンディ・ウイリアムス

 アンディ・ウイリアムスが死んだ。84歳だったそうだが、もっと高齢だと思っていたので意外だった。

 時間が過ぎるのが早い時と遅い時がある。面白いドラマなどを見ているとあっという間に時は過ぎてしまう。

 昔テレビでアンディ・ウイリアムスショーを日本のテレビでも放映していた(五十年近い昔ではなかろうか)。まだ余り洋楽の番組など無い時代だった。アンディの歌声の美しさは日本の歌謡曲を聞き慣れていた耳には新鮮だった。

 その頃父と余り口をきかなくなっていた。その父に「アンディ・ウイリアムスの歌はすばらしいよ」と云ってアンディ・ウイリアムスショーを無理矢理見せた。

 洋楽などまるで興味の無かったであろう父は、黙ってテレビの前に座っていた。私は「ねっ、いいだろう」と同意を求めたが明確な返事はなかった。

 多分30分程度の番組だったのだろうが、終わるまでとても長く感じた。時間が過ぎるのがあんなに遅く感じたことはない。

 父とはその後ますます口をきかなくなり、ようやく普通の会話を再開できたのは息子が生まれた時からだった。

 アンディ・ウイリアムスの訃報と共に父のことを思い出し、父とふたりでテレビの「アンディ・ウイリアムスショー」を見ていた、とても長い時間のことを思い出した。

「上海游記」・第一瞥(下)

 カッフェ・パリジァンを引き上げたら、もう広い往来にも、人通りが稀になっていた。その癖時計を出して見ると、十一時がいくらも廻っていない。存外上海の町は早寝である。
 但しあの恐るべき車屋だけは、未だに何人もうろついている。そうして我々の姿を見ると、必ず何とか言葉をかける。私は昼間村田君に、不要(プヤオ)と云う支那語を教わっていた。不要は勿論いらんの意である。だから私は車屋さえ見れば、忽ち悪魔払いの呪文のように、不要不要を連発した。これが私の口から出た、記念すべき最初の支那語である。如何に私が欣々然とこの言葉を車屋へ抛りつけたか、その間の消息が分からない諸君は、きっと一度も外国語を習った経験がないに違いない。
 我々は靴音を響かせながら、静かな往来を歩いて行った。その往来の右左には、三階四階の煉瓦建てが、星だらけの空を塞ぐ事がある。そうかと思うと街燈の光が、筆太に大きな「当」の字を書いた質屋の白壁を見せる事もある。或時は又歩道の丁度真上に、女医生何とかの招牌がぶら下がっている所も通れば、漆喰の剥げた屏か何かに、東洋煙草の広告びらが貼り付けてある所も通った。が、いくら歩いて行っても、容易に私の旅館に来ない。その内に私はアニセットの祟りか、喉が渇いてたまらなくなった。
「おい、何か飲む所はないかな。僕は莫迦に喉が渇くんだが。」
「すぐ其処にカッフェが一軒ある。もう少しの辛抱だ。」
 五分の後我々両人は、冷たい曹達(ソオダ)を飲みながら、小さな卓子(テエブル)に座っていた。
 このカッフェはパリジァンなぞより、余程下等な所らしい。桃色に塗った壁の側には、髪を分けた支那の少年が、大きなピアノを叩いている。それからカッフェのまん中には、英吉利の水兵が三四人、頬紅の濃い女たちを相手に、だらしのない舞踏を続けている。最後に入り口の硝子戸の側には、薔薇の花を売る支那の婆さんが、私に不要を食わされた後、ぼんやり舞踏を眺めている。私は何だか画入り新聞の挿画でも見るような心もちになった。画の題は勿論「上海」である。
 其処へ外から五六人、同じような水兵仲間が、一時にどやどやはいって来た。このとき一番莫迦を見たのは、戸口に立っていた婆さんである。婆さんは酔っ払いの水兵連が、乱暴に戸を押し開けるトタン、腕にかけた籠を落としてしまった。しかも当の水兵連は、そんな事にかまう所じゃない。もう踊っていた連中と一しょに、気違いのようにとち狂っている。婆さんはぶつぶつ云いながら、床に落ちた薔薇を拾い出した。が、それさえ拾っている内には、水兵たちの靴に踏みにじられる。・・・
「行こうか?」
 ジョオンズは辟易したように、ぬっと大きな体を起こした。
「行こう。」
 私もすぐに立ち上がった。が、我々の足もとには、点々と薔薇が散乱している。私は戸口へ足を向けながら、ドオミエの画を思い出した。
「おい、人生はね。」
 ジョオンズは婆さんの籠の中へ、銀貨を一つ抛りこんでから、私のほうへ振り返った。
「人生は、--何だい?」
「人生は薔薇を撒き散らした路であるさ。」
 我々はカッフェの外へ出た。其処には不相変黄包車(ワンパオツオ)が、何台か客を待っている。それが我々の姿を見ると、我勝ちに四方から駆けつけて来た。車屋はもとより不要(プヤオ)である。が、このとき私は彼らの外にも、もう一人別の厄介者がついて来たのを発見した。我々の側には、何時の間にか、あの花売りの婆さんが、くどくどと何かしゃべりながら、乞食のように手を出している。婆さんは銀貨を貰った上にも、また我々の財布の口を開けさせる心算(つもり)でいるらしい。私はこんな欲張りに売られる、美しい薔薇が気の毒になった。この図々しい婆さんと、昼間乗った馬車の馭者と、--これは何も上海の第一瞥に限った事じゃない。残念ながら同時に又、確かに支那の第一瞥であった。

2012年9月26日 (水)

ドラマ「ローマ警察殺人課アウレリオ・ゼン、3つの殺人事件」

  第三話 欲望の渦
 第三話ではローマ警察殺人課のゼンが絶体絶命のピンチを迎える。

 前回で、ゼンの上司が心臓発作で入院、厳しい上司だがゼンたちの行動にはある程度の自由さがあった。ところがその代わりに配属されてきた上司は酒も煙草もやらず、仕事一筋、厳格に法を適用し、捜査に対しても悉く介入するためゼンたちは身動きがとれない。その上司はゼンが立て続けに大きな事件を解決し、脚光を浴びていることが許せない。

 そんな矢先に高名な弁護士の殺人事件が発生。その件でいつもの政府高官、大臣、美人検事から呼び出しがかかる。上司はなぜゼンが呼ばれるのかわからない。捜査にもゼンを担当させる気などないのだが、政府側はゼンを強硬に指定する。

 実は現在の政府の金づるであり、大臣の友人でもある財閥の当主が誘拐され、犯人に身代金を渡すために弁護士が指定場所に向かったところで殺害されたことがわかる。この件は極秘であり、大至急誘拐された人物を救い出さなければならない。

 イタリアでは頻発する誘拐事件の対策として、法律で誘拐犯に対して身代金を渡すと厳罰に処せられ、財産が凍結されてしまう。身代金なしでの犯人との交渉は殆ど絶望的な交渉となる。

 上司はこの事件の処理の失敗の責任を自分がかぶることなく、ゼンに全責任を負わせようと画策する。

 ゼンはなぜ誘拐犯が身代金を持ってきた弁護士を殺してしまったのか不思議に思う。

 捜査のためにその財閥の大邸宅を訪ねたゼンは、その家族の複雑な関係を垣間見る。しかし肝心な情報は殆ど得られない。再び犯人から身代金の要求があることを想定し、自分の手づるからいくつかの手を打つ。待つうちに犯人から身代金の要求がある。

 交渉に苦慮するゼンに対し、政府高官から、政府の機密費から身代金が渡される。ゼンはその身代金を財閥の大邸宅に持ち込んで、家族の口から犯人に、身代金を自分が運ぶことを了解させる。そしてその場にいた面々に絶対にこの金のことは極秘にして欲しい、と頼む。もし事件が解決しても、身代金を渡したことがわかれば自分と政府が身の破滅になるからだ。

 そして金の引き渡し場所の連絡が入る。ゼンはその場所へ金の入った鞄を持って向かう。人混みの中で、気になる怪しい男があちらにもこちらにも見受けられる。ゼンはその異常な雰囲気に即座に逃走を図るのだが、男たちに襲われて・・・。

 辛くも危地を脱したゼンは、いろいろとあったあと(此処が面白いところだが話すとネタバレになってしまう)誘拐犯から人質を解放する、との約束を取り付ける。

 誘拐犯は、自分は殺していない、と主張している。ゼンはあくまで弁護士がなぜ殺されたのか、にこだわる。その糸口からついに一気に事件の全貌が明らかにされる。

 ゼンは危地を脱し、融通の利かない上司は排除され、もとの上司が復職するまでの間、ゼンは上司の椅子に座ることになる。めでたし、めでたし。実にスリリングで面白かった。

自民党新総裁

 決選投票の末、安倍晋三新総裁が誕生した。

 10日ほど前に息子と新総裁の予想について話した。息子は石破さんを予想していた。若い人たちにとっては石破さんに期待を感じているようであった。しかし私はテレビでの情報が些か多かったので、多分阿部さんが最終的に勝利するだろうと予言した(どうだ、息子よ)。そして、私として最も期待しているのは阿部さんが最もきちんと中国と対峙するのではないか、と云う点であった。

 石原伸晃君は完全に化けの皮がはがれてしまったようである。はっきり云って古い自民党という皮と共にはがれ落ち、惨敗した。

 今回の自民党総裁選で見るべき点は、地方党員の投票率が、各地方で前回よりも軒並み10数%高く、60%以上のところが多かったことだ。

 民主党の党員投票率が30数%にとどまり、極めて低調だったことと比べるとその違いがわかる。民主党の党首選はすなわち現職の首相につながるというのに、だ。

 阿部新総裁にはマイナスのポジションから出発する、と云うハンディがある。それを本人もよく自覚している。そのハンディを跳ね返すための力が、そのままいまの閉塞した日本の状況を打開するための力となるためには国民の支持が何より必要であろう。そのためにはとにかく行動力があるのみだ。

 何もしないで評論ばかりしている民主党とは違うことを行動することで是非示して欲しい。とりあえず一人で中国にでも乗り込んでみたら。北朝鮮でもいいけれど。成果はどうあれ国民は絶対に評価するはずだ。がんばれ、阿部新総裁。

 そして谷垣前総裁の挨拶は見事なものであった。見直した。某鳩ぽっぽとはとんでもなく違う。比較したら谷垣さんに失礼に当たるが。

和田秀樹著「定年後の勉強法」(ちくま新書)

 団塊の世代がほぼ定年の時期に入り、すでに多くが定年を迎え、延長して働いている人も退職の時期を迎えつつある。この本はまさに時宜にかなった本と言えるだろう。

 団塊の世代は(と云ったってひとくくりに出来るわけがない。性格やたどってきた人生は千差万別に違いないのだが)、他の世代よりは競争の中で生きてきた。よく定年になると、魂が抜けてしまったようにやることがなくなり、ぼんやりと無為に過ごして寿命を縮める、などと云われる。そういう人もいるのかも知れないが、私の友人知人にそんな人はひとりもいない。皆自分の人生に対して欲張りだ。

 心ある人は、定年後に勉強をしたいと思っている人が多いだろう。仕事に従事している時は自分の時間が限られていたから、もし自分の時間が増えたらあれもしたい、これもしたいと思っていた。自分が至らない人間であることを意識していた人も多いだろうから自分の好きなこと、興味のあることを勉強したいと思っている人も多いに違いない。

 そんな人にこの本は大いに参考になるだろう。しかし著者はそんなに甘い人ではないから、猫なで声でうまい方法を教えてくれているわけではない。

 勉強するならその分野で人に一目置かれるほどのことを目指さなければならないと叱咤し、そのための時間と、蓄積された経験があなたにはある、と励ます。それが中身のある、人に尊敬される年寄りという勲章をもたらすのだ。目指すべき目標のない、遊びでやる勉強ではもったいないし、結局得るものも殆ど無い。

 精神科医として、勉強こそ頭という体の一部の健康を維持する健康法だと唱える。そして健康法なりにその能力の維持と鍛える方法をいろいろと提案している。理にかなった頭の健康法は、ボケを回避し、延命につながることが統計的に実証もされているという。

 さあ、私ももう少し無駄の無いように頭の健康法を実践していこう。

領土問題を認めた?

 野田首相の指示により、外務次官が中国・北京を訪れ、日中関係についての話し合いを行っている。中国メディアは、日本側がいままでの「尖閣諸島に領土問題は存在しない」という姿勢から、領土問題について話し合う姿勢に変わったと報じている。

 間違っても言葉質を取られておかしな交渉になることのないよう気合いを入れて臨んで欲しい。
 

 たとえ首相の指示が観念的で殆ど意味が無く、どうしていいのかさっぱりわからないにしても、である。たいへんですね。ご苦労様。

結婚禁止

 ベトナム女性はおとなしくてしかも賢くて働き者である。そのベトナム女性を妻にしたがる韓国人も多いという。ところが、韓国人と結婚したベトナム女性が殺害されるという事件が立て続けに起こった。

 韓国はアメリカに加わってベトナム戦争に参戦した。その際に韓国人が残した混血の子供は社会問題になるほどであり(でっち上げの従軍慰安婦問題を世界にアピールする韓国なんてこんなものだ)、ベトナム人はアメリカ人よりはるかに韓国人に反感を持っている。

 ベトナム人は「韓国人は女性を商品のように扱い、家庭ではDVが多い」と考えている。

 ベトナム政府はこのような世論と、事件の続発から「満50歳以上、または年齢差が16歳以上」の韓国人男性とベトナム人女性との国際結婚を禁止する規定を設けた。

 韓国の売春婦が世界で活躍しているようである。韓国は女性を商品のように扱う、と見るベトナム人の目は正しいのかも知れない。

漁業交渉

 昨日の台湾漁船の尖閣諸島海域の日本領侵犯について、台湾国民は冷静に反応しているようである。一部に反日デモを繰り広げているグループもあるが、もともと台湾は中国と統一するべきだ、と云うグループであり、一般の台湾国民に支持する人は少ない。

 今回の漁民たちも掲げている旗では尖閣は台湾領、としているが、目的は尖閣周辺の漁業権を認めて欲しいというものであると云う。

 この件では以前から日本と台湾で交渉が続いており、それなりに収まっていたのだが、この三年間、全くその交渉が行われなくなっていた。そこへ国有化の事態となり、漁民は完全に周辺海域での漁業権を失った、と考えて憤ったのである。だから「死活問題だ」と叫ぶのである。

 この三年間と云えば・・・民主党が政権を取ってからではないか。つまり今回の台湾漁民の行動も民主党政権が蒔いた種ではないか。
 
 ダメだ、こりゃ。

招待客

 日中国交正常化40周年を記念する式典は事実上中止となってしまった。中国式に云えば、まことに残念なことで、ひとえにこの責任は中国にある。日本側参加予定者は状況はどうであれ、参加する意向があったし、関係修復の手がかりになるべく意欲も満々だった(だからこそ中国は断ったのだろう)。

 ところが小規模のレセプションだけは27日に開催することになったと云うことで、新たに15人に参加の要請があった。本当は喜ぶべきなのだろうが、招待された顔ぶれの中の極めて憂慮すべき顔がある。

 日中友好7団体の会長はもちろん問題ない。そのほかに鳩山由紀夫、田中真紀子などが含まれるのだ。そもそも何も根拠もなしに沖縄の基地問題でパフォーマンスの言動を行い、沖縄の人たちを惑わせて苦しめ、日米関係を大きく損ない、その上恬淡として恥じないという人物だ。無責任の塊とも云うべき人物で、日本の現在の苦境の原因を作ったと云っていい。

 なるほど。中国にとってはそれこそ最も褒め称えたい人物というわけか。この鳩山由紀夫という人、場の状況で無責任なリップサービスを語る名人だ。中国で何を言うかわからない。本気で尖閣諸島を売り渡しかねないことを心配する。出かける前に誰かゴルゴ13に依頼して欲しい。命までとは云わないから中国に行けないようにしてもらえないか。

「上海游記」・第一瞥(中)

 その晩私はジョオンズ君と一緒に、シェッファアドという料理屋へ飯を食いに行った。此処は壁でも食卓でも、一通り愉快に出来上がっている。給仕は悉く支那人だが、隣近所の客の中には、一人も黄色い顔は見えない。料理も郵船会社の船に比べると、三割方は確かに上等である。私はジョオンズ君を相手に、イエスとかノオとか英語をしゃべるのが、愉快なような心もちになった。
 ジョオンズ君は悠々と、南京米のカリイを平らげながら、いろいろ別後の話をした。その中の一つにこんな話がある。何でも或晩ジョオンズ君が、--やっぱり君附けしていたのじゃ、なんだか友だちらしい心もちがしない。彼は前後五年間、日本に住んでいた英吉利人である。私はその五年間、(一度喧嘩した事はあるが)始終彼と親しくしていた。一しょに歌舞伎座の立ち見をした事もある。鎌倉の海を泳いだ事もある。殆ど夜中上野の茶屋に、盃盤狼藉としていた事もある。その時彼は久米正雄の一張羅の袴をはいた儘、いきなり其処の池へ飛び込んだりした。その彼を君などと奉っていちゃ、誰よりも彼にすまないかも知れない。次手にもう一つ断って置くが、私が彼と親しいのは、彼の日本語が達者だからである。私の英語がうまいからじゃない。--何でも或晩そのジョオンズが、何処かのカッフェへ酒を飲みに行ったら、日本の給仕女がたった一人、ぼんやり椅子に腰をかけていた。彼は日頃口癖のように支那は彼の道楽(ホッビイ)だが日本は彼の情熱(パッション)だと呼号している男である。殊に当時は上海へ引っ越し立てだったそうだから、余計日本の思い出が懐かしかったのに違いない。彼は日本語を使いながら、すぐにその給仕へ話しかけた。「何時上海へ来ましたか?」「昨日来たばかりでございます。」「じゃ日本へ帰りたくはありませんか?」給仕は彼にこう云われると、急に涙ぐんだ声を出した。「帰りたいわ。」ジョオンズは英語をしゃべる合間に、この「帰りたいわ」を繰り返した。そうしてにやにや笑い出した。「僕もそう云われたときには、Awfully sentimental(ひどく感傷的)になったっけ。」
 我々は食事をすませた後、賑やかな四馬路(しまろ)を散歩した。それからカッフェ・パリジァンへ、ちょいと舞踏を覗きに行った。
 舞踏場は可成り広い。が、管弦楽(オーケストラ)の音と一しょに、電灯の光が青くなったり赤くなったりする具合は如何にも浅草によく似ている。唯その管弦楽の巧拙になると、とうてい浅草は問題にならない。其処だけはいくら上海でも、さすがに西洋人の舞踏場である。
 我々は隅の卓子(テエブル)に、アニセットの盃を舐めながら、真っ赤な着物を着たフィリッピンの少女や、背広を一着した亜米利加の青年が、愉快そうに踊るのを見物した。ホイットマンか誰かの短い詩に、若い男女も美しいが、年をとった男女の美しさは、又格別だとか云うのがある。私はどちらも同じように、肥った英吉利の老人夫婦が、私の前へ踊ってきた時、成る程とこの詩を思い浮かべた。が、ジョオンズにそう云ったら、折角の私の詠嘆も、ふふんと一笑に付せられてしまった。彼は老夫婦の舞踏を見ると、その肥れると痩せたるとを問わず、吹き出したい誘惑を感ずるのだそうである。

2012年9月25日 (火)

痛いの痛いの飛んでいけ

 昨日の「怒っていることを了解する」という文章が誤解を招くかも知れないので補足する。補足が反ってわかりにくくするかも知れないが許してください。

 子供が転んだとき、膝をすりむいたとする。その時に「痛くない、痛くない、強い子だから我慢しなさい」というのと「あー、痛かったねえ、大丈夫?」という親の対応がある。どちらが子供にとって良い対応だと思いますか。

 子供は自分の痛かったことを先ず親が受け入れてくれたことで親との共感を覚え、その事態から回復する。痛かったという事実を否定されるような前者のような応対をされると、泣き叫び、痛みとは別の怒りに収拾がつかなくなると云う。それは自分が子供に実践してみて確かにそうだ、と実感した事実でもある。

 子供と中国を同一に論じてすまない。あまりに似ているもので。

 というわけである。「痛いの痛いの飛んでいけー」。

大学教授が老人を殴る

 北京航空航天大学の教授が、18日の反日活動の際に老人を殴ったことで話題になっている。警察が調査中であり、「価値観の違いとは関係なく、法に違反していれば法により制裁を受ける」としている。

 教授の言い分によると、事態は以下のようである。

 当日、日本大使館前で反日スローガンを叫んでいるところへ河北省からの500人あまりの集団が加わり、さらにデモが盛り上がっていた。そこでその中の青年二人が「毛主席、われわれはあなたが好きです」と書いたものを掲げた。

 するとその時「くだらねえ」と云う声を教授は聞いた。振り向くとひとりの老人が長々と毛沢東を呪う言葉をののしり始めた。教授は「おまえは日本人と内応する裏切り者か」と老人に云ったが、老人は相変わらず毛沢東を汚い言葉でののしっている。そこで教授は老人にビンタを食らわせた。老人は反撃して教授の眼鏡をはたき落としたという。そのため眉のところが傷ついた。周囲の人々が二人を引き離した。

 その後再びデモが動き出したが、老人はまだついてくる。しかも毛主席をののしり続けている。そこで教授は再び老人にビンタを食らわせた。

 このように経過を説明した後、教授は「私は暴力を一貫して否定してきた。物事は平和的に理屈を以て解決するべきであると主張してきた」しかし「理屈をわきまえず、中華人民共和国開国の指導者を侮辱し、中国人民の団結を破壊し、日本のために裏切り者になる者に遭遇すれば、我慢することは絶対にできない。この件で拘束されるにしてもこのような売国奴はのさばらせることは許せない」と述べた。

 近現代の中国の歴史の中で、毛沢東が行った政策により失われた中国人の生命は数千万人をくだらないと云うのはいまは中国政府自身も認めている事実である。老人もその中で身内の誰かを失うという悲劇を経験したに違いないことは誰にでも想像できることであろう。だから老人がののしり続けても誰も老人に手を出さなかったに違いない。そうでなければ袋だたきに遭って殺されていただろう。それなのにこの教授は自分の正義の信念に基づいて手を出した。

 この老人は八十代だという。毛沢東という名に怨みを込めて、もういつ死んでもいいと開き直ってののしったに違いない。この教授は、闘えば絶対勝てる相手に、回りの加勢を頼みにしながら正義の鉄槌を下した。

 だから私はこのような正義も、こういう連中も虫酸が走るほど嫌いなのだ。

 そして毛沢東が最も嫌ったのはこのようなインテリだったのはまことに皮肉なことだ。さあ中国国民はこの軽蔑すべき教授の行動をどう考えるのだ。今度はよってたかって教授を袋だたきにでもするが云い。

台湾の行動

 尖閣諸島を目指して、昨日約70隻の台湾の漁船が台湾の港を出港し、今朝その内の40隻が日本の領海に侵入した。さらに台湾の巡視船一隻が漁船と共に領海侵犯を行った。海上保安庁の船が必死に領海侵犯の船を追い回している姿と、海上保安庁の船と漁船の間に割り込もうとする台湾の巡視船のようすがテレビで放映された。10時過ぎにはほぼ全ての船が領海の外へ去ったようである。

 台湾の港で出航前の漁船を日本のメディアが取材していたが、それに対して特に妨害したりする様子がないのは中国とは違うようである。
 その際に鋭く指摘されていたのが、全ての船にはいろいろな主張が旗や垂れ幕などがたくさん掲げられていたが、殆どの船に、共通のある台湾の会社を表すものが掲示されていたと云うことであった。

 その会社は中国進出している会社だという。台湾の企業の80%が中国に進出しているから珍しいことではないが、その中でも特に多岐に亘る分野で中国に巨額の投資をしている会社のようである。

 漁船がこの企業から金を貰って集団で行動したことはほぼ間違いないように推察される。そして考えられるのは中国から何らかの働きかけがあってこの企業がこのようなことを仕掛けたのか、中国の自分の会社の保全を意図して自発的に中国に対してのパフォーマンスを行ったかのどちらかであろう。

 中国の監視船十隻前後が尖閣周辺でずっと遊弋し続けている。
この事態が始まった時に指摘したとおり、これは持久戦であり、このようなことがこれから波状的に手を替え品を替え繰り返されるであろう。持久戦については日本人と中国人では考えている時間的な尺度が違うところがある。多分この対峙は何年という長きに亘って続くと覚悟する必要があり、そのための予算と体制を整えることが急務であろう。

 台風が急速に勢力を増して北上している。尖閣海域を直撃して周辺の漁船を一度引き上げさせてくれるといいのだが。

 神風頼みか!

ドラマ「ローマ警察殺人課アウレリオ・ゼン、3つの殺人事件」

  第二話 愛憎と陰謀
 名家の一族でありながら、はみ出しものの男が橋から落下して死亡した。警察は自殺として処理しようとする。その捜査の担当がどういうわけかゼンに回ってくる。現場で前回の事件でつながりのできた政府高官から、自殺で早く処理するように指示を受ける。
 もとよりそのつもりのゼンだったが、背中から落ちたのに顔面に傷があったこと。川へ身を投げるつもりだったと思われるのに手前の道路に落ちていることなどに不審を感じる。男の自宅を調べると誰かが家捜しした後がある。ところがそこにはその男の遺書と思われる書き置きがあった。ゼンは上司からも処理を急ぐようせかされるのに、遺書を証拠として報告せず、独自に捜査を開始する。

 そのゼンに検察の美人検事から、接触がある。政府内部にも何か思惑が動いているようだ。ますます不審を感じたゼンに、さらに謎の男から接触がある。男は秘密組織に追われて逃亡生活をしているのだ、と云い、秘密の資料をゼンに預ける。もし自分が死んだらその資料を見るように告げた後、男は姿を隠す。

 ゼンが鑑識に預けていた資料が紛失する。警察内部に資料を盗んだ者がいるようだが、ゼンは勝手な捜査をしている手前、告発できない。死んだ男は銀行に隠し金庫を所有していたらしいことが判明、それを調べるための令状を検事に依頼するが、断られてしまう。検事側の風向きが変わったようだ。ところがひょんなことからその鍵が手に入る。しかも偽物だと思い込んでいた遺書が本物だと分かり、ゼンは自分が空しい捜査をしていたのか、と落胆する。

 早速隠し金庫を探し出し、その中身を確認するのだが、その中にあったものは意外にも・・・。また謎の男から再度会いたいとの要請があって出かけたゼンが待ち合わせの場所で目にしたものは・・・。そしてゼンが男からあずかった資料とは・・・。

 意外な犯人が判明するのだが、ゼンは事実の儘に処理することなく、八方丸く収まるストーリーで収めることに成功する。これは日頃高潔で通っているゼンだからできることであった。そして意中の女性タニヤをものにすることになる。しかしゼンの知らないところで事件は新たな展開を始めているよう気配が・・・。

怒っていることを了解する

 いま中国が怒り狂っているように見える。それに対して日本側はなぜ其処まで怒っているのか、中国の思惑は何なのか、落としどころはどこなのか、妥協の是非はどうか、いろいろとかまびすしい。

 日本人は皆評論家になって、ああではないか、こうではないかと自論を展開している。この私もそうである。そしてなんと日本政府や政治家まで卓見を披露し合っている。

 怒って拳を振り上げたのに、相手はその前でそっぽを向いて、なぜ相手が怒っているのか、そして怒りの対象である自分は何を為すべきかについて演説を始めたようなものだ。今のところ相手はそれに驚き、あきれているが、次にはさらに怒りを募らせるだろう。

 あなたの言い分は了解できないが、とにかくあなたが怒っていると云うことについては認識しています、と云うメッセージをとりあえず伝えることだろう。ここまで怒るとは想定を越えていた、などという訳の分からないことをいいながら相手に直面せず、いつまでも無視する、と云うのは、怒っている(または怒ってみせている)相手にはもう一段エスカレートした行動を取らせることにしかつながらない。

 いま日本と中国には、怒っている、そして相手が怒っていることについては了解する、と云う点についてだけ共通の認識があるわけだ。手がかりはそれだけだろう。そこから話は始まらないか。
 
 まあ、こうして私はまた批評家を決め込んでいるわけだが。

「上海游記」・第一瞥(上)

 埠頭の外へ出たと思うと、何十人とも知れない車屋が、いきなり我々を包囲した。我々とは、社の村田君、友住君、国際通信社のジョオンズ君並びに私の四人である。抑(そもそも)車屋なる言葉が、日本人に与える映像(イメエジ)は、決して薄ぎたないものじゃない。寧ろその勢いのいい所は、何処か江戸前な心もちを起こさせる位なものである。処が支那の車屋となると、不潔それ自身と云っても誇張じゃない。その上ざっと見渡した所、どれも皆怪しげな人相をしている。それが前後左右べた一面に、いろいろな首を差し伸ばしては、大声に何か喚き立てるのだから、上陸したての日本婦人なぞは、少なからず不気味に感ずるらしい。現に私なぞも彼らの一人に、外套の袖を引っ張られた時には、思わず背の高いジョオンズ君の後ろへ、退却しかかった位である。
 我々はこの車屋の包囲を切り抜けてから、やっと馬車の上の客になった。、その馬車も動き出したと思うと、忽ち馬が無鉄砲に、街角の煉瓦と衝突してしまった。若い支那人の御者は腹立たしそうに、ぴしぴし馬を殴りつける。馬は煉瓦塀に鼻をつけた儘、むやみに尻ばかり躍らせている。馬車はむろん転覆しそうになる。往来にはすぐに人だかりが出来る。どうも上海では死を決しないと、うっかり馬車へも乗れないらしい。
 その内に又馬車が動き出すと、鉄橋の架かった川の側へ出た。川には支那の達磨船が、水もみえない程群がっている。川の縁には緑色の電車が、滑らかに何台も動いている。建物はどちらを眺めても、赤煉瓦の三階か四階である。アスファルトの大道には、西洋人や支那人が気忙しそうに歩いている。が、その世界的な群衆は、赤いタアバンをまきつけた印度人の巡査が相図をすると、ちゃんと馬車の路を譲ってくれる。交通整理の行き届いている事は、贔屓目に見た所が、とうてい東京や大阪なぞの日本の都会の及ぶ所じゃない。車屋や馬車の勇猛なのに、聊か恐れをなしていた私は、こう云う晴れ晴れした景色を見ている内に、だんだん愉快な心もちになった。
 やがて馬車が止まったのは、昔金玉均(挑戦の改革運動家)が暗殺された、東亜洋行というホテルの前である。するとまっさきに下りた村田君が、馭者に何文だか銭をやった。が、馭者はそれでは不足だと見えて、容易に出した手を引っ込めない。のみならず口角泡を飛ばして、頻りに何かまくし立てている。しかし村田君は知らん顔をして、ずんずん玄関を上っていく。ジョオンズ、友住の両君も
馭者の雄弁なぞは、一向問題にもしていないらしい。私はちょいとこの支那人に、気の毒なような心もちがした。が、多分これが上海では、流行なのだろうと思ったから、さっさと跡について戸の中へはいった。その時もう一度振り返って見ると、御者はもう何事もなかったように、恬然と御者台に座っている。その位なら、あんなに騒がなければ好いのに。
 我々はすぐに薄暗い、その癖装飾はけばけばしい、妙な応接室へ案内された。なるほどこれじゃ金玉均でなくても、いつ何時どんな窓の外から、ピストルの丸(たま)位は食わされるかも知れない。--そんな事を内々考えていると、其処へ勇ましい洋服着の主人が、スリッパアを鳴らしながら、気忙しそうにはいって来た。なんでも村田君の話によると、このホテルを私の宿にしたのは、大阪の社の沢村君の考案によったものだそうである。処がこの精悍な主人は、芥川龍之介に宿を貸しても、万一暗殺された所が、得にもならないとでも思ったものか、玄関の前の部屋の外には、生憎明き間はごわせんと云う。それからその部屋へ行って見ると、ベッドだけはなぜか二つもあるが、壁が煤けていて、窓掛けが古びていて、椅子さえ満足なのは一つもなくて、--要するに金玉均の幽霊でもなければ、安住できるような明き間じゃない。そこで私はやむを得ず、沢村君の厚意は無になるが、外の三君とも相談の上、此処からあまり遠くない万歳館へ移る事にした。

2012年9月24日 (月)

内田樹著「増補版 街場の中国論」(ミシマ社)

 精神科医の和田秀樹が、内田樹先生を「人を引きつけるアウトプットが出来る人。様々な、発想力豊かな話題を提案する。その発想は若々しく、知的で紳士的」と自著で紹介していた。

 もともとこの本は2005年に起きた反日騒動(小泉首相の靖国参拝を発端とする)の後に、先生が大学院のゼミで中国論をテーマとして行ったものをベースにして、2007年に出版したものである。そして2007年以降、2010年までに中国について書いた文章を追加したものを改めて増補版として再出版した。

 とにかく面白い。なるほど、そういう考え方もあるのか、と感心し、うれしくなる。中国の近現代史をざっとおさらいする部分にしても、すでに知識で知っている事の、その関係と意味が先生の説明を読むと、そうか確かにそうだ、と新しい発見をする。

 例えば、台湾が、同じように日本の統治を受けたのに、韓国や中国本土よりも反日感情が少ない理由についても、これほど明快に説明してくれている文章を読んだ事はない。勿論歴史や国民感情については厳密な事実と云うものは存在しない。とりあえず違和感のないものを採用するしかないが、先生の文章はその意味で私にとって納得しやすいのだ。

 出来れば先生の本を読んだ事の無い人はこの本を読んで、今の中国と日本の関係に思いをいたして戴きたい。何かが見えて来るはずだ。

 この本の最後のほうで、ミシェル・フーコーが、ボルヘスの創作した「中国の百科事典」を紹介して論じたものを伝えていた。この話を四十年近く前に、私が敬愛する森本哲郎先生の本に初めて出会った時に読んで、頭をがーんと張り飛ばされた。私が自分のバカの壁、眼の鱗の存在に始めて気が付いたきっかけだ。やはり優れた先生、わが師と呼ぶほどの人は同じシンボルタワーを説明に持ち出すのだ。ではその「中国の百科事典」の分類とはどんなものだろうか。紹介しよう。

 動物は次のように分類される。(a)皇帝の所有に属するもの(b)芳香のするもの(c)家畜(d)乳を出す豚(e)人魚(f)架空のもの(g)放し飼いの犬(h)この分類そのものに含まれているもの(i)狂人のように暴れるもの(j)数えることのできぬもの(k)ラクダの毛でできた細筆で描かれるもの(l)その他(m)たったいま壺を割ったもの(n)遠くから見ると蠅に似ているもの

 どうです。驚き、あきれる分類で、その分類を成り立たせる論理が理解できますか。そしてこの分類があり得ないものだ、と考えるか、こんな考えもあるかも知れないと考えるか、これが先生達が突きつけた問いであります。

中国の闇・二題

 アメリカの国防総省やその関係部門が明らかにしたところによれば、覚醒剤のアンフェタミンの80%は、メキシコからアメリカに密輸されている。このほど中国からロサンゼルス経由でメキシコに輸送される化学薬品の中にアンフェタミンの原料が大量に発見された。アメリカ麻薬取締局によれば、メキシコで製造されるアンフェタミンの殆どが中国から輸入される原料で作られているのだという。アンフェタミンの原料になる化学物質の内、中国で規制されているのは一種類のみで、ほかは野放しだという。分かっていて野放しにしているのか、手抜きなのか。巨額の金がそのために動いているのだろう。

 中国黒竜江省ハルビン市で開通してからまだ一年足らずの高架橋が倒壊し、トラック4台が投げ出され、死傷者8人が死傷した。当局が原因を調査した結果、過積載したトラック二台が片側車線を片寄って走行し、橋の一方に過大な負荷がかかったためであると云う。つまり過積載のトラックが悪いので橋の強度、工事には問題はなかったという事らしい。
 
 中国ではこの5年間で37基の高架橋の崩落事故が起きているのだそうだ。その事故であわせて死者182人、負傷者177人が出ている。37基のうち、建設中に崩落したものは13基だった。そしてその事故のうちで、調査の結果が構造上の欠陥として報告されたものはたった一つであった。

 中国の道路を走っていれば明らかな過積載のトラック(トラックがかわいそうになるようなすさまじいものが多い)がそこら中に走っている事が分かる。そのように当たり前に走っているトラックが走ると壊れてしまう橋に、構造上の問題がなかったというのもすさまじい。ましてや建築中に崩落した橋には過積載のトラックも走りようがないと思うのだが不思議だ。

 それなら過積載を厳格に取り締まるか、橋の強度の基準を大幅に引き上げるかどちらかしかないはずだが、それが改まる気配も可能性もなさそうだ。本当に凄い国だ。

ドラマ「ローマ警察殺人課アウレリオ・ゼン、3つの殺人事件」

   第一話 血の復讐

 イタリア政府に深く関係している金持ちが、自宅に呼んだ高級娼婦二人とともにライフル銃で殺される。状況から、現場から逃げ出した男が犯人と断定されるが、使用された銃は見つからず、しかも犯人と断定された男も当初犯行を自白していたのに突然全面的にそれを否定する。ここでこの犯人についての裁判が行われると、政府の高官に不都合な事実が明るみに出てしまう。

 警察のトップは、殺人課の刑事・ゼンに、でっち上げでいいのでこの犯人の無罪を証明して釈放するよう内密に命じる。ゼンは腐敗した警察の中で極めて珍しい高潔な刑事として知られていた。内心では言いなりになるつもりはなかったが、事件の捜査に不十分なものを感じてもいた彼は、再捜査を引き受ける。

 同じ頃、裁判官の殺人事件が発生する。そしてさらに別の男が同じように殺される。その犯人たちが次に狙っているのはゼンであったが、ゼンはそのことを知らない。

 ゼンは先ず犯人として逮捕された男に面会し、直感で、誰もが犯人である事を疑わないこの男が、犯人ではない事を確信する。

 ゼンは事件のあった村に滞在し、捜査を開始する。報告されていない事実が次々に明らかになり、不審な人物が何人も現れる。何が起こっていたのか、ゼンは手に入れた断片的な情報から徐々に真実に迫っていく。まさにその最中、あの犯人たちがゼンを襲う。

 ゼンのキャラクターが魅力的だ。ゼンは同じ警察に勤める女性・タニヤに密かに惹かれている。彼女が人妻であり、同僚と噂がある事に心を痛めているのだが、その彼女と何時の間にか距離が縮まっていくのが見ていてほほえましい。

 この事件を鮮やかに解決する事で、ゼンは自分の確固たるポジションを獲得するようだ。第二話が楽しみだ。このドラマは三話の連作形式で、昨年WOWWOWで放映された。録画していたのに見忘れていた(見忘れたり見る機会のなかったものがたくさんたまっている)。

 イタリアが舞台なのだが、これはBBCの製作したドラマ、つまりイギリスのドラマなのだ。イギリスのテレビドラマは本当に出来がいい。特に感じるのはそのカメラワークと場面転換の切れの良さ、そして画面の色調のすばらしさだ。

夢から醒める

 民主党に夢を託し、日本国民は政権交代を選んだ。それが大きな期待外れだった事を、今、国民は心から実感している。結果が明らかだったとはいえ、民主党の党首選が全く盛り上がらなかった事がそれを象徴していた。それを指摘されると、候補の誰かが「マスコミの扱いが理由だ」というような答え方をしていた。自民党の総裁選のほうの取り扱いのほうが、民主党の党首選よりもずっと多くて盛り上がっていたのは事実だ。しかし今更そんな事を理由に云うその感覚がピント外れそのものだ。

 野田首相以外の候補の顔ぶれが、民主党に見るべき人がいない事を現していた。日本国民の誰が、あの顔ぶれの誰かに首相として国を託したいと思っただろうか。夢から醒めたら、彼らの語る言葉のむなしさと無意味さが丸見えになってしまった。

 夢を見ていると云えば橋下徹大阪市長が旗揚げした日本維新の党でも同様ではないか。

 橋下徹氏は大阪府と大阪市で行政改革を行い、めざましい成果を上げた。これは民主党では行政改革とそれによる財政改革をうたい文句に国民に期待を持たせながら、全く成果が上がらず期待外れに終わった事と比べれば夢を抱かせてくれる事につながった。

 国民の熱い期待に応えるべく、橋下氏は国政に打って出る事になった。しかし彼自身はいまのところ国会議員になるつもりがないという。

 今、彼の率いる日本維新の党は、次の選挙に第三極として無党派層を大きく取り込んで、躍進が予想されている。ただこの新党には政治資金がない。そして政党要件を満たすために、現職国会議員を何人かそろえなければならない。しかし忽ち必要な国会議員が外の党からはせ参じた。

 マスコミは、日本維新の会が大躍進し、政局のヘゲモニーを握るとみているようだ。そして再び国民を夢に誘っているようである。もちろんマスコミというのは、国民が夢見たいと思っているような夢を描く。

 だが、私が、ある程度その言説を認めている有識者は橋下新党に辛い。
羮に懲りて膾を吹く、と云う奴かなと思っていた。

 しかしおかげで私は夢から醒めかけている。

 日本維新の会に参じている国会議員の顔ぶれをじっと見てみたらいい。酷評してきた民主党の面々と比べても、劣る。このような顔ぶれに国政を託さなければならない日本維新の会は、少なくとも当分の間国政の主導権を握らない方がいい。全く期待してないというわけではない。だが今は国政に橋頭堡を築くと云う事で良しとしておくべきだろう。

 今の顔ぶれに新たに新人をずらりと並べて、いつか見た、小泉チルドレン、小沢チルドレンと同様、橋下チルドレンを見る事になるのかと思うと、夢から醒めない方がどうかしていると思うがどうか。

日中国交正常化四十年式典中止について

 この式典の延期を中国が申し入れてきたが、事実上の中止であると報じられている。日本政府が尖閣の国有化を発表して以来、日中関係を修復するための動きはまったく見られるず、とりつく島がない状態だ。

 理由についてはいろいろな説が述べられ、どれも多分それなりに正しいのだろう。でも私には胡錦濤が野田政権に対して完全に切れてしまった結果であるように見える。

 APECでの胡錦濤主席の野田首相への申し入れがまったく無視された事で、胡錦濤はメンツを失った。中国では、メンツを失った人間は人間失格に近い扱いを受ける。彼は任期中の今までの功績がどうであれ、日本に申し入れを無視された主席としての汚名だけが残される。そしてその汚名を雪ぐ事はもう二度と出来ない。

 彼が完全に退場するまで日中の関係回復は期待できないだろう。そして中国は、今回の件について日本にとことん思い知らせるまでは強硬姿勢をとり続けるだろう。次に日本との窓口になる人も自分の政治生命がかかるのだから、融和策をとる事は極めて困難だ。

 勿論このような事態を利用して、日本から必要以上の譲歩を引き出すための提案が提示される可能性はある。うっかりそれに乗るような事は決してしてはならない。それは日本を売る事につながりかねない事を承知しておく必要がある。

 でもそのことが野田総理に分かっているとはとても思えない。そもそもそれが分かるくらいなら今回の事態が起こる事もなかった。

「上海游記」・海上

 愈(いよいよ)東京を発つという日に、長野草風氏が話しに来た。聞けば長野氏も半月ほど後には、支那旅行に出かける心算(つもり)だそうである。その時長野氏は深切にも船酔いの妙薬を教えてくれた。が、門司から船に乗れば、二昼夜経つか経たない内に、すぐもう上海へ着いてしまう。高が二昼夜ばかりの航海に、船酔いの薬なぞを携帯するようじゃ、長野氏の臆病も知るべしである。--こう思った私は、三月二十一日の午後、筑後丸の舷梯に登るときにも、雨風に浪立った港内を見ながら、再びわが長野草風画伯の海に怯なることを気の毒に思った。
 処が故人を軽蔑した罰には、船が玄界にかかると同時に、みるみる海が荒れ初めた。同じ船室に当たった馬杉君と、上甲板の籐椅子に腰をかけていると、舷側にぶつかる浪の水沫(しぶき)が、ときどき頭の上へも降りかかって来る。海は勿論まっ白になって、底が轟々(ごうごう)煮え返っている。その向こうに何処かの島の影が、ぼんやり浮かんで来たと思ったら、それは九州の本土だった。が、船に慣れている馬杉君は、巻煙草の煙を吐き出しながら、一向弱ったらしい気色(けしき)も見せない。私は外套の襟を立てて、ポケットへ両手を突っ込んで、ときどき仁丹を口に含んで、--要するに長野草風氏が船酔いの薬を用意したのは、懸命な処置だと感服していた。
 そのうちに隣の馬杉君は、バアか何処かへ行ってしまった。私はやはり悠々と、籐椅子に腰を下ろしている。はた目には悠々と構えていても、頭の中の不安はそんなものじゃない。少しでも体を動かしたが最後、すぐに目まいがしそうになる。その上どうやら胃袋の中も、穏やかならない気がし出した。私の前には一人の水夫が、絶えず甲板を往来している。(これは後に発見した事だが、彼も亦実は憐れむべき船酔い患者の一人だったのである。)その目まぐるしい往来も、私には妙に不愉快だった。それから又向こうの浪の中には、細い煙を挙げたトロオル船が、殆ど船体も没しないばかりに、際どい行進を続けている。一体何の必要があって、あんなに大浪をかぶって行くのだか、その船も当時の私には、業腹で仕方がなかったものである。
 だから私は一心に、現在の苦しさを忘れるような、愉快な事許(ばか)り考えようとした。子供、草花、渦福の鉢(柿右衛門の焼き物)、日本アルプス、初代ぽんた、--後は何だったか覚えていない。いや、まだある。何でもワグネルは若い時に、英吉利へ渡る公開中、ひどい暴風雨に遇ったそうである。そうしてその時の経験が、後年フリイゲンデ・ホルレンデル(さまよえるオランダ人)を書くのに大役を勤めたそうである。そんな事もいろいろ考えて見たが、頭は益(ますます)ふらついて来る。胸のむかつくのも癒(なお)りそうじゃない。とうとうしまいにはワグネルなぞは、犬にでも喰われろと云う気になった。
 十分ばかり経った後、寝床(バアス)に横になった私の耳には、食卓の皿やナイフなぞが一度に床へ落ちる音が聞こえた。しかし私は強情に、胃の中のものが出そうになるのを押さえつけるのに苦心していた。この際これだけの勇気が出たのは、事によると船酔いにかかったのは、私一人じゃないかと云う懸念があったおかげである。虚栄心なぞと云うものも、こう云う土岐には思いの外、武士道の代用を勤めるらしい。
 処が翌朝になって見ると、少なくとも一等船客だけは、何れも船に酔った結果、ただ一人の亜米利加人の外は、食堂へも出ずにしまったそうである。が、その非凡なる亜米利加人だけは、食後も独り船のサロンに、タイプライタアを叩いていたそうである。私はその話を聞かされると、急に心もちが陽気になった。同時にその又亜米利加人が、怪物のような気がし出した。実際あんなしけに遇っても、泰然自若としているなぞは、人間以上の離れ業である。或いはあの亜米利加人も、体格検査をやって見たら、歯が三十九枚あるとか、小さな尻尾が生えているとか、意外な事実が見つかるかも知れない。--私は不相変(あいかわらず)馬杉君と、甲板の籐椅子に腰をかけながら、そんな空想を逞しくした。海は昨日荒れた事も、もうけろりと忘れたように、蒼々と和んだ右舷の向こうへ、済州島の影を横たえている。

*深切など、今と違う字が使われているものがいくつかありますが極力原文のままにしています。

新連載開始

 先日の予告通り、今日から芥川龍之介の「上海游記」を紹介していきます。これは大正十年に芥川龍之介が綴った中国印象記です。「上海游記」が約三週間分。継いで「江南游記」が一月分、さらに「長江游記」と「北京日記抄」で十日分ほどです。残余をあわせても年内に終了する予定です。来年はちょっとハードなものに挑戦してみようと考えています。

2012年9月23日 (日)

日曜日

本日は日曜日なので(今は小生、申し訳ない事に毎日が日曜日だが)、酒のつまみを用意してテレビの前に座り込み、早めに酒と相撲を楽しんだ。

 シンプルにおくらに花鰹少々、生醤油を垂らしたもの、カンパチのあら炊き(これが手に入ったのはラッキーであった、やや薄味に)、タマネギのみじん切りと豚の挽肉を炒めて卵でとじたもの(これもパイと云っていいのではないか)、あら炊きの汁に残っていたミョウガを刻んで入れて味を調整したもの(絶妙である)、豚の串揚げ(これはできあいを購入)。ちょっと多すぎるけれど、これで少し長くなった夜を夢見心地で浮遊する。酒はビールと芋焼酎のお湯割り。

 乾杯。

周恩来様

 桐生の周恩来様、コメントをありがとうございました。

 お互いに中国が大好きなのに今回の事態(尖閣の騒ぎによる反日)はまことに残念です。中国の国民にとっては今の体制が変革される事が何かの希望のように云われていて、私もそのように考えていましたが、今回の騒ぎを見ていると、あまり短期間に大きく変わる事が、中国にとって本当にいい事なのかどうか、今ちょっと考え直しています。

 中国国民が全体として最も不幸が少ないソフトランディングというのは何なのか(この私が考えたところで何の力もありませんが)、考えています。多分日本の為政者よりもはるかに賢い中国の為政者が、それなりに答えを見つけるような気がします。それに期待しましょう。

 ところで明日の朝からは芥川龍之介の中国の紀行文を紹介します。ちょっと休憩、みたいなところですが、とても好きな文章なので引き続き読んで戴けると幸いです。

 それが終わった後、漢字の海に乗り出そうと思っていますので、溺れる様をご笑覧ください。

日馬富士おめでとう

 今、日馬富士が白鵬を破って全勝優勝した。これで横綱昇進は文句なしに確定した。

 それにしても白鳳との一番は大一番であった。一分半を超える大相撲のあと、気力と体力を使い果たして土俵からしばらく立ち上がれない姿は、多くの相撲ファンの感動を呼んだ事であろう。

 解説の北の富士が、白鳳の力が落ちた事を慨嘆していたのは同感である。何かの理由があっての事であればそれを克服して無敵の強さを再び見せて欲しい、と心から思う。

日本車用ステッカー

 中国を走っている車の20%が日本車である。反日だからと云って日本車を全て襲撃するのはたいへんだ。ただ運が悪ければ日本車のオーナーは悲劇に見舞われかねない。実際に襲撃されて車のみならず持ち主が重傷を負った事件もあった。

 そんな日本車オーナー向けに襲撃をよけるためのメッセージを書いたステッカーがバカ売れしているそうだ。

「別我、日本車、中国製造」
 壊さないでください。日本車だけど、中国製です。

「車是日本車、心是中国心」
 車は日本車だけど、心は中国です。

「本人買車在前、日本犯賤在后、従今以后、抵制日貨」
 車を買ったのは日本が悪いことをする前です。これからは日本製品を買いません。

「我去収復釣魚島了」
 この車で尖閣を取り戻しに行ってきます。

「中国我愛尓」
 中国を、私は愛しています。

 それぞれ結構笑わせてくれるものばかりだ。暴徒がステッカーをちゃんと読んでくれるといいけどね。

気に入った文章

 少し前にも記したが、今、内田樹先生の「街場の中国論」という本を読んでいる。ちょっと好いな、と思った文章を三つほど抜粋。

 隣国の人々がどのような「物語」を温めているのか、それを配慮しないままに集団心理的な「虎の尾」を踏むことの愚かさに、日本人はもう少し自覚的になるべきではないかと思います。

 隣国の状況を分析する時に、個人の政治的立場や好悪が入ってくるのは仕方がない。でも、それにしても、文化大革命報道ほど「言いたい放題」だったのは珍しいのではないでしょうか。特に、初期の文革礼賛派の中で、実情が初期に喧伝されていたものと全く違う話だったことがわかってきた後も、「あのときは先走って、とんでもない解説をしてすみませんでした」という反省の弁を述べた学者やジャーナリストのあることを僕は寡聞にして知りません。それに懲りて、以来、僕はどこの国であれ、「あそこでは理想的な政治が行われている」という話は眉に唾をつけて、信用しないことにしています。

 そのとき「常識的に考えて、ちょっとそれは・・・」という懐疑の種子を育てることを止めてしまったことを、僕はあとでずいぶん悔いました。もう二度とそのタイプの詭弁にだまされないために、「正論だけど、どうも無理筋のように思える」とか「まったくおっしゃるとおりなんだけど、聴いていると鳥肌が立つ」という場合には、自分の感じる違和感のほうをそれ以来優先させることにしています。
 それが文化大革命から僕が得たわずかな教訓のひとつです。

 先生とまったく同世代にあの時代を生きた私には、胸に突き刺さるように先生の云っていることが分かります。「鳥肌が立つ」というまさにその実感を持つために、知識と情報、そしてその意味を知る能力を磨き続けなければならないのだと思ってきました。私はデモでシュプレヒコールを上げている先導者のあとについて歩いて、それに唱和することが何より嫌いです。

「清末見聞録(清国文明記より)」・杭州・文瀾閣

 翌日藤井君と共に再び文瀾閣に到る。朱氏の案内で閣の中を残りなく縦覧することが出来た。閣は三層の楼で上に光緒御筆満漢合璧文瀾閣の扁額を掲げてある。第一階には中央に「図書集成」十四函、「全唐文」一函、「剿平粤匪方略(そうへいえつひほうりゃく)」一函を置き、東西二房には「四庫全書」経部各七函を置く。第二階には三房、共に史部二十四函を置き、第三階には二房に子部二十四函及び千八百九十年上海出版の「平定新疆戦図」があり、三房に集部三十二函及び武英殿聚珍版書を置いてある。「四庫全書」は経子は緑、史は赤、衆は茶褐色の表紙を用い、いずれも八行二十一字詰めで紙幅は縦七寸一分、横四寸五分あり、巻頭巻末に校正者の名を連署してある。
 この閣は乾隆四十七年に揚州大観堂文滙閣、鎮江金山寺文宗閣と共に「四庫全書」各一部を置いたものであるが、長髪賊の乱にここもその厄を免れず、蔵書のうち過半は焼失したのを広州の丁氏の尽力によって補写して旧観に復することを得た。乾隆の旧書には始めに古稀天子之宝の六字を刻した二寸四分角の印、終わりに乾隆御覧之宝の六字を刻した一寸七分角の印を捺してある。新しく補ったものはただ捺印が無いだけではなく字体もいたく劣っている。
 文瀾閣と共に観るべきは丁氏の八千巻楼である。市村博士がかつてこの地に遊んでこれを取り調べられたと聞いているが、折悪しく両江総督の端方氏がすでに全部を購入して南京に図書館を開くはずになっていたので、私はついにこれを見ることができなかった。

これで杭州の項、そしてこの旅行記は全て終わりです。この本「清国文明記」には旅行記の後に中国人の家族生活や社会制度、思想、国民性などについての考察が書かれていますが、ほとんど現代文に近いのでそのまま読めます。興味のある方は直接読んでください。この本にチャレンジし始めたときは漢和辞典を引くのに時間がかかりましたがだいぶ早くなりました。また、漢字の変換がなかなかヒットしなくてたいへんでしたが、おかげで変換辞書が充実しました。変換辞書はATOKを使っています。二十年以上これだけ使って他を知らないので比較になりませんが、このような文章の変換には向いている辞書かと思います。ただしイライラすることが多かったことも事実です。改めてこの本の紹介をしてこのシリーズを終わりたいと思います。
 宇野哲人著「清国文明記」(講談社学術文庫)NO.1761

拙い変換を我慢して読んで戴いてありがとうございました。特に桐生の周恩来さん、ときどきの励まし、感謝します。

2012年9月22日 (土)

国内の不満から目を逸らすためにデモを利用

 21日、中国の記事に、日本は22日に反中デモを計画している、とのニュースが報じられた。

 その記事によると「日本の若者は政治に関心がないと云われている。そして消費税引き上げや就職問題に対して不満を持ち、自分の将来に不安を持っている」と云う。だから日本の反中デモは、日本の政府が若者の不満をデモの形で利用しているものであると主張している。

 まだ今日のニュースで反中デモが行われた、と云うのを見ていないがどうだろう。日本の若者に不満は確かにあるだろうが、日本の大学生の就職率は90%を超えている。それに対し、中国は70%を切っている。どちらが不満が多いか明らかなことだし、今日本の大学生がデモをするなら反原発についてだろう。そして普通の日本の若者は、他国の国旗を破いたり、燃やしたりしないし、中国料理店を襲ったりしない。自分のところがそうだからと云って真似しないでもらいたい。

 日本政府が若者の将来への不安を利用して反中デモに利用しようとしてもそれに乗せられる若者が日本にいるとはとても思えない。

 こんなニュースをまことしやかに流すメディアがいることは、中国の恥だが、本気にする人もいるかも知れない。日本にも見てきたような嘘を平気で流すマスコミもあるから気をつけないといけない。

歴史教育

 韓国や中国がよく日本は歴史認識が足りない、と云う。今までは何を言っているのだ、と反発を感じていた。一方的な愛国教育を行い、日本を敵国と国民に刷り込んで置いて、日本の歴史認識を云々するな、と腹が立っていた。
 しかし、日本の歴史認識が間違っている、と云う言い方には確かに問題があり、同意は出来ないが、歴史認識が足りない、と云う言葉にはこの頃その通りだな、と感じるところがある。

 今の日本人は過半数が戦後教育を受けた人間だ。そして戦後教育では歴史の教育が十分に為されていたかと云えば、残念ながらそう言いかねるように思う。歴史教育とは何を目的に為されるものか。

 私は高校時代、歴史が嫌いだったわけでは決してなかったのに、日本史も世界史も大嫌いだった。そして大学に入って先ず自分の知識を得るために読み始めたのは太平洋戦争に関係する本だった。なぜ日本は世界を相手に戦争を始めたのか、それを知りたかったのだ(そこから明治維新に至り、その前後の中国の状勢、列強の簒奪を知り、中国にはまってついには中国古代にまで行き着いてしまったが、それは別の話である)。

 団塊の世代の尻尾に当たる私の世代では、歴史の授業は明治の初めくらいまで丁寧に行われて、その後は殆ど撫でる程度しか行われなかった。先ず受験にはあまり明治以後の歴史が出る事は少なかったし、近代以後はイデオロギー的な理由で歴史の先生も触れるのを恐れていたような気がする。

 歴史を学ぶ意味は何か。現在を正しく認識するにはそうなった背景を知る必要がある。そのためには歴史は最も必要な知識だと思う。誰が考えても無謀な、勝ち目のない戦争をなぜ始めたのか知りたいと思わないほうがどうかしていると思う。

 近代史、現代史が私たちの時代にはおろそかにされていたので、若い人たちや子供たちにその後はどうなっているか知りたくて、たびたび尋ねてきたが、状況は殆ど変わらないようである。

 日本がアメリカと戦争をした事すら知らない若者がいる、と云う。教わっていないから知らない、と平然と答えるであろう。確かに教えられていないのかも知れないのだから言い分はある程度正しい。道を行く若者に朝鮮と戦争したのはいつか尋ねてみたら良い。朝鮮とは直接戦争をした事はないのに適当な答えが返ってくるに違いない。しかし彼らも平安京がいつからか、鎌倉幕府はいつからか、徳川幕府は、と云うと正しい答えを返す事が出来るに違いない。

 ことほど左様に近現代史がおろそかにされていれば、中国や韓国から歴史認識が足らない、と云われるのは当たり前ではないか。

 日教組は左翼イデオロギーで歴史教育に関わろうとした。歴史の先生は、近現代史を事実のままに教育すると「偏向教育」をしている、と批判されるので、それを恐れて近現代史をパスした。そして文部省はそれを見て見ぬふりをし続けた。マスコミは文化系の出身者が多い。そして彼らが教育を受けた大学教授の多くはマルクス主義的唯物史観論者であった(いまだにその亡霊が残っているらしいが恐ろしい事である)。だから新聞、テレビの編集者の多くは中国や韓国と同様の偏った歴史観のもとに思考する。だから中国で毛沢東が大躍進政策や、文化大革命で何千万人の犠牲者が出ていたのにそれを礼賛する記事を流していた。

 これでは日本人に正しい歴史認識が定着するはずがない。日教組やマスコミは中国や韓国に迎合するあまり、反って日本人の歴史認識を損ない、隣国と正しく向き合う機会を失わせたと私は考えている。

 迂遠な方策だが、歴史教育、特に近現代史を必修として教育する事を提案する。明治維新前後の世界情勢から説き起こし、第二次世界大戦の終結までを正しく教育する事が、これからの日本人の世界認識にとってどれほど寄与するか、期待すること大である。これが韓国や中国の愛国教育に対抗できる唯一の方法であろう。

愛国行為

 広東省江門市では車上荒らしが頻発していた。被害に遭った車両の多くは日本車だったという。

 当局は捜査の結果、犯行に及んだ犯人7人を逮捕した。何れも無職の若者達で最年少は16歳だった。犯行の動機を問われると、「これは愛国心ゆえの行為だ」と答えたのだそうだ。

 まことに中国の愛国教育は行き届いている。窃盗犯も愛国心に基づいて行動しているらしい。中国も誇らしいであろう。

判断ミス

 野田首相が「尖閣諸島の国有化について、日中間に、ある程度の摩擦が起こる事は想定していたが、結果はその想定を越えていた」と述べ、判断ミスを事実上認めた。勿論、「判断ミスを認めるか」と問えば、決して認めないであろう。それはそういうもので当然であると思う。

 中国でもこの発言が「判断ミスを認めた」として報道されたようである。そうなれば訂正を求める声につながる可能性もあるが、今のところそういう盛り上がりはない。

 判断ミスを正式に認める必要はないが、それを言葉に出したと云う事はつまり「しまったなあ」と内心思ったと云う事であろう。聞く耳持たず、自分を正しいと言い張るよりはましである。なぜかと云えば間違いを認識するところからその結果に対する対処の必要性と責任に対する意識が働き出すからである。

 中国も日本に対して経済制裁を叫んでいるが、これは国内向けの言葉で、あまり極端な事をするつもりはないとみられる。そんな事をしていたら中国自身も傷つく。とはいえある程度収まった、と云う状態になるまでは日本は経済的に大きな損失を被る事になる。その額は、収まるまでの期間にもよるが少なくとも数千億円になるのではないだろうか(計数的根拠は全くない。気分的なものなので突っ込まないでください)。例えば自動車の販売台数の激減とシェア低下がある。一時的な販売台数も深刻だが、顧客を失い、シェア低下してしまったあとに、それを回復するためにどれほどの努力が必要になるか、野田首相以下、民主党の面々は考えた事があるだろうか。これは電化製品にしても同様であろう。

 私も営業をしていた経験のなかで、会社のやむを得ざる理由から、いったん市場を壊滅的に失った後に、一から立て直す仕事をした事がある。ゼロからの出発ではない。マイナスからの出発の困難さはそれを経験したものにしか分からない。今中国でその事態に直面しているであろう日系企業の人々の、胸中は察するにあまりある。普通の人よりもそれを強く感じているつもりである。だから日本政府に対して、特に野田首相と藤村官房長官の「判断ミス」には怒りを覚えるのだ。

週末のデモ

 中国政府はこの週末の反日デモをネット規制の強化と報道の抑制で押さえようとしているようである。

 連日テレビで日本研究者や国際政治学者が、日本の尖閣国有化が違法であると叫び続けていたが、19日から激減している。代わりに中国が日本に取った報復措置で日本が混乱し、日本政府が国内で非難を浴びている事、経済的に打撃を受けていると云う内容の報道が増えている。

 つまり先般のデモによる中国国民の意思を中国政府がよく理解し、それに沿って日本に対して適当な行動を行っているので、もうデモは必要ない、と云うストーリーなのであろう。

 果たして今日と明日、反日デモは行われないだろうか。

 しかしこうやって国民は政府の思惑に沿って主張行動を一斉に行い、そしてそれが抑制されるとまったく収まってしまう。こうして中国が独裁国家である事を世界に改めて認識させた。これを中国国民は何処まで自覚しているのだろうか。中国国民は自分の意志で行動しているつもりだが実は国家のコントロールのもとにあるようだ。中国人の語る言葉は当分金太郎飴だろう。

「清末見聞録(清国文明記より)」・杭州・表忠観

 藤井君の東道で(案内で)小舟に乗って孤山の文瀾閣に向かう。たまたま入り口の鍵を司る役人が不在だというので清波門外の銭王祠に詣でた。これは古の表忠観である。湖に臨んで功徳坊がある。雍正八年李衛が立てたものである。正門は鎖されているので、南に回り堂守の案内で祠前に謁す。正門のうちには御碑亭があって内に康煕御題保証江山の四大字、乾隆詩4種を刻した碑があった。また、左右に二碑亭があり、右には蘇東坡撰並書表忠観碑があり、わずかに碑が二枚残っている。文は表裏の二面に刻してあり、残念ながら石の下半分は欠けている。左には明の嘉靖二十九年に作り直された表忠観碑六枚がある。正殿には呉越王銭鏐(せんりゅう)及び元瓘(げんかん)、弘佐、弘琮(こうそう)、弘俶(こうしゅく)の五王の塑像を安置している。呉越王のことは蘇東坡の表忠観碑に詳しく書かれていたがくどくなるので略す。

2012年9月21日 (金)

不正疑惑捜査

 李明博大統領が引退した後に住む私邸の土地購入をめぐって不正疑惑が持たれ、李明博大統領は特別検察官による疑惑捜査を受け入れることを決定した。

 疑惑の内容は、土地購入に際し、長男の名義を不正に使用したこと、大統領府が購入資金の一部を肩代わりしたことだという。韓国国会は特別検察官による「特別検事法」を賛成多数で可決している。

 そういえば韓国の大統領というのは引退後に自身または身内の不正により告発されたり、暗殺されたりしている。早速それを列記したものがニュースで報道されていたので一部転記する。

李承晩(1948~1960)退任後、婦人と共にハワイに亡命。

尹譜善(1960~1961)クーデターで下野。非合法活動を告発され、実刑判決。

朴正煕(1963~1979)1974年に文世光事件により夫人が射殺される。本人は側近のKCIA長官、金戴圭に暗殺される。

全斗煥(1980~1988)不正蓄財で親族が逮捕され、自身も死刑判決を受ける。のちに特赦を受ける。

盧泰愚(1988~1993)在任中の不正蓄財と粛軍クーデター、光州事件の責任を追及され、懲役刑に。のちに特赦。

金泳三(1993~1998)親族の脱税の不正に関与したとして収賄容疑で逮捕される。

金大中(1998~2003)光州事件の首謀者として無期懲役の判決を受ける。さらに親族の不正事件でも告発を受ける。

盧武鉉(2003~2008)親族の不正資金疑惑で本人も捜査対象となり、逮捕直前に投身自殺した。

今更のように余生を全うした大統領がほとんどいないことに驚かされる。李明博にも運命が迫っているようだ。これでも大統領になりたいと思う人が出てくるのだからそれも驚きだ。韓国人はこのことをどう思っているのだろうか。とても知りたい。案外気が付いてなかったりして。まさかとは思うが。

出版禁止

 北京市当局が市内の出版社に対し、日本人作家の作品などの出版禁止を命じる通達を出した。日本政府の尖閣国有化に対する報復措置だろうとのことである。

 このような報復措置は経済的にほとんど効果があると思えない。そして日本に報復の実感のある措置でもない。

 これは中国国民の文化的知見を得る機会を阻害する働きしかないことが明らかである。と云うことは日本からの情報を遮断しなければならないと当局が考えていると云うことである。つまり中国政府にとって日本からの情報を国民に知られると中国政府に不都合であると考えた姑息な手段であり、それを報復措置と言い訳しているだけに過ぎないように見える。

 今後中国は日本からの輸入品について検閲を強化し始めた。これこそが報復そのものである。通関を停滞させ、日本からの輸入を縮小させようと謀る、これは明らかなWTOに違反する行為であり、中国の常識のなさを露呈している。これに対して日本は即刻WTOに提訴すべきだが日本政府はぼんやりと見過ごしているようである。外務大臣も首相も国難に何もしない、そして主張すべきことにも無反応、と云うていたらくは無能を通り越して犯罪的である。

国旗の冒涜

 韓国のネットに、日本の右翼が韓国国旗・太極旗にゴキブリを書き込み、それを踏みつけている動画が流されて韓国民の激怒を買っているという。

 韓国の人たちが日の丸を焼いたり、破いたりする映像は数限りなく見ている。日本人はまたか、と思うばかりでもう今更何も云う人はいなくなっている。でも本来やるべきことではないし、普通の日本人は韓国人のようにあんなに頻繁に他国の国旗を冒涜したりしない。だから今回の太極旗に冒涜を行っている人間は普通の日本人とは違う気がする。

 それに太極旗にゴキブリの絵を描き込んで云々という話は確か二、三ヶ月前に報道されていたことのあるニュースで、どうも同じものが改めてネットに流されたようなふしがある。日中がもめているために韓国との竹島問題の影が薄くなったので、やらせではないかと思う。

  もともと日本人は竹島問題に何もエキサイトしていないわけで、興奮して騒いでいたのは独り韓国だけだから、韓国内が少し静かになると都合の悪い人たちが何か画策したのだろう。無意味なことである。

井波律子著「中国的レトリックの伝統」

 著者が若い頃に書いた論文やエッセイをまとめたものである。

 この中の劉勰(りゅうきょう)の「文心雕龍論(ぶんしんちょうりゅうろん)」は彼女の卒業論文であり、最も早く書かれたものだ。

 そしてこの本の中でこれが最も難解である。三国六朝時代(魏晋南北朝時代)の文学論であり、「四六駢儷文」全盛の時代の文章を論ずるのであるから当然レトリックを駆使した難解なものになるのは当然なのである。正直に言うと三割くらいしか分からなかった。

 卒業論文にこのようなハイレベルのものをものするというのは私には驚嘆すべきことに思えるのだが、文化系の卒論というのがこれほどとは思わなかった。まあ栴檀は双葉より芳し、と云うように著者だから出来たことなのだろうが。

 そこから発展して二年後に曹植論である「曹植の世界」が書かれている。曹植はあの三国志の曹操の息子であり、兄の曹丕(文帝)と帝位を争って敗れ不遇の生涯をおくるが、当時としては超一流の詩人でもあった。その詩を分類し、具体的に取り上げて曹植の精神の有り様を考察する。鋭い指摘にあふれ、名文である。漢詩がこれほどイメージ化出来たことはいままでにないほどだ。

 そのほかたくさんの文章がふんだんに盛り込まれているが、最後に日本への影響ということで、高橋和巳、武田泰淳、花田清輝が取り上げられてそれぞれ論じられている。
 武田泰淳は「司馬遷」を読んで大好きになった作家だがここでもその「司馬遷」が描かれた背景が説明され、彼の他の作品へ論が展開されていく。いっていることがものすごくよく理解できて、どきどきするほどだ。

 著者の著作は何冊か読んだが未読も多い。これからも手に入るものがあれば読んでみたいし、読んだものも再読してみたい。たいへん知的興奮を与えてくれる本であった。

キャンセル

 友人たちと11月に香港へ行く予定であったが、キャンセルすることになった。いつもなら「大丈夫、大丈夫」と言い張る私もキャンセルに賛同した。

 今回の中国人の日本に対する反発は今までとは少しレベルが違うような気がしている。もちろん九分九厘問題なく旅が出来ることは間違いないと思うが、出会う中国人の気持ちのありようがまだ収まっていない可能性が高いと思うのだ。その気持ちを抑えて応対されても楽しめないような気がする。

 中国の観光地は、10年前までは八割以上が中国人以外の観光客が来ていた。今は、九割が中国の人たちである。声高にたむろする中国人の間をよけながら観光するようなことが多い。香港も、一国二制度が残るためか中国人にとっては観光地である。だからその状況は一緒であろう。海外からの観光客だからといって優遇されることが少なくなっている。

 中国は愛国教育を強制的に行っている。しかし香港に関して、今まではそれを強制していなかった。しかしこれからは愛国教育をするように、と云う指導が入った。いろいろもめた後に、香港は中央政府に対し、愛国教育はしない方針を回答している。だから中国本土とは些か歴史認識が違うことは事実である。

 だがなぜ尖閣上陸を強行する船は香港から出たのであろうか。

 香港はあくまで香港である、とプライドを持っている人たちが数多くいる。当然イギリス領であった時代に世界の情報を遮断されずに受け取ってきた人たちは中国本土の人たちと意識が違う。

 ところがそのようなところだからこそ遅れて中国に加わったことを引け目、と感じる一部の人たちがいる。そして遅れて参加したものは何らかの点数稼ぎをしないと仲間には入れないと感じるために、何らかのスタンドプレーを行う。

 その表れが尖閣上陸の行動に他ならない。中国政府は止めることも出来たのに、日本の出方を見るためにあえて放置した。それこそそこに、香港は中国とは違う、と云う差別意識がなかったとは言えない。

 尖閣に強行上陸した人々は一部の人に英雄扱いをされた。マスコミももてはやした。そして上陸した人間の一人は議員の立候補者の一人でもあった。英雄視されたのだから当選は間違いないと本人もマスコミも見ていた。しかし香港市民は彼を落選させた。

 ことほど左様にこのようなスタンドプレーをする人はごく一部の人である。しかし一部とは言え千人に一人でも、何百万人かの人口の香港には何千人もいると云うことである。中国本土より先鋭化したそのような人が無視できないほどいるのが香港ではなかろうか、と云うのが私の危惧したことであり、今回のキャンセルに賛同した理由である。

戸惑い

 橋下徹大阪市長が「中国、韓国が何を怒っているのか、しっかり過去の戦争を総括すべきだ。怨みを持たれてもしょうがないこともある」「日本人はアジアの歴史をあまりにも知らなすぎる」と発言をしたことが中国で紹介された。

 私もまったく同感であるし、心ある日本人の多くもそのことに同意するであろう。そして、橋下徹大阪市長がそのような発言をしたことについて、何も違和感も不思議さも覚えない。その通りだからである。

 ところがここが面白いことに中国人の多くがその発言に戸惑っているのだという。橋下徹大阪市長といえば、中国では「過去の日本を賛美する右翼政治家」と認識されている。確かにいろいろ辛口の意見を述べているのでそう思われているのだろう。

 ここにイデオロギーで国をまとめている中国の本質がある。教条主義はレッテル貼りが得意だし、そのようにして物事を白か黒に振り分け、敵を明確化する。○か×に決めつけるから×と決めつけた人物が○の意見を述べると戸惑ってしまうのだ。

 中国の巨大な人口をまとめるためには物事をシンプルにしていかないと統治が困難だという仕方のない面があるのだとは思う。

 「橋下徹という人間が二人いるのか」というネットでの書き込みがそれを表している。そして最も優れた反応は「人に蔑視されたくなければ、蔑視されないだけの資格が先ず必要だ。現在の中国政府と、海外に紹介されている今の中国人の実態を見てみろ。これでは差別視されてしまうのは当然だ」。

 レッテル貼り的思考からの脱出こそ知性ある人間への道なのだが、橋下徹大阪市長の今回の発言が中国に一石を投じたことは間違いないようだ。まだささやかな波紋しか生んでいないが、案外ツボにはまっていたのかも知れない。

 ところで民主党という党がどうもレッテル貼り的思考の人間の集まりであるのだなあ、と改めて認識させてもらっている。党首選の候補の発言を聞いていると野田首相以外の候補は互いにレッテル貼りをしあっている。そういえばレッテル貼りの名人が菅直人という人だった。そしてマスコミは単純さを好むあまり、このレッテル貼りが好きだ。そうか、前回の総選挙はこのレッテル貼りの手法で大衆の心をつかんだ民主党を、同じくレッテル貼りを好むマスコミが担ぎ上げて大勝したのか。

 レッテル貼りは弱者が大きな敵を攻撃するときの手法である。為政者が本来行うべきものではない。もしそんな手法をとらざるを得ないのであればその国の体制には問題があると云わなければならない。中国も日本もそろそろ国民が知性を持ちだした。レッテル貼りが通用しなくなりつつあるようだ。

 と云う私がレッテル貼りをしているかも知れない。あはは、ミイラ取りがミイラになっちゃった。

「清末見聞録(清国文明記より)」・杭州・霊隠寺

 ここから道は清渓に沿って通じており、稚松の岡と呉竹の叢とを左右に見て、梅の花がちらほら咲いている辺り、ウグイスの鳴いているのを聞きながら十町ほどで橋を渡り、さらに左にそしてまた右折れ、やがて霊隠寺に到着する。楼門には題して飛来峯と云う。馬を乗り放ち門を入り、ふたかかえほどの大きな並木の道を過ぎれば、正面に飛来峯がある。晋の咸和中梵僧の慧理が天竺から至り、嘆いて曰く、この山は霊鷲の一峯のみである、何れの時代に飛んできたのかと。よって名付けられた。(杭州のこの辺りは砂地で岩石で出来た山はこの飛来峯の辺りだけだと言うことである)峯中には洞窟があり、また一綫天(いっせんてん)などの名勝もある。洞窟の中にも外にも多くの仏像が刻されていて、どれがどの時代のものか分からないが、新旧入り交じり優れたものも拙いものもある。峯前に南無宝幢勝仏塔(なむほうとうしょうぶっとう)があり、四面六級の石造りで各面格級に仏像が刻されている。ここから右へ春淙亭(しゅんそうてい)、壑雷亭(がくらいてい)、冷泉亭等を過ぎ、山門に至る。その大きさは芝増上寺山門ほどであろうか。扁額があり、雲林禅院と題す。寺は晋の咸和元年僧慧理の開基である。唐の駱賓王の詩に、
  鷲嶺鬱岧嶢(ちょうぎょう)、
  龍宮鎖寂寞、
  楼観滄海月、
  門対浙江潮、
というのはこの寺のことである。雲林とは康煕帝が賜った名である。山門前に石幢(せきとう)二つがある。呉越王が僧の延寿に命じて立てさせたものである。山門を入れば絶勝覚場と言う額がかかっている。晋の葛洪の書であると伝えられる。正殿を覚皇殿という。焼け失せた跡にはわずかに形ばかりの小堂を建立してあるのみ。左に羅漢堂があり、五百羅漢を置く。近代の作と覚しく、見るに足りるものはない。寺は霊隠山中にあり、域内古木が森々として閑寂としている。もし駱賓王が言うように滄海の日を観、浙江の潮に対しようとすれば、すべからく寺の後ろから霊隠山をよじ登り、北高峰に上らなければならない。嶺の上にはもと唐の天宝時代に建てられた七層の高塔があったけれども会昌の時代に焼け失せて今はない。霊隠寺の奥にはさらに法喜、法浄、法鏡の三天竺があり、天竺詣でと云って四方の善男善女の参詣する人々が引きも切らない。

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2012年9月20日 (木)

円高の不思議

 不思議なのは円高だけではない。株があまり下がらないことも不思議である。日本の貿易額の市場大きな相手国は中国である。そして主要な企業の多くが中国と関係している。その中国との関係が大きく損なわれているときになぜ日本の先行きに不安を感じて円が安くならないのだろうか。そして中国に進出している企業の株が暴落しないのだろうか。

 なんと日本の国債が海外にどんどん買われだしているのだという。発行された国債940兆円のうち、海外が購入したものが82兆円に上るのだそうだ。これは全体の8.7%にあたり、昨年より20%も増えているという。

 日銀の欧米との協調による金融の量的緩和により、円安に動いたものの、あっという間にもとの円高に戻りつつある。

 世界の投資家は現在の日中関係を、特に日本にとってマイナスとは判断していないとしか思えない。とすると大げさに危機的状況であると騒ぎ立てている私の認識は間違っているのだろうか。

 人はある言説を立てると、それに合致する情報ばかりを集めて自分の言説の裏付けとする。私は、それにはまっているのだろうか。それ観ろ、私の云ったとおりだろう、と云いたいのは山々だが、世界の投資家の観るように日本経済に特に問題がないのであれば、私の予測や危惧が外れることなんか何でもない、大いに外れて欲しいものだ。

政府は関与していない

 中国外交部は中国各地で発生したデモについて「完全に民衆の自発的な行動であり、政府は一切関与していない」と強調した。そして日本は「自身の意見に固執せず、非を認めるべきである」と主張した。

 今回のデモについて中国政府が裏で関与している、と云う報道は中国でも日本でも特になかった。それなのにこのような言い訳をするのはなぜだろうか。

 先週末とうってかわって昨日と今日はほとんどデモはなくなり、まったく平穏で、中国現地の日本人学校も再開し、子供たちが元気に学校に登校する姿が映されていた。

 これは当局が携帯のメールを通してデモの自粛を呼びかけていること、組織ごとにデモに参加することを規制する通達を回していることが理由である。そもそも中国の法律ではデモそのものを禁じている。

 デモを中国政府が関与して煽った疑いが無いことはない(あまりにも似たような横断幕が手際よく準備されていたことなど)が、それはそれとして、法律で禁止されていることを「愛国の気持ちの表明は理解できる」として容認したことは、そのままデモをしなさい、と云っているに等しいわけで、これは中国政府が裏で、ではなく表で、関与したに他ならない。

 前にも述べたことだが、これはそのまま中国政府の、つまり胡錦濤、温家宝の感情的な気持ちの表れで、中国人のうち、ある程度のセンサーの働く人間は貧富を問わず共感したことのようである。だから計算ずくではないのでコントロール不能となり、予想以上の暴動につながったのではないか。

 今回の日本政府、と云うより野田、藤村両氏の不手際な行動が中国人の気持ちを大きく逆なでしたものであり、今まで苦労してきた両国の関係を著しく損ない、しかもこの怨みは中国人にしこりとして残り、今後の修復を難しくしてしまった。それなのに当人たちにはかけらもその自覚がない上に、民主党の候補たちも相変わらず評論家を決め込んで誰かのせいにしようとして自分の問題として考える様子が見られない。そんなつもりはなかった、と云うのは何のいいわけにもならない。

 国難のときに(東日本大震災のときに、そしてこの尖閣問題に対するときに)、この責任感も行動力もその上能力もない人たちが日本の政権を担っていることの不幸を心底悲しむ。今こちらに解決能力も対策案もない状態では、ただ相手の出方に応じた行動しかない、と云うのが残念ながら現状だろう。

笑われているぞ

 中国の大手ポータルサイトが「暴徒化した愛国が中国社会を不安定にする」と題したコラムを掲載した。

 先週末の反日デモについて、北京などでは比較的に整然としていた(ペットボトルをなげこみ、インクの入ったガラス瓶を投げて大使館の壁を汚すのは、整然としたデモとは云わないし、それを制止もしないで放置する警察も異様であるが)のに地方の抗議活動は行きすぎた愛国主義で残念であったと述べている。「愛国」や「日本製品ボイコット」という名目で破壊行為や略奪行為が行われたが、これは明らかに法に触れる行為であり、法による制裁を受けるべきであると云う。

 この暴徒化して破壊行為や略奪行為をした様子は日本のテレビでも大々的に報じられており、日本人はそれを見て中国人を嘲笑している、と伝えている(あまり嘲笑はしていないと思うが、あきれていることは間違いない)。そして日本のメディアはこのような暴徒化は中国社会を不安定にする、と冷ややかに観ている、と結んでいる。

 これは冷ややかに、ではなく、冷静に、だろう。そして暴徒化が社会を不安定にする、ではなくて、社会が不安定だから暴徒化のようなことが起こる、と云っているのだが、少しずつ言葉をねじ曲げて使用しているところが中国らしい。そのような書き方をしないと当局からお叱りを受けると配慮したのか。だからこの記事は削除されずに残されていたのだろう。

 それにしても日本が中国を冷静に観ていることを伝えるこのような文章を、若い人たちがなるべく多く観てくれることを願う。でも頭に血が上っていると見たくないものは眼に入らないか。教条主義的思想を刷り込まれた人間の悲劇を感じる。日本にもときどきいるけれど。

予告

 「清末見聞録」はあと三日で終了します。六十の手習いとしてせっかくの名文を台無しにしながら現代文らしきものに書き直していました。
 次にチャレンジするものを捜して、那珂通世博士の「支那通史」に挑もうと思いましたが、かなりハードなので一息入れることにして、芥川龍之介の中国旅行の紀行文を原文のまま紹介しようと思います。名文は書き写すことでわずかでも身につくと云われています。ざるのような私にどれほどのものが残るのか、期待せずに取り組みたいと思います。内容としては「上海游記」「江南游記」「長江游記」その他となります。比較的短い文で構成されているので読み飽きないと思います。いつものことですが、引き写すときにとんでもない間違いをしていることがあります。もし不審を感じたらすぐ指摘くださるとありがたいです。即刻訂正します。


「清末見聞録(清国文明記より)」・杭州・玉泉

 ここから松や楢、櫨の林を過ぎて、玉泉清漣寺に到る。寺は南斉の建元中霊悟大師曇超の開山で天福三年初めて寺を建てて浄空院と名付けた。宋の理宗の殉祐十一年に御書玉泉浄空之院の額を賜った。康煕年間改めて清廉院の名を賜う。大雄宝殿の右に清泉が湧きだし、水をたたえて池になった。故に玉泉といい、また清漣と云う。池の中に五色の鯉がいる。人の声を聞いて集まってくる。えさを投ずれば頭を並べ尾を連ねて溌剌として水上に躍り、争って食べる。董其昌が池畔に題して魚楽園という。魚はもともと池の中で楽しんでいる。しかし利を見ればすなわち相争う。もし荘子にこのありさまを見せて意見を聞いたならなんと言うであろうか。

2012年9月19日 (水)

復興予算横流し

 NHKの番組で、復興予算が震災とは無関係の場所に使われているものが多いことを報じていたことをここでも取り上げた。NHKでは特に額の大きな第三次予算の9兆円について個別に検証したところ、なんと二兆円をはるかに超えるものが復興と直接関係ないところで使われていた。その記事を再録する。

「復興予算」(9月9日)
 NHKスペシャル番組「追跡 復興予算19兆円」(9日夜9:00~10:00)を見た。番組を見た方はかなり怒りを覚えたに違いない。

 NHKの問題提起は、国民に長期間の所得税増税を強いてまで組まれた復興予算がきちんと使われているのか、そして被災した人に予算が十分配布されているのか、ということであった。

 驚くべきことに予算の配分は復興の名を借りながら、ほとんど復興と関係があるとは考えがたいものが数多く含まれていることが明らかにされていた。そして被災者が事業再開のために申請した案件がなんと40%程度しか認められず、60%が却下されて路頭に迷っていると云う事態だ。そして各省庁は復興予算に対して群がるようにそこから奪い取ったようだ。
 NHKは特に第三次の復興予算、9兆円について検証を行っている。
 例えば国土交通省が獲得した復興予算による道路工事がなんと沖縄の国頭村で行われていた。このような例は枚挙にいとまが無い。約25%の2兆4500億円が首をかしげるものであった。シーシェパード対策も復興予算に計上されていたのだが信じられるだろうか。

 実際に東北を走っていると高速道路をはじめとして道路工事がそこら中で行われている。そこには麗々しくその工事が復興のための工事であると云う看板が掲げられているが、それがほとんど震災と無関係と思われるような秋田県の道路だったり、宮城県辺りの道路でもなぜそこを工事しているのか理解しにくいような工事も見受けられる。工事のための工事としか見えないのだ。そしてそのために車は通行を妨げられ、渋滞を余儀なくされている。しかも被災地にはいつまで経っても新しい家が建つ気配は見えない。

 各省庁の請求に対して配分された予算の中にはそもそも震災の前から普通の予算として計上されたものと酷似したものが数多く見受けられる。つまり復興の名目を無理矢理こじつけて復興予算に付け替えしているとしか見ることができないものだ。このように復興予算を食い物にしている実態を見逃している復興庁と政府の責任は重大である。

 番組ではさらにがれき処理に関しての自治体の費用について検証していた。1トン辺りのがれき処理費用が高いところと安いところとでは7倍も違う。処理の前にがれきを分別して集めたか、一括で集めたがれきの山から改めて分別するかで大きく費用が違うのだ、と云う説明もあった。それも確かにあるようだが、それ以上に処理業者の処理の実態を自治体がきちんと確認していたかどうかが大きいことが明らかにされていた。一週間で出来る処理を二週間かけていた、などというのが公然と行われていたり、処理の報告書類に添付する現場写真がずさんでまったく証明にならないものがぞろぞろと出てきていた。

 19兆円の復興予算が被災者にきちんと届いていない。省庁や業者に食い物にされている割合が予想以上に大きい可能性がある。あの平野復興大臣はこの番組に対してどのように釈明するのだろうか。

 なぜNHKはこの番組を今放映したのだろう。国会が事実上終わり、この番組が国会で問題にされることを避けるためだったなどと言うことはなかったのか。これを議題に徹底追求をして火事場泥棒を断罪して欲しいところなのだが。このNHKの問題提起に対してマスコミは全力を挙げてさらに追求検証を行ってくれることを期待したい。それが国をクリーンにすることにつながる。中国とは違うことを皆で証明して欲しいものだ。

 以上が放送があった直後に書いたものだが、期待に反してこのことを追求する他のマスコミを見ていない。今日ようやく報道ステーションで古舘伊知郎が民主党の党首選の候補四人を前にしてこの番組についての質問を投げかけていた。「私から観れば復興予算の横流しにしか見えないこのようなことについてどう思うか」と。

  四人とも訳の分からない評論家のような回答をしていた。さすがに古舘伊知郎がじれて、「評論家みたいな言い方をしているが、ここにいる人は少なくとも大臣を一度は経験した人間で、当事者としか国民は観ていない。いったいどうするつもりなのか」と迫った。まったく話にならない。野田首相ですらいいわけと観念論で終始し、何をどうする、と云う話を最後まで云わない。他の候補は私が閣僚の時の話ではないと言い出す始末だ。ダメだこいつら。怒りの上に怒りを覚えた。

破壊活動を行った日本人

 中国のネット上で「広州警察は、破壊活動を行った中に日本人留学生二名が含まれていると発表した」という情報と参加した人物の写真が出回った。

 なんとこの写真の二人の人物の顔を見ると、あのイギリス女性を殺害し、整形までして逃げ回っていた市橋容疑者の整形前と整形後の写真のようである。

 そう、これは完全なデマであり、広州警察はこの情報を全面的に否定している。また、暴動の容疑者を逮捕したが、その写真は公開していないし、外国人は含まれていないとしている。さらにこのようなデマを流した場合は法に基づいて取り締まると明言した。

 しかしデマにしても悪質である。そしてこれが、でっち上げで誰かを逮捕することも可能だと云うことの、一つの警告にも感じられて恐ろしい。

映画「ナイアガラ」1953年アメリカ映画

 監督ヘンリー・ハサウェイ、出演マリリン・モンロー、ジョセフ・コットン、ジーン・ピータース。

 この映画は昔テレビで放映されたときに観たつもりでいた。ラストシーンの記憶ではナイアガラのカナダ側からアメリカ側への歩道をマリリン・モンローがモンローウォークで歩いて行く場面にクレジットが重なっていると思っていた。

 ところがこの場面の後にさらに物語が展開するのであった。完全に記憶違いだった。冒頭から貸しコテージの場面などかなり鮮明に記憶していてその通りなのにどうしたことであろうか。しかしその分初めて見たような気分で楽しむことができた。

 いかにも曰くありげなカメラワークと音楽を多用し、観客に記憶すべきことを一つ一つ暗示していく。その意味が物語が進むうちに分かってくる。すると観客は自分だけが謎を解き明かしたような気分になってくる。さらに物語に引き込まれる、という仕掛けになっている。昔の素直な観客にはとても楽しめるだろう。そしてこの私もまことに素直なのでそれを大いに楽しむことができた。こういう分かりやすい映画もいいものだ。

必ずいる

 これは私の世の中に対する認識なのだが、世の中がどのように管理されようとも必ず社会的な悪を為す者がいる。統合失調症(昔は早発性痴呆症とか分裂病と云った)にかかる人がどんな社会でも1%~2%発現するのと同じである。だから犯罪者は病気だという極論もあるくらいだ(もしそのような人を隔離排除して残った人だけで社会を構成すると不思議なことにまた一定の割合で社会に害を為す人間が現れるともいう)。
 そしてまたどんなに社会が乱れ、犯罪が横行する事態になっても絶対に悪いことを行わない人が必ずいる。この二つの極端な人たちの間に普通の人がいる。

 これは労働でも同じである。例えば会社でも役所でも多くの人が実感していることだろうが、どうしようもなく役に立たない人がいる。怠け者と云うだけではない、存在しているだけで回りにマイナスのエネルギーを発しているような人である。このような人は組織に必ず存在する。そしてそれと正反対に云われなくても、そして評価されなくても黙々と仕事をこなし、時には人の分まで働く人がいる(ところが不思議なことにそのような人だけを集めると必ず怠ける人が現れるとも云う)。
 その間に状況や評価によりがんばったり怠けたりする普通の人たちがいる。
 
 私はその比率を、どうより良い割合にするかが社会システムの良し悪しの決め手だと思っている。よい子:普通の子:悪い子が1:8:1の社会なら3:6:1になるようにはどうするかがマネジメントだと思う(理想は10:0:0だが絶対にそうならないのが人間だ)。
 これは会社でもそうである。これは単に評価を以て競争させるだけで比率を変えることは難しい。各個人が社会的な存在であること、組織の一員で役割を担っていることを、いかに自覚してもらうかにかかっている。残念ながら悪い子の比率を下げることは困難であり、普通の人の一部はいとも簡単に悪い子にドロップダウンしてしまう。

 社会的な存在であることを自覚する、と云うことはどういうことであるか。自分だけ良ければいいというのは間違いであることを自覚することである。悪いことは悪いことであり、してはならない、とはっきりわかっていることである。

 ここで何を言いたいか勘のいい人は分かるであろう。中国の文化大革命を私が強く批判したのは「造反有理」という言葉に嫌悪を感じたからだ。そして今中国は「愛国無罪」と唱えている。

 中国社会は貧しいときには3:5:2くらい(いい加減で申し訳ない)だったとしよう。それが今、2:5:3になってしまったのではないか。

 これは鄧小平が共産党体制のもとでの市場経済導入を行う中で、社会性を国民に身につけてもらうことを意識的に怠ったからに他ならない。このことが商標権の侵害や、偽物の横行、食品への危険な添加物使用、賄賂の横行など枚挙にいとまが無いほどの社会悪を許すことになった。 なぜか。社会性を身につけた国民は共産党一党独裁を必ず否定するからだ。これをよく承知しているから眼をつぶっていたのだ。

 今回の反日デモの暴動化は、だから起こるべくして起こった社会現象である。中国政府は自重を求めることは出来ても彼らを論理的に悪として断罪できない。

 今回の中国の行動で日本はいっそう経済的に深刻な不遇時代を迎えることになるだろう。だが今の日本社会にはそれに堪えられるだけの民度がある。日本は3:6:1の今の社会を失わない限り大丈夫である。東日本大震災が日本中を襲ったと思えばいいのだ。東日本大震災の時も掠奪や暴行は起きなかった。これは世界に誇ってもいいことなのだ。そして世界はそれに驚嘆していた。

 それにひきかえ中国は今回の暴動をなかったことのように装い、日本の責任だとして正当化するという卑劣なことを行った。これは先ほどの中国の社会性の劣化を自ら進めるという恐ろしい選択なのだが、このツケを中国は何年かかって支払うことになるのか、少し長生きして見ていきたい。生きる楽しみが増えた。

中国論

 11月に友人たちと香港に行くつもりです。今の状勢では非常に心配ではありますが、その頃には今よりだいぶましになっているであろうと期待しています。

 いつも中国に対して厳しいことを書き連ねていますが、好きか嫌いかと聞かれたら、日本の次に中国が好きです。もちろん日本は別格ですが。これは理屈ではないので仕方ありません。

 ところで今久しぶりに内田樹先生の「街場の中国論・増補版」と云う本を読み始めました。増補版、と云うのはもともと2007年に出版された同名の本にその後の文章を書き加えて改めて出版されたものです。

 内田樹先生の所論は常に斬新で、なるほどそういう見方もあったのか、と新しい視点を提供してくれるものです。先生はもともと学生運動をかなりハードにやっていた(途中で放棄します・先生の性格なら当然でしょう)ので政治的立場は私とかなり違いますが、とても尊敬しています。実は先生とは同年生まれなのですが、素養も人間性もかなりレベルが違うことを実感しているので勝手に先生と呼ばせてもらっています。

 この本に書かれている中国についての文章はこのコラムに全て書き写して読んでいない人に伝えたいくらい面白いのですが、そして先生は自分の文章を自由に引用してかまわないとも云っているのですが、出来れば先生の本を読んでもらう方が今これを読んでいる人のためになると思うので紹介程度にとどめます(本音は引き写す作業がしんどいからですが)。

 例えば「嫌中国論」について(この本の緒言の中にあります)
(前略)かつての「日本盟主論」は「嫌中国論」に頽落し、今では週刊誌・月刊誌に垂れ流されています。でも、「必死になって他国の欠点をあげつらう」という振る舞いの不毛さがむしろ日本の国力の衰えを露呈させているように僕には見えます。国力旺盛なときは、自分の仕事に夢中で、他国の悪口なんか言っている暇がありませんから。現に大躍進政策や文化大革命の頃の中国は、今と較べると、統治形態はずいぶん非民主的・強権的であり、その国家ヴィジョンはほとんど妄想的なものでした。でもその頃の日本にはうるさく「中国はここがダメだ、ここもダメだ」というようなことを言い立てるメディア知識人はおりませんでした(逆に、「中国は地上の楽土だ」と言い立てる知識人はおりましたが)。「嫌中国論」がなかったのは、その頃中国の悪口を聞きたがる人がいなかったからです。市場のニーズがなければ、メディアは報道しない。そういうものです。でも、今は「そういう言説」についてのニーズがある。日本の国力が大いに衰微して、中国の下風に立った・・・と日本人の多くが感じているからでしょう。
 でも、僕はこういう極端な言論の「振れ」にはあまり同調する気にはなれません。日本の国力はメディアが慨嘆するほどに衰微しているわけではないし、中国の実力もメディアが恐ろしげに語るほど圧倒的なものではない。僕はそう思っています。冷静に考えても、中国がこの先、今の日本ほどに政治的、経済的に安定した国家になることは極めて困難です。(
後略)

 このあとなぜそう考えるのかが述べられています。そここそなるほどとうなずく部分でもあるのですがキリがないのでやめておきます。この本はミシマ社という出版社から出ています。先生の本はとても読みやすいのに思想・哲学のコーナーにおいてあるので、知らないと手に取ることがありませんが、捜してみてください。今とても人気なので大きな書店なら必ずあるはずです。私もこの本をじっくり読んで自分の中国論を鍛え直すつもりです。

取り上げられ方

 確認しているわけではないが、間接的に知るところによると、欧米では中国での反日暴動の取り扱いは極めて小さいようだ。中国でもデモの様子を積極的に取材している海外メディアは少ないそうだ。

 中東や北アフリカのデモや暴動の様子を伝える扱いとは大きな差があるという。

 今やアメリカにとってもヨーロッパにとっても中国は日本とは比較にならないほど気を遣わなければならない相手になったようだ。だから尖閣問題も中国と日本が領土を奪い合いをしているとしか報じられておらず、そのような見方が定着してしまっているのかも知れない。

 これは政府もマスコミも反省して改めて欲しいことだが、中国の一連の理不尽な行動が世界に伝わっていないと言うことであり、それを伝えるべきなのに怠ってきた結果である。

 情報発信力不足だ、などと言葉で糾弾する前に具体的な行動、つまり発信を始めて欲しいものだ。中国は日本の百倍の量の情報を、自分に都合のいい形で何十倍も長期間に亘って世界に発信し続けている。

 その努力の果てに少しだけ日本に有利な落としどころが見いだせるのではないか。

 今や日本は中国にいじめを受けているような状態だ。しかも他の生徒は見て見ぬふりをしている。他にもいじめを受けている生徒もいる、事実を知らない生徒たちもいる。その生徒たちに実情を正しく伝えていじめをしにくくするようにしなければ追い詰められてしまう。独りで問題を抱えていても解決しないのだ。

米倉会長

 経団連の米倉会長が面白いことを言っていた。(尖閣諸島について日本と中国の言い分は真っ向から対立していてそれにこだわると日中の関係改善は望めないことから)「鄧小平が今の世代よりも次の世代の賢い人たちに問題の解決をゆだねようと言った。そうしたらもっと頭の悪い人間が出てきてしまった」。

 このコメントを見ていた野田首相は平然と顔色も変えずにいた。多分中国の暴動を行っている人たちのことや、尖閣に強硬な中国政府のことを言っていると思っているのだろう。野田さん、あなたのことですよ!
それとも分かった上で平然としているのだろうか。強靱な精神がある、と云うのと鈍感とは見た目は似ているが全然違うものだ。

 その米倉会長が中国へ行くという。できる限り会える人には逢い、言い分を伝えたい、と云っていた。多分制約があって思うような成果は上げにくいだろうが、それでもその志は多としたい。

 それに引き替え手をこまねいて何も行動を取ろうとしない今の政府の面々は情けない限りだ。胆力と行動力の差を見せつけられた。失うもののある人間とない人間の違いかも知れないが。

 民主党というのは結局批判するだけの野党の器しかない人間の集まりだったようだ。批判する舌鋒は鋭いが、自ら危難に立ち向かう気持ちも能力もないようだ。

「清末見聞録(清国文明記より)」・杭州・北山路

 石井氏と馬を連ねて北山路を行き、葛嶺の下を過ぎる。ここは晋の葛稚川(かつちせん)が丹薬を練ったといわれるところで、山中に丹井と称するものがある。棲霞嶺の陽(みなみ)忠烈廟前を過ぎれば、右に宋の張烈文公墓がある。公の名は憲、岳忠武公(岳飛)のかわいがっていた将軍であり、忠武と共に誣死(ふし・無実の罪で死ぬ)した。明の正徳二年布衣王天祐はこれをあばいて公の墓碣(ぼけつ・墓のしるしの石)をみつけ、それによって墳を収めたという。

2012年9月18日 (火)

理由

 今回の尖閣諸島を日本政府が国有化したことに対する中国のリアクションの理由について少し整理しておきたい。

 日本のマスコミや政治家の論調ではそもそも中国は貧富の差が大きいので社会に不満を持っている人たちが、尖閣、そして反日を口実にデモをしているのであってこれは中国の社会的構造の問題だという者が多い。確かに先週末の西安や青島など日系のスーパーや工場を襲撃して破壊活動をして略奪まで行うという犯罪行為を行った者はそのような失業者や日雇いで貧しく不遇の人たちであることは間違いのないことである。

 しかしそのような人たちだけがデモを行っていたと見るのは一面的見方だと言わざるを得ない。デモの多くは若者達であり、確かに一部就職できずにいる人もいるが、普通の学生のほうずっとが多いようである。純粋に義憤に駆られて反日を叫んでいた。今日もNHKが北京の大学生に取材していたが、普段そのようなデモに参加したことのない学生たちが多く参加していることが分かった。

 また一部のマスコミにはそもそもの発端を石原慎太郎都知事が尖閣を東京都で購入する、といったところからこのような事態につながったとする石原原因説がある。しかし今日、青島の日本人会の会長に電話で問いかけて得られた答えによると、反日行動など2005年にすらほとんどなく、2010年にも見られなかったのに、日本政府が国有化を発表したとたん、激しいデモが起こった、と云う。現地での実感はやはり9月11日の日本政府の国有化発表をきっかけにしている。このことは他の現地の邦人への問い合わせでも同様の答えであった。もちろん日本政府が購入を急いだのは石原都知事が購入を進めようとしたからと言えばその通りだが。

 それからマスコミにコメンテーターとして呼ばれるような程度の中国通もどきとは違う、本物の中国に詳しい専門家の話もいくつか知ることが出来た。口をそろえて言っていたが、9月9日にウラジオストックのAPECの場で、野田首相が尖閣国有化の意向を胡錦濤に伝達、それに対して胡錦濤は激しい口調でそれは絶対に受け入れられない、決してそのようなことはしないようにして欲しい、と野田首相に答えたようだ。翌日(10日)この件について普段温厚な温家宝首相が激しい言葉で尖閣の国有化には断固反対するので考え直すように、と語っている。ところがこのメッセージに対してなんと11日に日本政府は国有化を閣議決定し、公表したのだ。専門家たちの言葉によると中国側の意向を受け入れて少し発表を遅らせただけでも胡錦濤や温家宝のメンツをつぶさずに済んだだろうという。内々で中国に申し入れをした上で発表すれば、手も打てるので、それなりのリアクションとして尖閣への漁船の大量動員程度はあっても暴動のようなことは起こさずに済んだのではないかという。それならば日中両国の経済にここまで甚大な被害を与えずに済んだのだと見ている。

 中国のトップの顔は丸つぶれであり、これは中国国民全部が恥をかかされた、と云うのが学生たちの認識であるようだ。

 つまり今回の反日運動の盛り上がりは、中国が歴史的に非常にデリケートな日である国恥の日・9月18日の直前に、中国のトップの申し入れのメッセージをまったく理解せずに無視してメンツをつぶし、中国国民全体の神経を逆なでした、と云うのが事実のようである。そしてそれに対して感情的になり、デモのコントロールが緩んでしまったところに中国の不満分子が犯罪的な暴動を起こしてしまったと言うことである。原因と結果を取り違えてはいけない。

 しかし起こってしまったことは元に戻せない。早く落としどころを探らないと事態はひとりでには収まらない。とりあえず正しい原因についての認識があって初めて対策が考えられると思い、得られた情報からの考えをまとめてみた。

 蛇足だが民主党は野田首相のみが走り回り、他の三候補はただひたすら党内融和を声高に叫んでいた。バカじゃないか(バカだけど)。

日本の出方次第

 中国外交部は尖閣諸島に対して漁船や監視船が向かっていること、反日行動などの事態について、今後どうなるかは日本の出方次第である、と述べた。

  これはそもそも自分がどうするか、と云うことを想定に置かない、いかにも無責任ないいかたである。言っている意味を中国の立場に立って解釈すると、今の時点では事態がどう展開するか分からない、もし暴動が激化して収拾がつかなくなったらやむを得ないので、尖閣に一斉に乗り込んで注意をそちらに向け、場合によっては武力衝突してでも強行上陸することがあるぞ、だからせめて尖閣について「領土問題が存在する」程度の何らかの譲歩をしてくれ、ということである。もちろん飲める話ではない。そもそもが無理筋なのだから。

 漁船団と監視船は今指示待ちの状態にあるものと思われる。アメリカが背後にいるので軍事行動は当面ないことは間違いない。だがいったん中国側と日本の海上保安庁が対峙するじたいとなれば何ヶ月でも何年でも引くことの出来ない長い闘いが始まる。今年春にはフィリピンが3ヶ月足らずで音を上げて引いたために中国に実効支配を許す事態となった。その轍を踏んではならない。

感情的

 今回の尖閣諸島の問題について見てみると(知識も情報もほとんどない私が見ているのでたかが知れているが)一線を越えかねない方向に動き出したのはAPECでの野田首相と胡錦濤の15分間の会談で、野田首相の無知により胡錦濤のメンツをつぶしたこと、それに対して胡錦濤が出したメーセージを受け取ることが出来ずに帰国後に国家が尖閣購入したと宣言して火に油を注ぐことになったことがきっかけのように思える。

 胡錦濤も温家宝も強硬な方法で尖閣を占領しようとすれば、中国が非難されて、得るものよりも失うものが多いと考え、じっくりと長期的に態勢固めをするつもりでいたように見える(すでにたくさんの手が打たれ続けてもいる)。そして次代の習近平たち、それでかなわなければ、その次の世代で台湾とあわせて取り込めばいいと思っていたであろう。しかし中国国内にはそれが手ぬるいとして批判する勢力が常にある。それを苦労しながら何とかなだめすかしていた矢先の野田総理のしたり顔の尖閣の国家での購入報告である。さすがの胡錦濤も切れてしまったのではないか。

 本来なら反日デモに対して取るべき行動を一切取ることなく放置した。なるようになれ、と云うかなり危険な賭に出た。そして場合によって物理的な衝突が起こることも覚悟したのではないか。これしか彼のメンツを取り戻し、反対勢力の批判をかわすことが出来ない、と判断をしたのではないか。

 すでに中国は自国の経済を大きく損なう段階に入ってしまった。日本はもちろん、そのほかの国の進出企業も徐々に中国から撤退する可能性が大きい。これから世界の批判も浴びるかも知れない。これで何の得点も稼げなければ大失策のままに終わり、責任が大きく問われてしまう。なんで得点を稼ぐかと言えば尖閣占領しかあり得ないではないか。

 ここで中国は、アメリカが出てこないぎりぎりの線を見極めながら尖閣占領を強硬に推し進める手に出てくる可能性がある。その判断は本日のデモのエスカレートの具合であろう。思ったより何事もなく済めば収束の可能性が出てくる。しかし暴動が止まる様子がなければその火は尖閣占領という方法で鎮火する、と云う策に出るのではないだろうか。

 ここで彼らにメンツの立つ落としどころをこちらから提示できなければこのまま中国が突っ走るおそれは多分にあるように感じる。

 落としどころの提示は日本か、アメリカか国連か、賢い誰かが案を出さなければならない。パネッタ如きではどうしようもないであろう。せいぜいアメリカの介入の可能性を探られるだけのことだろう。そして介入しないことを約束させられるのが落ちであろう。

 今中国政府、特に胡錦濤は気持ちの上では四面楚歌である。今頃なんでこうなったのか、と天を仰いでいるのではないか。そして蛙の面に小便なのがわが野田首相である。何もお考えではないように見える。だってこの期に及んで・・・であるべきである、などと答えている。消費税増税以外は、私の責任で何をします、私の責任でこのような指示を出しました、とこの人は言うことができないみたいだ。

 しかし起こってしまったこと、今進行している事態を遡ってどうにかすることは、出来ない。これは現実で、ゲームではないからだ。それならば最悪を想定してそれに対する備えに全力を注ぐしか無いではないか。

時差

 朝の八時前の報道だかバラエティーだか分からない(明らかにバラエティーなのだが)番組を見ていて、キャスターが現地の駐在記者や駐在邦人と電話でやりとりをしているのを聞いていて、どうもこの人は日本と中国に時差があることを失念しているのではないか、と感じた。

 日本が八時前なら中国では七時前である。その時間にデモ隊が大人数で繰り出すはずが無いではないか。大使館前の様子を聞かれた現地記者がまだ少人数しか見えません、と言っているのを聞いて、今日はデモの参加者が減るのでしょうか、などとのたまわっていた。皆朝飯を食べてトイレに行って、九時か十時過ぎに集まるのだ。だから様子は日本では昼頃にならないとはっきりしない。番組にあわせてデモをしてくれるわけではないのだ。

 それより福岡の中国領事館への発煙筒を投げ込んだ事件を取り上げて愚か者、と非難し、同調者が出ないようにするのがそのキャスターのやるべきことではないのか。福岡ではやくざが警察を無視して市民を傷つけるような違法がまかり通っている。そのような場所だからこのような事件も起こる。これでは中国の暴徒とかわらない。日本のマスコミが中国に冷静になるよう呼びかけても意味がない。やるべきことは日本人にバカなことをすることのないように呼びかけることであり、くれぐれもそのような行為をする気持ちも分からないではない、などと言わないことだ(いいかねない)。

 中国政府は暴徒に自粛を呼びかけているが及び腰だ。そして暴動の責任は日本にあるなどとまともな国家ならあり得ないようなことを言っている。犯罪行為を法律に則って裁くことを二の次にしてその責任を他国に求めるなどと言うのは国家管理を放棄しているのと同じことだ。

 日本の戦略としてはそのことを声高ではなく、世界に対して中国にこんなことを云われているけれども日本としてはそれはおかしいと言わざるを得ない、とアピールすることが戦術として有効ではないか。世界の中国を見る目が厳しくなることこそ中国にとって最も不利益なことなのだから。そのことにより、中国が経済的にダメージを受け、中国人の収入が減少したとき、日本のせいだと中国政府が言い訳してもそんなことが通用するはずがないし、納得もしてもらえないだろう。今かろうじて中国の体制が維持できているのはとにもかくにも中国人に飢餓で死ぬ人がいなくなったからだ。しかし今のまま無法国家の様相を世界に見せていると、世界が中国から距離を置き出す。その時、真っ先に貧しい人が困窮して飢えるだろう。その時の暴動は現在のような甘いものではないはずだ。

習近平登場

 習近平が二週間ぶりに姿を現したというニュースがあった。農業大学の視察をした。その際に左手が不自由な様子だったという。

 負傷のせいかそれ以外の理由か、それともそう見えただけなのかは今のところはっきりしないが、とにかく生きていたことは確かなようだ。

人ごと

 現在反日デモで邦人の身が危険にさらされているとき、野田首相が述べているコメントを見聞きしているとまるで人ごとである。日本人の代表として、日本人の安全のために責任を感じている様子がうかがえないのはまことに残念なことである。強靱な精神を以て心痛を押さえ込んでいるのならそれがにじみ出て、見ていれば分かる。感情がわかりにくい顔ではあるが(顔のことでとやかく言うのは好きではないが)、あまり心配している様子が見えない。

 政治家は顔で国民や海外に訴える、と云うのも必要な仕事の一つであろう。国民のために心痛し、中国に冷静を訴えかけ、世界に向かって中国が法律を無視していることを訴える。これを真剣に全身全霊を以て行うことが彼の責務ではないのか。それが外務次官如きに中国への働きかけをしただけで平然としているのを見ると、もう少しまともだろうと期待していただけにがっかりする。

 もちろんじたばたして中国を喜ばせる必要はないが、相手の非を悲しみの表情を以て冷静に指摘するぐらいのパフォーマンスくらいして欲しい。今の様子からは中国の問題より民主党の党首選の方が重要だと考えているように見えてしまう。今の仕事を全力で行うことが最も党首選に利することだろう。他の候補には出来ないことなのだ。それに他の候補は場合によって首相になる可能性のある席を争うような人物ではない。毛筋ほども、もしかしたら何かやってくれるのではないか、と期待させてくれる候補はいない。これが化けの皮のはがれた民主党のていたらくなのか。

 とにかく野田首相は出来ることをとにかく冷静に全力で行ってくれ。そしてやり尽くしたと国民が思うほどのことをしたあとに少し疲れた顔でもして見せてくれ。そうしたら鳩山、菅と続いた問題首相よりは少しはましだったと記憶されるだろう。そうでなければこの尖閣国有化のタイミングを見誤っただけのそれこそ反日の首相になってしまう。

「清末見聞録(清国文明記より)」・杭州・呉山

 門を入って五町ほど行くと、直ちに呉山に登る。呉山は府治の南隅にある。武林の山は西湖を擁し、その右腕は城中に延びて、その最後の隆起しているところが呉山である。呉山はまた胥山ともいう。「湖山便覧」には「名勝志」を引いて、呉は伍の転訛したもので、伍子胥にちなんで名付けられたといい、「図経」には春秋の時、呉の南界だったから名付けられたという。何れが本当か分からない。紹興の末、金亮が呉山の景色が良いというのを聞いて、立馬呉山第一峯の詩を賦して入寇したのはこの山のことである。とても山というほどの高さはなく、およそ十余丈の小丘に過ぎないけれども、左に浙江を帯び、右に西湖を控え、後ろに武林を負い、前には杭州府城の連なる甍を脚下に収めてはるかに江浙の大平原に対す。とうてい蘇州霊巌とは較べるべくもない。いわんや呉山は府城の中にあって、金人が馬を呉山に立てる日は、臨安は戎馬に蹂躙させられる日である。金亮の詩を誦して南人の慷慨を思わざるを得ず、また戦慄して色を失った様が想われる。頂上に大観台があったけれども今は残っていない。ただその礎石かと覚しきものが三つばかり見られる。
 しばらくして山を下りる。三官廟、大歳殿、痘神廟、財神廟その他いろいろな神廟が軒を並べ、照相館と茶館とをその間に見ることができる。そこで遊ぶものは数多く、次々に絶えることがない。路傍に乞食が多い。市中を歩き回って書肆を探し、ついに湧金門(ようきんもん)を出てしまった。昔金牛が出現したといわれるところで、この名がある。小舟に乗って湖を横切り、宝石山の下の領事館に帰ったのは暮靄がようやく湖上に立ちこめる頃であった。

2012年9月17日 (月)

五万アクセスを越えました

 今晩アクセス数の累計がついに50000を越えました。今月中には越えるかも知れないと思っていましたが、予想外に早かったことは望外の喜びです。このブログを始めたときのことを考えると夢のようです。つたない内容なのに継続的に見てくれている方がいることも感じられてありがたいことです。特にここのところ中国関連がホットなので興味を持って見て戴いているのかも知れません。

 本当にありがとうございます。今後とも気を抜かずに更新を続けたいと思いますのでよろしくお願いします。

 次の節目は100000です。

愚か者

 ついに懸念していた愚かな行為をする者が出てしまった。

 今日午後六時頃、福岡市の中国領事館に発煙筒が二本投げ込まれた。幸い実害はなかったが、投げ込んだ男は逃走、先ほどのニュースでは身柄が確保されたようである。

 このように自分が行ったことは中国の暴徒を正当化することにつながりかねず、反って日本を、そして日本人をおとしめる愚かなことだということが分からないのは非常に残念なことである。どのように説明しても彼には理解する能力はないであろう。

 しかしそのような者でもやはり日本人なのである。日本は中国と違ってまともな法治国家であるからまさか特別な刑事罰を科すというわけにも行くまい。

 このような愚か者を英雄視して真似する者が続かないように中国関係者のいる場所の警備を強化する必要があるだろう。東日本大震災に続いて日本人の民度を世界に示すときである。

明日はどうなる

 中国の反日行動(デモなどという段階を越えているものが多い)に対して、中国政府は都市によって対応が異なり、今後沈静化を目指すのか今まで通り容認していくのかまだ定かではない。昨日暴動に発展したところ(西安や青島など)ではデモそのものを許可しない、と云う姿勢であるし、北京や上海など、暴動が全くなかったところでは大使館前のバリケードを強化した上で容認の姿勢である。

 問題は明日の「国恥の日」として知られる柳条湖事件の日、つまり満州事変の始まった日である。ネットでは明日、デモに集まるように広範な呼びかけが行われている。この呼びかけは削除されていないようである。そして昨日の暴動事件についてはほとんど中国のメディアは報道していない。だから中国全土で何が起きているかよく分かっていない人も多いようだ。ただし、西安や青島で暴動を行った者について事情聴取が始まっており、しかも事情聴取が始まったことをマスコミをとおして明らかにしている。つまり暴動を実際に行った者は処分することを表明しているのだ。

 昨日は日曜日であった。だから人出も多かった。今日は中国はウイークデイであり、昨日よりずっとデモの参加者は少なかった。明日もウイークデイであるが、果たしてどれだけの人が反日行動に参加するだろうか。そしてそれに対して当局がどのような態度で出るであろうか。

 さらに明日は東シナ海の漁の解禁日である。約一万隻の漁船が一斉に出漁し、そのうち千隻ほどが尖閣諸島方向へ向かうといわれている。そんな数の漁船が一斉に領海で漁を始めたら止めようがない。どさくさ紛れに島に乗り込む者が出たり、海上保安庁の船に体当たりをする船などが出てけが人でも出れば中国は漁民の保護という大義名分を振りかざして実効支配への次の段階への行動に出るだろう。

 明日18日は日中関係が危機的になるのかどうかの境目になる日であろう。

 ところで習近平はどうしたのだ。

浅田靖丸著「咎忍」(光文社)

 この人の「蛇身伝」という本を読んだことがある。

 この本は山田風太郎の忍法帖シリーズや、柴田錬三郎の柴連立川文庫を思い出させてくれる。荒唐無稽には違いないが、それをイメージ化して楽しめるかどうかだろう。幸いぎりぎり楽しむことができた。

 ぎりぎりというのはこちらの頭の柔軟性の、年齢による劣化が関わっての話かも知れない。

 伊賀忍者の中に、異形で異能な忍者達がいた。彼らは下忍にすらさげすまれる存在だったが、ある日ある役目を果たせば中忍として認めようと持ちかけられる。同じようにその役目にエントリーしたあるグループとその役目を争いながら目的を達成しようという物語である。

 先ずその競う相手との奇想天外な死闘が繰り返される。そして最後に斃すべき相手に到達するのだが、それは意外な相手であった。その相手とのラストのシーンでは、「忍びの者」を思い出させてくれた。それもテレビ版である。品川隆二と原健作の闘いであった。役名をいうとネタばらしになるのでいわない。忘れられないシーンだ。

 この本は全編闘いのシーンが連続しており見せ場だらけのサービス満点の本だ。お休みの日に雨でも降ったときにおすすめする。

柳条湖事件と満州事変

 歴史に詳しい人には今更の話だろうが、自分自身の記憶の確認のために記す。柳条湖事件は、むかしは柳条溝事件という名で覚えた。

 1931年(昭和6年)9月18日夜、奉天郊外の南満州鉄道線路で小爆発事件が発生。これは張学良(張作霖の息子)の仕業であるとして関東軍は全面的な戦闘を開始し、瞬く間に満州地区を制圧した。この日中の戦いを満州事変という。この柳条湖事件は関東軍参謀の板垣征四郎や石原莞爾らの陰謀であったことがいまでは歴史的事実とされており、これが中国侵略の第一歩となった。このとき、時の若槻内閣は不拡大方針を声明したが、関東軍はそれを無視、一方的に戦線を拡大した。

 中国がこの9月18日を日本の中国侵略開始の記念日ととらえ、反日行動が激化すると懸念されるのはそういう意味である。

 実はこの柳条湖事件を遡ること3年、1928年(昭和3年)6月4日、満州の馬賊で絶対的なカリスマを持っていた張作霖が北京から奉天へ帰る途中、奉天駅にあとわずかのところで列車もろとも爆殺されるという事件が起きている。当時、張作霖などの満州を地盤とした軍と、それを制圧しようという中国国民党の北伐軍との戦闘の最中であった。このとき関東軍は張作霖と結託し、満州地区に日本の権益を拡大して、おりあらば満州地区を制圧しようと画策していた。張作霖は関東軍に利用されることを嫌い、関東軍の制止も聞かずに戦線を北京まで拡大して国民党軍に敗北、関東軍はコントロールの効かなくなった張作霖を爆殺すると同時にそれを国民党軍の仕業であるとして一気に満州を制圧しようとしたのが真相であると云われている。このときの田中内閣は真相を知りながらこれを追認しようとしたため、昭和天皇から叱責を受け総辞職した。そのため関東軍は動くことが出来なくなった。この事件の後、張作霖の息子の張学良は蒋介石の国民党軍の傘下に入り、抗日が激化していくことになった。これが満州事変の伏線である。

 一連の事件と満州制圧には関東軍として、ソビエト南下を食い止めるためという大義名分があったが、これに対して当時の国際連盟からリットン調査団が派遣された。この事件が日本側の陰謀であるとの調査結果が報告され、満州の日本支配は違法と判断されて国際連盟が関東軍の撤退を勧告したため、それを拒否した日本が国際連盟からすることになった(このときの国際連盟の勧告は日本としてかなり受け入れやすい穏やかなものであり、満州からの撤兵を段階的にでも行っていれば、制裁を伴わない、というものだった)。これが日本を奈落に落としていく泥沼の戦いへの序曲となった。このあと日本は世界を敵に回し、太平洋戦争に突入することになってしまった。A級戦犯というのはそういうことなのである。どれだけの人命と財産が失われたのか、反日デモの比ではない。

 このようなことを想えば最悪を想定して日本として経済的に深く傷つくことを覚悟する必要があるのではないか。中国との関係が当分旧に復さないとすれば日本の経済は大きく打撃を受けて日本人の生活は何割も損なわれることになるかも知れない。外交に失敗するということはこういう結果をもたらすという強烈な経験が始まる。これは呪いや予言ではなく、考え過ぎな私の懸念である。

メキシコと中国

 メキシコの製造業の台頭が著しい。1997年の輸出向け製造業の年平均成長率はメキシコが4.5%、中国が18%だったが、2012年には共に9.5%になっている。現在中国の成長率は欧州向けが低下しているためにさらに鈍化しつつあるが、その影響がわずかなメキシコはこの成長率を当面維持する見込みである。気の早い向きはメキシコが中国を追い抜く、と云っている。今後アメリカの製造工場はメキシコになるかも知れない。

 メキシコはアメリカに隣接しているという利点と、中国が近年毎年15~20%も人件費が上昇しているのにメキシコはほとんど変化がないという点が強みである。2003年にはメキシコの人件費は中国の6倍だったが、今は40%しか違わない。輸送コストを考えればほとんど差がなくなったと言える。アメリカのメーカーが中国での生産を引き揚げるとしたらオバマが言うようにアメリカに戻ることはあまりないが、メキシコに工場を移転することは大いにあり得る。まして今のように中国のカントリーリスクが露呈されればそれが加速されることが予想される。

 日本の自動車メーカーにもメキシコへの移転や増設を進めているところが見られる。中国国内に販売することが中国生産にこだわる理由だろうが、現在の反日デモの様子を見るかぎり、日本車がこんごそれほど拡販できるだろうか。反日のターゲットにされることを恐れて購入する人は当面激減するのは間違いない。その「当面」が解消されるのは当初の予想を超えてずっと遅れそうな気がする。

両国は冷静に?

 中国の反日デモは昨日85の都市まで拡大したという。特に青島、西安、深圳のデモは暴徒化して日系のスーパーやホテルなどを襲撃し、略奪を行う事態にまで発展していた。当局は武装警官を大量に動員してコントロールしようとしていたが、ほとんど効果がないようであった。

 デモは反日を標榜してはいるが、実は何かを発散するためであることが見て取れた。中国政府も収拾がつかない状態であり、今後鎮圧のために強硬手段に出る可能性もある。

 ところでアメリカのパネッタ国務長官が日本訪問のための飛行機の中で、「日中両国は事態をエスカレートさせないために冷静になって欲しい」と述べたという。彼の認識では中国と同様の暴動が日本でも起きているとでもいうのだろうか。日本に来たら何も騒ぎが起きていないことに驚くに違いない。

 これが世界の認識なら日本政府は日本は冷静に対処していることをもっと宣伝するべきだろう。騒いでいるのは中国だけであることを多分世界は知らないのではないか。

 だから日本で反中国的な暴挙をするようなことは絶対許してはならない。相手を非難するために自分が同じことをしては自らを非難する相手と同じ立場におとしめることになってしまう。それこそが何より反日的行動だと思う。

「清末見聞録(清国文明記より)」・杭州・湖上の人

 小舟を雇って鄂王廟の前から湖上の人になる。蘇堤の跨虹橋畔に至り、十景の一つ、曲院風荷の御碑を望見し、裏湖に浮かび、趙堤を横切り、圧堤橋畔に舟を乗り捨てて、十景の一つ蘇堤春暁の御碑を見、長堤を歩いて望山、鎖瀾の二つの橋を渡り、右の方、花港観魚帝に遊び、はるかに過ぎてきた蘇堤を望めば、柳条が風になびいて微かに緑を含み、春光はようやく湖山全体に注がれようとしている。
 再び舟により外湖に浮かんで南屏山下に至り、浄慈禅寺に詣でる。寺は周の顕徳元年の創建で、慧日永眠院と号する。宋の太宗の時、寿寧禅院の額を賜った。康煕三十八年改めて浄慈と名付けられた。十景の一つ、南屏晩鐘はこの寺の鐘声を指したもので、御碑亭は山門の前、小池に臨んで立っている。
 雷峯塔は浄慈寺前にある。「臨安志」には郡人雷就(らいしゅう)が菴を築いてここにいたというのでこの名がついたという。しかし「西河詩話」には雷は回であり、山峯を廻抱しているのをもってこの名となったとする。会と雷との音が近いので誤ったというのである。塔は呉越王妃黄氏の創建である。もとは十三層千尺の高塔とする予定であったが、資金が足らずにしばらく七層にとどめ、のちまた風水家の言によって五層にしたものである。規模は雄大、八面で各六丈あまりある。赤色の煉瓦、崩れかかる窓は薄暗く、頂には雑木が生い茂り、あたかも怪物が髪を振り乱して立っているようである。湖山の両浮屠(ふと・元々は仏のこと、のち寺や僧をいう)、宝石は美人の如く、雷峯は老衲(ろうのう・老僧)の如しと誦するのも宜なるかなである。この塔もまた十景の一つ、御書雷峯西昭亭は塔の東の崖下にある。
 また舟に乗り、三潭印月に至る。蘇東坡が杭州の守であったとき、常に湖を深くすることに留意したというが、この島の辺りには塔を立てて標とし、その以内を侵すことを禁じた。石塔三つが今も残っている。島中には蓮池があり、池には廻廊が架けられている。池亭に聯があり曰く、明月自来去、空潭無古今と。彭玉麟がここに隠居して退省菴を営んでいたが、今は寺となって内に彭玉麟の画像を掲げている。
 ここから清波門に向かう。仰いで武林の連山を見、俯して澄み渡った湖を見れば、心は湖水と共に悠々としてくる。思うに西湖の景は宝石雷峯ではなく、また孤山蘇堤でもなく、実に湖上の舟中にある。清波門外は以前(明治)二十七、八年(日清戦争)に藤島、酒井の二志士が亡くなったところである。

Dsc_0204雷和塔。

Dsc_0156蘇堤の標識。

2012年9月16日 (日)

窮地

 スマホのデザインや技術特許について模倣であるとして互いに相手を訴えていたサムスンとアップルの裁判は国によって判決が異なっているが、アメリカカリフォルニア州連邦地裁の判決は全面的にアップルが勝訴した。

 判決ではサムスンに825億円の賠償金支払いが命じられた。時価総額で13兆円といわれるサムスンの株は一時8%下落したため、約1兆円の損失が生じた。

 サムスンは韓国国家が総力を挙げて世界企業に成長させた会社であり、その功績が李明博の力の背景でもあった。一部にはサムスンを韓国の国営企業と皮肉る向きもある。本来ならその損失に対して国が何らかの救済をしたいところであろうが、レイムダックとなっている李明博大統領にはその力はない。それよりサムスンに対する行きすぎた肩入れが李明博大統領が大統領の座を降りた後に問題となる可能性が出てきた。

 韓国では大統領辞任後に糾弾されるのはいつものことである。

  おごる平家は久しからず

 おごる韓国、おごるサムスン(多分中国も)はそう遠くない先に凋落を始めるのではないか(ちょっと願望が入っています)。

  桐一葉落ちて天下の秋を知る

品質トラブル

 中国の問題ばかりをあげつらっているようだが(そのとおりなのだが)またそのような話題。

 ドイツでの話。結婚を控えた女性が、ウェディングドレスを選ぶ際に少し易く挙げたいと思い、ネットショップでいろいろな慎重に検討した結果、中国製のドレスが値打ちであると考えて購入することにした。

 そして送られてきたドレスを見てびっくり。素材がカタログと違う上にデザインも大きく違っていた。しかし改めて別のものを買うわけにも行かず泣き泣きこのドレスを着用して結婚式を行うことになった。

 ネットで衣料を扱っている業者によると、中国の業者から直接購入するとかなり安く購入できるようだが、運送料や関税が上乗せされて今ではそれほどメリットがない。その上問題の発生の率も高く、問題が発生しても中国の業者と連絡が取れなくなるケースが多いという。

 中国の衣料品には商標登録違反の商品が多く、ドイツでは税関で発見された場合には購入者に罰金の支払いが要求されるケースがあるという。また、オーダーメイドで注文した商品については法律で返品不可となっているので法的救済はないのだという。

 このような事例は全体のごく一部なのだとは想うが、このようなものが野放しになっていれば中国製品についての信用は地に落ちるばかりだ。しかし、だからちゃんとしようと考えないでその場だけ儲かれば良い、と云うのは中国人の精神的品性の欠陥であり、そのようなことを続けていると結局は自分が損をすることになると心底思い知らない限り直ることがない中国人の宿痾であろう。そしてそのようなことを思い知らされるのはもう少し先になるであろうから当分このようなニュースが続くだろう。

違法マンション

 海南省といえば中国のハワイと呼ばれるところでリゾート地として人気が高い。しかしその人気をいいことにホテルの料金やレストランの食事代が高くなりすぎたり、時にはとんでもなく高すぎる請求があったりして最近評判が良くない。

 この海南省の三亜市(省都)で13階建てのマンションが市の当局により、「住人の生命や安全に危険が及ぶ」として建設許可が出ないのに建設を強行し、完成したが市から水や電気の供給が拒否された。マンションを購入した住民たちは仕方なく井戸を掘り、自家発電して生活していた。
 このたび市当局は危険性を放置できないとしてこのマンションを取り壊す命令を出した。それにたいして住民の強硬な抗議行動が行われ、放火事件が起こるなどしたがついに取り壊しとなった。

 取り壊したマンションのコンクリートのがれきを見てみるとなんと鉄筋がまったく見当たらなかったという。代わりに細い針金が所々に見られたという。

 マンションが自壊して大事故になる前で良かった。実はこのマンションの隣にも同様なマンションがあり、一年前に取り壊しとなったが、その取り壊し工事もずさんで死人が出ているという。このような事例は数多くあるのではないかと疑われる。中国社会そのものが自壊しなければ良いが(決して希望しているわけではありません)。

削除しました

 「センス」というタイトルで民主党の総裁候補を酷評した記事は筆が走りすぎていたので削除しました。本音ではありますが。

「清末見聞録(清国文明記より)」・杭州・竹素園

 忠烈廟の隣に左文襄公祠がある。祠の西は竹素園である。乾隆帝がかつてここに幸して名を竹素と賜った。しなやかそうな呉竹が亭榭を繞り、梅の花は今が盛りである。池亭の聯の一つに、

  水清魚読月、山静鳥談天

とあり、すこぶる閑雅の境である。

(この項はこれだけ)

2012年9月15日 (土)

餃子

 久しぶりに餃子を作ってみた。味付けはXO醤やオイスターソースなど適当に加え、白菜ではなく、キャベツを使う。それに豚の挽肉、ニンニク、ニラを加えただけ。これでいける味ならドン姫を呼んで今度餃子パーティをしよう。私のは水餃子だ。中華スープの具に鶏手羽、エビとマイタケ、ニンニクとしようが、それにニラの残りをいれる。

 父が若いときに長く中国に暮らしたので餃子が大好きだった。ぎょうざ、と云わずチャオズと言っていたことを思い出した。

 さあやっと下ごしらえが済んだ。後はスープに餃子を放り込みながら一杯。今日は芋焼酎で。

中国の動向

 上海で邦人に対する暴行事件が連続して発生した。深夜に食事中、中国人に因縁をつけられ、暴行を受けた事件。タクシーで移動中、バイクが追いかけてきて無理矢理降ろされた。複数で歩いていたら「ジャパニーズ」といわれ、独り画面をかけられて怪我をし(やけどか?)、一人が眼鏡を割られて持ち去られた。などというのが報告されている。

 上海は比較的に治安はよく、以前の反日騒ぎの時でも、夜独りで歩いていて危険を感じたことなどなかった。それが立て続けにこのような事件が起こるというのは非常に心配な事態である。このような事件がもてはやされてあちこちに広がるようなことのないように願っている。

 このような事件に対して、ツイッターでの反応を拾った中国のテレビによれば賛否両論で、「自業自得だ」「命に別状がなければ発散になっていい」「日本は自分やったことに対しての代償として反省しろ」「上海は外国人に対して崇拝する傾向があったが見直した」などという恐ろしいものが多かった反面、「こういうのは良くない」「民間での衝突は必要か。日本にも中国人がたくさんいるだろう」「上海人が意外に野蛮なことが分かった」「こんなことは愛国心と関係ない。個人的な憂さ晴らしだ」「政治的な問題を個人にぶつけるな」というものもあったという。

 ところで8月の反日デモの際に暴徒化して日本車を破壊したとして中国人4人が、私有財産侵害の容疑で逮捕された。これは反日デモは容認するがエスカレートすることは認めない、と云う当局のメッセージであると受け止められている。

 今回の日本政府の尖閣国有化までは中国政府は反日デモの報道を規制していた。しかし現在その規制はなくなり報道は容認されている。そのため反日デモは中国全土に広まりつつある。

 中国の国営テレビなどが日本企業のCMを中止する、と云う情報が流れている。あるテレビ局の担当がツイッター上に書き込んだというのだが、これに対して多数の賛同意見が書き込まれているという。日本製品の不買運動が進んでいる状態ではありうることかも知れない。しかしCMは契約に基づいてしかるべき対価が支払われて行われているものであろう。それを一方的に中止すると云うのは理不尽なことである。多分中止しても日本の責任だからということで何ら弁済はされないであろう。

 中国最大手の旅行会社が日中国交回復40周年を記念して計画していた5万人の観光客を日本へ送る計画を中止すると発表した。そして全国の支店、関係会社220社、5500店舗に対して日本への旅行を取り扱うことを中止するよう指示を出した。そのほかの大手旅行会社も訪日ツアーの取り扱いを中止する方向である。すでに予定している顧客にも旅行先を変更するかキャンセルするように勧めているようである。

 ところで中国では日本人が被害を受けたが、日本で中国人が身の危険を感じることはないはずである。もし万一中国で日本人が危害を受けたからといって、日本にいる中国人に対して危害を与える日本人がいたとしたら、その人間は最低の人間であり、日本人であることを即時にやめるべきである。日本人はそもそもそんなことはしない。そう信じたい。
 でも必ずそういう輩がいるのだ、腹立たしいし、哀しいことに。

勇気

 中国の俳優、トニー・レオンは日本の映画「1905」に出演する予定である。

 これに対して中国のネットでは失望の声が上がっているという。「トニー・レオンには金はあるが気骨と頑強不屈の愛国心がない、失望した。」などの書き込みがあると云う。

 もともと好きなトニー・レオンが一層好きになった。こういう場合に世論に迎合してオファーがあっても、もし契約していても出演辞退、と云うことが普通であろう。それを自分は俳優であり、その契約を優先する、そしてそれは愛国心と些かも矛盾するものではない、と云うことを行動で示すことの出来る勇気は敬服に値する。

 トニー・レオンよ、まさか直前になって出演取りやめなんてしないでくれよ。ただし国から何らかの働きかけがあれば致し方ないことと認めよう。身の保全が大事である。このような行動の積み重ねが国民を冷静に導くことにつながるはずであり、中国政府もそれくらい分かっていると思うが。

ところで、テレビで自民党次期党首選の候補五人が繰り返し登場し、意見を述べている。感覚的な好き嫌いと別に微妙な違いの中に見識を感じる候補もいる。ポピュリズムに流れないよう、誰が総裁になっても言ったことを全うして欲しいものである。ただ、その人がそのまま日本の首相となるという可能性も高い。その時に、海外の人がその人の外観、顔つきを見て、これが日本の代表か、と見たときに日本人として恥ずかしい思いをする人は出来れば選ばれて欲しくない。鳩山、菅、と思い出すのも恥ずかしい首相を戴いた後なので特にそう感じる。外観は大事なことだ。そういう意味で残念ながら石原伸晃という人は、世界観は一番的確なのだが、あまり器ではないように感じる。あの口をとがらせてしゃべるしゃべり方は弟の良純氏とよく似ている。名だたる政治家にあのような口つきで話す人を知らない。残念なことだ。

日本人の問題

 台湾の李登輝元総裁が尖閣諸島についての現状について質問を受け「一連の問題は台湾とは関係ない。日本人の問題だ」と述べた。

 李登輝氏は以前「尖閣諸島は日本のものだ」という発言をしている。李登輝氏は日本の大学を出ており、親日家として知られているが、ここへ来ての日本政府の行動のお粗末さには、日本を擁護するような言葉を述べる気にもならなかったようだ。今何らかの親日的な言葉を述べても台湾内での反発を招くだけであるし、中国からそれでなくても危険人物扱いをされているのに、不用意な物言いをすれば今まで以上に言いがかりをつけられて台湾に迷惑をかけることになることを懸念したのだろう。

 李登輝氏ですら擁護する気にならない日本政府の中国に対する認識の誤りは、日本に対して甚大な経済的損失をもたらしている。しかも人的被害が続発している事態は国民の生命に対する危険も生み出している。

 もちろん日本から見れば理不尽なのは中国であるが、世界には、特に中国には(同じく韓国や北朝鮮には)彼らの論理というものがあってその論理を知らずにそれを侵せばメンツにかけてそれに報復をしてくる。どちらが正しいかよく話せば分かるはずだ、などという甘えた認識では世界に通用しない。

 中東での宗教問題でのアメリカ大使館襲撃などを見れば明らかなように、アメリカ人の論理で表現の自由、などといってもイスラム世界では通用しないし、話して分かることでもない。

 日本政府、特に野田首相と藤村官房長官は国民に人的、経済的に甚大な損害を与えたことについて責任を感じているのだろうか。これは即刻身を引くべき大きな誤りであったことを深く謝罪し、国会解散をするべきであろう。これは日本国民にとっても幸いである。

 姑息な手段であるが、中国に対して責任を取りました、と云ういいわけにほんの少しなるだろう。ただし尖閣について妥協する必要は些かもない。間違っていたから引退して責任を取ったのでこの件は終わり、と言い張ればいいのだ。怒りをぶつかるべき対象を限定し、それに責任をかぶせて収める、と云うのは中国のメンツを立てる方策なのだ。早いほどいいと思う。野田首相はなるべく早く、自発的に身を引くことが効果が高いと思うし、被害が些かでも食い止められるかも知れない。

 それが李登輝氏の云う「日本人の問題だ」という意味だと思う。

「清末見聞録(清国文明記より)」・杭州・忠烈廟

Dsc_0219岳飛廟。西湖のほとりにある。

 鳳林寺を過ぎる。寺は唐の鳥窠(ちょうか)禅師の道場である。その西は忠烈廟である。廟は霞嶺を背負い西湖に面している。神道を挟んで石坊があり、題して碧血丹心という。これより北に向かい飲食店が並ぶ中を通り過ぎて楼門を入れば、明や清の廟碑記がある。正殿には岳忠武の塑像を安置している。楣間には精忠貫日、日月河獄などと題した扁額がある。
 楼門から左に行けば右に啓忠祠があり、岳忠武の考妣(こうひ・考は父、妣は母)を祀る。数歩で墓前の影壁(インピ)に尽忠報国の四大字を石に刻したものが建てられている。この四大字を岳忠武の書というのは誤り伝えられたもので、実は明の洪珠の書である。宋は北から追われて南下し、その勢いは振るわず、金軍が外に迫り、講和するのか戦うのか朝議ではいつまで経っても決せず、国がまさに艱難の時、岳飛は身を以て国に許しを得て寡兵を従えて強敵に当たり、大いに金軍を破り、懸軍長駆してまさに汴京を取り戻すばかりになった。国の年寄りたちはそれを歓び、仲間たちも岳飛が衣冠の風を仰ぐ(出世する)と大騒ぎした。勅旨があり、一日に十二の金字牌を賜り謁見のために軍を返させた。汴京を取り戻すことはかなわなかった。遺憾であることこれ以上のことがあるだろうか。岳飛は、ついには講和論者の秦檜(しんかい)に讒訴されてとらわれの身になってしまう。岳飛は肉袒してその背中を示し、二心なきことを誓う。その背中には尽忠報国の四大字が入れ墨されていた。このことを後の人が忘れることのないように洪珠がこれを書し、後の人が誤って岳飛の書としてしまったのであろう。
 墓前の左側に忠泉がある。門を入れば右に秦檜、王氏(秦檜夫人)、左に万俟萵(まんしせつ)、張俊の縛られて跪いた高さ四尺ばかりの銅像がある。前の三者は正徳年間に李隆が建てたもので、後者は万暦年間に范淶(はんらい)が増設したものである。墓に謁するものは皆これに尿をかける。尽忠を悼み、佞を憎む情から出たものである。あるいは曰く、この像に尿をすればその年蚕が大いに良好であるという。獅子、羊、馬、各一対と石人三対があり、その間を過ぎて中門を入れば、中央に一座の墳がある。前に石碑があり、題して宋岳鄂王墓という。岳飛が無実の罪で死んだとき、密かに九曲叢祠に埋めた。孝宗がその汚名を雪いで今のところに改葬し、子雲(岳飛の息子)の墓を脇に置いた。子雲の墓は鄂王墓の右側にあり、二つの塚が並んでいる。伝えるところでは墳上の古木の枝はみな南に向かうという。
Dsc_0223岳飛像。

Dsc_0225母親が尽忠報国の入れ墨を岳飛の背中に入れる図。

Dsc_0228岳飛銅像。

Dsc_0234秦檜と王氏。小便するな、つばをかけるな、と注意書きがある。何百年もやられ続けていて哀れを覚える。中国人はしつこいのだ。

Dsc_0239これが石人。

Dsc_0243_2岳飛と息子の墓。

岳飛は悲劇の英雄として中国で絶大な人気がある。戦功がありながら殺された、と云うと源義経を思わせる。

2012年9月14日 (金)

白井久也・安藤博著「日本の大問題」(平凡社新書)

 2000年5月に出版された本なのだが、書かれた時点の世界の状況と日本の状況は2012年の現在の状況とほとんど変わっていないことに今更ながら驚いてしまう。と云うことは問題は何も解決されずに12年過ぎてしまったということだ。この中には竹島問題も尖閣問題もある、日本経済の再生をどうするかという話もある、アメリカの一極支配についての話、中国の急激な台頭と覇権主義に対しての問題もある。

 問題についての分析は的確であると思う。それなのにそれに対する方策になるとなぜこのような理想主義的、空想的な答えが持ち出されるのだろう。全体は5章に別れていて、1章と2章は白井氏、3章と4章は安藤氏、5章は二人で記述したとあるが、特に白井氏の部分が世界の国々は全て善良で仁義をわきまえた平和を守る国であるという前提で書かれている。これでは問題は解決すべくもなく、その提言は空論になってしまう。それぞれの認識が的確なだけにいかにも残念だ。それだけ本当はいい人なのかも知れないが、世界は弱肉強食と考えた方が過たない。多分実社会の経験のない学者なのだろう(経歴を見たら二人とも出身は朝日新聞だ。なるほど)。

 この本が書かれた20世紀最後の年に情勢認識を的確にして手を打っていたら日本はどうなったであろうか、と考えるとこの失われた20年、それ以上にこの三年間で日本を本当に三流国に導いてしまった民主党の罪の重さを痛感した。そしてそれをもたらしたのは自民党であり、日本の国民であることも間違いのない事実だ。

 予言を書いた本を後から読み直すのも時に面白い。特に長谷川慶太郎の本などは古いものを読むと結構楽しめる。

 この本を読んで考えたことをもとに自民党の総裁候補たちのいろいろな問題に対しての意見を聞いていたら結構面白かった。

最悪を想定する

 無責任を承知で暴論に継いで暴論を申し上げる。

 今回の日本政府の尖閣諸島国有化についての中国のリアクションは野田首相と藤村官房長官の素人コンビの想定とはまったく異なり、今までにないレベルの中国の報復行動に発展している。今まで反日デモや日本品不買運動にたいしてどちらかといえばそれを沈静化するように行動していた中国政府は、今はあおり立てる方向に方針転換したように見える。ここで押さえ込もうとして反って反発を受けるよりは同調する方が良い、と判断したようである。また温家宝も胡錦濤もあまりの野田総理の無神経さに感情的になっているふしもうかがえる。

 このような事態の時に日本側が弥縫策を弄そうとしても何かが改善する可能性はほとんど期待できないとあきらめるしかない。このようなときに話せば分かる、などという日教組や幼稚園の先生みたいなことを云っても相手がかさにかかるだけである。

 このあと中国で起きている反日行動はしばらく収まらないだろうが、それが今までより深刻な事態であることを先ず日本の国民も政府も覚悟しなければならない。だからといっていきなり戦争になるようなことはまずないであろう。しかし限定的な武力衝突ぐらいはあると思わなければならない。現にフィリピンに対してもベトナムに対しても死人の出るような事態が実際に起きているのだ。

 先ず中国に滞在している邦人の生命の安全をどう確保するかを至急考えなくてはならない。最悪を想定して、そこに至らなければ良しとすれば良いのだ。

 ここで暴論である。中国での経済活動はカントリーリスクが大きすぎることになったことは極めて不幸ではあるが、それは同時に中国へ進出した企業が仕方なく日本に帰らざるを得ないことにつながるかも知れない。中国に莫大な資産を残さざるを得ないから多くの企業が立ちゆかなくなるおそれもある。しかしそれでも歯を食いしばって日本でものを生産し、経済活動をしなければならない企業が多数あるわけである。これは中国で行ってきた経済活動が日本に戻るのであるから、日本人の雇用が数多く生み出されることになる。賃金がいかに低く抑えられても失業状態よりましである。税金も収益も投資も日本で行われるのだ。これは日本にとってやむを得ざる状況だが日本再生のチャンスかも知れないのだ。前向きに考えよう。


習近平最新情報

 習近平の長期不在について非公式ではあるが新しい情報が入った。

 健康診断で肝臓に小さな腫瘍が発見され、その切除手術を受けたのだという。経過は良好であり、来週にも姿を見せるだろうという。

 報道官の記者会見の時に記者からいろいろな情報について真偽を問われるのだが、何れに対しても明確な回答がないために憶測が乱れ飛んでしまう。病気なら病気でいいではないか。隠したからといって重い病気が軽くなるわけでもなく、死んだ人間が生き返るわけでもない。隠すことに何の益もないのにそのようなことを繰り返す。やはり中国は社会主義の国であり、異常な国なのだ。

 もし習近平に深刻な事態が起きた場合には江沢民は政権内での実権を大きく損ない、胡錦濤は隠然たる権力を手中にすることになることは確かに間違いないのだが、隠されたベールの中でそのような戦いが繰り広げられているのだろうか。

領海侵入

 今朝の最新情報で、中国の海洋監視船がついに尖閣海域の日本の領海に侵入を開始したようだ。これが一気に領海を侵すのか、その辺りで示威行動を続けるのかは今のところ分からない。日本側は無線で警告を発し続けているという。

 中国側にしてみれば警告をされようが何をされようが、そもそもが中国領であると云う建前から行けば何でも出来る。日本の出方を窺っているのだろう。覚悟なしの強硬手段に出れば何が起こるか分からない。

 中国では日本人観光客が中国人に言いがかりをつけられて暴行を受け、負傷者が出たという。幸い軽症だったようだが、主張が正しければ何をしても正義だ、と云う論理の国である。日本式の甘えた気分でいると取り返しのつかないことになる。

 外務省は中国と韓国の対日情報の収集に努めると共に観光で行くものはデモや集会の近くに近寄らないように警告を発した。今後危険渡航先の指定が入ることになるかも知れない。中国に滞在している邦人の安否について早急に確認し、保護を準備しなければならない事態も考えられる。日本政府は分かっているのだろうか。中国側はすでに観光会社の自発、と云う形で日本への渡航制限が始まっている。

 海外のメディアの中には日本政府が尖閣を国有化したことが直接中国の行動を引き起こす原因になったとする見方が多い。野田総理と藤村官房長官の根本的な勘違い行動が重大な事態を引き起こしたことに彼らは気が付いていないか・・・気が付かないふりをしているようだ。

「清末見聞録(清国文明記より)」・杭州・蘇小秋瑾

 橋を渡ればそのたもとに蘇小の墓がある。江南の佳麗、いかなる幸せか死後孤山に託して幾多の詩人の詠に入り、その芳名を千秋に伝えることとなった。
 傍らに秋俠墓がある。題して嗚呼山陰女史秋瑾之墓という。女史は先に革命党の徐錫麟が巡撫の恩姓を安慶で斃したときに連座してついにこの地で殺されたのである。あたかも昨日はその建碑除幕式の当日で、集まった志士は雲の如く、その祭辞を読むときは、会するもの皆慷慨激越、往々垂泣するものがあったとの話である。思うに佳人俠女と相並んで千歳のもと行客は憑弔の情を惹くであろう。

2012年9月13日 (木)

経済制裁は恐るに足らず

 韓国が日本に対して国際的に見て礼を失した行動を続けたことに対し、日本政府は経済制裁を含めた対抗措置をとるべし、との声があるが、韓国は痛痒を感じないだろう、と云う見解を香港のメディアが報じた。

  1991年以来日本は経済的に低迷を続け、その20年間に韓国は経済規模を拡大し続けている。今や韓国の経済規模はインドにほとんど並び、輸出額は英国を上回るほどになった。韓国と日本の平均収入の差はすでに5000ドルを切っている。

 現在韓国と日本との輸出入総額は年間9兆円だが、韓国が2兆円の赤字である。韓国の貿易額の第一位は中国、そして第二位はアメリカ、日本は三位であり、しかも中国に対してもアメリカに対しても韓国は黒字である。

 また韓国の外貨準備高は世界第7位で、3000億ドルに達し、現在はアメリカや中国ともスワップ協定を結んでいる。

 以上のことから日本からの経済制裁は韓国にとって恐るに足らない、と記事は述べている。

 どうした日本。いつの間にこんなになってしまったのだ。政治が悪いのか、教育が悪いのか、企業が悪いのか、官僚が悪いのか、そうやって犯人捜しをしているだけのマスコミや国民が悪いのか。

 でもそこまで言うのなら経済制裁、やってみたら!
 どうせ八方ふさがりで嘗められっぱなしなんだから日本も何も恐るに足らずではないのか?
 暴論を承知でちょっとそう思ってしまう。

養老孟司著「日本のリアル」(PHP親書)

 養老孟司の最新刊。四人の「本当の仕事」をしている人との対談集である。

 まず最初は、日本の食卓の変化をたどることで日本の家族のあり方を見て行くというユニークな研究をしている岩村暢子氏との対談。
 個人が妄想的に肥大している現代の問題が浮かび上がる。

 不耕起栽培というユニークな農法を実践して普及に努めている岩澤信夫氏との対談。
 過去の先入観にとらわれた農法を見直すことで現代の農業事情の問題点を明らかにする。あわせて抜本的な対策を提言する。

 海に豊かさを取り戻すために、山を復活させることを提唱した牡蠣の養殖業者の畠山重篤氏との対談。
 日本ではなく世界が彼の手法に賛同している実態。彼が東日本大震災で壊滅した気仙沼の牡蠣の養殖場再開に資金提供してくれたのはフランスの業者であった。河川に沿った山林の保全についての日本の縦割り行政の問題点などが明らかになる。

 日本の森林を救うべく新しい林学を提唱して実践している鋸谷(おがや)茂氏との対談。
 日本の林業は末期的である、と云うのは事実と異なるという。今手を打てば日本の森林は豊かな資産としてよみがえる可能性があり、適切な方法であれば収益も確保できるという。

 それぞれプロとしての「本当の仕事」をしている人々が正しいやり方をすれば日本は豊かな国であることを改めて教えてくれている。
 日本を貧しくしているのは正しいやり方を知らない素人たちが素人としての自覚がないためにこれらのプロにきちんと教えを請わないためであるようだ。

 政治や外交の世界でもまさにそうだ。それは本物のプロを見分ける眼が日本人になくなっているからかも知れない。平等を標榜して素人とプロが同等の評価を受けるという現実がそもそもおかしいのだ。

中国人の急増

 シンガポールでは1990年代以降移民を積極的に受け入れてきた。それにより同国の人口は、2000年には400万人だったが、2011年には520万人に増加した。ところが移民として流入してきたのはほとんどが中国人だ。

 そのシンガポールで最近は中国人移民のトラブルが急増し、マイナス報道も続いており、もともとのシンガポール国民の不満が高まっているという。

 中国人は中国人街のようなコロニーを作る傾向があり、現地と宥和していくことが少ない。昔の華僑のようなある程度節度のある生き方であれば問題も少ないが、本国が強大になるのに随い、傍若無人な輩も増えているようだ。完全にシンガポール国民として移住するのなら問題ないが、中国にしっぽを遺したまま巨大な勢力になって政治的な発言権を持つようになると、国の経営にかかわる問題になりかねない。今後非中国系住民との摩擦が心配される。

機上の騒動

 10日、サイパン発上海行きの四川航空機で、中国人乗客の乱闘事件があった。当初二人の争いだったが、それぞれの仲間が加わり複数が殴り合う乱闘に発展、スタッフが何とか仲介して引き返すことなくフライトは継続されたという。
 
 先週、チューリッヒ発北京行きのスイス航空機内でも中国人乗客の殴り合いがあり、飛行機はスイスへ引き返し、騒ぎを起こした乗客には多額の罰金の請求がなされたばかりである。

 中国国内でもたびたび乗客同士のケンカが起きており、中国人の民度の低さの象徴として国内でも問題となっていたところである。

 今回の騒動は動画がネットで流れており、目撃者によれば争いの原因は食事かドリンクの配布についてだったという。まるでえさを前にした犬か猿並だ。

 コメントする気にもならない。

「清末見聞録(清国文明記より)」・杭州・湖山の諸勝

 もと来た道を引き返して、平湖秋月亭に到り、南の陸宣公、白文公、蘇文忠公たちの諸祠が連なっている前を過ぎ、聖因寺(しょういんじ)に到る。康煕帝が巡狩して孤山に至り、蹕(ひつ・さきばらいの人)を駐めさせたところである。雍正帝の御書である聖因寺の額がある。その傍らに文瀾閣があり、行宮があり、湖には牌楼があり、題して日月光華という。ここに来て西湖に対すれば、湖心亭、三潭印月亭は浮かぶように見え、右方には霊隠の連山を控え、蘇堤の柳を望む。その景色はあたかも万寿山の下に立って、右に太行の山を負い、前に昆明池を望んだとき(北京での記憶である)を髣髴とさせる。頤和園を造るときに西湖に倣ったという説は偽りではないだろうと思った。
 徐文敬、朱文公、蒋果敏公の諸祠を過ぎ、広化寺畔の兪楼に至る。碩儒の愈樾(ゆえつ)の読書楼で今も昔のままである。彭玉麟が曲園先生のために揮毫した梅花の図は、これを石に刻して廻廊に立つ。楼は極めて矮陋、曲園先生の人となりを想見することが出来る。孤山路は西冷橋に至って尽きる。

2012年9月12日 (水)

尖閣国有化

 尖閣諸島の国有化に対する反発は台湾でも起きている。台湾外交部は駐日代表の沈斯淳氏を帰台させる方針を明らかにした。さらに沈斯順代表には帰国前に日本政府に対して国有化を即時撤回するよう申し入れるように指示した。

 中国は新たに天気予報のコーナーで尖閣諸島の予報を加えることになり、早速同地域の気温や湿度、風向きや風速そして降雨量などの放送が始められた。

 ほかにも様々なリアクションが報道されている。

 ウラジオストクで行われた野田首相と胡錦濤主席との会談についてもその記事の内容が当初のものから削除されたものに変更になった後、しばらくして再び訂正されるなど中国側も態度を決めかねているらしい、と云う情報もある。

 台湾の専門家がシンガポールの華字紙に「野田首相は政権維持のために尖閣国有化という方法で国民にアピールしたが、彼はこれを必要なことと考えたようだ。それに対して中国政府は反日感情が高まっている国民に対して、主権を守るためにがんばっているポーズを取らざるを得ない」だが「日中双方とも米中関係や経済協力関係に傷がつくことを恐れており、徹底的にやり合おうとは思っていない」「巡視艇を派遣するような事態になっても武力衝突するような段階ではない」という意見を述べた。

 今のところの状況はかろうじてその観測が正しいようだ。

 中国国内での日系家電は大きなシェアを確保しているが、尖閣騒動を受けて8月の売り上げを大きく低下させており、7月と比べて東芝は40%、三洋は44%、パナソニックが23%、シャープが21%それぞれ大幅に減少した。現状では9月も深刻な影響を受けるとみられている。

習近平は何処に

 中国の副主席で次期国家主席が決まっているといわれる習近平の姿が9月1日を最後に見られなくなった。中国のインターネット上では様々な憶測が飛び交い、「水泳中に背中を負傷」(これはアメリカでも推測記事としてとりあげられた)「軽度の心臓病」「不審な交通事故に遭った」「暗殺未遂があった」などといわれている。

 現在「副主席」で検索しても「関連法律と政策により検索結果は表示されません」と表示される場合が多い。

 11日に外交部が行った定例会見で、記者から習近平の消息について質問があった。これに対して報道官からは「何らの情報も把握していない」と答え、「生きているのか」という質問に対しては「もっと厳粛な質問をして欲しい」との回答があったきりだという。

 質問に対してこのような回答しかできないと云うことは何らかの不測の事態が起きていることが明らかだと推測される。

 そのさなか、ロイター通信は「習近平が政治改革の決意を固めている」と報道したという。記事によれば改革派と呼ばれる胡耀邦の息子の胡徳平氏らを訪ねて改革の加速について意見を交わしたという。その際に習副主席は「経済改革の加速に加え、自由度を拡大して政治のコントロールを緩和する必要性がある」との見解を述べたという。

 これがいつのことか明らかにされていない上に、政治的な自由化に言及するという考えにくい発言をしたと報道されている。胡耀邦は鄧小平を支えてきた人物だが、自由化を推し進める意見を持っていたために失脚。彼の死が天安門事件の引き金の一つになったといわれる人物である。しかも総書記(国家主席に相当)時代、中曽根首相と親しく、日本に対して親和的だったことで知られる。この記事が何らかの意図で流されたものか、またこの記事の通りの発言が問題視されて今表舞台から遠ざけられているのか。真相は不明である。

 多分勉強し直して(意見調整をして)しばらくしたら再登場すると思うが、APECを含めて胡錦濤の苦虫をかみつぶしたような、普段のつくり笑顔を忘れたあの顔の背景にその辺の事情が絡んでいるとみるのはうがち過ぎだろうか。そんなときに野田君も変な火をつけるからますます彼もいきり立つことになったのではないか。少しは空気を読めよ。

 中国共産党系の学習時報が10日付で習近平が共産党中央校の新学期の始業式で演説した、との記事を発表した。そしてその記事には日時が書かれていない。しかし調査によると始業式は9月1日に行われたという。これでは新情報とならない。それよりもなぜ10日も過ぎた今頃になってそのような記事を流すのか、その意図の方に何かうさんくさいものを感じてしまう。


海洋監視船

 中国の海洋監視船三隻(当初二隻と伝えられていたが三隻のようである)が尖閣諸島に接近し、領海内に侵入強行の気配を見せている。

 尖閣領域に対して、前々回は漁船、前回は香港の活動家たちがチャーターした漁船、とそれぞれ民間の船が行った違法行動であったが、今回の海洋監視船は中国の公的船舶である。今回の恫喝的行動は明らかに中国の今までの行動とはレベルが違うものであり、もし領海侵犯や尖閣上陸などが強行された場合の対応には相応の覚悟が必要となる。

 なぜ中国がこのようなレベルアップした行動に出たのか。昨日もこの件について言及したが、私は今回の日本政府の行動が中国政府のメンツをつぶしたからだと思う。

 靖国参拝問題での中国の過剰な反応について異常さを感じるであろうが、中国のいっていることとリアクションをよく見聞きしているとその理屈は解釈することが出来る。

 先の日中戦争は日本軍部の独走により引き起こされたもので、中国は被害を受けたが日本国民もその犠牲者である、と云う建前で、中国は賠償を放棄した。だからA級戦犯こそが戦争の犯人であり、許すベからざるものとして断罪することで戦後の日本を敵国としなかった。ところがそのA級戦犯を靖国神社に合祀し、あろうことか国の代表が参拝する、となるとその建て前を日本が崩したことになる。このことは日本的感覚では理解の外だが、彼らの論理はそれにのっとっており、それを侵した場合、激しく抗議してくる。

 今回の尖閣問題はもちろん中国の一方的な「尖閣諸島は中国の領土である」という主張が問題そのものなのだが、だがその主張が理不尽なことは中国政府は百も承知である。だが一念岩をも貫く、と信じる国である。言い続け、隙を突き、既成事実を積み上げていつかはその主張を達成する意志を持っている。

 しかし中国も国際的に明らかに違法なことをして通用するなどとは考えていない。だから民間をあおり立ててその行動は中国政府とは無関係である、と云う姿勢を取りながら、もしその民間の違法行動に対して言いがかりがつけられるような行動を日本がとった場合にはその民間人の保護、と云う名目で国家として行動しようと手ぐすね引いているのだ。このことは私が言わなくても皆そう感じていることだろう。

 今回の香港の活動家の違法上陸に対しての対応はおおむねあれしかないだろうという対応だったから中国も何も言いがかりがつけられなかった。ここで日本は中国に対して厳重抗議し、次に同様な行動があった場合はもう一段厳しい措置をとる、と宣言するチャンスだった。

 中国が何か行動を起こすたびにそれに対抗することで一歩日本が前進する、と云うことを繰り返すことで、中国が次の手を打ちにくくするという迂遠な方法が最も有効な方法だった。

 しびれを切らして石原東京都知事が東京都で購入する、と云う奇策を打ち出したことは中国としては言いがかりのチャンスとみただろう。だがその最中に香港の船が違法上陸してしまった。中国政府の本音としてはいらぬことをしてくれた、というところであろう。反日運動がこのことで盛り上がったことも中国政府には不都合なことであった。反日はそのまま反政府に転じる可能性を孕んでいるからだ。

 だから中国政府は反日行動も含めて尖閣については一時静観の態度に転じた。まして政府のトップ交代の時期を目前にして強引なことは控えようとも考えただろう。また、東京都が購入する、と云うのは中国政府にとっては石原慎太郎の個人の行動ととらえている。石原慎太郎個人を攻撃しても尖閣が有利になるチャンスはない。

 ところが何をとち狂ったのか野田政権は国家として尖閣購入をそれもこそこそと決めてしまった。ウラジオストックのAPECで胡錦濤に対して手柄顔に「これで東京都が勝手に出来なくなって安心ですよ」に話したことであろう。これを胡錦濤への土産としていいたくて急いで購入を決めたのかも知れない。

 これは強硬論のある軍部などをなだめて当面静観を決めたばかりの胡錦濤にとってメンツのつぶされる話だった。靖国問題と同じように、石原慎太郎の問題、としてとりあえずの幕引きをしようとしていたのに日本国の問題に持ち上げてしまった。

 胡錦濤の状勢判断ミスが中国政府内では指弾されているであろう。そうなれば胡錦濤もことさらにエスカレートした行動を取らざるを得ない。しかも大義名分は日本政府がもたらしてくれた。今回は国家として中国を挑発したのである。

 今回の海洋監視船はそのような背景を元に派遣されている。それに対してどのような覚悟があるのか。

 中国は、今回は日本の責任である、と主張している。責任者である野田首相はどう責任を取るのか。野田首相は収まりそうだった中国政府が突然強行になった理由が理解できていないであろう。外交音痴なのである。ロシアに対してもかなり神経を逆なでする失言をしていることは外交官僚から泣き言として洩れている。本来外務省からレクチャーがあるのだろうが、どうも聞く耳を持たないようだ。

 尖閣諸島を突然国家が買い上げることで解決を図ろうとしたやり方の中に、独断専行して状況判断を誤ると云う、人間として資質を疑う行動を見ると、これは民主党という党の宿痾であって、野田佳彦という人間の限界かも知れない。

 中国が何処までやるつもりなのか、しばらく注視していきたい。

 中国みたいに一方的に意見を書き付けてすみません。筆が走って止まらなくなってしまいました。

矢月秀作著「もぐら 乱」(中公文庫)

 もぐらシリーズの第三弾。第二作の「もぐら 讐」を読んだ後にこの続編が出ても買うのはやめようと思っていたのについ買ってしまった。買ってしまったから読んでしまった。

 ハードボイルドといえば北方謙三や大沢在昌、そして馳星周などが好きだけれど、このもぐらシリーズはちょっとハードボイルドというには弱い。主人公は甘いし、ストーリーはご都合主義だし、読み終わった後にちょっといらっとする。

 ではなぜ読むのか。読書するパワーがやや落ちているときにコミックを読む感覚である。細かいことはいいからすかっとしたい、読むのにストレスがなるべくないものが読みたいからである。それなのにちょっといらっとしてしまってはいけない。

 今回の敵は血も涙も無く人を殺す三美神と呼ばれる謎の人物たちである。超人的な闘争能力があり、屈強の警官たちをあっという間に殺し尽くしたりする。ところが超人的とは思えないもぐら(筆者はもぐらを超人的な人物としたいのだろうがどうもそう感じられない)がその敵と互角に戦うから気分的に歯車の狂いを感じてしまう。

 女性に対するストイックさにも違和感がある。やることはやれよ、男なら。そして最後に超人的で血も涙もなかったはずの敵が自分の生い立ちについて泣き言を言う、と云う段になるとこちらもよれっとしてしまう。

 放り出さずに一気に読んでしまったのだから面白くないことはないのだが、今度こそ次の巻が出ても買わない、と決心した(また魔が差すかも知れない)。

「清末見聞録(清国文明記より)」・杭州・林和靖

 ここから右に行けば孤山の陰に宋の林処士の墓がある。処士は名は逋(ほ)、字は君復、孤山に隠居して梅を植え鶴を飼う。人は時鶴妻梅(じかくさいばい)と云った。悠々自適で暮らし二十年間一度も城市に入らず、当時の廟堂の名賢として、皆その人となりを尊敬しないものはなかったと言われる。范仲淹の詩に曰く、

  巣由不願仕、堯舜豈遺人、

また曰く、

  風俗因君厚、文章到老醇、

真宗が彼に粟帛(ぞくはく・穀物と絹)を賜り、役人に命じて季節ごとに様子を見るために訪問させた。彼が没したときには、仁宗は和靖先生という諡(おくりな)を賜った。欧陽脩曰く、逋の卒せしより湖山寂寥、継者あるなしと。もって先生の人となりが想像できる。墓は饅頭形で、煉瓦で周囲を築き、前に宋林処子墓の五文字を題した碑がある。墓を巡って植わっているのは皆梅であり、三分の春がすでに梢に見えて、閑雅幽静、人は皆襟を正す。墓前に放鶴亭がある。和靖先生は自ら小舟を浮かべて湖上に悠游するとき、客が至れば童子門に迎えて席をしつらえ、籠を開いて鶴を放つ。和靖は短い艪を棹して帰ったという。後の人はここに亭を設けて名付けて放鶴と云う。亭中に康煕帝御筆、臨董其昌の舞鶴賦を刻す。傍らに古梅多く花影が湖面に映っている。思うに古来梅を詠じたものは多いが、しかしいまだ和靖先生の、

  疎影横斜水清浅、暗香浮動月黄昏

の一聯に及ぶものはないだろう。今亭前に立ち、この梅を見、この見ずに臨んでこの句を誦すれば、まことにその詩趣がわき上がるのを覚える。次に巣居閣があり、和靖先生の住まいだったところである。今の閣は儒学提挙(ていきょ・宋代の官名、各種の事務を管理した)の余謙、李祁(りき)の頃に修復されたものである。

*山園の小梅・林逋(林和靖)

  衆芳 揺落して 独り暄妍(けんけん)

  風情を占め尽くして 小園に向かう

  疎影 横斜 水 清浅

  暗香 浮動 月 黄昏

  霜禽 下らんとして 先ず眼を偸み

  粉蝶 如し知らば 合(まさ)に魂を断つべし

  幸いに微吟の 相狎る可き有り

  須(もち)いず 檀板と 金尊とを

2012年9月11日 (火)

「回る春」2011年アルゼンチン映画。

 不思議な映画を見た。86分という短さが気に入って見始めたのだが、不思議、と云うのは解釈がしにくいのでそのような言い方しか出来ないからだ。

 主人公のパブロは元大学教授で、今は作家の60歳になろうとしている初老の男である。彼を取材に来た記者についてきた女性カメラマンが
昔彼の教え子だった、といって彼を誘惑する。

 彼には彼女・ラウラを誘惑するつもりは全くなかったし、そろそろ男としての自信も失いつつある状態だったので、確かに彼女から誘惑したのだ。

 彼女と関係を持つうちにパブロもラウラに惹かれていく。しかしなぜラウラが自分を選んだのか、謎である。そしてラウラの言動そのものも謎めいてくる。

 映画の大半がパブロとラウラの情交シーンということでR-15指定なのだが、それほど過激なものではない。

 そしてそのラウラが突然失踪することでパブロを取り巻く状況が微妙にゆがんでくる。そして再びラウラが現れてクライマックスに至り、何の結論もないまま突然映画は終了する。

 「回る春」はめぐるはる、と読む。回春の意味も込められているのだろう。同じアラウンドシックスティとしてパブロの戸惑いとときめきに共感したが、このまま放り出されるのはつらい。不思議な映画だ。

責任は日本にある

 日本政府が尖閣を購入して国有化することを発表したことに対し、中国政府は非難声明を出した。

 中国は日本政府の行動に断固反対し、強く抗議するそうだ。そして、対抗措置をとることを言明し、その責任は全て日本にある、と云う。

 自分がこれから何かするぞ、と恫喝しておいてそれはおまえの責任だ、と云うのもずいぶん自分勝手だ。

 おまえに腹が立つ、だから俺はこれからおまえを殴るぞ、しかし殴られるのはおまえの責任だ、と云うのはむちゃくちゃな話ではないか。

 中国政府は国民に対するメンツからこのようなおかしな物言いをしなければならない立場に立たされた、と日本政府に腹を立てているようである。あるいは腹を立てているふりをせざるを得なくなった。石原慎太郎都知事が勝手に東京都が尖閣を購入する、と云っている間は石原慎太郎を悪者にすれば良かったが、野田首相が李明博みたいに突然スタンドプレーで国が買う話を進めてしまったから、中国政府も引っ込みがつかなくなってしまった。東京都に買わせて、政府はしらんふりをしておいて、施設でも造らせた後にほとぼりが冷めたら政府が買い上げればいいのだ。中国が何か言っても東京都の石原知事のせいにしておけばいいのだ。

 あっ、そうか。だから日本の責任だ、と云っているんだ。野田さん、タイミングが悪くてあんたに得点が入らないどころかマイナスだよ。野田さん、矢面に立つだけの度胸もないし腹も据わってないのにあのヒキガエルみたいな官房長官と小細工をしない方が良かったのだ。責任取れるのか。

ニューズウイークに抗議

 ニューズウイークのアジア版に竹島問題の記事が掲載された。編集長の横田氏が寄稿した記事で、前駐日アメリカ大使のトーマス・シーファー子の「韓国は竹島について非理性的な態度を見せている」とのコメントを紹介した。また李明博大統領の竹島上陸と天皇陛下への謝罪要求、さらにロンドンオリンピックでの韓国サッカー選手の竹島パフォーマンスなどについて、そのような行動が日韓関係に軋轢を深めている、と指摘した。

 この記事は韓国版には掲載されなかったが、韓国政府はこの記事を日本の一方的な立場に立った偏向記事であるとしてニューズウイーク・アジアに抗議した。あわせて韓国側からの反論記事を掲載するよう要求したという。

 韓国は自らが絶対正義であると云う立場で行動している。オリンピックで政治的な活動をしてはいけない、と世界が約束して守っていることでも、主張が正しいのだから約束を破ってもかまわない、と云っている。もしかしたら自分にも非があるのではないか、と云う思考回路を持たない、またはそのような冷静な主張をすることが許されない国というのはまことに常軌を逸していると見える。

 問題の記事では竹島は日本の領土である、と主張したわけではなく、韓国が冷静さを失っているのではないか、と云っているだけなのだ。

活動家落選

 香港立法会(議会)の選挙が9日に行われたが、この選挙に立候補していた曾健成氏は落選した。

 曾健成氏というのは「保釣行動委員会」のメンバーである。例の尖閣諸島の魚釣島に香港から乗り込んできて違法上陸した一人である。香港に帰ってからは英雄として拍手喝采を浴びていた。

 その英雄も選挙に落選した。何だ、選挙目当てだったのか。

「清末見聞録(清国文明記より)」・杭州・白堤

Dsc_0287白堤。

 我が領事館の下の切り立った崖に節用愛人、視民如傷の八大字を刻しているのは、宋の賈似道(かじどう・モンゴルとの戦いに功があり、後、遷都を提言したがいれられなかった)の題したものである。白堤に行く。世俗はこれを白公堤といい、白楽天が築いたものだとしている。「方輿紀要」にもまたこの説が乗っている。しかし白楽天が築いたのは銭塘門から余杭門に至るまでで、この堤とは別である。白楽天の詩にこの堤を詠じて、

  誰開湖山西南路、草緑裙腰一道斜、

という。これで明らかだろうと「湖山便覧」には記されている。断橋を渡る。断橋はあるいは段橋と云い、あるいは短橋という。音が同じなのである。あるいは曰く、白公堤がここに至って断たれているからだという。いまだどれが妥当な節か分からない。康煕帝御筆の断橋残雪の碑は橋のたもとにあり、西湖十景の一つである。白堤をたどっていくこと数町、錦帯橋を渡って孤山に達すれば、左方に十景の一つ、平湖秋月亭があり、内に康煕帝御筆の碑がある。

Dsc_0298白堤の柳。

Dsc_0313断橋残雪の碑。

Dsc_0318_2亭から断橋を望む。分かりにくくてすまない。

2012年9月10日 (月)

加藤昌男著「テレビの日本語」(岩波新書)

 なぜテレビは饒舌なメディアになったのか?と云う惹句がこの本を買う気にさせた。確かにテレビで語られる単位時間当たりの言葉の数はずいぶん増えていると日頃感じていた。
 
 バラエティなどでは知らない言葉が早口でしゃべられるので意味が取れないことが多い。耳が遠くなったのだろうか、と音量を上げてみるのだが分からないことに変わりはない。歳のせいだろうか。それは置いておいて

 筆者はNHKのアナウンサーとして、そしてNHKの放送研修センターでの指導員として、話される言葉にこだわってきた。

 この本では、テレビの言葉とは他で話される言葉とどう違うのか、そしてそれがテレビの普及につれてどう変わってきたのか、ニュースにおけるテレビの言葉はどうであるべきか、について語る。特に最近の災害報道について、その現場に立ち会い、人間性をかけて語るべき時にいかに不用意な、無神経な言葉が語られたのかを阪神大震災、東日本大震災やその他の大きな災害の時の報道の実例をもとに検証していく。日本人の言葉が些か劣化していることに今更ながら驚かされると共に、その責任の一端がテレビにあることも改めて実感する。

 そしてデジタル時代に入った今、テレビの言葉はどうあるべきか、著者の意見が語られる。このような人たちが、必死で日本の言葉を守ろうと努力していることを知り、心強いことであったが、同時に今テレビがいかに日本語を幼稚化させているのかについても心配になった。今更心配してももう遅いのだけれど。

 言葉の幼稚化はコミュニケーションの幼稚化でもあると思う。コミュニケーションが劣化すれば心は伝わりにくい。過剰な言葉が交わされながらそれは上滑りしながら相手に届かないし、そのうちに相手に届けようという気持ちも失われていく。やさしさ、と云うのは相手と少しだけ余分に距離を置くことだと勘違いしていないか。言葉は相手をコントロールするためのものではない。

反日デモが日本の軍国主義化を招く

 新華社の発行する雑誌・世界軍事の編集長が、署名記事で「日本は軍備強化と国民支持獲得を狙いとして尖閣での挑発を行っている」「普通の国を目指すこのような挑発は今後も続くであろう」から「反日デモなどの過激な行動を行うことは日本をさらに過激な民族主義に走らせる危険がある」「その上日中が争うことは中国を牽制しようとするアメリカの戦略を利することになる」として、「我々中国人は理性的な態度で日本と応対しなければならない」と述べた。

 なんだか何処の話だ、と首をかしげたくなるような論理なのだが、よく考えると結果的に日本が対中国でまとまり、軍備を増強しなければならない、と云う論調が日本国内で盛り上がりつつあることは確かにある。それはアメリカにとっても沖縄などの米軍基地の存在意味を強化することにつながっていて中国にとってあまりいいことはない、と云うのは一面の事実でもある。その事実の理由付けが変であることを除けばあながちおかしな意見ではない。そしてその論理をもとに冷静な対応を中国人に呼びかけるというのは巧妙なやり方だ。座布団一枚!

歪曲報道

 ミュージシャンのGACKTが怒っているとか何とか言うのをちらりと見聞きしていたが何のことか分からなかった。少し前のニュースを見返していたら、韓国メディアが「GACKTはツイートで独島を韓国の領土と認めた」と報じたというのだ。

 GACKTはそのような発言はしていない、と否定した。改めてその頃のツイートを確認すると、GACKTのツイートは全て東日本大震災に関するものだったが、そこに韓国人から書き込まれたコメントに「独島は韓国のもの」というものがあったことが分かった。それを取り上げて韓国メディアは、GACKTが竹島を韓国領と認めたと鬼の首を取ったように騒ぎ立てたのだ。多分誰かがGACKTの発言だと勘違いしたものを確認もせずに取り上げたものに違いない。

 こんなことが通用するなら有名な日本人のブログに全てコメントで「独島は韓国の領土」と書き込んだら全てその人の発言として取り上げられてしまう。

 なんとこのことを私が知ったのは中国のニュースであった。中国のその記事ではこれでは日本人もさすがに怒るだろう、と書かれていた。中国でも韓国の騒ぎを異常なものとみている。

 日本から特に竹島に何も具体的な実力行使に出ていないのに一方的に防衛行動に出たりエスカレートした反日行動を行っているというのは誰かも言っていたことだが、よほど韓国には竹島占領にやましさを感じているに違いない。

 騒ぎ立てた韓国メディアは一切訂正する気配はないようだ。

憶測

 中国の次期主席が内定している習近平副主席が9月1日以来公式の場から姿を消していることから憶測を呼んでいる。

 5日のアメリカのクリントン長官との会談が急遽取りやめになったときには中国側は「日程調整の都合」と発表したのみで詳しい状況は一切明らかにしていない。同じ頃に予定されていたシンガポール首相との会談も中止されている。

 アメリカの非公式の情報筋からは習近平は水泳中に負傷して会談が中止になった模様、と伝えている。

 ここへ来て海外の反政府筋のメディアや東南アジア系のメディアが相次いで暗殺未遂があり、病院に担ぎ込まれた、との報道が流れている。

 姿を見せていないという事実のみがある。何らかの理由があるはずなのでそれが明らかにされればどうと云うことがないのに何も情報がないので憶測を呼んでいるのだ。

 どうも少なくとも病気か負傷でどこかに入院していると考えるのが妥当なところか。まさか深刻な事態と言うことはないと思うが、やはり中国は情報統制の国だと実感する。まともな国ではないのだ。

「清末見聞録(清国文明記より)」・杭州・宝石山

 足の向かうままに宝石山に登る。聳え立つように高い岩がある。その形は甑(こしき・蒸し器)のようだ。よって石甑山(せきそうさん)と名付けられている。山頂に保叔塔がある。この塔については種々の伝説がある。一説にはこの塔は呉越の臣呉延爽の創建でおよそ九層あったが、宋の咸平年間に僧の永保が修理して二階少なくした。その永保は仏法の戒めをよく守って修行したと言うことで、人は保叔と言った。そこで塔を保叔塔と呼んだという。あるいは銭王弘俶が天子に謁見するために都に行ってそこに留まった。百姓(ひゃくせい・人民)はこれを思慕して塔を築き、保俶と名付けたのだという。あるいは保叔は宝石の訛であって、山の名から名がつけられたのだろうとも言う。いまだにその何れが正しいのか分からないと「湖山便覧」に見える。七層の高塔が天空に聳え、烏鵲が塔を繞って群がり飛ぶ。古の崇寿寺は今アメリカ人のメーン氏の手に帰し、広済養病の別荘となっている。山中に落星石が二つある。銭氏はこれを寿星と云い、一つは塔の後ろにあり、一つは看松台の下にあると聞いているけれども何処にあるのか分からない。山の麓にあると云う秦皇䌫船石(らんせんせき)なども知る者がない。 

2012年9月 9日 (日)

復興予算

 NHKスペシャル番組「追跡 復興予算19兆円」(9日夜9:00~10:00)を見た。番組を見た方はかなり怒りを覚えたに違いない。

 NHKの問題提起は、国民に長期間の所得税増税を強いてまで組まれた復興予算がきちんと使われているのか、そして被災した人に予算が十分配布されているのか、ということであった。

 驚くべきことに予算の配分は復興の名を借りながら、ほとんど復興と関係があるとは考えがたいものが数多く含まれていることが明らかにされていた。そして被災者が事業再開のために申請した案件がなんと40%程度しか認められず、60%が却下されて路頭に迷っていると云う事態だ。そして各省庁は復興予算に対して群がるようにそこから奪い取ったようだ。

 NHKは特に第三次の復興予算、9兆円について検証を行っている。
 例えば国土交通省が獲得した復興予算による道路工事がなんと沖縄の国頭村で行われていた。このような例は枚挙にいとまが無い。約25%の2兆4500億円が首をかしげるものであった。シーシェパード対策も復興予算に計上されていたのだが信じられるだろうか。

 実際に東北を走っていると高速道路をはじめとして道路工事がそこら中で行われている。そこには麗々しくその工事が復興のための工事であると云う看板が掲げられているが、それがほとんど震災と無関係と思われるような秋田県の道路だったり、宮城県辺りの道路でもなぜそこを工事しているのか理解しにくいような工事も見受けられる。工事のための工事としか見えないのだ。そしてそのために車は通行を妨げられ、渋滞を余儀なくされている。しかも被災地にはいつまで経っても新しい家が建つ気配は見えない。

 各省庁の請求に対して配分された予算の中にはそもそも震災の前から普通の予算として計上されたものと酷似したものが数多く見受けられる。つまり復興の名目を無理矢理こじつけて復興予算に付け替えしているとしか見ることができないものだ。このように復興予算を食い物にしている実態を見逃している復興庁と政府の責任は重大である。

 番組ではさらにがれき処理に関しての自治体の費用について検証していた。1トン辺りのがれき処理費用が高手ところと安いところとでは7倍も違う。処理の前にがれきを分別して集めたか、一括で集めたがれきの山から改めて分別するかで大きく費用が違うのだ、と云う説明もあった。それも確かにあるようだが、それ以上に処理業者の処理の実態を自治体がきちんと確認していたかどうかが大きいことが明らかにされていた。一週間で出来る処理を二週間かけていた、などというのが公然と行われていたり、処理の報告書類に添付する現場写真がずさんでまったく証明にならないものがぞろぞろと出てきていた。

 19兆円の復興予算が被災者にきちんと届いていない。省庁や業者に食い物にされている割合が予想以上に大きい可能性がある。あの平野復興大臣はこの番組に対してどのように釈明するのだろうか。

 なぜNHKはこの番組を今放映したのだろう。国会が事実上終わり、この番組が国会で問題にされることを避けるためだったなどと言うことはなかったのか。これを議題に徹底追求をして火事場泥棒を断罪して欲しいところなのだが。このNHKの問題提起に対してマスコミは全力を挙げてさらに追求検証を行ってくれることを期待したい。それが国をクリーンにすることにつながる。中国とは違うことを皆で証明して欲しいものだ。

敵国日本

 韓国の求人情報サイトが大学生を対象に行ったアンケートによれば、北朝鮮よりも日本が敵国であると回答したものが半分以上であったという。なぜ就職情報の会社がこんなアンケートを行うのか理解に苦しむところだが、この結果を複数の韓国のメディアが取り上げた。

 友好国は第一位アメリカ68.4%、二位がトルコで19.4%、日本は2.6%で中国は1.4%だった。

 非友好的な敵対国は第一位日本54.3%、二位が北朝鮮で21.4%。日本を敵国としたのは男子38.9%に対し、女子66.8%だった。やはり女性は乗せられやすいのか。

 韓国も一流国になり、韓国国債の評価も日本国債と同格以上になったという。本当に良かったね。日本も世界一と言われたときもあったんだよ。

 韓国は一時デフォルトの危機に陥ったこともあったがここまでになった。日本はバブルの崩壊の後ちっとも回復しないままどんどん国力が低下しているように見える。韓国に出来ることがどうして日本に出来なかったのだろうか。間違いなく教育の違いが一つの原因だと思うが検証が難しいから責任者は何の痛痒も感じていないであろう。誰かそれを検証して弾劾する本を書いてくれたら必ず読むつもりだ。

小沢昭一著「ラジオのこころ」(文春新書)

 TBSラジオの「小沢昭一の小沢昭一的こころ」と言う番組をご存知だろうか。もう満40年も放送を続けているラジオエッセイとでも言うのだろうか、下ネタあり、時に深い人生訓ありの実に楽しい番組だ。昔、車で走り回っていたときは欠かさず聞いていたものだ。

 その番組も昨年は放送一万回を超えたのだという。その前後の傑作10編を厳選したものがこの本である。語り口がそのまま読み取れるので、直接小沢昭一が語りかけてくるような心持ちがする。

 小沢昭一の江戸っ子的なきまじめさが、共感を呼ぶ。その価値観がとてもよく分かるし、こだわりには賛同するものが多い。多分今の若い世代にはなかなか通じにくいだろうなあ、と思うけれど。

 ラジオでこの番組のライブラリーでもないだろうか。

刑事罰免除

 最新の情報によれば、薄煕来は刑事罰を免除されるのではないか、と云う。

 薄煕来に対する調査はすでに終了しており、重大な違法行為は発見されなかった。深刻な党紀違反による処分に留まりそうだという。これは何なのだろう。この処分は政治的な死刑なのだという。また、妻の谷開来の殺人事件との関与も否定しており、それが認められれば当面自宅軟禁の措置がとられることになるそうだ。

 出る杭は打たれる。人望と人脈が人一倍あったが故に自信過剰になりすぎたのかも知れない。林彪も劉少奇もそうして失脚した。なかなか周恩来のように生ききることは出来ないようだ。しかし周恩来も晩年は満身創痍で心身共にぼろぼろだった。

 薄煕来が再起することは可能なのだろうか。とても興味がある。

ダンピング提訴合戦

 EUは中国製の太陽電池についてダンピングの疑いがあるとの調査結果を報告した。これによる対象額は200億ドル(約1兆6000億円)の巨額に上る。

 低コストでものを生産すればダンピングであるとの言いがかりはどうにでもつけられてしまう。過去日本もしばしばそれにより被害を受けた。しかし中国は今までどういうわけかその矢面に立つことが少なかった。

 中国は世界の工場として世界に製品を輸出している。しかし中国製と称しながら実は中国以外の国のメーカーの中国製の製品であることが多い。しかし自然エネルギー関連については中国メーカーの台頭が著しい。EUは自然エネルギーを確保するための産業を重視し、関連の製品をEU基準でEU内での生産をもくろんでいるが、今のままでは中国製で席巻されるおそれがあると危ぶんだのではないだろうか。

 中国は対抗措置としてフランスのワインのダンピング調査を開始したという。しかしワインと太陽電池では金額的にまったく釣り合わない。象徴としての対抗措置であり、場合によって次々に新たな対抗措置が取られるかも知れない。

 しかし中国は、この貿易戦争はエスカレートするほど損になるように思う。アメリカもEUも今まで中国に対してはかなり気を遣ってきた。それが今回のような事態になった理由は何だろうか。中国が覇権主義的な行動を公然ととり続け、南シナ海や尖閣での明らかに理不尽な行動を見て、世界が中国に対して厳しい態度を取る気持ちになったのではないだろうか。

 中国は自国の経済が見かけ以上に揺らぎだしているからか、EU危機に対して救いの手を一切さしのべようとしなかった。このことも中国の特別扱いが解除された理由かも知れない。

  中国は実はギリシャをはじめEUの国債をかなり購入している。EU危機は中国にとってもかなり深刻な問題なのだ。だからあまり強硬な対抗措置がとりにくい。中国人はメンツを最も重視するのにメンツが立たないまま堪えなければならない事態は見かけ以上に中国に腹の煮えくりかえる思いをさせているかも知れない。

旅の写真にも飽きたと思われるがこれが最後なので我慢戴きたい。

日光から足尾銅山の観光洞に行く。足尾銅山は昭和48年頃には生産を終了している。鉱毒水の問題で田中正造翁が時の政府と闘ったことでも有名。日本初の公害闘争である。この鉱毒水の問題で清流だった渡良瀬川の魚が一時絶滅に瀕した。後、長く渡良瀬川で棲息している魚は食べることが出来なかった。

1208_149足尾銅山へのトロッコ列車。実際に鉱夫が乗ったもののようである。とてもゆっくり走る。

1208_156坑道内に終点がある。観光洞への道は手前にあるが、本当の坑道はこの先にあり、上下も含めて四通八達、なんと1200キロもあると云う。足尾から北九州くらいまでの距離だそうだ。

1208_160到る処にこのようなリアルな人形が置かれて当時の様子を教えてくれる。

1208_167銅のインゴッド。

1208_174帰りは歩きで戻るので坑道の入り口を改めてのぞき込む。

1208_178銅もありがとう。また銅ぞ。だじゃれだが何となく楽しい。

1208_184足尾銅山の後に寄った富弘美術館。

1208_182_3美術館の庭園に咲いていた百合の花。庭園から草木ダムのダム湖が望める。

1208_186草木ダムは水量が著しく低下していた。小雨交じりの天気だったが、この程度ではダムは潤わないだろう。利根川水系のダムの貯水量が危機的だという話は後で聞いた。

1208_191_2雨が上がってきた。山から水蒸気が雲のように立ち上っている。ここから桐生まで一気に山を下る。この晩に桐生の周恩来氏と再会し、歓談した。

これで今回の良好のレポートは終わりです。おつきあい、ありがとうございました。お疲れ様。

「清末見聞録(清国文明記より)」・杭州・湖山の勝概

 我が帝国領事館は西湖のほとりにあり、美しい湖山の勝概が全て双眸の中にある。武林の山は湖を擁して、その左手は棲霞嶺(せいかれい)、葛嶺、宝石山となり、そのやや高くなった辺りの白堤に近いところに領事館がある。その右手は大慈、玉岑(ぎょくしん)、南屏(なんぺい)、龍、鳳の諸山となり、その延長が城中に入って有名な呉山第一峰となる。その左右の山々の間に杭州城があり、清波、湧金、銭塘の三門が湖に面している。白堤は脚下に見える。断橋がここに架かっていて、道は南の方孤山(ほうこざん)に通じている。朝陽、銭塘門上から出て、煙霧がようやく開けて、軽舸(けいか・小舟)が二、三水面に点綴し、その景色は絵にも描けないほどのものである。

2012年9月 8日 (土)

執行猶予付き死刑判決

 もと重慶市長で将来を嘱望されていた薄煕来氏が失脚し、それと同時に氏の妻の谷開来が英国人ビジネスマンの殺害容疑で起訴され、執行猶予二年付きの死刑判決を受けた。

 中国では執行猶予付きの死刑判決の場合、死刑が執行されることはまずない。谷開来についても多分二年の執行猶予期間が過ぎた後に何らかの理由をつけて海外に出獄することになるだろうとみられている。

 谷開来は判決の際、一切抗弁せず、全面的に罪を認めた。多分このような判決が出ることは最初から分かっていたのであろう。そもそもこの殺人事件そのものもどうもよく分からない事件である。真相は明らかにされることが将来あるかも知れない。

 薄煕来は今回完膚なきまでの失脚をしてしまったが、ある筋によれば彼は再起をほのめかしているという。もし今回の失脚が何らかの陰謀によるものであれば、あの鄧小平のように再びみたび復活するかも知れない。それだけの人物でもあるようだ。

 多分中国は最高指導者の交代の前後で、交代する前の権力者は大過なくバトンタッチをしたいだろうし、引き継いだ方はそれ以前より成果を上げるために全力投球するであろうから、今年と来年は中国人民をとことん押さえ込むであろう。その反動が来るのが2014年以降であろうというのが宇田川敬介氏の予想であった。その予想が当たるかどうかリアルタイムで日々の情報を知り、考えることが出来る。不謹慎だがどきどきする。そもそも薄煕来事件とは何か、案外遠くない先に明らかになりそうに思う。

対日感情

 あるインターネットの調査では、尖閣事件のあと、日中関係についての中国人の評価はとても良好が1.5%、まずまず良好が18.6%で、少し悪いが6割近く、非常に悪いが2割を越えたという。韓国で同じようなアンケートを行ったらまず間違いなく非常に悪いが8割を越えるだろうから、この報道の中では私は中国の一般市民の対日感情は案外悪くないとみたがどうだろうか。

 そして中国にとって日本との友好関係は重要かどうかもアンケートしたという。すると非常に重要が19.7%、重要が49.7%だった。このアンケートは八月末に行われたもので、もちろん以前よりも友好が重要だと考える割合は減っているもののまだ70%近くが日中友好は大事だと考えていることが明らかで、先ほどの対日感情についての私の感じ方を裏付けていると思う。

 だから異常な反日行動をパフォーマンスで演じているのは本当に一部のナショナリストであり、今のところはあまり深刻に考えなくてもいいのではないかと思う。ただ冷静な千人と熱狂する十人では十人の方が大衆をリードしてしまうことがあるので予断は許さないが。

シビリアンコントロール

 先ほどの記事に連続しているが、李克強首相(内定)が軍のナンバー2になる可能性が高くなった。これまで軍事委員会の幹部に主席以外で文官が就任した例はない。このことは胡錦濤が江沢民の勢力下にある軍を一部掌握し、自分の手足とも言うべき李克強を軍のコントロール役に据えることに成功しそうだと言うことだ。江沢民-習近平ラインは妥協を強いられた形だが、現下の中国状勢は軍部の暴走だけは止めてシビリアンコントロール下に置きたいと言うことで意見の一致を見たのかも知れない。人民暴動に対して軍を動員できるようにしておかないといつ自分たちに矛先が向くか分からないと言うことだろう。

報復はあるか

 野田首相が尖閣諸島の国有化を明確にしたのに対し、中国国内に日本に対して軍事的行動を起こすべきだという論調がある。中国政府はその論調を押さえ込もうとしているが、中国軍部にもその動きに同調して強硬な意見を述べるものがしばしば出てきているようだ。
 
 そのような状勢から、中国軍部の後押しがあるとされている習近平副国家主席(次期国家主席が決まっている)が、その軍部の力を楯に日本に対してレアアースの供給停止や日系企業に圧力を加えるような報復行動に出るのではないかと噂されている。

 そもそも現国家主席の胡錦濤は次期国家主席を李克強(次期首相が内定)に引き継ぐべく画策していたが、前国家主席の江沢民(中国の反日教育の強化に力を注いだ)に阻まれ、江沢民の息のかかった習近平が国家主席になることになった。江沢民は軍部に強く、習近平も軍部に強い。

 ところがここへ来て軍部(人民解放軍)の中枢の幹部が相次いで胡錦濤に釘を刺されており、軍部の勢力図が大きく変わりつつあるようだ。

 どちらにしても日本に対して理不尽な行動をすると国際社会での中国に対する信用低下につながることを胡錦濤はよく承知している。習近平が間違った判断をしないように胡錦濤が軍部に先手を打って、同時に自分の権力を維持するために江沢民の勢力を削ぎ、自分が実力を保持することを狙っている。だから中国の一部ナショナリストが期待するような行動を習近平が取ることは少なくともこれから一年くらいは無いのではないだろうか。

 中国が暴走するのはトップからではなく、下層階級からであることは過去の歴史から見てもほぼ間違いがない。その兆候の方が気にかかる。

 と云うことで、旅行のためにしばらく中国関係のニュースを取り上げていませんでしたが、これからこの二週間ばかりの報道を振り返りながらいくつか考えてみたいと思っています。古いものも混じりますが、関連が必ずあると思うものを取り上げていきたいと思いますのでよろしく。

日光東照宮

1208_128


雨の中、いろは坂を降りる。とんでもなく遅い車が前にいるので時間を食った。多分まだ免許を取って間がないのか、もともと運転が苦手なのか。ヘアピンカーブでほとんど停まってしまう。ブレーキも踏みっぱなしだ。エンジンブレーキなんてもう考えられなくなっているようだ。えんえんと車の列が出来てしまった。まあ仕方ないか。急いでいなくて良かった。おかげで下界に着いたときには雨が上がっていた。

普通に東照宮の駐車場に入れようとしたら空き待ちの車が並んでいる。少し高台の二荒神社の方に向かうと十分空きがある。二、三分歩けば東照宮に行けることを知っていればこちらの方がずっといいのに。

1208_105後ろが二荒神社。左の壁は東照宮を囲む石垣。

1208_106東照宮入り口脇の五重塔。

1208_107入り口の鳥居。

1208_109東照宮山門前の賑わい。

1208_122東照宮のハイライト、陽明門。

1208_129陽明門。

1208_131眠り猫。そんなにたいしたものとは思えない。

1208_117見猿言わ猿聞か猿。

1208_138有名な鳴き龍のあるところ。若い坊さんが説明をして拍手をしてみせる。見事に殷々とした響きを聞かせてくれる。しかし説明がくどくてうんざりする。名調子過ぎるのも嫌みなものだ。勝手にこちらに拍手させてくれる方がよほどありがたい。

























竜頭の滝

滝の写真が似たようになってしまうのは撮影者の技術が未熟だからか。高いところから一気に轟音と共に落ちる滝と、大きな岩を嘗めながらその段差を一気に駆け下りていく滝がある。湯滝は前者で竜頭の滝は後者だ。竜頭の滝の上段から中禅寺湖に近い一番下まで500メートルほどを滝に沿って遊歩道を歩いた。高低差は100メートルもあるだろうか。ただし滝と違ってこちらは車を停めた場所までもう一度登らなければならない。

1208_80竜頭の滝のほぼ最上段に架かる橋の上から。前方はるかに光る湖面は中禅寺湖である。

1208_83渦を巻いて暗がりの向こうの奈落に一気に注ぎ込んでいる。

1208_84中段部分。

1208_92しぶきを常に浴びて緑したたる対岸の草木。この樹の下闇がいい。

1208_98最下段の部分。正面側には観瀑台のような茶店がある。しかしここの滝の迫力はいまいちである。

このあと本命の華厳滝に向かったが、突然の驟雨。駐車場への入り口も行列になっているのでパスした。見飽きた人には幸せなことである。

「清末見聞録(清国文明記より)」・杭州・洪宸橋

 洪宸橋(きょうしんきょう)は杭州城の北およそ二里にあり、滬(こ)・杭及び蘇・杭通いの汽船発着所である。中国街に次いで、各国の租界があり、これに次いで河の下流に我が国の専管居留地がある。蘇州と同じく二十七、八年(日清戦争)戦役の結果、獲得したものである。中国街は烟花の巷で夜ごとに歌声や楽器の演奏で賑やかである。これに続く各国の租界には税関を首として大厦高楼が建ち並んでいるけれど、我が国の租界にはわずかに大東の社宅倉庫、郵便局及び警察署が淋しげに野原の中に立っているのみでいまだ道路さえ整備されていない。その中に邦人用のテニスコートがある。居留地のこのあたりで雉が捕れることがあるなどと云う。この地を基点として杭州城の東廓を廻り、浙江の浜、江干に達する鉄道がある。その停車場は日本の租界から最も遠い中国街にあるけれども、その租界の位置は蘇州ほど不便でもないからその寂寞な状態であるのは当局者の経営がよろしくないからだと思うが、誰かそうではないというものがあるだろうか。

2012年9月 7日 (金)

奥日光

奥日光の湯滝と湯の湖を見た。

1208_58湯滝。

1208_64湯滝のアップ。

1208_70観光客も多い。

1208_74湯の湖。フライフィッシングをしていた。

1208_76こちらにも水に入って釣りをしている人がいた。

宇田川敬介著「2014年、中国は崩壊する」(扶桑社新書)

 この本は、中国の現状分析をもとに、想定される最悪のシナリオをシミュレートしたものだ。私はこの本に書かれた分析結果についてほぼ賛同する。と云うことはこのシミュレーション結果が現実に起こりえると考える、と云うことだ。

 中国は「世界の工場」として驚異的な発展をしてきた。それは安価で豊富な労働力による要因が大きいことは誰もが認めることだろう。その労働力コストが賃金の上昇によりメリットがなくなるほど高くなれば、必然として「世界の工場」としての地位を追われることになる。

 中国は年率8%以上のGDP上昇を内外に公言して達成してきた。しかしついにその看板を取り下げた。リーマンショックやヨーロッパの金融危機を理由に解釈できないことはないが、今の見通しでは今後8%以上のGDPアップを回復することは不可能であると見られている。

 そもそも8%以上の上昇を10年以上続けることが出来たこと自体が奇跡のようなものである。それだけ中国の賃金が低かったと云うことでもある。その8%には中国の金の循環のロスのようなものが見込まれているのではないかと私(この本の筆者ではない)は考えている。中国は実態経済には現れないコストがある。たとえば橋を架けるための予算が100億円なら、工事の資材と人件費、そして工事会社の収益など、実際の経費は80億円、残り20億円はどこかに吸い取られる(この割合がひどいときは半分に及ぶという極端な話もある)。この消えていく分を織り込まなければならない中国の経済システムそのもののコストが、社会のひずみを生み、一般大衆の不満のもとにもなり、しかもおりあらば自分もそれにあずかろうという我欲の心理、精神の荒廃の原因を生み出している。それは中国に進出した外国企業にとってもコスト以上に多大なストレスになっている。自国の本社に説明することが困難な経費だからだ。

 8%の上昇勾配というのは、だからある意味では中国にとってのデッドラインでもある。この分岐点を超えてしまうと中国経済は崩壊する、と云うのがこの本の指摘である。その社会的背景が具体例も含めて詳細に説明されている。

 この本の冒頭では尖閣問題についての中国の失敗が中国の大きな蹉跌を招いたと指摘している。この本は4月に書かれている(出版は6月)ので、香港の活動家の尖閣強行上陸には当然触れられていない。漁船が海上保安庁の船に体当たりしたあの事件のことである。

 確かにあの事件のあと、世界中が中国に警戒感を抱くようになった。中国に対するカントリーリスク評価が大きく変わったのである。東南アジアも中国から距離を置く姿勢に変わった。

 中国のなりふり構わない資源外交や、尖閣周辺の資源あさりについてのからくりがこの本を読んで非常によく分かった。著者の云うとおりだとすると、中国政府は新疆ウィグル自治区やチベットで現地の民族を弾圧してでも、そして環境を破壊してでも資源をあさり尽くさなければならない理由があったのだ。

 日本など普通の国家では国家の税収を基準にして通貨を発行する。もちろん中国も勝手に人民元を発行しているわけではない。しかし中国は独自の基準で通貨を発行しているという。中国は共産主義国家であり、全ての資産は基本的に国家に帰属する。土地はもちろん資源なども、そして生産された製品などの財も全て国家の資産である。中国は新たに組み込まれた資源を資産の増加として計上し、それをもとに人民元を発行しているのだという。中国のニュースを見ているとやたらにどこそこで天然ガスが何万トン見つかった、レアアースの鉱脈が新たに何万トン見つかったなどというのが発表されている。それら全ての累計が新たな人民元発行の元手なのである。だから少しくらい周辺と摩擦を起こしても、時には簒奪してでもその国家資産への計上は人民元発行につなげることが出来る。そうすることで人民元を常に安いレートで維持し続けることが出来るから輸出についても極めて有利に進めることが可能となっている。システムが根本的に違うのだからアメリカや他国が人民元のレートが安すぎる、と云っても何の解決にもならない。そして中国はそのシステムを変えることなど今の大勢では不可能なのだ。

 ところがその資源にも限界が生じ始めているし、土地のバブル崩壊を食い止めるために取った方策は土地の資産価値を下げる方向、つまり国家資産の減少に他ならないから、当然通貨供給に影響が出てくることになる。尖閣を戦略的な意味と同時に資源の確保の意味でも目算していた中国はここで躓いたとみるわけである。

 しからば中国崩壊とは何か。それを中国人民の構成から見る。中国にはエリート層である共産党員約一億人がいる。特権階級である。そして都市部に住む、一般市民約三億人がいる。そしてそれ以外は下層階級である。そして三割強の人たちが豊かな中国を満喫し、税金も納めている。下層階級の農民と肉体労働者たちは税金を払う必要がない代わりにその改装から這い上がることがほとんど不可能な仕組みになっている。この仕組みは今更出来たものではなく、中国古代から連綿と続いてきたものである。

 そして今年間10万件と云われるデモや争議を起こしているのはこの下層階級の人たちであり、この人たちの動向が今までの歴史で社会の変革を起こしてきた。そして今回の尖閣問題の反日行動をきっかけに騒動になりそうな事態をなぜ政府が押さえ込もうとしているのか。社会の不公平感でたまってきた暴発のエネルギーを中国は毎年8%以上の右肩上がりの経済発展を約束することで何とか凌いできた。それがその約束が果たせなくなったのだ。中国の崩壊を現実のものと考えておくべき時が来ている。今こそ毎日の中国のニュースを注視すべき時なのだ。崩壊のシナリオについてはこの本を読むべし。これは対岸の火事などではない。東日本大震災どころではない大津波が押し寄せてくるかも知れないのだ。

蔵王

1208_53蔵王のお釜、アップ写真。

花巻から東北自動車道を南下、山形道への村田ジャンクションのすぐ先、村田インターで降りて宮城県側から蔵王エコーラインを行く。凄い勾配の上り坂だ。道もエコーラインなどとしゃれた名前のくせにあまり広くない。ただ、無料なのがうれしい。

1208_3大黒天という遠刈田(とおかった)岳への登山口にある見晴台。霧が出ていた。

1208_8_2登山口から霧の中を少し登ってみた。熊出没注意の看板が下がっている。

1208_19_2霧が一瞬だけ晴れた。十分ほど登ったところから引き返した。昔は蔵王を縦走して最後にこの道を降りてきて今回車を停めた辺りからバスで帰った。

1208_23_2上の建物が遠苅田岳の山頂の神社。画面右手の急斜面を降りると蔵王のお釜である。霧が晴れてきた。

1208_36_2ようやく霧が晴れて瑠璃色の湖面が姿を現した。

1208_38少し引いて周辺までの景色も。ここではかなり歩いて登り降りして写真も撮ったがキリがないのでこれまで。かなり日差しが強かったが、さわやかな風も吹いていて大きな石に座って湖面を眺めていると気分爽快である。春はこの辺は雪だらけで、かなり勾配のきついところをブルーシートを尻に敷いて滑り降りたりした。恐怖感と滑る快感とで笑いが止まらなくなった。



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佐伯泰英著「正宗遺訓」(幻冬舎時代小説文庫)

 酔いどれ小籐次留書シリーズ最新作、第十八弾である。
佐伯泰英はシリーズをたくさん書いていて、どれも面白いのだが、この人の本だけ読むわけにはいかず、このシリーズと居眠り磐音のシリーズの二つだけを買って読むことにしている。読むより書く方が早くてどれも面白いという希有な作家なのだ。多分他のシリーズを愛読している人も数多くいることだろう。

 主人公の赤目小籐次は、五十過ぎの、物語の時代なら初老と云われる年代の、背も低く足も短く(足が短いとは書かれていないが)顔はモクズ蟹みたいな男である。それが天下の美女であるおりょう様に慕われて事実上の夫婦でもあると云うまことに大人の男のおとぎ話なのである。
 
 今回は長屋の空き部屋から見つかった黄金の根付けをめぐっての物語が縦筋となっている。冒頭の大雨続きによる江戸の町の難儀の様子が、当時の風俗と共に描かれていてまるで眼前に見るようだ。長屋のその日暮らしとはどんなものかが実感として胸に響いてくる。

 赤目小籐次はもちろんただ風采の上がらぬ初老のじいさんではない。父譲りの来島水軍流の使い手で向かうところ敵なしであり、そして桁外れの酒豪でもある。時に三升入りの大盃を一息に飲み干す(あり得ない)。もちろん気は優しくて力持ち、照れ屋で偉ぶるところや人を押しのけるところなど少しもない。だから長屋住まいで長屋の皆から好かれると共に、ときに水戸公とも親しく言葉を交わす間柄でもある。おとぎ話という所以である。

 黄金の根付けをめぐってはやがて伊達公にかかわる事件に発展し、場合によっては伊達藩を挙げて赤目小籐次を討つという事態になりかねないところまで行くが、それを奇貨としてもう一つの難題を共に解決するというめでたしめでたしと云う一席であった。

「清末見聞録(清国文明記より)」・蘇州・霊巌山

 霊巌山は府の西南二十五里にあり、山中の石は硯材(けんざい・硯用の石)とすることが出来る。よって硯石山(けんせきさん)といい、また山中に石鼓があるのでまた石鼓山(せっこさん)ともいう。すなわち呉の館娃宮(かんあいきゅう)の故址である。「図経続記」に呉人は美人を呼んで娃と称するので宮は西施によってこの名となったのであろうとしている。
 十里ほど行くと横塘(おうとう)を過ぎる。崔顥(さいこう)が詩に妾住在横塘と云ったのはここであろう。行く行く横山の麓を過ぎる。山中に陸運の墓があると云うけれども何処にあるかはっきりしないと「図経続記」に記されている。
 道の傍らの茅屋には各家ごとに農事の暇を、女という女が七、八歳の幼きに到るまでことごとく刺繍をしている。そして畑には見渡す限り桑を植えている。蘇州が絹織物で名高いのも宜なるかな、である。もし船で行くならばそこに上陸すべし、と云う木得鎮(もくとくちん)を左に見て、やがて霊巌山に達する。蘇州からここに至るまでおよそ二間幅の道路は一面に煉瓦を敷いてある。ここは南御道といい、乾隆帝が南巡の時に修理させたもので、北御道は蘇州から楓橋を経て天平山に達する。
 山上には崇報禅寺があり、晋の太尉の陸玩が自宅を捨てて寺とした。右に九重の高塔があり、蘇城からはるかに望見したのはこの塔である。左には小池があり、石橋を架けている。さらにその西に到れば周囲十余間ばかりの蓮池があって、その後ろに二つの井戸がある。一つは八角形で、一つは円形である。「図経続記」に書かれている日月池、硯池、浣華地、あるいは「姑蘇新志」に書かれている呉王井などはこれらであろうと思うが、尋ねる人もいない。おりから円い井戸の傍らで眠っていた鹿が驚いて山をはせ下り、たちまちに姿が見えなくなった。
 これより崎嶇(きく・起伏がある状態)たる岩道を過ぎて琴台(きんだい)に至る。岸壁の上に琴台の二字を刻してある。西施が花晨月夕(かしんげっせき・花の春に月の秋)をここで琴を弾じたのをもって琴台と名付けられた。年所を経ることはすでに久しく、館娃宮(かんあきゅう)の昔はもはや偲ぶよすがもない。私たちは琴台に腰を下ろして携えてきた弁当を開き、座ったまま江山の大観を縦覧した。朝からの煙霧もようやく晴れて、西南七子山と胥山との間から遠く煙波渺茫、去来の白帆を浮かべているのが望めるのは太湖である。昔范蠡(はんれい)が舟を浮かべて去ったという五湖、李白の詠んだ西江はすなわちこれである。七十二峰がこれを囲繞し、翠黛濃淡さながら絵に描いた如し。この眺めはたとえば比叡に登って琵琶湖を俯瞰するが如しである。顧みて東北を見れば蘇城の連なる甍は眼下にあり、たとえば四明の頂から京を望むが如し。独り自然の風物の互いに似ているばかりでなく、州に美人が多く、遊興の巷の盛んであることもまた京都に似ている。山腹に西施洞がある。

 これで蘇州が終わり、杭州へ移る。

2012年9月 6日 (木)

宮沢賢治

花巻に宿泊するので郊外にある宮沢賢治の記念館と童話館を訪ねた。

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1208_180童話館入り口。

1208_181入り口横の星座を現すもの。

1208_184館内は撮影自由だが、とにかく暗い。イメージは膨らみやすくて展示物も魅力的なので肉眼で楽しんだ。

1208_200宮沢賢治記念館。入り口で猫が受付係をしている。こちらは撮影禁止。

1208_197山猫軒。例の注文の多い料理店である。レストラン兼土産物の販売店。ここで友人へのささやかな土産を購入した。

中尊寺

1208_140中尊寺月見坂。かなりの勾配でえんえんと登る。息は切れるし猛暑で汗も噴き出す。シャツは汗でぐっしょり。

1208_143弁慶堂。坂の途中にある。

1208_144このような杉の大木が両脇に並んでいる。木陰なのだが風がないので涼しくない。

1208_149本堂の山門。ここが坂の頂上。

1208_153本堂で法話を聞いている人が見えた。中は少しは涼しいのだろうか。

1208_157このように緑が豊かである。

1208_161芭蕉の銅像。

有名な金堂には今回初めて入った。残念ながら写真は撮らせてもらえない。それに写真を撮りたいような代物でもなかった。それよりもクーラーがよく効いていたのがありがたかった。

毛越寺

田沢湖高原の温泉宿、どんぐり山荘に泊まり、翌朝平泉に向かった。まず訪ねたのは毛越寺(もうつうじ)。ここは中尊寺に匹敵する大きな寺だったのだが、現在庭園、特に池が残っているばかりである。その池がすばらしい。それが見たかったのに、東日本大震災による破損の修理のために水位を大幅に減じていて本来の姿ではない。

1208_105どんぐり山荘。温泉である。

1208_111毛越寺の庭園。ごらんのように水が少ない。中央の人は庭園を補修している。

1208_127_2池の反対側から山門の方向を見る。

1208_139_2立つ位置によって千変万化する。早く通常の状態に戻って欲しい。

このあと中尊寺に向かった。

「清末見聞録(清国文明記より)」・蘇州・虎丘

 寒山寺から転じて隴圃の間を過ぎ、虎丘に到る。虎丘は府の西北七里にあり、一名海湧山と云う。山上に呉王闔閭の冢(ちょう)があり、伝えるところによれば近隣五郡の人およそ十万人を徴発して冢を盛り上げ、銅の廓壁を三重にして、水銀で池を作り、金銀を坑としたという。三日を経て白虎となり、その上に踞ったので虎丘というのだそうだ。秦の始皇帝が東巡してこの地に来たとき、冢をあばいて呉王の宝剣を求めようとした。虎が墳に踞っていたので始皇帝が剣でこれを撃とうとしたが及ばず、誤って石に当たった。遺跡は今も残っており、呉王の剣は得ることが出来ず、その跡は池となった。よって剣池という、と唐の陸広微の「呉地記」に記されている。
 山門を入れば、中に明永楽十二年の虎丘雲巌禅寺修造記及び正統十年の虎丘寺重建記がある。寺は晋王珣(じゅん)及び弟珉之(びんし)の別邸であったのを咸和二年に喜捨して寺とし、東西二寺を置いたのが始まりで唐の会昌の時代に合して一つとなり、宋大中祥符間に名付けて雲巌寺となった。碑の辺りからやや上りになる。の右に試剣石がある。石は中断されていて草がその間から生えている。すなわち始皇帝が虎を切ろうとしてこの石に当てたのである。次に古真嬢墓がある。嬢は呉国の美人で南京の莫愁、杭州の蘇小の如くに後の遊客才子の詠に入る。次いで千人石(せんにんせき)に到る。その広さは千人を座らせることができると云うことで名付けられた。その中央に高座があり、高僧の竺道生が石を並べて聴聞の衆生とし、経を説けば石が皆頷いたというのがここである。台上に明暦年間に建てられた経幢(きょうとう)がある。また二仙亭があり、中に呂祖及び陳希夷の像を刻してある。顔魯公の書と称する虎丘、剣池の二碑がその傍らにあり、剣池は横二間縦五間ばかりある。したに清泉をたたえ、上に石橋を架けている。石橋を渡れば虎丘の頂上に七重の高塔がある。この塔は隋の仁寿元年の創建である。初めて地を掘って基礎を築こうとしたとき、舎利一人を得た。その時空中に音楽が聞こえ、穴が吼えること三日、人はこれは闔閭の霊であると噂した。今の塔は明の正徳年間に再建されたものだが傷みがひどくて登ることは無理であった。

2012年9月 5日 (水)

大阪へ

 暑いですね。

 友人二人と久闊を叙するためこれから大阪へ出かけます。土産は旅の話だ。一泊で帰るつもりなので手ぶらで行く。このブログは明日帰ってきてから更新する予定です。

角館・青柳家

角館には公開している武家屋敷がいくつかあるが、全て見るのはたいへんである。目についた青柳家を拝見することにした。邸内はたいへん広く、見所も多い。駆け足で目にしたところの一部を写真にした。行かれた方は皆そのボリュームと内容に満足すると思う。

1208_31邸内案内図。広いのだ。

1208_37_2武器蔵には刀や槍、鎧兜など大量に展示されていた。その一部、得に好きな日本刀。

1208_39_3ただの井戸だが雰囲気がいい。

1208_42_3蔵書とレコードのコレクション。レアもので指揮者や奏者のサイン入りが多い。

1208_44_2エジソン、とある。

1208_45昔の蠟管レコード。

1208_49_2樺細工を実演。

1208_52どてら・かい巻きともいう。夜着(ふとん)である。

1208_59_2藍染め。販売もしている。刺し子をしているものもある。

1208_67徳川慶喜。

1208_70_2レアもの。海外ではこういう写真が珍重されたという。

1208_75ピストルを持つ武士。他にもたくさん写真が展示されていた。

1208_77このレトロな喫茶コーナーで氷イチゴ(果肉入り)を食べた。








「清末見聞録(清国文明記より)」・蘇州・寒山寺

 寒山寺は楓橋から四、五町の鎮の裏手にある。もし「楓橋夜泊」の詩を誦すれば、孤舟廬荻の間に停泊した舟にいて、煙波蒼茫とした彼方、鬱蒼とした森の間から、隠隠とした鐘の音が波を渡って聞こえてくる様が想像されるけれども、川は蘇州から鎮江に通じる幅員およそ七、八間の運河で、寒山寺は橋からわずか四、五町、繁華街の中にある。詩が私を欺くこと、はなはだしいものがある。
 寒山拾得の遺址であるこの寺も、数年前は見る影もなく荒廃して、文徴明の筆になる「楓橋夜泊」の詩碑も、草茅の間に没していたのを時の江蘇巡撫端方氏が、日本人が姑蘇に来ると必ずこの寺に遊ぶと聞き、新たに造り直したものだとのことである。詩碑は好事者のために打ち欠かれては持ち去られ、二十八字中判別できるものは六、七字に過ぎない。回向院中の碑と同じく、そんなものを持ち帰っても何の御利益もないのに苦々しい限りである。光緒丙午愈樾(ゆえつ)は新たに詩碑を建て、碑陰に考証を附して、張継の詩の句中、江楓の漁火とあるのは甚だ解釈に苦しむもので、宋本には江村とある、意義は妥当であり、これをもってして宋本の値打ちが分かる、としている。

Dsc_0006寒山寺入り口。中にけばけばしい仏像がある。

Dsc_0018これが寒山寺の鐘だそうだ。

Dsc_0030_2再掲。楓橋夜泊の詩碑。なんたることか、江楓漁火とある。寒山寺は今も日本人に大人気で、蘇州と云えばここに必ず寄るそうだ。あまり見るほどのものはない。ところで私も江楓漁火で記憶していた。

2012年9月 4日 (火)

角館

盛岡から秋田の間に角館がある。そのたたずまいをテレビで見て一度は行きたいと思っていた。

1208_27駐車場から武家屋敷の通りに向かうとそこに人力車がいた。

1208_81この通りのたたずまいは印象的だ。来て良かった。

1208_63猛暑の中、蝉時雨に樹を振り仰ぐとミンミンゼミの姿を見つけた。

1208_30いくつか公開されている武家屋敷の中からこの青柳家を見せて戴くことにした。とても広くて見物(みもの)も多かった。青柳家については次回でたっぷりと。










石川啄木記念館

盛岡郊外の石川啄木記念館を訪ねた。

1208_7記念館の建物の中の入口。手紙や自筆の原稿、年表や本が展示されている。

1208_9有名な石膏像。

1208_10たくさん手紙があるが、これは借用証。一(はじめ)は本名。これは小額だが数十円の借用証もたくさんある。明治三十九年と云えばまだ代用教員として渋民村に居た。三十八年に節子と結婚している(今の満年齢ではまだ19歳であった)。

1208_13庭のブロンズ像。青雲の志を抱いて田舎に鬱屈していたであろう彼が、子供たちとこのように優しく接していたとは思えない。

1208_14移築されている旧渋民小学校。

1208_21二階の教室風景。

1208_25自筆の詩碑。

石川啄木はこの渋民村から函館へ、そして札幌、小樽、釧路と北海道内を転々としたあと、東京に出る。朝日新聞の社員となって妻子を呼び寄せるが、明治45年、わずか27歳で死去。妻節子が死んだのは翌年の大正2年であった。

田老町

津波で甚大に被害のあった田老町(宮古市)。

1208_185堤防からもとの田老町の町並みがあった辺りを望む。

1208_187国道45号線に立っている。この道路の両脇に商店街があり、郵便局があった。

1208_190破壊された堤防。左手は残っているが、右手は所々しか残っていない。

1208_192この辺りのどこかに民宿があったはずなのだが・・・。

この景色に茫然自失、まともな写真が一枚もない。なんだかじっとしていられないような気持ちになってしまった。

熱い大学生

 日本では、勉強する気があって、高望みをしなければ、ほぼ間違いなく大学に進むことが出来る。勉強する気なんかなくたって進学できる。だから大学への進学率は昔の高校への進学率のようである。

 それに比べて中国ではまだ日本より大学への進学率は高くないので、かなり競争が厳しく狭き門であり、半端な勉強では入ることが難しい。だから日本の学生の何倍も勉強しているしレベルも高い。

 その大学生の就職率が、不況と云われて久しい日本の平成24年度でも90%を越えているのに、中国では70%以下だという。苦労した分だけ良い就職先に就職したいと云うことで、就職先の選り好みをしている点があるにしても、これだけ失業率が高ければ中国の学生たちが社会に不満を持つのは当たり前だろう。

  そもそも社会にはホワイトカラーの需要は一定の数だけしか必要ではない。中国ではその需要はもうほとんど満たされている。日本ではブルーカラーでも特に差別感なく就業する大学生が普通だが、中国では大学を出てブルーカラーに就職するのを恥とする差別意識が強い。努力したのだからホワイトカラーになるのが当然と思い、親類一同もそれを期待する。

 努力しても報われない社会は不満のエネルギーがたまりやすい。尖閣問題へのデモにエキサイトする熱い学生たちはまさにそのような不満のエネルギーを全身にため込んだ者達だろう。

 すでにバスに乗った者達だけがいい目を見ている。その上やりたい放題である。バスに乗れない者達の不満は反日の衣を纏っているが、その標的はどこにあるか中国政府はよく承知している。尖閣問題は口実だというのはそういう意味であるようだ。

薬研温泉

これからしばらく旅行の写真を時系列で掲載します。他人の写真なんか見たくない人もいると思いますが、見て良かった、参考になったというものが一枚でもあるようにしたいと思いますのでよろしくお願いします(いつも思うことですが、よろしくお願いします、と云うのは便利な言葉です)。

1208_135奥薬研温泉にカッパの湯、というのがある。えらい坊さんが山の中で道に迷い、行き倒れになりかけたときに大きなフキの葉っぱを傘にしたカッパに助けられたと云ういわれがあるそうだ。その銅像の前でぼんやり見ていたら突然噴水が噴き出してびっくりした。ただの銅像だと思っていたのだ。

1208_139銅像は結構大きいし、カッパの顔はリアルである。

薬研温泉は下北半島の山の中、恐山から西北の方向にある。深い緑の中をどこまで行くかと云うほど奥深くに入っていく。キャンプ場としても有名だそうだ。

1208_154カッパの湯から五分ほど山に入るとヒバの調査育成林がある。ヒバは靑森に特に多い樹だが、ここでは各県に自生するヒバが比較のために植えられている。線路は昔材木を切り出すときに使用されていた山林鉄道の跡である。これをたどるように一周五キロ弱の遊歩道になっている。

1208_156ご存知でしょうがこれがヒバの木です。

1208_160奥薬研温泉と薬研温泉のあいだに薬研渓流の遊歩道がある。500メートルほど歩いてみた。

1208_161これも薬研渓流。

1208_178これが薬研温泉・薬研荘。名物女将の居るところ。朝早くから山に出かけてしまい写真は撮れず。これを見たらえらい宿に泊まることになった、と思ったのが分かるでしょう。ところが中はぴかぴかに磨き上げられていてとても居心地がいい。逆のところが多い時代に珍しい。

1208_171夕食。品数も多くてとても美味しい。鍋はキノコ十種類がたっぷり入ったもの。お腹がいっぱいになる。

1208_176御飯は古代米。香ばしくてやや甘い。うまい。これで薬研温泉は終わり。

帰宅

 11日間の東北旅行が終わった。走行距離・約3500キロ、ガソリン270リットル、燃費約リッター13キロの旅であった。峠越えの多い旅だったからこんなものだろう。今までの旅で最も長距離(北海道は往復フェリーだったから走行距離はこんなにない)だった。
 
 昨日は帰宅してとにかくまず洗濯、毎日汗をかいたから大量の着替えを持って行った。干す場所がないほどだ。そして食料の買い出し。

 連日人の作ったものを食べていたけれど、これからは自分で全て献立から考えて作らなければならない。控えようとも思ったが、ささやかに祝杯をあげ、たまっている録画した映画をブルーレイにダビングしているうちに風呂にも入らず眠ってしまった。

 写真の整理をして一息入れたらまた5日には大阪の友人たちに旅の話をしに行かなければならない。そして今度は友人たちと行く次の旅の打ち合わせもしなければならない。忙しいのだ。

「清末見聞録(清国文明記より)」・蘇州・楓橋

 次いで西園戒幢寺に到る。五百羅漢がある。近来の作のようで見るに足りるものではない。ここから路は運河に沿って通じ、路には煉瓦を敷いてある。左右の荒野は往時は人家が櫛比していた遺跡と覚しく、随所に瓦磚(がせん・共に瓦)を発掘している。
 行くことおよそ四里にして楓橋鎮に達する。呉門三百九十橋あり。張継の夜泊の詩で我が国の人々によく知られている楓橋は、この辺りには珍しくはない穹窿形(きゅうりゅうけい)の小橋で、鎮の西端鉄鈴関(てつれいかん)外にある。これも髪賊の乱で焼失したが、同治六年に再建されたものである。

*楓橋夜泊  張継

  月落ち 烏啼いて 霜天に満つ
  江村(楓)漁火 愁眠に対す
  姑蘇城外 寒山寺
  夜半の鐘声 客船に到る

Dsc_0030寒山寺にて。

Dsc_0033_2蘇州の運河に架かる橋。楓橋がどれか知らない。

2012年9月 3日 (月)

富弘美術館

 昨日、桐生の周恩来氏に会うために山形から桐生に向かった。朝早く出たので途中、宇都宮から日光自動車道で日光に寄った。雨が降ったり、晴れたりと天候がめまぐるしく変わる。滝好きとして久しぶりに湯の湖のそばの湯滝を眺め、とって返して竜頭の滝を上から下まで歩いた。見終わる頃に雨が降り出した。華厳滝の前に着いた頃には激しい降り方になっていたのでここはあきらめた。雨の中、いろは坂を降り、東照宮に着いたら雨は降っていない。駐車場のおじさんが濡れた車を見て「どこから来たんだ」と聞く。中禅寺湖は土砂降りだった、と答えた。東照宮も久しぶりだ。外人さんを含めてさすがに観光客が多い。

 日光から桐生には、宇都宮に戻らず銅山で有名な足尾を通っていく抜け道がある。信号も少ないし高速ではないので金もかからない。足尾銅山は昭和48年に閉山しているが、その跡が観光洞になっている。鉱夫たちの乗ったトロッコ列車に乗って鉱洞まで行く。中はとても涼しい。寒いくらいだ。中は総延長1200キロもあると云う。とてつもない距離だ。中には等身大の鉱夫の人形たちが置かれていて、弱い光でライトアップされている。足尾も石見銀山のように世界遺産を目指しているそうだが、鉱山だけでは少し弱いようだ。

 足尾から桐生に向かう。快適な山路だ。途中の草木ダムでも見ていこうと思っていたら前を走っていた車が次々に「富弘美術館」の駐車場に入っていく。なんだろう、と思ってついて行った。

 星野富弘という人をご存知だろうか。私はまったく知らなかった。この人の作品を展示している美術館である。入館料を払って、変わった開き方をする自動ドアから中に入る。

 展示されている作品を見た瞬間、しまった、と思った。いわゆるヘタウマの絵に詩が添えられた、相田みつを風の作品が並べられているのだ。好みの問題であるが私は相田みつをの詩画や武者小路実篤のあの茄子やら南瓜やらの絵が嫌いだ。そんな絵をうれしそうに掛けている飲み屋などはなるべく行かないようにするくらいだ。

 初期の作品から時系列に並べられた絵を一つずつ見ているうちに引き込まれた。いつの間にか夢中で見ていた。下手そうに見えるのはあたりまえで、この人は事故で頸椎を損傷して首から下が完全に麻痺してしまった。だからこの絵は全て口で書いたものなのである。そして口でもこれだけ上手にかけますよ、と云うような気配は微塵も感じさせない、対象を真剣に見つめる眼と心がそこにある。これは正岡子規が病床で「写生」を唱えヘチマを描いた絵に近いかも知れない。この人は自然のすばらしさ、玄妙さを心の底から感じていることがこちらにも分かるのだ。

 夜、桐生の周恩来氏と再会を祝し、夢中で話をしていたのだが、酔っている上に興奮していて何を話したかよく覚えていない。


 周恩来さん、おかげさまで昨日は楽しかったです。ありがとうございました。また来ますのでよろしく。

「清末見聞録(清国文明記より)」・蘇州・留園

 塔を下り閶門(しょうもん)を出る。閶門はまたこれを破楚門という。楚の春申君がこの名前を嫌ってその名を改めた。烈士要離(ようり・呉王僚の息子慶忌を暗殺した)、高士梁鴻(こうりょう・後漢の人、妻の孟光と共に有名)の墓は相並んで閶門内にあると「呉郡図経続記(ごぐんとけいぞくき)」に書かれているけれども今はどこにあるのか分からない。
 ここから三里のところに留園に到る。池を鑿ち石を累ね、亭榭(ていしゃ・あずまや)をその間に点綴し、白鶴を竹林の傍らに畜(か)う。園中に愈曲園が撰した「留園記」がある。この園はもと劉君蓉峰の寒碧荘であった。髪賊の乱で蘇州の城内はもちろん、荘の付近もことごとく兵火に遭ったけれどもこの荘だけが独り残った。のちに盛宣懐氏の手に帰することになり、改めて留園と称する。留と劉とで音が通じると云うことでもと劉氏の園であったことを記念すると共に、独り兵火の中で残存したことを記念するとのことで、すこぶる月並みなものである。 

2012年9月 2日 (日)

恐山③

恐山のメインの風景をいくつか掲載する。恐山はこれで終わり。

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1208_107点々と見えているのは賽銭として投げられたお金。吹き出した熱気で焼けて変色している。

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1208_118賽の河原を思わせる。

1208_122宇曽利山湖。どういうわけかこの方向だけいつもこのようにどんより暗い。

1208_123湖の中にこのように硫黄混じりの湧き水が吹き出している。

1208_131このように空は晴れていた。ものすごく暑い。

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恐山は硫黄の臭気が立ちこめ、大地がむき出しの原初の風景を思わせるもので、異世界に居る心地がする。確かに何かとつながっている。

仲良く出来るとは限らない

 無縁の人とは縁がないから、仲良くしなければならないという観念は起きない。人類皆兄弟と云うのは空論だ。そして人は関わりがあり、互いに利害関係が生じる相手には当然気を遣う。そのような相手とは仲良く出来れば仲良くしたい。気遣いの苦労が些かでも緩和されるからだ。

 隣人は目障りで、好むと好まざるとにかかわらず常に気を遣わなければならない相手だ。そのストレスが蓄積するからわずかの言動が増幅されて感じられる。仲良く出来ればそれに越したことはないが、肉親に近い距離感にありながら肉親ではないから我慢しかねることもたびたび起きる。仲良く出来るとは限らない。いや、隣人と仲良くするのはほとんど不可能だと思う。世の中には仲良くしている隣人同士をしばしば見かけるが、あれは一時的な宥和関係とも云うべきもので、常態ではない。

 一番良くないのが、隣人とは仲良くしなければならない、と云う強迫観念であろう。隣人とは最も仲良くするのが難しいものであることを承知しておくのが肝心だろう。仲良く出来なくても当たり前だと考えればいいのだ。ときどき行き違いが生じて感情的になるのは当然なのだ。

 もちろん仲良くしようと努力することを否定するものではない。その努力がなければそもそも良好な関係を築くことは難しいからだ。ただ努力すれば必ず仲良くなれるとは限らないのが人間関係だと云うことだ。

 話せば分かる、話し合いましょう、とか、人は必ず友達になれる、と云うことを前提に世の中を見ている脳天気な人が日本人には多すぎる。人は話しても分からないもので、人はそう簡単には友達になれないものだと知ることから、会話が始まるし、友好を築こうと努力することが出来るのだと思う。

「清末見聞録(清国文明記より)」・蘇州・北寺塔

 玄妙観の北数町、蘇城の北壁の近くに報恩寺がある。三国時代の呉夫人の創建したもので、寺中に九重二十余丈の高塔がある。俗に北寺塔という。塔の最高層に登れば、蘇城の千門万戸全てが脚下にあり、はるかに西南の連山に対する。左手に高塔があるのは上方山で、獅子山と七子山がこれに連なる。右手に高塔があるのは霊巌山で、陽山、天兵山がこれに連なる。上方山の左方に波光が明滅するのは石湖で、朧に霞んでいるので太湖までは見えない。顧みて北の方小丘上に高塔が見えるのは虎丘である。その間沃野が遠く開けているけれども、草樹はまだ芽吹いていないから、菜黄麦緑が錯綜する佳観は見られず、ただ溝渠が縦横に平地を画しているのが見えるばかりである。

恐山②

1208_88恐山本堂横の風景。

1208_91正面手すりのような細い道を山の中に入っていくと不動明王がある。前回パスしたところだ。

1208_99不動明王。像は稚拙だが迫力がある。

1208_101不動明王の横の木に掛かっていた千羽鶴。その上の手ぬぐいのようなものが人間くさくて何となく不気味。

1208_103山から見下ろした風景。右奥に除いているのが宇曽利山湖。













2012年9月 1日 (土)

恐山①

恐山は二回目。この景色は何回見ても凄い。

1208_62まず恐山の手前、宇曽利山湖。不思議な杭が湖の中央に向かって続いている。水は透明。所々硫黄を含んだ湧き水で黄色いところがある。

1208_66奪衣婆(だつえば)。地獄の入り口で身ぐるみをはぐ鬼である。

1208_74六地蔵。亡者を救ってくれる。恐山の入り口横にある。とても大きい。

1208_78これが恐山への入り口。この世とあの世の境目だ。

1208_79正面が山門。その奥に本堂がある。

1208_80恐山山門。左手に奇怪な風景が広がっているが、それは次回。

1208_81山門の手前のお地蔵様。この風車が独特の風景となっている。

三内丸山遺跡


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三内丸山遺跡のシンボル。思っていた以上に大きい。

 これからしばらく時間を遡って26日から撮りためた写真を何回かに分けて紹介します。今回は青森県の三内丸山遺跡。期待以上にすばらしいものでした。パスしたものもいくつかあるのでここは再び見に来たいと思っている。ただし涼しい時期にしたい。

 この日は八時過ぎに靑森駅近くのホテルを出発、遺跡に着いたのは八時半になる前だった。遺跡に入るには縄文時遊館という建物(なんと無料)の入り口から入るようになっている。その開館時間がなんと九時なのだ。入り口の前の椅子で二人のおじさんが待っている。八時から待っているという。「待っていると時間の経つのが遅い」と一人のおじさんが真理を述べた。東京からバイクで来ているという。スイスのアーミーナイフ(ちょっと大型のもの)のナイフを開いたり閉じたりしている。落ち着いてください。

1208_3時遊館入り口。

1208_7待ちくたびれているおじさん。

 待ちくたびれた頃、九時二分ほど前に扉が開いた。

 館内には遺跡についての説明資料や、シネマ館などいろいろある。外は暑かったが中はクーラーが効いていて涼しい。廻廊を通ってようやく遺跡が待つ広場へ向かう。

 最初に林のなかの調査発掘中の場所を見に行く。暗いし地味な場所なので写真は割愛するが是非見ておきたいところだ。

1208_34これは高床式の倉庫のようだ。ガイドについて歩くといいのだが、時間が限定されているしおばさんがぞろぞろ着いて歩くのでやかましい。

1208_22これは集会場のような建物。竪穴式で、入り口から階段を降りる。

1208_25なかは思った以上に広い。

1208_37_2これは個人の家のようだ。涼しそう。

1208_39これも竪穴式の個人の家。

1208_48建物を再現する実演中。参加も出来る。

1208_53_2時遊館の中に展示されていた子供たち用のねぶた。

 とにかく遺跡は広くてほんの一部しか見ていない。墓地と覚しき環状石群も見たかったが、暑くてくらくらしてきたので適当に切り上げた。このあと恐山に向かう。

「清末見聞録(清国文明記より)」・蘇州・玄妙観

 驢馬を走らせること十余町で玄妙観に到る。ここはこの地方における道教の中心であり、三清殿、弥羅宝閣(みらほうかく)などは堂々たる大厦である。観の広庭には屋台店が所狭しと並んですこぶる雑踏を極めている。まるで日本の浅草観音のようである。

 今日の項はこれでおしまい。

 窓を開ければ山形の宙天に満月がかかっている。冴え冴えとした月を見るともう秋だ。だが今日も炎暑の夏となるだろう。

 気圧配置がいつもと異なるから東北が暑いのだという。連日5℃以上気温が高い日が続いていて、お彼岸くらいまで暑いだろうという。お年寄りには応えるだろう。我々の子孫は我々の豊かだった暮らしのツケをいろいろな形で背負わなければならないようだ。僕たちが賢くないせいでごめんね。

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